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日常的009

温泉旅行3・下
 
女性は、ひとり旅をしているのだと言う。
静かだから、誰もいないと思ってきたんだけど…と困ったように笑った。
 
「あ…僕、今、出ようと思っていたので…大丈夫ですよ」
 
しどろもどろになりながらジョーは立て膝のままざぶざぶ歩き出そうとした…が。
 
「あの、待ってください」
 
慌てた声に、ジョーは振り返った。
女性は困ったように微笑んでいる。
 
「ごめんなさい…教えていただけるかしら…あの…」
 
恥ずかしそうにうつむく。
 
「ここって、源泉がそのまま湧いているところがある…って聞いたんですけど…どこだか、わかりますか?」
「あ…」
「それが見たくって来たんですけど…暗くてなんだかわからないし…」
 
ジョーは、さっき座っていた場所を指さした。
 
「あの辺りですよ…今、誰もいませんから…」
「ありがとう…ごめんなさいね」
 
微笑んだ女性の顔に、さっと緊張が走った。
え…?と視線をたどると。
 
数人の男性が笑い声を上げながら入ってくるところだった。
やや酒も入っているらしい。
大声で話しているその内容ははっきり聞き取れないものの、源泉、という言葉が何度か聞こえた…気がした。
 
…これは。もしかしたら。
 
思った通り、男達はずんずんこっちに向かってくる。
女性は身を縮め、辺りを見回していた…が、もちろん、身を隠す場所などない。
湯舟を出て、女性ゾーンに戻るにしても、もう遅すぎる。
 
ジョーは深呼吸して、女性を庇うように進み出た。
 
「あ、あの…?」
「大丈夫…そこにいてください」
 
男達は、三人。
見たところ、危険な感じはしない。むしろ、気のいいオジサンという風情だった。
 
…たぶん、大丈夫。
 
やがて。
男達はジョーに気づいた。
 
「お、こんばんは」
「…こんばんは」
「星がきれいだねえ…」
「そう…ですね」
 
緊張した表情の少年に、男達は怪訝な顔をした。
 
「お兄さん、源泉、わかったかい?」
「…は、はい」
「やっぱりココはいいよ…一度来たら他の温泉はもう厭だね…なぁ?」
「お兄さん、東京から?」
「ええ…大体」
「ひとりで…?」
「え…その…」
 
男達は、ん?とジョーの後ろに動くモノを認めた。
 
「…あ。」
「そうか、いや…これは」
「え、ええと…その」
 
真っ赤になっているジョーの肩を、男の1人がばんっ!とたたいた。
 
「悪かったな、兄さん…じゃ、俺たちは出直すから。な?」
「あ、あの…」
「キレイな奥さん…いや、ちがうか」
「おい、野暮なこと言うなって…ほら、行くぞ!」
 
わいわい言いながら離れていく男達の背中をぼんやり見ながら、ジョーはほう、と大きなため息をついた。
 
「あ、ありがとう…ございます…いい人たちみたいでした…ね」
「うん…一緒でもよかったかも」
 
気が抜けたようなジョーの声に、女性はくすくす笑った。
 
 
 
部屋に戻ると、ランプの灯りのもと、布団が敷かれていた。
その片方の枕に亜麻色の髪が柔らかく広がっている。
 
そーっと近づき、覗き込んだ。
フランソワーズはすうすう眠っている。
 
…疲れたんだな。結構長旅だったから。
 
ジョーは静かに立上がって、ランプを消し、それからくっつけるように敷かれていた自分の布団を、入口の方へずるずる引っ張っていった。
 
修学旅行の夜、友人たちはなかなか眠らなかった。
布団の中で、いつまでもとりとめのない話をして、声を殺して笑って。
 
ジョーはいつも目を閉じたまま、話を黙って聞くだけだった。
布団にはいると、なんとなく話すことがなくなってしまった。
もしかしたら、教会で集団生活に慣れていたからかもしれない。
消灯したら、眠っている子の邪魔をしないように、という躾が身についていたのかもしれない。
 
フランソワーズと一緒に眠ったことは何度もある。
戦場で。
 
笑うどころか、余計な物音を立てることもはばかられるような場面がほとんどだった。
眠る前におしゃべりをするなんて、思いもよらないことで。
 
ジョーはじっと息を殺し、耳を澄ませた。
フランソワーズの寝息はあくまで静かで規則正しく、深い眠りを表わしている。
小さく息をついた。
 
彼女が目覚めたからといって、何を話そうというのか。
何も思いつかない。
きっと自分は黙っているしかなくて、「どうしたの?」と聞かれるだけで。
そうでなければ、「ごめんなさい…私ばかりおしゃべりして…眠いでしょう?」とか。
 
