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009的小話

民族衣装
 
 
仕事帰りの電車の様子がいつもと違っている……と思ったら、浴衣姿の女の子がやたらと目立つのだった。
どうやら、どこかで花火大会でもあるらしい。
 
なんだか多いよなあ、とジョーは嘆息した。
週末はどこかで必ずやっている。
研究所の近くの海岸でも、来週予定されているのだ。
 
ベランダからも花火は結構見える。
むしろ、崖上に建つ研究所の海に向かったベランダだから、特等席だとも言える。
仲間達が来ているときは、そこに椅子と小さいテーブルを出して、酒盛りをしながら花火を眺めるのが定番だった。
できたらそうしたかったのだが、生憎、今年は誰も来ない。
 
もうすぐ花火ね、たまには縁日にも行きたいわ……とフランソワーズが漏らしたのは数日前。
ぎくりとしながらもさりげなく聞き流そうとするジョーに、彼女はこっそり息をつき、続けてこう言った。
 
「実は、バレエスクールのみんなと行こうと思っているのだけど……」
「……え?」
 
それはさすがに聞き捨てならなかった。
顔を上げたジョーをじっと見据えるようにして、フランソワーズは「いいでしょう?」と尋ねた。
ジョーが……いや、どんな男でも絶対に逆らえない、あのとっておきの愛らしい声で、だ。
ジョーは懸命に平静を装いつつ、もちろんいいよ、と答えた。
 
「……じゃ、ユカタを着ていくつもりなのかい?」
「ええ。せっかくだから。女の子はみんなそうしようって話してるの」
「そうか……しかたないなあ」
 
何よ、その言い方……!と不満そうに唇をとがらせる彼女に構わず、ジョーは、それなら僕も行く、いいね?と言った。
言わされたのだ、ということは十分わかっていたが、他にどうしようもない。
 
 
 
どこで手に入れたのかわからないが、数年前から、フランソワーズは夏に「ユカタ」を着るようになった。
もちろん、それは彼女によく似合っていたし、仲間達は口を揃えてブラボーを唱えた。無理もないことだと、そのあたりはジョーも納得している。
 
が、実際にソレを着て夕涼みに出かける……ということになると、彼女自身はどうだかわからないが、エスコートするジョーにはなかなか楽ではないのだった。
 
まず、足元だ。
最近の女の子は結構ラフというか、細かいことを気にしないらしく、ユカタにサンダルという出で立ちが、むしろ主流になっているらしい。
それなのに、生真面目なフランソワーズときたら、頑として「下駄」を譲らない。
 
「日本の女の子たちがアレンジをするのは構わないのよ、彼女たちの民族衣装なんですもの。でも、私はそういうわけにいかないと思うの。外国の伝統文化には敬意を払うべきだわ」
 
……と、いうことらしい。
 
そんなわけで、下駄なのだ。
年に数えるほどしか履かないソレは、どうしたって彼女の足に負担をかける。
皮膚自体は、サイボーグだからだと思われるが、傷ついたりしないのだが、疲れることはどうにもならないし、足元がふらつくのも避けられない。
まさか、転んでケガをして歩けなくなる……なんてことはあり得ないはずだが、万一でもあったら困るのだ。
まして、それこそ絶対にあり得ないことではあるが、そんなときに「敵」に遭遇したりしたら……!
 
これまでの経験から考えても、003が狙われるのは「人質」として……だ。
もし、満足に動けない彼女が敵に拉致され、どこかに監禁されたとしたら。
 
助け出す自信はもちろんあるが、問題はそれまで彼女の身が無事であるかどうか、だ。
それについて、ジョーは想像するのもおぞましい可能性について考えをめぐらさないわけにはいかなかった。
 
もっとも、ユカタ姿の若い女性が拉致監禁されたとき、どーゆーことになるか、ということについて彼が知り得る情報の源は極めて信用のおけない……はっきりいっていかがわしいとしか言いようのない、例えばジェットが時折自慢げに見せびらかすDVDシリーズぐらいしかなかった。
そんなモノを信用するのは大いに間違っていると、さすがのジョーでもわかっていたが、他に資料がないのだからどうしようもない。
 
そういうわけで、彼女がユカタを着るならば、絶対に護衛が必要なのだった。
もちろん、それは自分の任だとジョーは思っている。
 
問題はまだあった。
それはむしろジョー自身の能力というか、個性の問題なのかもしれず、したがって、フランソワーズにバレたらかなりマズイ、と危惧していることなのだが。
彼女にユカタを着られてしまうと……特に人混みの中でそうなると、彼女を見分けることが微妙に難しくなってしまうのだった。
 
