1
「ええっ、小学校、ですって?」
「なんでまた、いきなりそういうことになったんだい?」
目を丸くした009と003に、006は大げさに溜息をついてみせた。
「よくわからないアル。どうせ007のこと、いつもの気まぐれにきまってるアルよ…おかげで、店はもうてんてこまい、困ったねえ…」
「い、いや……まあ、悪いことではないよ。うん、子供は学校に行かなくちゃいけないんだろうし」
「そうねえ。考えてみたら、学校に行かずに中華料理店で働いていたり、戦ったり……なんて、全然子供らしくないわ」
「003までそういうコトいうかネ?…今さら学校もなにも、ワタシたち、サイボーグよ!」
「たしかにね……ソレを言うなら003、君だってまったくもって女の子らしくないってことになるぜ?」
「まあ。失礼ね!」
つん、と横を向いてしまった003に009は肩をすくめた。
2
「…でも、だからって、どうして僕達がこんなことを……」
「しーっ!…だって、心配じゃない。どうしたって普通の子供じゃないわ、007は。苛められたりするかもしれないし…」
「まさか。むしろどんなイタズラをやらかすかってコトの方が……」
「ええ、それもたしかに心配ね」
邪魔しないで、と言わんばかりの仕草であしらわれ、009は溜息をついて深々とソファに身を沈めた。
003はテーブルに大きな本を広げ、いかにも読書に没頭しているかのような様子をしていた……が、その実、自慢の目と耳で、図書館の隣にある小学校を探っていたのだ。
「…あ!」
「…どうした?」
「給食の時間だわ……007ったら、はしゃいでる」
「……ちぇ。脅かすなよ」
そうか、給食…それが目当てだったのか、もしかしたら?と、009は思った。
あんなモノ、張々湖の料理に比べたら、食べられたモノじゃないはずだが。
「…おいしそう」
「は?」
「大きなパンにね、お砂糖と黄色い粉がたくさんまぶしてあるのよ」
「……」
きなこつき揚げパンだ。
なんでそんなモノに目がとまるんだろう。
無言のままの009に、003はにっこり笑いかけると、辺りをはばかりながら小声で言った。
「今度、研究所で作ってみるわ」
「…え」
カンベンしてほしい。
だったら鯨の竜田揚げの方が……いや、彼女にそれは無理か。
009は思わず天を仰いだ。
3
007が潜り込んだのは3年生の教室だったらしい。
当然だが、勉強も体育も図画工作も、彼にとっては文字通り、子供の遊びにすぎないはずで。
「楽しかったのかしら、007。がっかりして帰ってくるかもしれないわね……」
「…うん」
「帰りの会」と掃除当番まで見届けると、003はようやく腰を上げた。
図書館を出てゆっくり張々湖飯店へ向かいながら、二人はどちらからともなく溜息をついていた。
「009、あなたは学校…好きだった?」
「いいや」
即答に、003は思わず瞬きした。
しまった、と心で思いながら、009は笑顔を作ってみせた。
「僕はワルガキだったからね。学校へは先生に叱られるために行ったようなものさ。…君は優等生だったんだろう、003?」
「そういう…わけじゃ。……でも、楽しかったわ」
「うん…そうだね。全然楽しくなかったってわけじゃない」
あの頃。
友達はいなかったけれど、いたら楽しいだろうな、と思った。
そう思えただけでも、学校へ行ってよかったのだろうと、009はひそかに思う。
4
「とにかく給食っていうのは、スバラシイものだねえ……あれで一食300円しないってんだからさあ!」
「おいおい、ソコなのかよ、007?」
「本当。せめておいしかった…って言ってほしいわ」
「ウーン…それはキビしいな…だって、オイラはこう見えてプロの舌を持ってるんだよ?」
「生意気言うな!…まったく、かわいくないヤツだ」
憮然とする009を気に懸ける様子もなく、007はその日初めて見た「学校」について楽しげに語り続けた。
どうしてイキナリ小学校に行ってみようと思ったのか、と問われると、好奇心さ、とあっさり答えた。
「まあ、一度行けばもう十分ってトコかな」
「…呆れた。それじゃ、もう行かないつもりなの?」
003の非難の眼差しに、007は肩をすくめ、それから首を振った。
「明日も行くよ……明後日も。そうだなぁ、001に結構面倒かけちゃったから、しばらくはせっかくだから行っておくよ。それだけあれば、どうにかできるかもしれないし…」
「どうにか…できるって?」
「何を?」
「い、いや、なんでもないの……こっちのコト」
007は慌てた様子でぱたぱたと両手を振って見せた。
5
日本に戸籍をもたない、サイボーグである007が小学校に潜り込めたのは、ひとえに001の工作のおかげだった。ということは、小学校を去るときもまた、001の力が必要だということだ。関わった全ての人々から007についてのあらゆるデータと記憶を消さなければならない。
007も、ぼんやりしているわけではなかった。
サイボーグ戦士である自分が小学校に通えば、そこにいる子供達を心ならずも危険に巻き込んでしまう可能性が生じる。それぐらいはわかっている。
だから気がすんだらさっさと消えなければいけないし、そのためにはなるべく早く気がすむべきでもあるのだ。
……だが。
夕暮れの校庭でぶらぶらと鉄棒にぶらさがり、007は参ったなあ…とつぶやいていた。
