終業式の後、ぼーっと通知表を眺めていた。
成績は、良くも悪くもない。
……のかどうか、そもそもそういうことに興味がないのでよくわかっていないが、少なくとも前と比べて上がっているわけではない。
「わー。島村くん、相変わらずスゴイね!」
「……」
ちょっと驚いた。
いつのまにかトモエが後ろからのぞき込んでいる。
「島村くん、いつもマジメに勉強してるからなあ……いいな、入試の心配がなくて。どこでも選び放題ですね」
「そんなことは、ないよ。大学なんて、考えたことない。僕は、ただ……」
「……ただ?」
「……」
ただ……なんだろう。
何か、目的があるから勉強しなくちゃいけないと思ってる。
何か、目的が。
それは、大学入試なんかじゃない。
たぶん、僕はそのままじーっと考え込んでいたんだと思う。
気付いたら、教室はひっそり静まりかえっていて。
でも、トモエはまだ僕の傍らに立っていた。
「ねえ、島村くん。冬休み、何か予定ある?」
「……いや」
「家族旅行とか、帰省とか?」
「ないよ」
父さんも母さんも、そういう意味では淡々としている……のだろう。
実際、クリスマスも年末の喧噪も街の中だけの話で、ウチにまでは入ってこない。
正月もそうなるのだろうと思う。
トモエはいつものように、ふーん、と首をかしげて。
それから、僕の目を正面からのぞき込むようにした。
これも、いつものことだ。
「だったら、初詣に行きませんか?」
「……初詣?」
「うん。初詣!」
「……何しに?」
「ええー?初詣って、お祈りするんでしょう?今年もいい年でありますようにって!」
「僕は、別に」
祈ったからどうとなるものでもないはずだ。
それに、今年もって。
じゃ、これまではそんなにいい年だったのかな……ってことになるし。
そうでないとしても、これから何かが変わるのかな……って考えると、それだって。
……それだって。
何かが……変わる?
「もー!どうしてしまむらくんって、いっつもこうなのっ!?」
「……」
「ホントは、願いごとがあるでしょ?あるはずよ!ちゃんとお願いしなさい!」
「そんなこと、言われても」
「どうせ神頼みなんてアテにしてないって言うんでしょうけど。やってみないとわからないじゃない!」
「君、つまり、君が行きたいんだ?」
「え?」
「初詣」
トモエは一瞬きょとん、としてからぽーっと頬を赤くした。
かわいいな、と思った。
よく見ると、ずいぶん色の白い子だったんだ。
「じゃ、着物着てよ」
「え、……えっ?」
「初詣はどうでもいいけどさ……君の晴れ着、見てみたい」
「し、し、島村君……?」
「きっと似合うと思う」
誰だこの気障男?と我ながらうんざりしながら、僕の言葉は止まらない。
髪はアップにした方がいいよね、とか、着物で入りやすい茶店を探しておくから、とか。
僕にはこういうことがある。
自分で自分が何を言っているのかわからない、というか。
たまに、人と話していると……いや、実質、僕が話しているのはたいていトモエだけなんだけど。
とにかく、僕なのか僕でないのかよくわからない怪しい気障男は、まんまと彼女にイエス、と言わせるコトに成功した。
これも、たぶんいつものこと……だった。
帰宅してから、僕はパソコンにはりつき、検索を繰り返していた。
繰り返し閲覧したのは、いつも巡回している科学や政治のサイトではなくて、もちろん、初詣スポット案内だ。
ご飯さめるわよ、と連呼していた母さんも根負けしたらしい。
近場で有名ドコロなら明治神宮だけど、人混みがスゴそうだ。
といっても、都内はどこも似た感じのようだし。
郊外に出るといいのかもしれない。
海の近くとか。
「また海?」って言われるかもしれないけれど。
でも、彼女には海が似合う……ような気がしているんだ。
そして、1月1日。
いつもの待ち合わせ場所に来たトモエは、本当に可愛らしい晴れ着姿だった。
「お気に召しましたか?」
「うん……とても」
「よかったあ…!」
嬉しそうに笑うと、トモエは僕の腕に飛びつくようにしがみついた。
いつものように手を繋ごうにも、どこをどう触ったらいいか分からなかったから、助かった。
「ちょっと歩きにくそうだね?」
「大丈夫よ……たしかに、慣れていませんけど」
「それは、そうだよね。君は、着物なんて」
――初めて、だから?
「もう。お見通しなのね。……すみません、初めてです」
「そうなんだ。それじゃ、遠出はよそう」
「助かります。ありがとうございます」
少しぐらい人混みの中を並んでもいいや、と思った。
彼女がつぶされたりしないように気を付けなければいけないけれど。
そんなふうに彼女を庇うことは、少しも煩わしいことではない。
むしろ……なんだろう。
……むしろ、僕は。
「島村君。願いごと、決まってる?」
「……いや」
「ちゃんと考えておかないと。次の人が待ってるから、急いでお祈りしなくちゃいけないでしょ?」
「君は、何をお願いするの?」
「世界が平和になって、みんなが幸せに暮らせますように!」
「……」
即答だった。
澄み切ったその声に、ぼんやりしたアタマを思い切り殴られたような気がして、僕は思わずトモエを庇うことも忘れて立ち止まっていた。
「島村くんは?」
「……え?」
「もう!……ほら、もうすぐ順番が来ちゃうよ?」
「同じでいい」
「え?」
「君と。同じでいい」
「ええー?ちょっと、どうして島村くんって、いつもこういいかげんなの?自分の願いごとなんだよ?ちゃんと考えなくちゃ!」
「考える必要ない。……本当に、君と同じなんだ」
「……島村くん?」
「僕たちの番だ……ほら、お賽銭投げて」
トモエをうながし、勢いよく鈴を鳴らす。
作法はよく覚えていないけれど、とにかく手を合わせて祈った。
世界が平和になって。
みんなが幸せに暮らせますように。
そして、僕は……
ようやく人混みを抜け出し、前もって探しておいた静かな茶店に落ち着くと、トモエは早速僕のお参りがいいかげんだったことについてぶつぶつ文句を言い続けた。
それを笑って聞き流しながら、僕は不思議と穏やかな気分になっていた。
こういうのが、幸福……というものなのかもしれないと。
こんな時間がいつまでも続けばいいと、そう思っていた。
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