だったら、こうして静かに眠った方がいい。
…いいんだけど。
 
なんだか、彼女の声が聞きたくてたまらない。
あの友人達がしていたように、内緒話をして、声を殺して笑い合って。
そんなふうにできたら、どんなにいいだろう。
 
さっきの女性の白い肩がふっと目に浮かんだ。
細くて、丸い肩。
 
フランソワーズの肩はきっともっと白い。
あのお湯の色と同じくらいに…
真珠のように、星明かりを集めて。
 
ジョーはゆっくり息を吐きながら目を閉じた。
とにかく…眠ろう。
眠らないと。
 
 
10
 
やっぱり、きれいだ。すごく。
 
金糸のような髪をさら、と指ではらって、白い首筋に唇を寄せる。
咄嗟に逃げていく肩を引き寄せ、身動きできないように抱きすくめる。
温かい感触が腕に優しく伝わった。
 
大丈夫…誰も、見ていないから。
…ほら。
 
細い手首をとり、そっと導く。
 
ここから…お湯が湧いてるんだ…わかる?
 
フランソワーズが、小さくうなずいた。
 
長い睫毛が震える。
離して、という微かな声が耳を撫でた。
 
もちろん、離してあげなければいけない。
…でも。
 
怖がらないで。どうか。
 
腕の中で、フランソワーズが怯えた声を上げ、身をよじろうとする。
 
怖がらないで。逃げないで。
 
白い湯が揺れ、波立つ。
 
怖がらないで。僕を見て。僕と話して。
お願いだから…
 
ジョーはもがくフランソワーズを、獲物を捕える獣のように押さえつけた。
 
どうして逃げるんだ、フランソワーズ!
 
亜麻色の髪を掴み、上を向かせ、強引に唇を奪う。
指先に涙が伝わった。
 
ダメだよ…逃がさない。
怖がらないで…酷い目になんかあわせないから。
怖がらないで…僕を見て。
僕と…話して。
 
君は僕のものだ。
 
怖がらないで。
僕を見て。
 
フランソワーズ…!
 
 
「……っ!」
 
声にならない声を上げ、ジョーは飛び起きた。
心臓が激しく高鳴っている。
 
…ゆ…め?!
 
もちろん…夢だ。
もちろん。もちろんだ。
 
両手で顔を覆い、長い息をついた。
そのまま何度も深呼吸する。
 
どうしたっていうんだ、僕は…こんな夢を…
…でも。
 
夢で…よかった。
 
ジョーはそうっと両手を顔から離した。
 
大丈夫…これは夢だ。大丈夫。
フランソワーズは、そこで眠っている。
さっきと同じように、静かに。
 
まだ部屋は真っ暗だった。
朝の気配はない。
 
おそるおそるフランソワーズの布団の方に顔を向け…ジョーは息をのんだ。
体が、微かに震える。
 
今敷かれたばかりのように整った布団。
…誰も、寝ていない。
 
「フランソワーズ…?!」
 
ジョーは跳ねるように立上がり、外へ飛び出していった。
 
 
11
 
まず共同の洗面所に走った…けれど、そこは真っ暗で、ヒトの気配がなかった。
次に、まさか、と思いながら浴場に行った。
 
思い切って女湯の入口を少しだけ覗き込んでみる。
履き物はなかった。
 
行き違いになったのかもしれない、と部屋に戻ってみたが…やっぱりいない。
 
「…どこに…行ったんだ、フランソワーズ?」
 
部屋の戸口にたたずみ、ジョーは呆然とつぶやいた。
 
夜風が冷たい。
少しずつアタマも冷えてくる。
 
こんな山奥のさびしい場所で「事件」なんて起きるはずがない。
第一、事件に巻き込まれたのなら、僕を呼んでいるはずだ。
きっと…たぶん、彼女は目を覚まして、寝付けなくなって、「散歩」に出てみたんだ。
彼女なら暗闇を歩いても平気だし。
 
