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009的小話

再会(新ゼロ)
 1
 
たしかに「見つけた」のは私だったけれど。
驚いたのも絶対私の方よ。
 
そう思いながらも、フランソワーズはそれを口にできなかった。
やがて、驚いた……と何度となくつぶやくばかりだったジョーが、ようやく気付いたように「元気だったかい?」と尋ねる。
なるべく、元気そうに見えるように……と願いながら、フランソワーズは「ええ」と短く答えた。
 
「あなたは?」と当然尋ね返すべきなのにそうしなかったのは、彼がどう見ても元気そうに見えなかったのと……だからこそ、ここに……パリにいるのだろう、という気がしたからだ。
 
きみは、かわらないねと微笑するジョーに、あなたもかわっていないわ、とフランソワーズは今度は屈託なく答えた。
 
「レーサーはやめてしまったの?」
「うん。……でも、クルマは好きだから、今は整備の方で働いているんだ」
「日本のチームで?」
「そうだね……きみ、バレエ、続けているのかい?」
「ええ。……でも、あなたと似ているかもしれない。もうステージは目指していないの。子どもたちに教える仕事をしているわ」
 
仕事の話をするジョーは、饒舌とは言えなかったけれど、穏やかで満ち足りた表情をしている。
と、いうことは。
もしかすると……しなくても。
彼がこんなに沈んでいる様子なのは……そして、どう言い訳しようと、ようするに昔の仲間の顔を久しぶりに見たくなる気持ちになっているのは……
 
「恋、かしら……」
「え?」
 
驚いたように聞き返され、フランソワーズははっと口を噤んだ。
探るように見つめるジョーに、慌てて取り繕う。
 
「だから、こっちはすべて順調……ってこと。足りないのは、恋ぐらい、って言ったのよ」
「……そう、か」
「あ。だからさびしいってことではないのよ。友だちには、変わってる……って言われるけど」
「もしかして……気にしているのか?その…」
 
言いよどむ彼の言葉を遮るように、フランソワーズは首を振った。
 
「それは、関係ないわ。だって、私、前から……あなたたちに会う前からそうだった」
「……」
「だから……」
 
不意に肩を抱き寄せられ、驚いて見上げるフランソワーズに、ジョーは微笑した。
 
「ごめん、変なこと聞いて。時間あるかい?……お茶でも飲みに行こうか」
「ええ」
 
 
 
休暇がとれたので、久しぶりにヨーロッパ組の仲間の顔を見たくて旅をしている、とジョーは話した。
既にアルベルトとグレートには会っているのだという。
 
「それなら、連絡してくれればよかったのに」
「さっき、電話してみたんだけど……いなかったから」
「昼間ですもの、当たり前よ。……連絡って、もっと早いうちにするものだわ」
「ごめん……」
 
明日の飛行機で日本に戻るのだというジョーに、それなら会わずに帰るつもりだったのかもしれない、とフランソワーズは思った。
彼らしいといえば彼らしい。
 
「よかったわ、見つけることができて……私だって、あなたに会いたかったもの。もしあなたに無視されたってわかったら、グレートやアルベルトにうんとやつあたりするところよ?」
「無視、なんて、そんなつもりじゃ……でも、やっぱりそうだったのか」
「……え?」
「グレートにもアルベルトにもさんざん言われたんだ。ここまで来たんだから絶対フランソワーズに会っていけって……あとでどやされるのは自分たちなんだからな……ってね」
「まあ!……本当に失礼な人たちね!」
 
笑いながら、彼らが今そこにいるような感覚をおぼえ、フランソワーズはふと切なくなった。
普段は忘れているつもりでも……忘れることなどできないのだと気付く。
自分は、もうフツウの人間ではない。
そして、その運命を共有している仲間は、天にも地にも9人だけなのだ。
 
「遅くなっちゃったね……大丈夫?」
 
心配そうに尋ねられ、フランソワーズは外がすっかり暗くなっているのに気付いた。
周囲の客たちも、もうコーヒーやお茶ではなく、簡単な夕食をオーダーしているようだった。
 
