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009的小話

泣かない理由
 
「いいこと、フランソワーズ・アルヌール。ひとつひとつ、よーく考えなさいね」
 
もちろん、声に出すわけにはいかない。
心で、何度も繰り返す。
 
「そう、彼を責めるなんて筋違いもいいところよ。でも、こんな気持ちになる自分を責めるのも間違っているわ」
 
誰も悪いことなんかしていない。
誰も間違っていない。もちろん、私も。
ただ、どうしようもなく苦しいだけ。
 
「世の中にそういうことはいくらでもある。それに、実際に何度も経験してきたわ。全部乗り越えてきたから今のあなたがいるのよ、フランソワーズ・アルヌール」
 
わかってるわ。
でもそうじゃないの。
私が知りたいのは……本当に知りたいのは。
 
「彼を責めたりしない。自分を責めることもしない。そもそも、誰のせいでもない……それなら」
 
――泣くのは、いけないこと?
 
問いかけは、闇に吸い込まれる。
どこからも答えはない。
 
だから、とりあえず今日も、泣いてはいけないのだと思う。
 
 
 
静かなキッチンで、ととのえる夕食は3人分。
今日から彼女と張々湖とグレートがいなくなって、急に減ってしまった。
戸惑わないことはないけれど、いつのまにかそういうことにも慣れている自分に、フランソワーズは気づく。
 
彼女の飛行機が飛び立つのを見届けたジョーが、これから帰ると連絡をいれてきたのが2時間前。ギルモアが、ちょっと根を詰めるからと研究室に降りたのは5時間前。
そろそろ大丈夫ね、とオーブンのスイッチを入れようとすると、黒く光るガラス扉に覇気のない少女が写り込んだ。
 
「……ヤキモチ焼きのおばかさん」
 
ふと声に出してみる。
今度も、彼には気づかれなかったと思う。
仲間には……わからないけれど。
 
気づかれたところで、困った事は何も起きないのかもしれない。
彼に負担をかけることもないのかもしれない。
むしろ、喜んだりはしないだろうか。
 
だって、私なら。
立場が逆だったら……つまり、戦いの中で知り合った誰かがほんの少し私に近づいたとして、その男性に彼が嫉妬する素振りをもし見せたら、そうしたら、私は……。
 
そこまで考えて、フランソワーズは思わず溜息をついた。
 
ありもしないことを考えても、しかたないのよね。
 
 
 
明るいと思ったら、満月だった。
 
フランソワーズはバルコニーに出て、ただぼんやりとその白い光を見つめた。
月が美しい夜だと気づけば、いつもそうせずにいられない。
 
「かぐや姫」みたいだな、とジョーに笑われたことがあった。
それは何、と尋ねても彼は教えてくれなかったから、自分で調べた。
 
「……また『かぐや姫』になっているのか、フランソワーズ」
「とてもきれいなんですもの。あなたもごらんなさいな、ジョー」
「たしかに、きれいだね……でも」
「私はかぐや姫じゃなくってよ、ジョー。月を見て悲しくなったりしないもの」
「そう、か」
「ただ、きれいだと思うだけ……それなら、悲しくはならないわ」
「……うん」
 
でも、あなたは悲しくなってしまうのね、と、フランソワーズは心で思った。
かぐや姫が泣いたのは「帰らなければならない」運命を思ったから。
 
あなたにはどんな運命が見えているのかしら、ジョー。
 
 
 
「君が、悲しんでいると……ピュンマに言われた」
 
ごく生真面目な……情事の名残などほんの僅かも匂わせないジョーの声が、眠りに引き込まれようとしていたフランソワーズの眼を開かせた。
 
「僕が、キャシーに親切にしすぎていたから……その、君は」
「親切にしすぎなんてこと……ないわ」
「……」
「あなたは、正しいことしかしなかったのに。どうして、ピュンマはそんなことを言うのかしら」
 