どうも、予定はうまく進んでいない。
このままでは……
「よいしょ、と」
007はすいっと懸垂しながらリズムよく勢いを付け、軽々と逆上がりをした。
続けて前方支持回転。一度大きく反動をつけてから後方支持回転連続三つ。
それから……
「いいかげんにしとけよ、007。目立っちまうぞ」
「……兄貴?」
009は隣の少し高い鉄棒に両手をかけるや、すっと蹴上がりをした。
兄貴の方がよっぽど目立つよ…と、鉄棒に腰掛け、ひとやすみしながら007は思う。
「…さかあがりか。懐かしいな」
「兄貴は、得意だったかい?」
「そこそこね」
「まあ、そうだろうねえ……」
唸るように言う007を面白そうにちらっと横目に見て、009はさりげなく言った。
「苦手なヤツは、本当に大変そうだったけどな」
「……」
「よく手伝ったりしたもんだ」
「…手伝った?」
「ああ。……鉄棒を握ったヤツと背中をくっつけて、そのままちょっとずつ後ろに下がってやるんだ。そうすると、背中で押されて、上に上がりやすくなるだろ?」
首を傾げていた007は、しばらくしてからようやく合点がいったように、ああ、そういうこと?とつぶやいた。
009はうなずいた。
「コツは、ひじを曲げることと、へそを鉄棒にくっつけること。あとは、思い切って後ろのヤツを蹴飛ばすつもりで勢いを付ける」
「なるほどねえ……」
007は両膝をひっかけて後ろに倒れ、ぶら下がると、そのまま体を振り子のように振って飛び降りた。009がニヤっと笑った。
「コウモリ降りか」
「ウン、そういう名前がついてるらしいね」
「3年生なら、ソレができれば人気者だろうな」
「まあね。……オイラはサイボーグだから、インチキだけどさ」
「そんなことはないさ」
007は思わず009を見上げた。
が、009はそれきり何も言わなかった。
6
「まあ。それじゃ、007はクラスのみんなにさかあがりを教えるために、学校に行っていたの?」
「たぶんね…で、今日やっと最後のひとりが成功したんだ。ちょうど001も目ざめたし、明日から、もとの生活に戻れるだろう」
『うん、任せておきたまえ。そうだ、009、君のアドバイスは実に有効だったよ。目標が達成できて、007も満足しただろう』
腕の中でおしゃぶりを蠢かす001に003は首を傾げ、尋ねた。
「ね、どういうこと、001?…どうして007はそんなことを思いついたの?」
『学校に行ってみたいと思ったのは、ほんの気まぐれ、好奇心からだったろう。でも、体育の時間、さかあがりに挑戦する子供達を見て、007は彼らを手助けしたいと考えたんだ』
「僕は、007の気持ちがわかるような気がする。日本の小学生にとって、さかあがりっていうのは特別なモノだからね」
003は何か言いたげに009をちらっと見上げたが、またすぐに001に視線を落とした。
001がゆっくりと言う。
『さて。…それじゃ、始めよう』
「え…?」
「子供達から、007の記憶を消す。時間もちょうどいいね。彼らが眠っている間にやってしまおう」
「え?…ちょっと待って、001!…ダメよ、そんな、急に……007に断りもしないで!」
『007は承知しているよ、003。僕が目ざめたら、すぐにやってほしいと思っていた』
「でも…!」
『結構エネルギーを使う仕事なんだ。終わったら、おそらく起きていられないと思うけど…でも、丸一日寝れば回復するから、心配はいらない』
001は淡々と言うと、003の腕からふわりと浮かび上がった。
7
「ねえ、009……」
「……うん?」
予告どおり、すやすやと眠ってしまった001をゆりかごにそうっと寝かせながら、003は小さく溜息をついた。
「007は……お友達が欲しかったのかしら」
「……」
「もし、そうなら……どうにかしてあげられないかしら。だって、それは、とても自然な願いだわ。私、かなえてあげたい」
「その必要はないさ」
「…009?」
驚いて顔を上げる003に、009は微笑した。
「アイツは、そんなことを望んではいない。……僕や、君や…サイボーグの仲間たちがいることで十分満足しているさ」
「…でも」
「君だってそうだろう、003?」
「でも、それは!……007はまだ子供なのよ」
「子供も大人も関係ないと、僕は思う……ただ、アイツは……」
009はふと遠くを見る眼差しになった。
ぐんぐん成長していく子供達。
壁に突き当たり、乗り越えていく力。
ごくささやかな…でも、確かな苦しみと喜び。
「何かを、残したい気持ちになったんじゃないかな。あの子供達の中に」
「009……?」
「でも、記憶を残すわけには……いかないからね」
「それで『さかあがり』…を?」
「うん。……アレはね、一度覚えたら、忘れないモノなんだ」
「……そう」
009は涙ぐむ003の両肩をそっと抱いた。
「ジョー、今度、私にも教えてくれる…?」
「何を?……ああ、さかあがりか」
「ええ」
「ふふ、007に教われよ。子供は子供同士、さ」
「まあ、ひどい…!」
003はぱっと顔を上げ、009を恨めしそうに睨んだ。
その目にもう涙がないことを確かめ、009は満足そうに笑った。
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