1
ジョーは、ひどい。
そう思うことは初めてではなかった……ということに、フランソワーズは気づいた。
そして、気づいたことも初めてではなかった、ということにまた気づく。
彼がひどいのは、ひどい!と思ったときに、そう言わせてくれないところにもある。
フランソワーズは何度も深呼吸しながら、彼がここ数日、毎日のように連れてくる可愛らしい少女にふるまうための、お茶と焼き菓子の載ったトレーを持ち上げた。
少女は、フランソワーズを「ジョーの優しいお姉さん」と思っているらしい。
もしくは、自分がそう思っているのだということをフランソワーズに示そうとしている。
可愛い弟を大事にする優しいお姉さんなら。
その弟が大事にしている女の子にも優しくしてくれますよね!
と、少女が実際に言ったわけではない。
そんなふうに感じてしまう自分がどこかひねくれているのかもしれない。
ともかく、そんな状況を平然と作りつつ幸せそうに笑っているジョーがひどい、とフランソワーズは思うのだった。
それじゃ、送ってくるから……と、ようやくジョーが少女に腕を貸しながら居間を出て行く。
覚えず溜息をつくフランソワーズに、ジェットが面白そうに囁いた。
「アイツな……オマエを喜ばそうとしているんだぜ、アレで」
「……え」
「フランソワーズには女の子の友達が絶対必要だ!って、前から力説していたからな……ちょっと苦手なタイプの子なんだけど、フランソワーズにすごくなついているから、とか言ってたぜ」
そういうこと、なのだ。
ジョーはどこからどこまでも善意でできていて。
その全身全霊でフランソワーズの幸せを願っていたりするのだから。
だから、ひどい、なんて言えない。
ありがたくて、申し訳なくて、とても言えない。
「な、実際ウザいんだろ、あのオンナ?……顔に書いてあるぜ?」
「……やめて」
「ウザい、二度と連れてくるなって怒鳴ってやれよ……そうでないとアイツ、一生わからないって……こんなにハッキリ顔に書いてあるのが読めねえんだからな」
そんなに……
ハッキリ見えてしまう、のかしら?
2
ところが。
その翌日から、ジョーは少女をぱったりと連れてこなくなった。
当面、フランソワーズのイライラが解消するかもしれない、と思うとジェットとしてはそれはそれで喜ばしいこと……のようではあったが。
もしかすると、状況が「進んだ」のかもしれないではないか、ともジェットは思う。
つまり、「ジョーの優しいお姉さん」なんかのいないトコロで二人きりで会いたい、という段階になった、というような。
もちろん、フランソワーズもそのぐらいのコトは想像しているのだろう……が、それはまあ、今のところどうでもよかった。彼女は結構辛抱強いというか、意地っ張りだから、しばらくは平然とした態度を保つだろう。
それよりも、年齢に似合わず――とジェットは心から思う――女性に対して極めて泰然としているジョーにしては珍しいツッコミがいのある案件であることの方が興味深い。
とはいえ、普段から無口な方で、何を考えているのかよくわからず、ツッコミにもぼんやりした反応しか示さない……それも、黙殺しているわけではなく、どうもツッコミに気づいていないらしい、というようなジョーなのだ。どういう方向から切り込もうか、とジェットはしばし悩んだが、意外にも、その必要はなかった。
「ジェット……ちょっと、どうしたらいいか……わからないことがあるんだ。笑わないで、聞いてくれるかな」
もちろんだ、何でも相談してくれ、と請け合い、ジェットは精一杯真剣な表情を作った。
が、もちろん、ジョーのコワイほど真剣な表情にはほど遠かっただろう。
「どうしてかわからないんだけど……リコさんを怒らせてしまったらしいんだ。もう、絶対に会わないって言われた」
そうかあの少女は、リコサン、というのか……と密かに納得しつつ、ジェットはうむ、と腕組みをしてみせた。
「どうしてかわからないってことはないだろう。何かやらかしたはずだぜ、オマエ?」
「うん……でも、よくわからない。謝ったんだけど、許してもらえなくて」
「おいおい……ったく、何が悪いんだかわからないのに、とりあえず謝ったのかよ?」
しょうがねーな、とジェットは肩をすくめた。
気の毒だが、望みはなさそうだ。
「ま、諦めるんだな。……絶対に会わないって言われたんだろ?」
「うん……携帯の番号も、メールも変更したみたいで、通じないし」
「そりゃ……徹底してるな」