それきり口を噤んだフランソワーズを強く抱き寄せながら、ジョーは呻くように言った。
 
「僕が何をしたか、なんて……それが正しいことかどうかなんて、どうでもいい。僕はただ、君を悲しませるのがいやなんだ。そんな自分を、僕は許さない」
「……ジョー?」
「君を悲しませるモノを、僕は絶対に許さない……!」
 
ぴったりと背中に押しつけられた彼の体が震えている。
それなら……
 
――それなら、私は泣いてはいけないんだわ。
 
フランソワーズは闇の中でそう思った。
 
 
 
バラ色の雲が、木々の間からのぞいている。
静かな潮騒。
美しい朝の海岸まで、おそらく100メートルと離れてはいない。
 
しかし、フランソワーズは片手にカゴを持ったまま、菜園に留まった。
ジョーが目を覚ましたのに気づいたからだ。
 
傍らから自分が消えていても、菜園にいると気づけば彼は安堵するだろう。
海岸を散歩しているのとは天地の違いだ。
その僅かな距離が……特に彼にとっては距離ともいえないような距離であっても……決定的なものであることを、フランソワーズは知っていた。
 
滑稽だわ、と思う。
こんなに離れられないのに。
お互いにお互いがそうであると思い知っているのに。
 
でも、だから怯えずにはいられない。
離れられないから、離れることを恐れずにいられない。
ただ、それだけのこと。
 
トマトを摘み、縮れたレタスの株をそっとひきぬきながら、フランソワーズはふと微笑んだ。
愚かで、意気地なしで、愛しい私たち。
 
まるで……人間みたい、じゃない?
 
立ち上がって、2階の窓を見上げた。
安心しきった寝顔のジョーが、どうやら二度寝を決め込んでいるのに気づき、思わず息をつく。
これでは、また起こすのに手こずりそうだ。
 
意気地なしで、甘えん坊のあなた。
ヤキモチ焼きで、見栄っ張りの私。
どうして変わることができないのかしら、私たち。
 
でも、まだ、変わらなくていいわ。
泣かないでいて、やっぱりよかった。
こんな穏やかな朝に包まれるのなら。
 
 
 
「やっと、戻れたなあ……」
「……どうしたの、今頃?」
 
首を傾げるフランソワーズに、ジョーはちょっと決まり悪そうに笑った。
 
「それは……事件はとっくに終わってるし、こうやって元の暮らしに戻ったのもずいぶん前になるけれど……なんていうのかな」
「……」
「そう思うこと、君にはない?」
「よく、わからないわ」
「そうか……」
 
そうかもな、うん、そうだよねきっと……と、むやみにひとりうなずいているジョーをフランソワーズはちらりと見やり、立ち上がった。
 
「あ……レッスンに行くのかい?」
「ええ。ちょっと、のんびりしすぎちゃった」
「送っていくよ。何分後?」
「ありがとう……20分後に、お願いします」
「了解」
 
さっさとリビングを出て行くジョーの後ろ姿が心なしか緊張しているように見える……のは気のせいだろうか。
まさか、と思うが、ここのところ、バレエ教室の友人たちが口を揃えて言うのだった。
最近教室にきた若い男性講師が、フランソワーズに明らかに惹かれている様子で。
それを敏感に感じとったジョーが、これもまた明らかに気を揉んでいる、というのだ。
 
ジョーに限ってそれはない……とフランソワーズは思うのだが、友人たちに理解してもらうのは難しそうだったし、もちろんその必要もない。
とはいえ、彼女たちが「島村さんのためにフランソワーズを守る!」と意気込んでくれるおかげで、件の男性講師をうまくかわし続けることができているのだから、感謝はしている。
 
「そろそろ、教室をかわろうかしら」
 
車が走り出したとき、フランソワーズは独り言のように言ってみた。
そうだねとジョーが上の空で返す。
 
思わず嘆息しながら、それでもどこか満ち足りた気持ちで、フランソワーズは眼下に光る穏やかな海を見つめていた。
 
更新日時:
2010.09.23 Thu.
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Last updated: 2015/12/1