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009的小話

趣味(RE:1年生)
 
1年生の1学期は通知表の記入が何かと煩雑だ。
そうとわかっているのだから、早めに準備すればいいのだが、いつもうまくいかない。
 
どうにか入力を終え、ざーっと点検していたとき、空欄があるのに気付いた。
「趣味」のデータが入っていない生徒がいる。
 
出席番号23番。
島村ジョー。
 
わー、コイツか!
……と思った。
 
※※※※※※
 
 
たぶんそうだろうと思ったとおり、生徒達に自己申告で書かせた資料でも、やはり「趣味」が未記入だった。
そういう生徒は他にもいて、6月の面接のときに直接確認していたはずなのだが。
で、島村ジョーの面接もしていたはずなのだが。
 
一応、面接のときにとったメモも確認してみたが、彼の趣味に関わるような記録はなかった。
というか、ほとんど記録らしいものがない。
何もしゃべらなかったということはありえないのだけれど。
 
たしかに、とりとめのない生徒なのだ。
成績も、素行もごくフツウで目立たない。
部活にも所属していない。
友達は……。
 
友達はいるのかいないのか。
林間学校のグループを作るとき、あまったりはしていなかったから、いないことはないのだろうけれど、どうもイメージできない。
 
そういえば、体育祭ではリレーの選手に選ばれていた。
足はかなり速い生徒だ。
それは覚えている。
 
生徒たちはもう試験休みに入っているから、家に電話して確認するしかない。
出るかなー、とちょっと不安になった。
もし出なければ、仕方がないから「陸上競技」とでもしておこうか、と思い、いやでも通知表だからなーと思い直した。
いい加減なことを書くぐらいなら空欄にしておいて、2学期以降にきちんとした内容を入れる方がずっとマシだ。
 
電話をかけると、意外にも、島村ジョーはすぐに受話器をとった。
まずほっとする。
通知表に書くために「趣味」を教えてほしいのだけれど……と告げると、沈黙が落ちた。
 
趣味なんてないんだろうな、と思う。
ないから書かなかったのだ。そういうことだろう。
 
「特にこれということがなければ、読書か音楽鑑賞か映画鑑賞か……パソコンとか」
 
趣味がない、という生徒たちも、こうやって無難な例をいくつか挙げると、「じゃソレにしておいてください」とかなんとか言うものなのだけど。
島村ジョーはやはり黙っている。
 
「……どれも、違う?」
「はい。すみません」
「いや、謝らなくてもいいんですが……うーん、困ったな」
「……」
「いつも、家では何をしているの?」
「テレビを見たり……新聞を読んだり」
「どんな番組を見る?」
「ニュースです」
「ニュースか……じゃ、新聞は、どんな記事を見るの?」
「全部見ます」
「……全部、ねえ」
 
いよいよとりとめがない。
困ったなーと思っていると、どうも島村ジョーも相当困っているらしい。とりとめはないけれど、そういえば結構気のいい生徒なのだ。
この間も、山のように届いた夏休み用の問題集の仕分けを、頼まれてもいないのに黙って手伝い、各クラスに運んでもくれた。
 
「あ。……あなたって、結構力持ちじゃない?持久力もありそうだし、足も速いし。何か、トレーニングとかしている?」
「……トレーニングなら。少し」
「よし、それにしておこう!……ジョギングなんてどう?」
「ジョギングは……していません」
「ありゃ。体操は?」
「……」
「筋トレだと……ちょっと趣味にはならないし」
「あの」
「何か思いついた?」
「ジョギング……これから、すればいいですよね?」
「え?……これからって……?」
「これから、することにします。だから……」
「ああ。……なるほど」
 
なるほど……だけど、それでいいのか?
よくないような気はしたけれど、なんだかほっとした……し、島村ジョーも明らかにほっとしたようなのだった。
 
「ありがとう。じゃ、趣味はジョギングってことにしておきます」
「はい。よろしくお願いします」
 
やれやれ……と受話器をおき、コンピューターに向かった。
 
1年D組
出席番号23番
島村ジョー
 
厚生委員
掲示係
取得資格なし
趣味:ジョギング
その他特記事項なし
 
……以上!
 
 
8月も半ばの頃だった。
研修会に出るため、私は横浜に出かけた。
午前の部が終わり、少し長めの昼休みになると、ほとんどの参加者がぞろぞろと会場を出て中華街の方へ向かっていく。
ぎらぎらと照りつける真昼の太陽の下に出ていくのはちょっと躊躇されたけれど、そうだよな、せっかく横浜なんだし……と、私もそちらに歩き始めた。
 
そのとき。
一瞬、風が流れた。
 
思わず振り返ると、走り去る少年の後ろ姿。
栗色の長い髪。
あれは、まさか……
 
「ランニングですかね、この暑いのに……何かの選手かな」
「熱中症にならないといいけれど。まあ、そんな心配はないのかな。よく鍛えてる若い連中なら」
 
走る少年の姿は、私だけでなく、その場にいた教師たちの目を引いたようだった。
感心しつつ半分呆れているようなその声を、私はどこか遠くに聞いていた。
 
たしかに、ジョギングというよりランニング、という感じの走り方だ。
ジョギング、というより……
 
……まさか、ね。
 
何となく息苦しくなった気がして、私は大きく深呼吸した。
とにかく、どこにでもいそうな、とりとめのない少年なのだ。島村ジョーという生徒は。
だから、こういうこともあるのだろう。
 
でも、帰ったら、一応電話をしてみようかな、と思った。
ジョギングは朝か夕方にしなさい、と言っておいたほうがいいかもしれない。
きっと何がなんだかわからないと思うだろうけれど。
 
たしかにそう思っていたのだけれど、いざ家に帰ると私は少年のことも島村ジョーのことも忘れていた。
だから、電話もしなかった。
 
 
二学期の始業式。
島村ジョーは登校しなかった。
夏休みの終わりに、突然退学届を出したのだ。
 
やっぱり、あのとき彼の趣味を聞いておいてよかった……ということなんだろうな、と。
指導要録の「趣味」の蘭に「ジョギング」と記入しながら、私は思っていた。
 
更新日時:
2012.07.09 Mon.
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Last updated: 2015/12/1