「ジョー、あなたにはパリの最後の夜ね……今夜は誰か素敵なひととディナーの予定が入っていたりするのかしら?」
「え?……何言うんだよ、まさかそんな……」
 
くすくす笑うフランソワーズにからかわれているのだと気づき、ジョーは憮然として言った。
 
「君まで、そんなことを言うとは思わなかった」
「ということは、さんざん言われてきたのね?グレートにも、アルベルトにも」
「……勘弁してくれ」
「もしディナーの予定がないのなら……」
「ないよ」
 
まだ怒りの残った声で遮るジョーに笑いをかみころしながら、フランソワーズは厳かに言った。
 
「我が家にご招待しますわ、ムッシュ」
「……え?」
「昨日、シチューを作り過ぎちゃったの。あなたが来てくれれば、明日まで食べなくてすむわ」
「……」
「あら。シチューは二日目の方がおいしいのよ?」
 
 
 
我が家、といっても、ごく狭い粗末なアパートメントだった。
客を呼べるような部屋でもないし、ごく親しい友人や、家族以外は誰もいれたことがないが、仲間は別格だとフランソワーズは思う。
案の定、古い壁や質素な内装をぐるっと見回したジョーは、きみらしい家だね、と、感心したように言った。
 
「思い出すな……研究所を」
「……日本の?」
「ああ。……移ってからの方も、住み心地はよかったけれど……でも、あの館は特別だったから」
「博士にも、ずいぶんお会いしていないわ……お元気かしら」
「うん。相変わらず研究室にこもってばかりだけど、僕たちのことをいつも心配してくれている」
 
パンを切り、温めたシチューをテーブルに運ぶと、ジョーはさっきとは別人のようにくつろいだ様子で坐っていた。
ほっとしながら、フランソワーズは手際よく夕食のテーブルを整えた。
あの研究所でいつもそうしていたように。
 
つらいことばかりだったけれど。
でも、それでも9人で戦ってこられたのは、こういう時間が……互いを家族だと信じ、安らげる時間があったからなのだと、フランソワーズは今さらながらに思う。
 
「考えてみたら、9人もいたから、いつもにぎやかだったんだなあ……」
「そうねえ……にぎやかすぎるほどだったわね」
「でも、僕にはそれが嬉しかった。僕は……話すのが苦手だからさ。……今だって」
「そんなことないわ、ジョー。あなたは素敵な話し相手よ」
「……」
「あの頃から、そうだった。……私、あなたと話すのが楽しかったもの」
「……それは、きみが上手に話をしてくれたからさ。僕だって、きみと話すのはとても楽しかった」
「今も?」
「もちろん。……きみは?」
「退屈な人をわざわざここに招いたりしないわ」
「……ありがとう、フランソワーズ」
 
ワインを勧めたが、ジョーは笑って取り合わなかった。
まさか、女の子の部屋で飲むわけにはいかないから……と。
 
「これは、日本人の良識ってやつだよ」
「そうなの……あなたは酔ったりしないと思うけど」
「そういう問題じゃない。それに、僕は、きみを……」
 
不意にはっとしたように口を噤むジョーに気付かないふりで、フランソワーズはシチューの皿を片付け、その代わりにデザートがわりのチーズを並べた。
 
「それじゃ、コーヒーにしましょうね……カフェオレはいかが?」
「うん。お願いします」
 
コーヒーを飲んで、しばらくしたら彼はホテルに戻る。
見送りも不要、と言うだろうし、飛行機の時間も教えてはくれないだろうとフランソワーズは思う。
次に会う約束を彼としたことはないし、今度もきっとそうだろう。
 
あのネオブラックゴーストとの戦いが終わってから、彼に会うのは今日が初めてだった。
その月日を数え、次に会えるのはいつになるのだろう、と思うと、思わず溜息が出てしまう。
 
もう忘れよう、とひそかに決めていて。
そうして過ごした甲斐あって、忘れることができたと思ってもいたけれど、こうして彼を目の前にしていると、そんな日々はまるでなかったかのように流れて消えてしまう。
 
私は、今、幸せ。
望むものはみんなもっていて……満たされていて。
ただ、恋だけが足りない。
だって、ここにはあなたがいないんですもの……ジョー。
 
愚かしいと思いながらも、フランソワーズはなるべくゆっくりコーヒーを淹れ、ゆっくりカップを用意し、ゆっくりトレーに載せ、ゆっくりテーブルに戻った……のだが。
 
「……まあ」
 
ジョーは椅子にゆったりもたれて、いつのまにかうたた寝をしていたのだった。
 
 
 
フランソワーズは、トレーをそっとテーブルに置き、腰掛けた。
うたた寝……のはずなのだが、思いの外、彼の眠りは深いように見える。
 
――いったい、何があったのかしら…?
 
