1
ジョーが帰らない。
今のところに就職してから、珍しいことではなかった。
怪しい得体のしれない青年だったはずの彼をあっさり雇ったのだから、それなりに切羽詰まった会社だったのだと思う。
きっと、とても重宝がられて……つまり、ものすごくこき使われている、ということなのだろう。
そしてそれは彼がそこで必要とされている、ということでもある。
そういうのが嬉しいのよね、彼って。
大抵のことには動じない体力と気力だってあるわけだし。
……と、思うことにしていた5日目。
昼頃、研究所に電話が入った。
彼の同僚だという女の人から。
フランソワーズさんですか?と尋ねてから、シマムラさんからの伝言です、と彼女は言った。
彼は出張で、この週末帰れません。
……ですって。
それじゃ、今までは出張じゃなかったということかしら。
首をかしげている間に、電話は慌ただしく切れてしまった。
しばらく立ち尽くしていると、目を覚ましたイワンがおそるおそる、という感じで話しかけてきた。
――フランソワーズ、怒ってるのかい?
怒ってもいい状況だと思うけれど……わからないわ。
2
博士は地下にこもりっきり、ジョーはいつ帰ってくるかわからない、イワンは眠っている……では、さすがにどうにも身動きがとれなかったけれど、ともあれ、イワンが起きたのだから、久しぶりに外に出ることができる。
ただのショッピングにしては大きめのボストンバッグを引っ張り出して、お金も余分に持って。
本屋で時刻表を買ってみたりして。
どこに行こうというあてはないけれど、研究所に戻るのはなんだかイヤ。
それだけははっきりわかっていた。
だから、東京駅の待合室に腰掛けて、時刻表をめくっていたりしたのだ。
雪が見たいような気もするし……暖かいところに行ってみたい気もするし。
どちらにしても、まずは新幹線で西に行ってみよう、と思い、立ち上がろうとして私はあっけにとられた。
目の前に、ジョーが立っている。
3
「どうしたの?」
つい、先に尋ねてしまった。
彼はええと、と口ごもり、連れとはぐれてしまったみたいなんだ……と言った。
「出張……なんでしょう?これから移動?」
「うん……おかしいな。どこではぐれちゃったんだろう」
「どこに行くの?」
「よくわからない。とにかくついていくしかない感じなんだ」
「……まあ」
探してあげましょうか、と言うと彼は慌てて首を振った……けれど、他にはどうしようもないということもわかっていたのだと思う。
ごめん、とすまなそうにつぶやいてから、彼はその人の風体や容姿を私に伝えた。
男性、だった。
もっとも、あの電話の女性だとしても彼には同じことだったのでしょうけど。
「……いたわ。たぶん、その人よ。やっぱり、あなたを探しているみたい」
「そうか、ありがとう……助かった」
「ジョー、携帯は?」
「バッテリーが切れてる」
だから、連絡をいれられなかったってことかしら。
「ああ、でも充電しておかなくちゃな……さすがに届かないだろうから」
と彼は自分のこめかみの辺りを指さした。
脳波通信の事を言っているみたい。
東京駅のどこにその人がいるのか、をフツウの人に伝えるのは大変そうだけど、相手がジョーならそれほどのことはない。
ここが、これから侵入する要塞だと思えばいいわけで。
もちろん、私がそうしているのを彼はすぐに理解して……ますます申し訳なさそうな表情になった。
気付かないふりで、私はその人の位置を彼に伝えた。
それにうなずき、ありがとう、それじゃ……と言いかけて。
彼がふと私をまっすぐに見た。
「フランソワーズ、今日のご飯って、何?」
「……え?」
――どうしてそんなことを聞くのかしら?
私はあからさまに戸惑っていたのだと思う。
そして、そんな私をいつもより注意深く眺めたからなのだと思う。
彼は私のカバンに気付き、首をかしげて尋ねたのだ。
「もしかして、君も……」
「――肉じゃがよ」
咄嗟に答えていた。
彼は瞬きして、しばらく沈黙し……やがてぽつりと、そうなんだ、と言った。
4
それで、私は研究所に戻り、肉じゃがを作った……というわけ。
もちろん、彼はその晩帰ってこなかったし、予定の週末がすぎても帰らなかった。
電話はない。脳波通信も。
でも、そのうち帰ってくるのは間違いない。
窓辺で時刻表をめくる私に、家出するなら今のうちだよ、とイワンが話しかける。
僕が起きているうちに……ですって。
それはつまり、眠りに入る前に帰ってきてね、ということでもあって。
そんな家出って、あるわけないでしょう。
するなら、あなたが眠ってからにします、というと、たぶん無理だよとイワンは笑う。
――だって、その頃には、ジョーが帰ってきちゃうからね。
わかってる。
私はもうとっくに……いつのまにか、諦めているんだわ。
ジョー。
私はここであなたを待っている。
いつでも……いつまでも。
肉じゃがを作って、とまではさすがに言わないけれど。
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