それにしても珍しいわねえ、明日はきっと雪よ、と母さんが笑った。
明らかに僕をからかっている。
相手が女の子だってことも、僕が完璧に彼女に押し切られているんだ……ってことも、バレバレだ。
どうにも格好つかないのには参るけれど、とりあえずチケットを二枚手に入れることができて、僕はほっとしていた。
「……白鳥の湖」
さすがに僕だって知っている演目だ。
音楽もなんとなくわかる。
白い衣装を来たバレリーナが、ひらひらと……
誰でも知っている演目だから、どこか覚えがある気がするんだろう。
観たいと思ったことなどないし、観たこともないけれど。
「ホント?!……ホントにいいの、島村君っ?!」
思ったとおり、電話の向こうで、トモエは大はしゃぎしている。
格好つかないことはつかなかったけれど、そんなの、やっぱり大したことじゃない。
そもそも、母さんに格好つけても仕方ないかもしれないし、なあ。
最寄り駅でトモエと落ち合ったものの、正直、劇場がどこにあるのか僕はわかっていなかった。
が、彼女はなんだか慣れた足取りですいすい歩いて行く。
「嬉しいなあ……ホントに久しぶりなの!それも、島村くんと一緒に行けるなんて……夢がかなったわ!」
「そんなことが、夢?」
呆れる僕に、トモエはそうよ、と笑った。
「君もバレエやってたりしたのかい?」
「ええ……前はね」
「今は、やめてるんだ……受験だから?」
「うん。まあ、そんなところ」
やらなくちゃいけないことが増えちゃったから……と、彼女はつぶやいた。
たしかに、そうかもしれない。
「でも、君が踊るの、見たかったな」
「……」
「今でも、ちょっとならできるんだろ?……見せてほしい」
「……」
「……トモエ?」
「島村くんったら。これから素晴らしい舞台を見に行くっていうのに」
「どうせ僕にはわからないからさ……どうせなら、知らない人のよりも、君の踊りを」
――見たい。
と、続けることができず、僕は不意に立ち止まった。
何が起きたのか、わからない。
体が急に動かなくなった。
「……島村くん?大丈夫?」
心配そうにのぞきこまれて、ようやく我に返った。
――なんだ、今のは。
「急ぎましょう。遅れちゃうわ」
「……うん」
トモエの柔らかい手が僕の手をそっと握った。
その温もりに、少しずつ心がほぐれていく。
「島村くん、居眠りしちゃイヤよ?」
「え……」
「隣にいると、私が恥ずかしいもの。ぜーったい寝ないって約束してね!」
「それは、ちょっと……」
「まあ!」
トモエは唇をとがらせている。
悪いな、とは思うけど、約束できない。
だって、僕は……いつだって。
いつだって、悪いな、とは思っていたけれど。
でも、やっぱり、僕は。
本当は……君の。
「それじゃ……賭けようか」
「え?」
「僕がもし寝なかったら……君は、もう一度バレエを始めて……僕に踊りを見せる」
「なあに、ソレ?」
「受験が終わればさ、また練習してもいいんだろう?」
「もうー。そんな簡単なモノじゃないのよ」
「簡単でいいよ。僕に見せるだけでいいんだから……どう?」
「おかしな島村くん」
トモエはふふっと嬉しそうに笑った。
そして、わかったわ……とつぶやいて。
「でも、賭けになんかならないわ。島村くん、絶対寝ちゃう。もうわかってるもん」
で、案の定、幕が開いた途端に僕が居眠りを始めたのだと、トモエは言う……のだけど。
「さすがにソレはないよ!最初の方は見てたって」
「嘘ばっかり−!」
「本当だよ!ほら、こう、さ……フランス人のキレイな女の子が、くるくるって回ってただろ?」
「フランス人なんて、出演してませんでしたけど?」
「え」
「みーんな、日本人よ!黒髪の!ばりばり日本人!」
「……そうだった?」
「やだ、もう、島村くん、サイテー!」
「いや、その……そうか。すいません」
じゃ、夢だったのか、あれは。
白い羽を身につけた、亜麻色の髪の、女の子。
……夢、だったのか。
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