普段なら、ジョーがフランソワーズを見失ったり、他の女性と見間違えたりすることは絶対にあり得ない。
後ろ姿でも何の問題もない。
が、ユカタは困るのだ。
 
第一に、アレを着ると、体型がかなりわかりにくくなる。
フランソワーズは、いつもタオルやら手ぬぐいのようなものやらを用意して、着替えにとりかかっている。
体の凹凸をそういうモノで補正しないと、ユカタはうまく着られないのだという。
 
更に、髪も困る。
ユカタを着るとき、フランソワーズは必ず髪をアップにしたり、編んで垂らしたりする。
それはそれでもちろん美しいのだが、当然、いつものカチューシャは外してしまうし、肩の上で軽やかに跳ねるカールもわからなくなってしまう。
そうはいっても、彼女の亜麻色の髪は日本人の中で際立って目立つのだが、最近は油断していると、髪を金色に染めている女性も決して珍しくはなく、特にユカタ姿の女の子となると、その確率が上がるのだ。
 
それじゃオマエはカチューシャと髪の色で彼女を見分けているのか、と仲間にどやされそうではあるが、実際、その通りなのだった。
本当のところ、ジョーはフランソワーズをそうしたモノではなく、体つきで直観しているのだが、それは彼自身にも自覚のないところだった。
 
とにかく、気疲れする。困る。
 
ユカタの柄や帯の色を覚えておけばよさそうなものだが、ハッキリいって、大抵のそうしたモノが同じに見えてしまうジョーにとっては、それも大したヒントにはならないのだった。
 
 
 
それでも、「バレエスクールのみんな」と行くのだというのなら、ついていかないわけにはいかない、とジョーは思った。
もちろん、その中に彼女を狙う悪の組織のメンバーがいる……なんてことはあり得ない。
が、単なる個人的な欲求の問題として彼女を狙うだけ……という男なら、結構いるはずなのだった。
実際、ジョーにはかなり具体的な心当たりがあった。
 
ユカタも花火大会も正直、それほどいいものとは思えない。
が、日本の若者たちの多くにとってはそうではない、ということをジョーは知っている。
特に、恋人同士、ということになるとそれは特別なイベントなのだ。
 
フランソワーズにはステディがいる、ということになっているらしい。もちろん、ジョーのことだ。
それについてジョーは特に強い肯定はしていなかったが、否定する気も毛頭なかった。
日本の若者が相手の場合、ステディがいる、という事実そのものが強烈な「虫除け」になることをよく知っていたからだ。
 
だからこそ。
彼らにとっての一大恋人イベントである「ユカタで行く花火大会」に、もしジョーが同行しなければ、それは彼らの間に密かな、しかしかなり大きい動揺を巻き起こすだろうということは容易に予想できた。
 
本当のところ、自分が行かないと言ったところで、フランソワーズはそうがっかりはしないだろうと、ジョーは思っている。
が、周囲の目は絶対に違う。
 
「アルヌールさん、かわいそう!」の波が瞬く間に広がり、千載一遇のチャンスとばかりに、これまで慎ましさを装って遠慮していたヤツら……というか、具体的に言えばそれは佐々木君クンとかいう美少年……が「傷心」の彼女を慰め、取り入ろうとあれこれアプローチするだろう。
 
実は傷心などではないフランソワーズが、それでどうこう、ということはまずあり得ないのだが、そういう場合、どんなことが起こりうるかという可能性については、これもまたいかがわしい情報ソースしかジョーは持っていないのだった。
 
 
 
そして、花火大会の当日。
 
「お待たせ」と現れたフランソワーズに、ジョーは一瞬めまいがしそうな気分になった。
勘弁してくれ、と言いそうになるのを懸命に堪える。
 
そうでなくても覚えられないユカタの色と柄が、去年までのソレとはがらりと変わっている。
狼狽するジョーの様子を、どうやら良い方に解釈してくれたらしく、フランソワーズは嬉しそうに微笑し、おかしくないかしら、と心配そうに可愛らしく尋ねた。
 
本当に心配なら、ぼーっとそれを身につけてジョーの前にふらふら現れるような迂闊な女ではない。
そう思いながらも、ジョーは仕方なく、きれいだよ、と言った。他に言いようがない。
 
それからの数時間は、ジョーにとって文字通り、一瞬たりとも休まることのできない時間となった。
 
花火はやかましくぼんぼん上がり続ける。
そのたびに上を見上げていたらたちまちフランソワーズを見失ってしまうので、ジョーはロクに花火を見ようとしていなかった。
そうしていたらいたで、心配そうに「どうしたの?楽しくない……?」と尋ねられてしまう。
楽しくない、などとは口が裂けても言えないし、それを彼女に悟られるわけにもいかない。
 