「本当にどうにもならない……かな」
これほどしょげかえっているジョーは見たことがない……ような気がする。
ツッコミを入れまくるつもりだったが、それどころではないな、と、ジェットは本格的に心配になった。
「そうがっかりするなよ……仕方ねえだろ?気持ちを切り替えて、また別のオンナに……」
「別の……って!そう簡単なことじゃないだろう?……せっかく、フランソワーズに友達ができたのに、僕のせいで……きっとすごくがっかりさせてしまう。彼女に何て言ったらいいか、わからないよ」
「待て。……ソッチなのかよ?」
まさか、と思いながらジェットはジョーをのぞき込んだ……が、どうも、本当にソッチらしい。
どうなってやがるんだコイツは、と思わず脱力する。
「フツーに言えばいいさ。それしかないだろう?ヘマをしてリコサンに嫌われた、彼女はもう二度と来ない……ごめん、ってな」
「……」
「そうくよくよすんなって。……たぶん、それほどガッカリしないだろうよ、アイツ」
「僕の前では、きっとそう振る舞うだろうけど……フランソワーズはいつも、自分の本当の気持ちを抑えてしまうんだ」
「……そうかァ?」
「うん。大丈夫……って笑ってくれると思う。でも、本当は……」
「考えすぎだろ?……実際大丈夫だと思うぜ」
「大丈夫じゃないよ!……君は、全然わかっていない!」
わかってないのはオマエだろーが、と言い返そうとしたジェットは、ジョーの今にも泣き出しそうな目に、言葉をのみこんだ。
もしかすると……たしかに、俺はわかっちゃいないのかもしれないしな。
実際、わからねえ。
コイツのことも、アイツのことも、サッパリだ。
3
ジョーがフランソワーズにリコサンのことをどう話したのか、ジェットにはわからなかった。
が、もちろん彼女が彼を責めるはずもなく、むしろこうなったことを歓迎しているだろうということは想像できる。
でも、ジョーはそれを、彼女が「本当の気持ちを隠して、気にしていないように振る舞っているだけ」と思っているわけで。
考えると馬鹿馬鹿しく……そのくせむやみに、もやもやとしてくる。
だから、考えるまい、とジェットは思っていた。
ところが。
「ジェット。私……リコサンを探してみようと思うのだけど……」
「……は?」
一瞬、彼女が何を言っているのか理解できず、ジェットは瞬きした。
何か聞き間違いをしたのかと思ったが、フランソワーズは真剣そのもので。
「きっと、私の態度が良くなかったんだと思うの……恥ずかしいわ。こんなおばあちゃんのくせに……」
「……態度…って」
「顔にハッキリ出ているって……アナタも言ったじゃない。きっと、イライラしているのが伝わったのよ……ジョーに心当たりがないのも無理はないわ、私が原因なんですもの。彼は何も悪いことをしていないのに……だから、せめてリコサンを探して、謝って……頼んでみようと思うの。ジョーとのこと、考え直してもらえないかしら……って」
「……あのな、フランソワーズ。たぶん、アイツは別に……」
「ええ、何気ない風で過ごしてくれているわ……でも、本当はとても傷ついている。わかるのよ、私……彼はいつもそうだから。自分の本当の気持ちを抑えてしまうの」
「あーあ、そろそろ、帰らねーとな!」
「え?」
ジェットは勢いよく立ち上がり、むやみに腕を振り回した。
「やっぱり俺には、あの汚ねえ街の空気が必要だぜ!」
「……どうしたの、急に……?」
どうしたもこうしたも、ねえ。
勝手にやってやがれ!
4
とはいえ、その後リコサンがどうなったのか、気にならないわけではなかった。
アルベルトがメンテナンスのため研究所に戻っている時期を狙ってジェットが日本に電話をしてみたのも、さりげなく様子を探ってみるためだった。
具合よく、電話に出たのはアルベルト自身で。
そっちはみんな元気でやってるのか、と尋ねると、一瞬、妙な間があった。
「まあ……元気は元気だ。ったく、ウンザリするほど平和だってことなんだろうよ」
「何だ?何か、あったのか?」
「大したことじゃない。……ちょっとした冷戦中でな」
「冷戦って。……誰と誰が?」
「……俺と、アイツらだ。だから、大したことではないと言ったろうが」
アイツら……?
「ジョーのヤツが、ここのところ、女を連れてくるようになってな」
「……オンナって。まさか」
「カナチャンとか言ってたかな……どうってことのない、小娘だ」
「カナチャン?」
――リコサンじゃねーのか?