結局尋ねることができなかった疑問が、また脳裡をよぎる。
こんな風に眠る彼を、フランソワーズは一度だけ見たことがある……と思う。
あの、砂漠で、彼がかつての恋人を助けて戦ったときだ。
 
彼女とその恋人を見送り、そのままドルフィン号のコックピットへ向かおうとしたジョーを、フランソワーズは慌てて仮眠室へ引っ張っていった。本当はメディカルルームへ連れて行きたかったが、それは拒絶されるだろうと思ったから。
 
そうしてフランソワーズに手をひかれ、思ったほど抵抗することもなく、ジョーは素直に上着を脱ぎ、仮眠室のベッドに横たわり……あっという間に眠ってしまったのだった。
 
あのときは、一応はベッドに寝ることができたのだが、今度は、木の椅子に座ったままだ。
自分の体では何でもないことだと彼は言うだろうが、やはりゆっくり寝かしてあげたい気がして、フランソワーズは考えを巡らせた。
 
もちろん、寝室には自分のベッドがある。
シーツを取り替えてあげればいいのだが、目ざめたとき彼がどれだけうろたえ、恐縮するかは想像できたし、それ以前の問題として、彼はそんなことを断じて受け入れないだろう。
それなら、せめて……
 
フランソワーズはジョーの傍らに膝をつき、半分背負うようにして彼の体を肩で支えた。
そのままそうっと立ち上がって、小さいソファまで彼を運ぶ。
彼は、目ざめなかった。
 
ほっと息をつき、フランソワーズは軽い毛布を彼の肩にかけてやった。
そんなものは不要にちがいないのだが。
 
ソファにはもう座る余地がない。
フランソワーズは、床に座ってソファによりかかり、目を閉じた。
規則正しいジョーの呼吸と鼓動を感じながら、いつのまにか彼女自身も深い眠りに落ちていった。
 
 
 
はっと飛び起きると、寝室にいた。
何がどうなったのか……混乱しながら時計を見ると、6時。
 
……夢?
 
まさか、と、呆然としているうちに、フランソワーズは肌寒さに気付いた。
キャミソールだけの姿になっていた。
慌てて辺りを見回すと、着ていた服はきちんと畳まれて、サイドテーブルに置かれている。
 
「……ジョ−?」
 
とりあえずガウンを羽織り、おそるおそる寝室から出て……フランソワーズは立ちすくんだ。
ソファの脇に毛布が畳んで置いてある。
キッチンには食器が二人分、洗い上げられてあって。
そして、きちんと片付いたテーブルに、紙が一枚。
 
「帰ります。迷惑をかけてごめん。でも、きみに会えてよかった。どれだけ感謝してもたりないぐらいです。どうか、元気で。幸せに暮らしてください。ありがとう。」
 
すとん、と椅子に座り込み、深い溜息をついたとき。
フランソワーズは、紙の裏に、何かが走り書きしてあるのに気付き、はっと息をのんだ。
まるで暗号のような、数字とアルファベットの羅列。
 
じっと見つめていたフランソワーズの頬に、やがて微笑が浮かび、いく粒かの涙が伝わった。
紙を丁寧に畳み、胸に抱くようにして、彼女はしばらく坐っていた
 
やがて。
フランソワーズは、ふと首すじに指をそうっと沿わせてみた。
何か、うずくような感触がある。
もちろん、気のせいなのだろう……けれど。
 
そう思いながらも、フランソワーズはそのまま動くことができなかった。
 
更新日時:
2013.08.07 Wed.
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Last updated: 2015/12/1