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009的小話

蛇(旧ゼロ)
 
久しぶりにギルモア研究所を訪ねた009は、玄関に入るなり妙な違和感を感じ、思わず立ち 止まった。
 
「ごきげんよう、ジョー。……どうしたの?」
「……いや。なんだろう?何か、変わったことがあったかい、003?」
「ふーん、さすが兄貴だねぇ。おっそろしく鋭くて、おっそろしく鈍いときてるよ!」
 
003の後ろからひょっこり顔を出した007がにやにやしている。
ますます怪訝そうに眉を寄せた009に、003は思わず苦笑し、007の頭を軽く叩いた。
 
「いてっ!なんだよう、暴力反対!」
「意地悪を言うからよ。……大丈夫、変わったことはないわ、ジョー。あるといえばあるんだ けど……でも、まずはお入りなさいな、お茶をいれるわ」
「……ああ」
 
居間に招き入れられ、ソファに落ち着いて、ようやく009はああ、と得心した。
部屋のあちこちに、可愛らしい花束が活けられている。
 
「そうか。この匂いだったんだ……しかし、結構な数だなあ。どうしたんだ、こんなに?」
「ええ。……それが、よくわからないの」
「ちっちっ!……トボけちゃいけないよ、003。水くさいじゃないか、009も不思議がっ てるんだしさ、ホントのことを言っておくれよう!」
「もう。ホントのことなんて、見当もつかないって言ってるでしょう?……このお花、ここの ところ、毎朝、門の前に置いてあるの」
「門の前に…?誰が?」
「それが……わからなくて。一度、お礼を言いたいと思って、門のところで待っていたことが あったのよ。でも、そのときは誰も来なかったわ」
「ふーん?……つまり、その人は、姿を見られたくないんだね、きっと」
「きっとそうね。私、悪いと思ったんだけど、何度も『覗いて』みたのよ。……でも……」
 
不意に口ごもった003に、009は首を傾げた。
003はためらいながら続けた。
 
「でも、ね……やっぱりわからなかったの」
「来なかったってことかい?」
「いいえ。お花は置いてあったわ。でも……『見えなかった』のよ」
「なんだって?!」
 
009は思わず立ち上がった。
003に「見えない」ということなどあるはずがない。
 
「まあまあ、兄貴、落ち着いてよ……オイラも変だとは思うけどさ。今のところ、変なだけで 、何も害はないんだよねえ……」
「もっと詳しく話したまえ、003。見えなかったっていうのはどういうことなんだ?」
「え、ええ……」
 
003は考え考え説明した。
つまり、カーテンを閉めたまま、部屋から「透視」していたのだが、何も見えなかった。
が、ふいに、かさ、という音がして、慌ててカーテンをあけてみると、花束が置いてあった… …のだ。
素早く四方をサーチしても、人影はなかった。
 
「……003。」
「あ、あの……ね、009。でも、007が言ったとおり、変なだけで、害はないのよ。この お花もとってもきれいだし……博士に調べていただいたけど、本当に普通のお花ですって」
「そういう問題じゃないだろうっ?……なぜ、すぐに連絡しないんだ!」
「いや……だってさ、兄貴に連絡したってどうにかなるもんでも……ないんじゃない?」
 
007が口の中でもごもごと言った。
 
 
 
たしかに、不思議な話だった。
置かれていた花束は、小さいものだったが、毎日その種類が違っている。
そして、003が言うには、どれも野の花のようなモノであって、花屋で売っていることはあ まりないらしい。
 
「そう言われてみれば……それっぽい感じだな。この、香りが強いのは……?」
「ラベンダーよ。こっちはカモミール。……これはスズランね。野バラもあるわ。こういうの は、主にヨーロッパでよく育つ花なの。それで、この桔梗やアザミやワレモコウは日本の野山 でも見かけることが多いわ。季節も少しずつずれているし……」
「ますますわけがわからないな。一体、誰が、何のためにこんなことを……」
「何のために、かは、とりあえずわかりきってるけど……ね!」
 
007はえいっとばかりに003を指さした。
 
「姐御の気を引くためさ!……他にはありえないだろ?」
「おかしなことを言わないで、007!私、そんな心当たりなくってよ」
「だからぁ……切ない片思い……ってヤツ?」
「それはないだろう」
 
落ち着き払った009の声に、二人は目を丸くして振り返った。
 
「もし、003の気を引きたいんだったら、わざわざ正体を隠す必要はない。気づいてもらわ なくちゃ、毎日苦労してる意味がないからね」
「い、いや、まあたしかに……その通りですけどね」
 
