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009的小話

シャンプー
 
ジャガイモ・人参・玉ネギ一袋ずつ・バックリブ2kg・バター・黒胡椒のホール・ティッシュペーパー・台所用洗剤・アルミホイル……
 
「……歯磨き粉」
 
ジョーは考え考え、どこかで見た事のあるような気がする箱を棚から取った。
どのメーカーのどの品、とハッキリ書いていない場合は、適当でいい、ということだ。
 
そういえば……とふと気付いた。
いつのまにか、フランソワーズの買い物メモが簡単な……というか、ざっくりした感じの……要するに、ちょっと雑なモノになったように思う。
 
ずっと以前、日本で暮らし始めた頃、彼女は買い出しのとき必ず同行して、好みの品物をあれこれ選んでいたし、それがかなわないときは、何をどれだけ買ってきてほしいのか、かなり細かいメモを渡してきたものだ。
 
詳しい指定があるおかげで、迷わないですむのはありがたかったけれど、その品物が店にないときはちょっと面倒だった。
結構苦労して何軒かの店を周り、ようやく手に入れて戻ってみたら、彼女が微妙に機嫌を悪くしていたこともあった。きっと、時間がかかりすぎだと思っていたのだろう。
彼女がそう思うのは無理もないが、こっちだって無理もないことだ。
実のところ、彼女は彼の「寄り道」を心配していたのだが、そこには気付かないジョーだった。
 
当時と比べると、メモは明らかに簡素になっている。
それは、二人が今のくらしにかなり馴染んできたということでもある。
もともと家事一般に疎く関心もないジョーだが、そうはいっても研究所の「若主人」のような立場におかれていれば、自然とわかってくることもある。
フランソワーズは確かに几帳面で働き者だったが、日本人の有能な主婦がそうであるように家事の全てを自分が背負わなければならない、とは全く思っていなかったし、ジョーはジョーで、日本人の有能な主婦と暮らしたことなどなかったので、それに違和感を感じることもなかった。手伝ってくれと言われれば手伝ったし、そのとき彼女を失望させたくないと思えば、失敗しないように注意深く働きもした。
 
その甲斐あって、彼の買い物スキルは、たとえば漠然と「コーヒー豆」と言われたときも、どの銘柄でどの値段のをどれくらい……ということを概ね外さない、というレベルまで到達していたのだった。
同様に、フランソワーズの方も、ジョーが何度注意しても「何でもいいよ」と答え続けるのにかなり慣れて……というか、諦めがつくようになっていた。
有能で誠実ではあるものの恐ろしく融通がきかない島村ジョーに買い物を頼むなら、どこまで正確に品物を指定するかということについてはいずれ考え、割り切らなければならないことだったといえる。
 
そんなわけで、ジョーはすいすいカートを動かしながら、ごく順調にメモの内容を片付け、ついでに気付いたモノをかごに放り込んだりもしていた……のだが。
その手が不意にはた、と止まった。
 
「……シャンプー」
 
メモを見て反射的に伸ばした手の先にあるのは「いつもの」見慣れたボトルだ。
が、そこに書かれた文字に、ジョーはふと眉を寄せた。
 
「ベビー、シャンプーだったのか……コレ」
 
今まで気付かなかったのが迂闊といえば迂闊だが、気にしたことなどなかったのだから、仕方ない。
とにかく、ソレは間違いなくベビーシャンプーだったし、紛れもなく研究所の浴室に常備され、ジョーが何気なく使い慣れているモノでもあった。
 
考えてみれば、イワンがいるから当たり前なのだ。
それに……ギルモアにも、こう言うと機嫌を損ねるかもしれないが、肌あたりがやさしい品がふさわしいかもしれない。
 
そして、自分はといえば、ハッキリいって、何でもいいのだった。
そう思ってみると、ベビー用のソレは、やはり普通のモノと比べると割高のように見えた。もったいないなあ……と思いかけたが、そうかといって、他のモノを使おうという気になるわけでもない。
大人の男向けの品はずらりと並んでいたが、そのどれが自分にふさわしいかなど、見当もつかなかったのだ。
 
だから、自分も別にこれでいい。
もともと何でもいいのだから、文句はない。
……しかし。
 
「フランソワーズは、違うよな……」
 
と、ジョーは思った。
彼女がコレを使っているはずはない。
 
まず、香りが違う。絶対に違う。
そもそも、このシャンプーには、きっぱりと「無香料」と書かれているのだ。しかし、フランソワーズの髪からは、いつもほのかな甘い香りが漂ってくる。彼女が自分用のシャンプーを使っているのは間違いない。
 
今まで見た記憶がないのは、おそらく彼女がソレをジョーやギルモアの目につくトコロに置いていないからだろう。
賢明な彼女は、ジョーやギルモアの髪からああいう甘い香りがしてしまったら不都合であろうということを鑑み、無頓着な科学バカ師弟がそういう失敗をしないように気遣ってくれているにちがいない。
 
あらためてしみじみと彼女の細やかさに心あたたまる思いのジョーだった……が。
そうなってみると、なんだか気になるのだった。
フランソワーズは、どんなシャンプーを使っているのか。
 