「バレエスクールのみんな」にも困惑し通しだった。
次々に紹介される女の子はどれもみんな同じに見え、その中にはジョーが是非知っていなければならないはずの、フランソワーズと特に親しくしている少女もいた。
そして、人数はごく少なかったが、すらりとした端正な少年たちもいた。もちろん「佐々木クン」も、だ。
 
彼はフランソワーズを認めるや、グレートも引くんじゃないかというような大げさな身振りでその美しさを称え、あっけにとられているジョーの隙を完全について、彼女の手をさっと取ってしまった。
 
「今日はアルヌールさんをちょっとお借りします」と無邪気な笑顔で言われてしまったら、触るな、と怒鳴りつけるわけにもいかない。確か、まだ一応未成年、という相手なのだ。
ジョーも見かけでは彼と同じぐらいの年齢でしかないのだろうが、気持ちは全く違う。
もっとも、佐々木クンが、年長者への敬意をもってジョーに対しているのかというと、そうではないはずなのだが。
 
人混みの中で誰が誰だかわからない少女たちに囲まれながら、フランソワーズを見失わないように、佐々木クンの機嫌を損ねないように、といって、彼らを二人きりになどしないようにつかず離れずの距離を保つ……のは途方もなく疲れることだった。
いっそ、ミッションなのだと思おうともしたが、当然だが、そんなミッションはジョーの豊富な経験にもさすがに含まれていない。
 
そんなわけで、最後の花火が消え、群衆がぞろぞろと最寄り駅やら駐車場やらへと動きだし「バレエスクールのみんな」も解散した……とき。
ジョーは心からほっとしたのだった。
 
 
 
カラ、コロ、と、下駄がゆっくり鳴る。
ジョーとフランソワーズは研究所までの道を無言で歩いていた。
彼らにとっては十分歩ける距離だったし、駐車場の渋滞も煩わしい……ということで、行き帰りは徒歩にしていたのだ。
 
疲れたなあ……としみじみ思いながら、ジョーは、そういえばフランソワーズは大丈夫だろうか、と思った。
たしか以前は、この辺りにさしかかったところで彼女の足音が乱れた。
 
「フランソワーズ……足、痛くないかい?」
 
尋ねてみたが、返事はない。聞こえていないはずはないのだが。
おかしいな、と思った。
 
どうも、フランソワーズは何か機嫌を損ねているらしい。
そういえば、あまり気にしていなかったのだが、ここまで彼女は終始無言だった。
 
弱ったな……と思いながら、ジョーはとりあえず彼女の手をそっととろうとした。
何を言ったらいいかわからないならスキンシップだ!と、ジェットにやかましく忠告されているのを思い出したのだ。
が、触れようとした手は、ぱしっと跳ね返されてしまった。
 
「フランソワーズ?」
 
さすがにむっとして、ジョーはフランソワーズの前に回り込んだ。
顔を背ける彼女の両肩を掴む。
 
「何を怒っているんだ?」
「……」
「黙っていたらわからないよ」
「……」
「僕、何か失敗したのかな……それとも楽しくなかったのかい?」
「……楽しいと思っていたの?」
「え……?」
「佐々木クンにも言われたわ……島村さんって冷たいんだね……って。失礼だと思ったけど、反論できなかった」
「僕が、冷たい?……なんで?」
 
混乱しながらも、ジョーは微かな苛立ちを感じ始めていた。
佐々木クンに何を吹き込まれたのか知らないが、そんな世迷い言を真に受けるなんてどうかしている……というか、彼女らしくない。
 
「私と手をつないだりしたら、きっとあなたに殴られる……って覚悟していたんですって。でも……」
「まさか。そんなことで彼を殴るわけないだろう?君の立場だって……」
「わかってる、あなたは正しいわ……いつもそうよ」
「……フランソワーズ」
「ごめんなさい、私が悪いの。こんなのワガママな八つ当たりだわ、馬鹿げてる……ごめんなさい。せっかく連れてきてくれたのに……あなたが本当に気を遣ってくれたの、わかってる。みんな私のためだってことも……ごめんなさい」
「……」
 
うつむくフランソワーズの頬に涙が転がる。
それを見た瞬間、ジョーはかっと頭に血が上るのを感じた。
 
「……え?……ジョー?!」
「黙って!」
 
いきなり抱き上げられ、悲鳴を上げかけたフランソワーズの口を塞ぎ、ジョーは加速装置のスイッチを噛んだ。
もちろん、衣服が燃えない程度に手加減する……そのぐらいの理性は辛うじて残っていた。
 