さすが兄貴、むやみに正しいや……と007は思わず天を仰いだが、続く009の言葉に文字 通り飛び上がった。
 
「目的はわからないが、誰が……ということならたしかに、手がかりはある」
「どういうことだい、兄貴?」
「009…?」
「少なくとも、ソイツは『姿が見えない』ヤツだってことさ。003に見えないモノなら、誰 に見えるはずもない」
「……え?」
「ちょ、ちょっと待ってよ兄貴!……気味の悪いこと言うなよぉ!」
「それは……つまり、相手は人間ではない、ということなの、009?」
「まあ、そういうことだと考えるのが自然だな」
「……自然……ですかぁ?」
「ギルモア博士にだって、正体はわからないんだろう、003?」
「え、ええ……」
「でも、この花は本物で、普通の花で……害があるというわけでもない」
「ええ……」
「だったら、少なくとも、ソレは君やこの研究所に危害をくわえるモノでもない、ということ だ」
 
もちろん、それなら薄々わかっていたことだった。
だから、あえて009にも連絡しなかったわけで……。
戸惑う003を、009は微笑しながら探るように見つめた。
 
「心当たり、本当にないのかい、003?」
「……え?」
「花束が置かれるようになる前……君、誰かを……いや、何かを『助けた』ことはなかったか ?」
「助けた……って?」
「ちょ、ちょっと、兄貴!……まさか!」
 
009は慌てる007を見て、さも楽しそうに笑った。
 
「覚えておくんだな、二人とも……こういうことは日本ではありふれたことなんだよ」
「……ジョー?」
 
 
 
結局、009はそれ以上何も語らず、のんびりと003が作った夕食を楽しみ、あっさり引き 上げていった。
 
「……どういうこと、かしら」
 
灯りを消し、ベッドに腰掛けると、003はふっと溜息をついた。
009の言葉を反芻すると、つまり、花束の主は「人間ならざるモノ」だということらしい。
 
「何かを、助けた……?私が……?」
 
民話に、そういう話があることはある。
別に日本だけではなく、故郷のフランスにも。
小さな生き物の命を助けてやった優しい娘に、その生き物がささやかな恩返しにやってくる、 というような……。
 
「覚えがないわ……ううん、あったとしても、まさかそんな……!」
 
……それにしても。
 
003は、また溜息をついた。
いくら害はない、と言っても、そんな不思議な話だけしておいて、さっさと帰ってしまった0 09が恨めしい。
本当に日本ではごくありふれたことで、気にする必要なんてない、ということなのだろうか。
 
009に報告しなかったのは、彼を煩わせたくないと思ったからだった。
ということは、つまり、彼がこの不思議な事件を知ったら、必ず003の身を心配するに違い ない、と思ったということでもある。
たしかに、これまで害はなかった。
……でも。
 
「もう!……何を考えているのかしら、私ったら!」
 
009ははっと両頬を押さえた。
009に心配してもらいたい、と思っていた自分に気づいたのだった。
 
 
 
ふわ、とひんやりした風が流れ込んでくる。
それを感じながらも、深く眠り込んでいた003は瞼を上げることができなかった。
……が。
 
「――っ!?」
 
不意にものすごい力で抑え込まれ、口を塞がれ、003は一気に覚醒した。
懸命にその姿を「見」ようとしたが、後ろから羽交い締めにされて身動きできない。
 
――助けて、009!……ジョー!
 
必死で叫んだが、声は大きな掌に塞がれ、くぐもった音にしかならない。
もがきながら、003は少しずつ夜着をはがされているのに気づいた。
 
――え。……まさか!
 
猛烈な恐怖と嫌悪感に襲われ、003は必死で、その腕をふりほどこうと暴れた……が、なす すべはなかった。
やがて、もう片方の手が明らかな目的をもった動きで、露わになった胸を弄び始め、首筋には ぬるりと生温かいモノが、熱い吐息とともに這いずった。
 
――イヤ!イヤよ……助けて、ジョー!……ジョー!
 
涙がとめどなくあふれ、頬を濡らした。
これから何をされるのか、003には十分理解できていた。
なぜなら……
 
――イヤ、こんなのイヤ……!ジョー、助けて……このままでは、私……!
 
悪い夢を見ているのだと思いたかった。が、きっと夢ではない。
あの夜も、そうだったのだから。
限りなく幸せな夢を見たと思った、あの夜。
それは夢ではなくて……でも。
 
「……っ!…ああっ!」
 
体の芯へと電流が流れこんだような感覚に、003は思わず身をのけぞらせた。
そのはずみで、口を押さえていた掌に、ようやく僅かな隙間ができた。
 
「やめて!……ジョー、助けて……っ!」
 
叫んだ瞬間、さらに強い衝撃が全身を貫いた。
声にならない悲鳴を上げ、003は意識を失った。
 
 
 
「――っ!」
 
夢中で起き上がり、003ははっと辺りを見回した。
いつもと同じ、自分の寝室だった。
窓もきちんと閉まっている。
あんなに暴れたのに、夜具にはその形跡もなく、もちろん、夜着も乱れてはおらず……
 