そう思いついた瞬間、ジョーはいきなりむやみに後ろめたい気分になった。
何が、ということはないのだが、ひどく不埒なことを考えているような気がしたのだった。
 
「何か、お探しですか?」
 
控えめにかけられた声に、ジョーは飛び上がりそうになった。
こわごわ振り返ると、可愛らしい少女……というか、店員が心配そうにのぞいている。
 
「奥様のお使いですか?」
「……え?!」
「シャンプー、種類が多いですからねー」
「あ、あの」
「よく出るのはこちらなんですよ……あ、でも、外国の方ですか?もしかして、淡い髪色の?」
「……」
 
なんとなくうなずいてしまう。
少女の表情がパッと明るくなった。
 
「それでしたら……!」
 
たたた、と少し離れた棚に足を向ける。
そのときになって、ようやく、ジョーは自分がいつのまにか女性用のシャンプー売り場にぼーっと立ち尽くしていたことに気付いたのだった。
 
「これではないかしら……天然ハーブ配合の、とっても優しい香りのお品です。ブロンドの方がよくお買い上げくださっています。こちらがシトラス系、こちらがフローラルで、こちらはもっとフルーティな感じなんです」
「……ええ、と」
 
こんなことに使ってみたことはなかったが、もちろん、自分には研ぎ澄まされた嗅覚がある。
少女が次々に差し出すボトルの匂いを素早くかぎ分け、たぶん、これだろうというモノを選び出すことができた。
 
「ありがとうございました〜!」
「い、いえ……こちらこそ」
 
もごもごと口の中で言いながら、必要もないのに深々とお辞儀をして、ジョーは逃げるように売り場を後にした。
とにかく、予定外ではあったが、マズイ買い物ではなかった……はずだと思う。
 
 
※※※※※
 
 
「……あら?」
 
買い物を検分していたフランソワーズの手が止まった。
首をかしげる彼女の手に、あのシャンプーのボトルを見つけ、ジョーは少し慌てた。
 
「違ってた……かい?」
「これ……私の?」
「……と、思ったんだけど」
「……」
 
やっぱり、違ったらしい。
無理もないが。
 
返品してこようか……と言いかけた言葉は、しかし、彼女の柔らかい笑顔に絡め取られた。
 
「もったいないわ……こんな、いい品」
「そう……いうわけでもないよ、きっと」
「どういう風の吹き回し?……嬉しいけど」
「どういう……って、言われても」
 
……困る。
 
君の髪が、いつもいい匂いだなーと思って、ぼんやり女性用シャンプー売り場に立ってたら、店員に捕まった……なんて説明してもしかたないし、説明しない方がいい。
そんなかっこわるいコトを説明すべきではない、とジョーは思っていたわけだが、全く別の理由から考えても説明するべきではないのだった。
といっても、もちろんジョーにそんな自覚はない。
フランソワーズはほんのわずか、探るようにジョーを見つめ、すぐにまた笑顔になった。
 
「ごめんなさいね……驚いちゃって、つい。……嬉しいわ。ありがとう」
「……うん」
「早速、使ってみるわね」
「……うん」
 
紙袋を抱え、軽い足取りで浴室に向かうフランソワーズの後ろ姿を見送り、ジョーはほっと息をついた。
 
その夜。
あのシャンプー、使ってみたのよ?と微笑むフランソワーズを、それ故にジョーはいつもよりおおっぴらに抱きしめることができたし、その柔らかい亜麻色の髪をいつもより大胆にかきなでながら遠慮無く顔を埋め、たっぷりと香りを楽しむこともできた……のだが。
正直、やっぱり失敗したな……と思うのだった。
 
どう……?とはにかんだ微笑を向けられたら、それはもう、ジョーとしてはいいね、と言うしかないのだけど。
でも。
少しためらってから、どうしても嘘をつけない彼は、やはり白状してしまうのだった。
 
「でも、これも素敵だけどさ……ボクは、いつもの方が好きだ」
「……まあ。だって……」
「香りも、手触りも。……いつもの方が、いい」
「……」
 
我ながら大胆な事を言ってしまった……と焦り、焦っていると知られたくなくて、ジョーはそのままフランソワーズの唇を塞ぎ、身動きできないように抱きしめてしまった。
極上の絹の手触りはいつもどおりだったし、その髪からは、わずかにキツイ感じはするものの、えもいわれぬ香りがこれもまたいつものように漂ってくる。何も文句はない。この香りに包まれて溶けてしまいたいぐらいだ。
そして、実際、その夜はそのままそういうことになった。
 
 
 
翌日。
あのボトルが浴室の棚から消えているのに、ジョーは気付いた。
昨夜は間違いなくあったのだが。
 
彼女らしい気遣いだなあ、とジョーは照れるような気持ちになりつつ思った。
彼女は、ジョーが選んだボトルを、だからこそ目に付くところに置いてくれたのだろうし。
それが失敗だったということになれば、今度は目に付かないようにしまってくれる。
 
 
結局、彼女がどんなシャンプーを使っているのかは分からずじまいだったが、そういうことは分からない方がいいようにもジョーは思うのだった。
たしか、以前、グレートが言っていたような気がする。
 
女は、謎がある方が魅力的だ……とか、なんとか。
更新日時:
2014.01.23 Thu.
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Last updated: 2015/12/1