 
 
脱いだユカタを慎重に広げ、フランソワーズはじっと隅々まで目をこらし、そうっとその表面を撫でてみた。
ユカタは汗と夜露でしっとりと濡れ、お話にならないくらいしわくちゃになっていたけれど、たしかにどこも汚れてはいなかった。
ジョーが請け合った通りだ。
 
「……魔法みたいね」
 
半ば呆れてつぶやく。
民族衣装をナメるなよ、と彼にしては珍しく冗談めかしていた言葉を反芻した。
 
ジョーが加速を解いたのは、深い森の中……のように思えた。
が、ひっそりとした建物の気配もある。
 
ここはどこ?と尋ねようとしたが、口を塞がれたままで、声を出せない。
が、彼は答えるように耳元に囁いた。熱い吐息とともに。
 
「ここは……神社の境内だよ。伝統的な民俗文化の仕上げってやつをしようか、フランソワーズ」
 
それからの時間……。
思い出し、フランソワーズは思わず頬を染めていた。
 
彼は大きな木に背中をゆったりと預けて立ち、後ろから彼女の口を片手で塞ぎ、片手で抱きしめた。
はじめから終わりまでその姿勢は崩されず、帯さえ解かれなかった。
それなのに、どこからか忍び込んだ彼の大きな手に肌を探られ、翻弄されて……
 
「……いいよ、僕の指を噛んで」
 
囁かれ、夢中で声を押し殺した。
……そして。
 
――本当に、どうやったのかしら。
 
どうしてもわからない。
 
ぐったりと力無く喘ぐフランソワーズを愛おしげに抱き上げ、素敵だったよ、と囁くと、ジョーは何事もなかったかのように再び加速した。
次に気付いたときにはフランソワーズは自分の部屋のベッドに横たわっていたのだ。
ユカタの襟元も、帯も、裾さえも少しも乱れていない。
体の補正のために入れたタオルもずれてはいなかった。
彼に着付けができるとは思えなかったし、できるとしても意識を失っていた自分にそれをすることは極めて困難だろう。
 
まるで手品、いや、魔法としか言いようがない。
ユカタがこういうものだったなんて、知らなかったわ……と、フランソワーズは今さらながら恥ずかしさに震え、燃える両頬を冷まそうとするように手で押さえた。
 
 
 
クリーニングから返ってきた衣服を整理しているフランソワーズに、ジョーがあれ?と首をかしげた。
 
「フランソワーズ。……ユカタ、もう着ないのかい?」
「……え、ええ」
 
口ごもる彼女を、ふうん…?と、怪訝そうに眺め、ジョーはのんびり言った。
 
「せっかく買ったんだから、もう少し着ればいいのに。……まだ、夏は終わっていないよ」
「それは、そうだけど……でも」
 
やっぱり、民族衣装は難しいもの……とつぶやくフランソワーズをジョーは愛しげに見つめた。
 
「たしかに、まだまだ奥は深いかもしれないね……興味、ないのかい?」
「……」
「残念だなぁ……もっと教えてあげたかったんだけど」
「結構よ。……ずいぶん、豊富なご経験があるようですけど、私には必要ないことだもの」
 
つん、と向こうをむいてしまったフランソワーズに苦笑し、参ったな……とジョーは頭をかいた。
 
「経験なんて、僕もないけど。……知識だけだよ」
「嘘ばっかり……!」
「僕、そんなに上手だった?」
「……っ!」
 
黙り込んだフランソワーズの赤い頬をつつき、ジョーは楽しそうに笑った。
 
「もしそうならそれは、本能ってやつだな、きっと……日本人の血、とか」
「まさか」
「イヤならもうしないよ……だったらいいだろう?」
「……信用できません」
「どうして?気持ちよすぎたから?」
「ジョー!……いいかげんに……!」
「さっき、君が買い物に行っているとき、佐々木クンから電話があったんだけど」
「……え?」
 
ジョーは穏やかな笑顔のままだった……が、フランソワーズは咄嗟に身構えていた。
003としての、それこそ本能がそうさせたのかもしれない。
 
「君はいない……って言ったら、ならいいです……だって」
「……」
「今度の週末のことを気にしているようだったから、張々湖大人の店を一緒に手伝いにいく予定だって言っておいたよ」
「……」
「まずかったかな?」
 
いいえ、とフランソワーズは静かに首を振った。
ジョーは満足そうに微笑し、いつものチャイナドレスを着ていくよね?と囁いた。
 
そして、それもまた、民族衣装……なのかもしれないのだった。
 
更新日時:
2013.09.02 Mon.
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Last updated: 2015/12/1