「……夢?」
 
震える声でつぶやいた。
が、次の瞬間、猛烈な悪寒が体の奥からわき上がり、003は思わず自分で自分の体を堅く抱 きしめた。
あの掌の、指の、舌の感触が、肌に生々しく残っている。
頬も髪も涙でぐっしょり濡れたままだった。
 
「……ジョー!」
 
今、何時なのか、時計を見る余裕もなかった。
衝動に突き動かされ、003は窓を開け放ち、外へと駆け出した。
 
裸足のまま研究所の庭を走り抜け、門から飛び出し、懸命に走った。
街から少し離れたところにある研究所付近の道路は、昼でも車の通りは少ない。
ひっそり静まり返った暗いアスファルトに、003の乱れた息づかいと軽い足音が響いた。
 
坂を駆け下りたところで、いきなり何か……誰かに思い切りぶつかり、同時に強く抱きしめら れて、003は一瞬息をのんだ。
あの恐怖がまざまざと蘇り、鋭い悲鳴をあげかけたとき。
 
「どうしたんだ、003!」
「……ジョー?」
 
全身から力が抜け、ぐったりとなった003を、009は慌てて抱きかかえ、支えた。
 
「一体、何があった?……なんだか胸騒ぎがしたから戻ってみたんだが……」
「……」
 
言葉が出てこない。
003はただほろほろと涙を流し、009の胸にすがりついた。
 
「そんなに震えないで。落ち着くんだ。もう、何もこわいことはない……僕がいる」
「……ジョー……ジョー!」
「さあ、研究所に帰ろう」
 
抱き上げられ、003は涙に濡れた目で009を見上げ、懸命に首を振った。
 
「いや……今は、いや…!」
「……フランソワーズ?」
「帰りたくないの……」
「困ったな……それじゃ、僕の部屋に行くよ。いいかい?」
「……」
 
003は小さくうなずき、009の胸に顔を埋めた。
 
 
 
結局、それから5日間、003は009の部屋に留まり、研究所に帰ろうとしなかった。
どういうことか説明しろ、と声を荒げるギルモアに、009はひたすら謝り続け、でももう大 丈夫ですから、落ち着いたら帰します、と言い続けた。
 
「……ごめんなさい、ジョー」
「気にするなよ……僕としては大歓迎なんだからさ」
 
ふっと笑う009に、003は思わず頬を染めた。
その表情を愛おしげに見つめながら、009はさりげなく言った。
 
「そういえば……例の花束、ここのところ、置かれなくなったらしいよ……毎日来ていたんだ ろう?ってことは、もう二度と置かれないのかもしれないね」
「え……?」
「結局、どういうことだったんだろうな」
「……ジョー?」
 
じっと見つめる黒い澄んだ瞳に吸い込まれそうな感覚をおぼえながら、003はあ、と小さい 声を上げた。
 
「……どうした?」
「え、ええ……今、思い出したの。……私、小さい蛇を逃がしてあげたわ」
「……蛇?」
「どうしてかわからないけれど、道路にいて、弱っていたの。……このままじゃ車にひかれて しまうと思ったから……」
「素手で捕まえて、逃がしてやったのか?おいおい、無茶をするなあ……もし毒のある蛇だっ たらどうするつもりなんだ?」
「あら。私だってサイボーグですもの。少しぐらいのことは平気よ。それに、本当に弱ってい たの……可哀相だったわ」
「……なるほど」
「ジョー?」
 
不意にくすくす笑い出した009に、003は首を傾げた。
とうとう009は、苦しそうに息を切らしながら大笑いを始めた。
 
「なあに……!ジョーったら…!」
「いや……ふふふ、まさか、アレ、ホンキにしてたのか、君?!」
「……え」
「蛇の恩返しか……!」
「まあ、ジョー!……意地悪ね!……そういう、つもりじゃ……」
「でも、もし蛇だったとしたら……油断も隙もなかったな」
「……ジョー?」
 
ふっと009の気配が変わった。
あ、と思う間もなく、床に押し倒される。
 
「ジョー!ジョーったら…!何するの、やめて……!」
「ソイツは……君を手に入れようとしたのかもしれないぜ?007の言ったことは、まんざら ハズレでもなかったってことかも……」
「どういう……こと?…や、イヤ……っ!」
「……だが、そうはさせないさ」
 
首筋を強く吸われ、熱い吐息とぬるりとした舌の感触が流れる。
003ははっと身を堅くした。
 
――まさか。この、感じ……は……!
 
が、それ以上、何も考えられはしなかった。
わき上がる熱い流れに押し流され、遠のく意識の中で003は呻くような囁きを聞いた。
 
――誰にも、渡すものか…!
 
誰の声だか、わからない。
が、恐ろしくはなかった。
 
――ええ。私は……あなたのもの。
 
心でつぶやき、003は静かに目を閉じた。
 
更新日時:
2010.08.24 Tue.
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Last updated: 2015/12/1