このカラダでちょっとマズイのは、やっぱり食費がかかりすぎるってことかな……とぼやきつつ、新鮮な上等の生肉をたっぷりと食べ終わった僕に、フランソワーズは苦笑した。
「何言ってるの。こっちはその方が助かるわ。……アナタはつまらない感傷だって言うんでしょうけど、そこから抜け出すなんて私には無理。ミルクならともかく、アナタにあまり粗末なモノを食べさせたくないもの」
『君の言う、粗末かそうでないか、という基準がもうひとつわからない。前のカラダの時に食べてたカンヅメって、君の朝食のバゲット3つ分の値段だったと思うよ』
「だから、心の問題なのよ……カラダじゃなくて、ココロ」
『そこがわからないんだよなあ……』
「わからなくても仕方ないわ。わかったら大変かもしれないんだし……そろそろ買い物に行きましょうか、イワン?」
『そうだね』
彼女の言う「カラダじゃないココロ」とは、しかし、本当のところはむしろ「カラダと切り離すことができないココロ」であるに違いない。
そこを切り離してしまった僕としては、正確に言えば理解はできるが実感はできないことだ。
そして、彼女が彼に抱く思いもまた、カラダと切り離せないココロ、というヤツなのだろう。
だから、彼女の僕に向ける愛情と、彼に向ける愛情とは本質的に異なっている。
異なっているが、愛情であることに変わりは無い。
すなわち、僕には何も文句はないし、彼だって同様の筈だ。
カラダに縛られるココロというのは、どうにもやっかいだ。
やっかいだが、全て捨ててしまえばいいというものでもないに違いない。
それを捨てた存在の、究極のココロとして僕がいるのなら。
それを捨てない存在の、究極のココロとして、彼はきっと必要だ。
思い起こしてみれば、僕がこうしてココロをカラダから切り離すに至った過程は、平坦なモノではなかった。
何事もなければ……あのまま穏やかに暮らすことができていれば、たしかに、赤ん坊として彼女に抱かれ、ミルクをもらっていたあの頃の僕に、何の不満もなかったのだ。
それができない状況に追い込まれたからこそ、僕は今の僕となった。
それは、結局のところ、何のためだったのか……考えてみてもわからない。
ただ、どんな状況になろうとも、僕は生きていたかった。その思いは変わらなかったし……もうひとつ言えば、彼女に生きていてほしいという思いも変わらなかった。
だから、相当の無理をして、今に至ったのだ。
とすれば。
彼だって、きっと同じなのだ。
だからこそ、彼は今、相当の無理をしている。
そして、彼が僕と同じ道をたどる必要はない。
むしろ、違う道を選んでくれた方がいい。
その方が、タイプの違う敵に対応できるからだ。
このカラダでちょっと困るのは、散歩の途中でフランソワーズと離れていなければならない場所があることだ。
この前のカラダの時は、赤ん坊の頃ほどではなかったけれど、おとなしく彼女の腕に抱かれていれば、大抵の場所……動物おことわり、と言われる場所にも立ち入りができた。文句を言いそうなヤツも少なかったから、「封じる」ことがたやすかったのだ。
そんなわけで、フランソワーズは、スーパーマーケットの近くにあるいつもの大きな木に、慎重に僕のロープを結びつけた。
彼女を安心させるため、僕は大きく欠伸をしてみせてから、ゆったりその場に寝そべった。
どんなに大きなたくましい犬であろうと、寝たふりをしていれば、世間の目は少し優しくなる。
ちょっと面倒なのは、怖い物知らずのチビたちが寄ってきては鬱陶しいちょっかいをかけてくること……だが、あまりにウルサイときは、眠らせてしまうことにしている。
寝そべる僕の腹のあたりを枕にして寝かせるのがコツだ。
そうすることで、この界隈での僕の評判はより上がるし、フランソワーズだってより暮らしやすくなる。
ただ、大きな犬がそういうものだ……と思わせてしまうことは、結局のところ、チビたちにとって極めて危険な経験となる。
そう言って、フランソワーズは僕の対応に、大いに難色を示したのだけど。
まったく、お人好しなんだから。
彼女がお人好しであることは、とっくの昔からわかっていた。
もちろん、わかっていたのは僕だけじゃない。
彼だって、十二分にわかっていたのだ。
――だからこそ、だ。
お待たせ、と戻ってきた彼女は大きな袋をふたつぶら下げていた。
ひとつは、彼のアパートに持っていくモノだ。
そのアパートのドアを合い鍵で開け、「こんにちは、ジョー」と明るく声をかけて入る彼女と一緒に、とりあえず玄関に入り……そこで、僕は立ち止まる。
彼がいるはずの部屋のドアはいつも閉ざされている。
彼女が控えめにノックする……が、返事は当然のことながら、ない。
彼女は、そこでいつも立ち尽くし、しばし迷う。
迷うけれど……結局、ドアをゆっくり開けるのだ。
僕は、知っている。
今日も彼の無関心が、彼女を傷つけるだろう。
彼は、それは今までにだって、何度も……いろんなやり方で彼女を傷つけてきたけれど、今ほどヒドくはなかった。
彼女の優しい声が、途切れ途切れに聞こえる。
彼のカラダをそっと抱き寄せる気配も伝わってくる。
それを振り払うことすら、彼はしないというのに。
それでも僕にはまだ、彼のココロの奥底が見える。
彼女には、見えない。
見えないのに、彼女は彼を見捨てないのだ。
やがて。
疲れ切った笑顔で戻ってきた彼女が、行きましょう、イワン……といつものように声をかけ、僕たちは彼のアパートを離れる。
彼女は、僕が彼のココロの奥底を知っている……ことを、知っている。
でも、彼女は何も聞かない。
彼女が何も聞かないから、僕も何も話さない。
今、彼がおそるべき静けさ……つまり、009としての能力の限界を駆使しつつ、003に探知されない静けさと素早さをもって窓辺に寄り、食い入るように、遠ざかる僕達……いや、彼女の後ろ姿を見つめていることだって、僕は決して話さない。
ジョー。
きみは本当に馬鹿だったし、今もやっぱり馬鹿だ。
でも、安心するがいい。
フランソワーズは、きみの上をいくお人好し……馬鹿、とは言いたくないから、そう言っておく……だからね。
思えば、それこそがきみたちが今こうして生き延びている……そして、僅かながらも、未来への希望をつなぐ存在であり続けている要因なのだろう。
僕は、きみたちの馬鹿さ加減を誰よりもよく知っている。
だから、誰よりも強く、信じているんだ。
きみたちは、きっと目ざめる。
僕とは違うモノとして……もうひとつの究極のココロを持つモノとして。
限りない力あるモノとして。
つまり、サイボーグ超戦士……というのは、あまりにセンスのない言葉だという気がするけれど、他にはどうにも言いようのない、そういうモノとして、だ。
センス、なんていうのは、この際どうでもいいだろうと思うしね。
それはそれとして。
実を言うと、そろそろこのカラダも先が見えてきた感じがする。
始めは僕がカラダを替えるたびにホンキで泣いていた彼女も、さすがにこの頃は慣れてきた……のならいいのだけど。
とにかく、彼女に泣かれないために、なるべく陽気にコトを進める必要があるだろう。
ちょっと不本意だが、やっぱり今ならアレかな、「おとうさん」で有名なあの白い犬になりたいなあ、人前で声を出して話してみても大丈夫そうだし?……なんて、さりげなく言ってみようかな。
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