「たしかに俺も大人げなかったが、こっちはメンテナンスの最中だ。そうでなくても、あの研究所に余計な人間は入れたくないところだろう。ったく、今はノンビリ暮らしているから、多少のことは気にしなくてもいいだろうが、コレが明日も続くという保障すら、俺たちにはないはずだ。それを……」
「……なあ、オッサン。まさかオマエ、それ、ジョーに言ったわけじゃ……」
「言ったとも。言わなきゃわからないようだったからな」
「……」
「そうしたら、ジョーよりもフランソワーズがかみついてきた。……なんなんだ、アイツらは」
「……なるほど」
そりゃまたご苦労なことで、と、ジェットは心でつぶやいた。
アルベルトの性格では、自分のように適当にかわして彼らから離脱することは難しいかもしれない。
いや、まったく……
「とにかく、アイツらでは埒があかないから、結局つまらん真似をする羽目になってな」
「…と、いうと?」
「カナチャンをたたき出してやったのさ……もちろん、手荒な真似をしたわけじゃないが」
「な……!?」
絶句したジェットの反応に、アルベルトはむっとしたようだった。
なんだオマエまで、と、何やらぶつぶつ言い始めた。
そうか。
それで、冷戦か。
なるほど。
考えてみると、それが一番いい方法だったのかもしれない。
アイツらの愚図愚図ペースを問答無用で強制終了させるあたり、さすが死神と言われる男だ……と、ジェットはひたすら感心した。
いや、それにしても疲れることに変わりはないわけだが。
5
フランソワーズは、ひどい。
ジョーはしみじみ思う。
僕は、そんなに頼りないだろうか?
たとえば、ジェットと僕では、そんなに何かが違うのだろうか。
そう思うと、たちまちジョーにはわけがわからなくなる。
でも、違うらしいのだ。
少なくとも、彼女はジェットをあからさまに弟扱いはしない。
同様に、アルベルトはもちろん、ピュンマのことだって、兄として扱ったりしない。
もっともそれは、彼女に本当のお兄さんがいるからなのかもしれないが。
それでも。
それでも、弟というのは「家族」だ。
彼女が自分をソレと認めてくれるのは嬉しかったし、幸せ……でもあった。
だから、このままでもいい、と思ったのだ。
このままでも……家族として、彼女がずっと傍にいてくれるのなら。
しかし。
「ジョー。カナさんの……ことなんだけど。ちょっと、いいかしら?」
どこか思い詰めたような表情で、フランソワーズがそう話しかけてきたとき、ジョーは実際、どきっとした。
緊張もした。
「ううん、カナさんだけじゃなくて……ミサトさんや、メグさんや、リコさんのときも本当は同じコトを思ったの……でも、やっぱり言いづらくて」
「……」
まさか、と、ジョーは思った。
まさか……フランソワーズは、その。
怒って、た……のか?
僕が、女の子を連れてきたことを。
信じられない……が、そうらしい。
彼女の美しい目には、何か決意を秘めた輝きがある。
美しい……けれど、それは戦場にいるときの彼女を少しだけ思わせて。
ジョーは極度の緊張を感じながらも、わずか切ない気持ちになった。
「怒らないで……聞いてね。あの……もう、これからは私のこと、考えに入れないでほしいの」
「……え」
「だから……その、あなたが、女性とおつきあいするときのことよ」
「……」
「私ね、習慣の違いかしら、と思って……少し調べてみたんだけど……でも、日本でも、自分のきょうだいが恋人と仲良くなれるかどうかを、そんなに気にする人はいないみたい」
「……」
「一番大切なのは、あなたの気持ちなのよ、ジョー」
「……僕の」
「ええ。……だから、好きな人ができても、私に……私たちに紹介したり、報告したりしなくてもいいの。ううん、あなたがそうしてくれるのは嬉しいわ。でも……」
「……」
「……わかって……もらえるかしら。私の……言いたいこと」
もちろん、わかる。
わかりたくないだけで。
君は、やっぱり……早く僕を手放したいと思っている。
手のかかる、甘ったれの、頼りない弟。
わかってる。
わかっているけれど。
でも、わかりたくなかった。
君は、ひどいよ、フランソワーズ。
おまけに、僕は君をなじることすら許されない。
君は、本当に僕を心配して……大切に思ってくれているのだから。
ひどいなんて言えない。
ただ、ありがたくて、申し訳なくて……切ない。
だから、ジョーは、やっとの思いでこう言った。
「僕には家族がいなかったから……だから、今は君たちが誰より大切なんだ。それをわかってくれる人でなければ……付き合うことなんかできない。誰であっても」
「……」
フランソワーズの瞳が、一瞬、深い悲しみに揺れたのには気づかないふりをして、ジョーは無造作に彼女を抱き寄せた。
弟というのがどういうものかはわからないけれど、なるべく弟が姉にするのと同じように……と願いながら。
もしそれが、恋人にするようになってしまっていてもかまわない。
君がどう思っても。
僕は、かまわない。
胸の中で、フランソワーズが何かつぶやく気配がする。
ひどいわ、と言ったのかもしれない。
そんな言葉は聞こえない。聞くものか。
ジョーは堅く目を閉じた。
だって。
ひどいのは、君のほうなんだ。
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