1
好きなタイプの女性は?とよく聞かれる。
答えるのも仕事のうちだと理解しているから、とりあえず答えておく。
実際には、そんなことを考えてみたことなどない。
ただ、それを知りたがっているのは女性ファンでのみであることは明らかだし、その質問に答 えることはすなわち彼女たちへのサービス、なのだから……要するに、彼女たちを喜ばせるよ うな答を言うべきなのだった。
そこで、ジョーは、いつもこう答えていた。
「やっぱり、モータースポーツに興味をもってくれるひとがいいですね。元気で、明るい女性 が好きです」
おとなしい控えめな女性が好きだ、と言いさえすれば、もしかしたらファンに追い回されるよ うな面倒はなくなるかもしれない。
ふとそう思いついて、スタッフに相談してみたら、それはやめておいたほうがいいなーと言わ れた。
「ファンには積極的に元気に動いてもらわないとね、基本」
たしかにそうだった。
2
そういう、いってみればいいかげんな応答は、やはりいいかげんであることが次第にわかって しまうのかもしれない。
ほどなく、質問は微妙に変わってきたのだった。
好きなタイプの女性は?と聞かれ、いつものように答えると、重ねてこう聞かれる。
「では、実際におつきあいしたい女性はどういう感じの方でしょう?」
ジョーはしばし混乱した。
好きなタイプの女性とおつきあいしたい女性、の違いはなんだろう。
はっきりいって、どうでもいいことだということはわかっているものの、仕事なのだから、そ うも言っていられない。
何度か適当にごまかしているうちに、スタッフのひとりからうまい回答を教えられた。
やれやれ、と安堵しつつ、ジョーはこう答えるようになった。
「それは、おつきあいしてみないとわかりません、どんな人がいいということではなく、その 人のよさを見つけていくのが、おつきあいするということだと思うので」
答えても答えなくてもいいような答えだが、それだけに無難な答だ。
そうすると、すかさず「では、今そういう女性がいらっしゃるんですね?」と聞かれるので、 それについてはきっぱり「ノー」を言う。
「まあ、お前の場合、答え方をもたもた考えているよりは、一発笑ってごまかしちまった方が 有効だと思うがな」
と笑い飛ばしたのはジェット・リンクだった。
彼のようにできれば、もちろん苦労はしないのだと、ジョーは思う。
3
レーサーを引退して数年後、いきなりそんなことをジョーが思い出したのは、居間でフランソ ワーズが熱心に眺めている雑誌を何気なく脇からのぞきこんだからだった。
ある有名俳優のプロフィール記事を、彼女は一生懸命読んでいた。
つまり彼女は彼のファン、なのだろう。
そこには、当然だが「好きな女性のタイプ」も記されている。
「控えめで温かい、家庭的な女性」
が、彼の好みであるらしい。
それで、広報的には大丈夫なのかな、とまったくの他人事ながらジョーは気になったが、考え てみれば、彼は既に国際的に有名な俳優なのだった。
今更、草の根のファンによって知名度をあげてもらう必要などなさそうだ。
ということは、案外、コレは彼の本音なのかもしれない。
やがて、フランソワーズは満足そうに息をつくと、ぱたん、と雑誌を閉じ、ジョーに微笑みか けた。
「ジョー、お菓子を焼いたのよ。お茶にしましょうか?」
「うん」
キッチンへ立つ後ろ姿を見送り、お菓子を焼いたりするのは要するに家庭的ってことなのかな 、とジョーはぼんやり思う。
そういうことかもしれない。
ファンなら、彼の好きなタイプの女性というのを目指してみたくもなるのかもしれない。
しかし、よく考えると、それはちょっとむなしいことのようにジョーは思った。
控えめで温かくて家庭的な女性が、国際的スター俳優と知り合う可能性など限りなくゼロに誓 い。
もちろん、そんなことはフランソワーズにもわかっているだろうけれど……
女の子っていうのはよくわからないよな、と思っているうちに、フランソワーズがお茶の支度 をととのえて戻ってきた。
レーサーとしてカムバックすることはもうあり得ないだろう。
が、何かの機会があって、またその手の質問に答えるような羽目になってしまったら、今度は 「控えめで温かい家庭的な女性」と言ってみることにしようかな、とジョーは思った。
広報的にはいまいちでも、やっぱりその方が楽だという気がする。
4
何の前触れもなく、スーツケースを引きずって突然帰ってきた妹の見幕に、ジャンは思わず目 を白黒しかけた……が、どうにか兄らしい落ち着きを保つことはできた。
「どうしたんだよ、ファン。……アイツと喧嘩でもしたな、その様子じゃ」
「喧嘩なんかしていないわ……でも、もう日本には帰らないかもしれない」
思わず口笛を吹きそうになり、慌てて引っ込める。
不用意に茶化すような真似は多分禁物だ。
妹がソレについて語り始めるのには丸々三日がかかり、更に上等のワイン二本を必要とした。
ともかくも、やはり島村ジョーと喧嘩をしてきたのだ、ということがわかり、その原因にもど うにか見当をつけることができた。
できたからといって、ジャンにはどうすることもできない……という気はしたが。
「ジョーは、嘘をつかない人よ。だから、ホントのことを言っただけで……それは、わかって るわ。でも、あんまり失礼じゃないかしら、私が目の前にいたのに…!」
