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009的小話

エアメール
 
 
郵便受けを開けることはめったにない。
開けたところで入っているのは、せいぜい宅配ピザの広告や、ほとんどやる気の感じられないぞんざいな不動産屋のチラシぐらいだからだ。
 
主な連絡手段が公私ともにメールになって久しい。
だから、その日、帰宅したジョーが恐ろしく久しぶりに郵便受けを開けたのは、取材先で知り合った昔気質の「冒険家」が、写真を数枚郵送してくれることになっていたからだ。
頑固で変わり者、と評判だった彼はなぜかジョーを気に入ったようで、個人的な友人として君に送るものだから、と何度も念を押した。それでいて、記事に採用しても構わない、とも言うのだから、よくわからないといえばわからない。
 
取材を終えて初めての帰宅だった。
まだ届いているはずないと思いながらも、万一届いていたら、それだけ彼が急いで郵送してくれたということなのだ。その返事なり謝礼なりが遅れたりしたら、たぶんかなりマズイ。
 
微かにきしむような音をさせながら郵便受けを開けると、それらしい封筒はやはり入っていない。入っているのは、おきまりのチラシばかりだった……が、さすがにそれなりの量が溜まっている。
そのまま郵便受けを閉めるのも不自然だったので、ジョーは、がさ、とひとつかみにチラシを取り出し……妙な感触に気づいた。
鮮やかな赤と青の縞が眼に飛び込む。エアメール封筒が、チラシの下の方に埋もれていた。
 
「……フランソワーズ」
 
ジョーは呆然とその場に立ちつくしていた。
 
 
 
それは、何の変哲もないただの手紙だった。
彼女の近況が、のんびりと書かれている。それだけだ。
日付は、ひと月以上前。
 
返事を書かなくてはいけないだろう、と、ジョーは嘆息した。
まず、これだけ遅れてしまったことをどう説明したらいいのか、考えるだけで気が重い。
それに、この内容の手紙に一体何を返したらいいのかということも見当がつかない。
同じように、自分の近況を書けばいいのだろうか。それでは少しも面白くないのだが。
 
もちろん、書かれていた彼女の近況が何か面白いのかというと、そんなことはない。
そんなことはないのだが、それでもその手紙はほんのりとジョーの気持ちを温めてくれるような優しさに充ちていた。
たぶん、彼女の人柄がなせる業だろう。そして、自分に同じことができるとは到底思えない。
 
やはり、手紙をありがとう、と返すしかないのだ。
こんなに遅れてしまっては、間の抜けた話だが、返さないよりはマシ……かもしれない。
郵便受けを放置しておいたことが悔やまれた。
 
このマンションに引っ越す前は、もう少し頻繁に郵便受けをのぞいたものだった。
見事にダイレクトメールしか入っていなかったが、油断するとそれですぐに一杯になってしまうから、定期的に取り出さないわけにはいかなかったのだ。
それらが、最近ではみんなメールで入るようになり、めっきり数が減った。
 
そう言えば、エアメール封筒の縁は、要するにトリコロールなんだな…と、ジョーはふと可笑しくなった。
この派手な封筒なら、あの頃の膨大なダイレクトメールに埋もれることもなかっただろう。
とりあえず、エアメール用の封筒と便箋を買わないとなあ、とジョーは思った。
 
 
 
「……まあ」
 
震える指で封を切り、薄い紙を広げ……そして、フランソワーズは思わず嘆息した。
 
ひと月以上郵便受けを開けずにいて、君の手紙に気づかなかった、ごめん。
と、几帳面な字がいかにも申し訳なさそうに並んでいる。
 
普通の男が相手なら、空々しい言い訳、と腹立たしく思うかもしれない。
が、ジョーなのだ。
 
この分では、メールの方もいわゆる迷惑メールとしてことごとく削除されてしまっているのかもしれない。
「003」として登録してもらっているアドレスからなら、そんなことはないはずだったが、公私混同という気がして、それを私信に使ったことはない。
 
まさか、アルベルトの言ったとおりだった……のかしら。
 
信じられない、と思いながらも、そうかもしれない、と思う。
少なくとも、初めて受け取ったジョーからの手紙は、いかにも彼らしい誠実さと優しさに溢れていて、これが何年も彼女の手紙やカードや絵はがきやメールを黙殺し続けていた冷たい男とは到底思えない。
 
「一度、エアメール用の封筒を使ってみろ」
 
それなら相当目立つはずだからな、とアルベルトは笑った。
だから、まさかと思いながらも、これが最後、と心を決めて送ったのだ。
 
「すれ違うときってのはそんなもんだ。オマエの言うとおり、ジョーはどんな相手だろうと、手紙を受け取ったら返事を書くだろうさ。それをしないのは、それなりの理由があるってことだ。せっかくそこまで考えておいて、どうしてオマエの結論がそうなるのか、俺にはさっぱりわからんな」
 
――まったく、女ってやつは。
 
馬鹿馬鹿しい、と言わんばかりに苦笑したアルベルトにむっとした。
つい愚痴を言ってしまった自分の迂闊さにもむっとした。
その勢いで、フランソワーズは本当に久しぶりに手紙を書いたのだ。
 
今まで、迷惑だったとわかっています。ごめんなさい。
これで最後にします。
 
そう書こうかどうか、ぎりぎりまで迷い、迷った末に書かないことに決めた。
迷惑だ、という返事すら彼から受け取ったことはなかったのだから。
 
――書かなくてよかったわ。
 
フランソワーズはほっと息をついた。
そんなことを書いてしまっていたら、彼がどれだけうろたえたかわからない。
 
 
 
郵便受けを開け、声を上げそうになったジョーは、それが件の「冒険家」からの封筒だということに気づき、思わず大きく深呼吸した。
 
彼女への返事を投函してから、まだ1週間。
フランスへのエアメールなら3日ほどかかるらしい。
往復だけで1週間だ。
それに、フランソワーズだって忙しいはずだ。もしかしたら、ちょっとした旅行などで家を留守にしているかもしれないし、そうしたら手紙に気づくこともしばらくはないだろう。
 
だから、少なくともあと1週間……いや、10日。それでも相当気が早いかもしれない。
が、彼女が自分のようにひと月も郵便受けを放置することは、まさかないだろうから……
 
送られた写真をチェックすると、「冒険家」への礼状をジョーは手早く書いた。
明日には投函しようと思う。
どうやら筆まめらしい彼のことだ、礼状が届けばハガキの一枚もよこすかもしれないし、それがきっかけで文通が始まるかもしれない。
気難しい彼とそういうパイプをつなげれば、案外貴重な情報源となってくれるかもしれないわけで。
 
何にせよ、郵便受けを毎日開けるには、それなりの理由があった方がいい。
毎日、空であることを確認して失望するだけでも、何かのアテがあればきっと耐えられる。
 
そうハッキリ自覚するより前に、ジョーはあ、と唇を噛んだ。
エアメールなら、もしかしたら何かの事故で届かないという可能性だって、国内よりは高いかもしれないではないか。
 
手紙、着いているかい?と電話をするのはさすがに馬鹿げている。
でも。
何でもいい、そのうち電話をしてみた方がいいかもしれない。
きっと、届いていれば彼女は「お手紙、ありがとう!」と言うだろうから。
 
……問題は、口実だ。
 
 
もちろん、彼がそれを思いつくよりも、フランスからエアメールが着く方が早かった。
だから、ジョーがフランソワーズに電話をかけたことは、まだない。
 
更新日時:
2010.06.28 Mon.
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Last updated: 2015/12/1