「まあ……気がきかない…っちゃきかないな」
「そうよ。正直ならいいってものではないと思うの……それも、よくわからない『取材』だっ たのよ。本当のことを言う必要なんて、なかったのに……!」
「うーむ……」
ジャンは考え込んだ。
つまり、本当のことを言う必要などなかったから、言わなかった……ということじゃないのか ?と思う。
が、妹はそれでは納得しないだろう。
何と言っても、彼女は島村ジョーというオトコの誠実さをまったく疑っていないのだから。
それがどうかしている、という気もするが、もちろんそう言うこともできない。
「長い黒髪、黒い瞳で、小麦色がかった肌、元気におしゃべりして、甘え上手で……」
妹が次々に挙げる言葉に、ジャンはうーん、と腕組みした。
確かに、見事に、ことごとくそれらの特徴は妹の持たないモノばかりだった。
そして、それが彼の「好みの女性のタイプ」だというのだ。
「私、知らなかった……それは、私が好みのタイプかどうかなんて、ジョーにはどうでもいい ことだけど……でも、一緒に暮らしていたんだもの。そうと知っていれば、少しは努力もでき たのに……諦めていたのかしら」
「いや。……まあ、そういうわけでも、ないんだろうが……」
これはまいったな、と、ジャンは天井を仰いだ。
4
そうはいっても、「好みの女性のタイプは?」と聞かれて、亜麻色の髪で、青い瞳で、透き通 るような白い肌で……という具合に、フランソワーズの特徴を連ねていくことなどあり得ない だろう、とジョーは嘆息した。
「それは……無理です、お兄さん」
「いつ俺がお前のお兄さんになった?」
「…すみません」
「まあ、そのうち適当に宥めて帰すから、今度から気をつけろ」
「だから、それは、ちょっと」
「なんで無理なんだ?……実はお前、アイツが嫌いなのか?」
「まさか!……困ったな。説明はできないけれど……とにかく、無理です。これからはそうい う『取材』を受けないようにしますから……」
「それは根本的な解決になっていないんだがなあ……」
「ホント、勘弁してくださいー」
かなり情けない気持ちに陥りながら、ジョーは受話器を置いた。
無茶を言わないでくれ、と思う。
かつて活躍したレーサーにインタビュー、という取材だった。
町中でいきなり呼び止められての依頼だったが、差し出された名刺には、レーサー時代、相当 に世話になった筋の会社名があり、断り切れなかった。
その場にフランソワーズがいたのは、不運だったとしか言いようがない。
そうでなくても好奇の目を向けられたのだ。
彼女は関係ないから、と撮影を断り、そうなると、そういう態度を貫かなければならない。
亜麻色の髪が好きだ、などと、日本の町中で、日本人である自分が「関係ない女性」であるは ずの亜麻色の髪のフランソワーズを前にして言えるはずがない。
記者の興味はたちまち彼女に向くだろう。
最近では、その手の質問もまたタイプが変わってきたのか、記者の質問は妙に具体的だった。
その都度、フランソワーズと重ならないように、重ならないようにと相当苦心しながら答えた のだ。
その努力が、他ならぬ彼女のためにした努力が、彼女を怒らせ、傷つけたというのだから、ど うにも救われない。
5
相変わらずそんなことでもたついてやがるのか、と、数日後、突然訪ねてきたジェット・リン クは笑った。
なぜ彼がこのことを知っているのかわからないが、知られてしまったものはどうしようもない 。
憮然とするジョーをさんざん嘲笑し、ジェットは最後に耳打ちした。
どうでもいいことでうろうろするな。
すぐパリに行け、なに、話をする必要なんかない、抱きしめてキスしちまえばいい。
お前なら簡単だろ?
……簡単なものか!
何かがぷつん、とキレた気がした。
ジョーは勢いよく立ち上がり、怒鳴った。
「いいかげんにしろ!フランソワーズをその辺のオンナと一緒くたにするな!だいたい、好み ってなんだよ、食べ物やペットじゃあるまいし、まして彼女は僕たちの聖域じゃないか!…… 違うって?……君はそうかもしれないが、僕には聖域だ!わけのわからない他人ならともかく 、ジェット・リンク、君にはそれぐらいわかると思っていたよ!」
あっけにとられているジェットに、ジョーはそれからたっぷり10分間まくし立て続けた。
そして、その翌日。
フランソワーズから電話があった。
勝手なことをしてごめんなさい。
これから飛行機に乗ります。
ナリタに迎えにきてもらえますか?
もちろん、否やはなかった。
僕の方こそごめん、と言おうとして、その先をどう続けるべきかはたと困り、ジョーはただ、 わかった、とだけ答えた。
ごめんなさい、と言ってきたということは。
そして、帰ってくるということは。
少なくとも、フランソワーズは、ジョーが彼女を窮地に陥れないためにああいう答え方をした のだ、ということを理解してくれたのだろう。
もちろん、彼女なら理解してくれると、ジョーにははじめからわかっていた。
女の子はとかくいろいろとややこしいもの、らしいが、彼女は違う。
彼女は003……フランソワーズ・アルヌールなのだから。
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