ジョーはぼんやり振り返り、続いている暗い山道を見やった。
 
ひとりで行ってしまったのか。
こんな、闇に向かって。
 
…どうして、きみは。
 
悲しみとも怒りとも苛立ちともつかない奇妙なかたまりが喉に突き上げてくる。
大きく深呼吸してから、ジョーはあてもなく歩き始めた。
あてはなくても…これ以上ここでじっとしているのは、耐えられなかった。
 
 
暗闇の中、激しい水音だけが轟いている。
昼間、宿に着く前に二人でちょっと寄ってみた滝だった。
 
…こんなところに来ているはずない。
 
闇に響く水音の得体の知れない力強さに、しばらく圧倒されていたジョーは唇を噛んだ。
 
僕は…眠れなくなったきみが、どんなところに行くだろうかってことすら想像できないんだ。
いつもいつも、見当はずればかりで。
 
眠れないのなら…あのランプをともしてくれればよかった。
それから僕を起こして、とりとめのない話をして…
迷惑なんかじゃない。
少しでもきみの心が和らぐなら、僕はなんだってできるのに。
 
でも、わかってる。
それじゃ、だめなんだ。
きみの心がほしがっているものは、そこにない。
 
だから、きみは出ていかなければならない。
いつも…いつも。
 
いつかきっと、きみは本当に出ていくんだろう。
僕から、離れていくんだろう。
 
低い鳥の声に、ジョーはハッと顔を上げた。
心なしか、空が明るくなりかけているような気がする。
 
…いけない。
もし、彼女が先に戻っていたら…心配をかけてしまう。
 
ジョーは重い足取りで歩き始めた。
 
 
12
 
部屋に入る前に、ジョーは浴場へ向かった。
もし、フランソワーズが先に帰っていたら、風呂に行っていたのだ、と言い訳しようと思った。彼女がいなくなっていたことには触れないで。
 
きっと、彼女は何も言わない。
彼女は、僕のことだから、自分がいないことに全然気づかないで、のんびり風呂に入っていたんだ…って思うだろう。
 
 
脱衣場に入りかけたとき。
水音に気づいた。
 
…誰か、いる?
こんな時間に。
 
男湯の靴脱ぎに、履き物はない。
…ということは、女性…がこっちの露天風呂に来ているのかもしれない。
 
ふと、あの黒髪の女性を思い出した。
 
…どうしよう。
 
思わず後ずさりする。
でも…
 
しばらく逡巡してから、ジョーは辺りを見回し、足音を立てないように気を付けながら、浴場の塀に沿って走った。
 
悪いけど、ちょっと覗かせてもらおう。
たぶん、こんな時間だから、おばあちゃんだろうし…だったら気にしないで入ればいい。少し離れたところで。
 
露天風呂を囲う板塀の向こうから、たしかに気配がする。
ジョーはするすると手近の木にのぼり、そうっと塀の向こうを覗き込んで…見た。
 
細い白い肩。
亜麻色の小さい頭。
 
えっ、と声が出そうになった瞬間。
フランソワーズがぱっと振り向いた。
碧の目が大きく見開かれ、ジョーを捉える。
 
次の瞬間、何がなんだかわからなくなった。
 
「ジョー…?大丈夫?ジョー?」
 
塀の向こうから心配そうな声。
ジョーは大きく息をついて体を起こした。
木から滑り落ちていた。
 
「…うん。大丈夫…ごめん」
「どうしたの…いったい…」
「…ごめん」
 
あやまるしかない。
しばらく沈黙した後、フランソワーズが立上がる気配があった。
 
「私、出るわね…」
「…う、うん」
 
土を払いながら、ジョーもゆっくり立上がった。
 
…そうだ。
考えてみたら、こんなことしなくたって、そーっと中の風呂にだけ入っていればよかったんじゃないか。
あそこは混浴じゃないんだから。
 
なんだか情けない気分になってきて、ジョーは大きく息をついた。
 
 
13
 
「いただきます」と二人唱和して、朝食の箸をとったとき。
フランソワーズが、ぽつりと言った。
 
「結局…わからなかったわ」
「…うん」
 
味噌汁の碗の蓋がぴったりくっついていて、離れない。
格闘しながら生返事をするジョーに、フランソワーズはこっそり息をついた。
 
「どこから、お湯が湧いてるのか…わからなかったの」
「ぅわっ!」
 
蓋が外れた弾みで、碗が大きく傾き、味噌汁が勢いよくこぼれてしまった。
慌てて布巾を取り、浴衣の膝元や床を拭いてくれるフランソワーズに、ジョーは思わず小さくなった。
 
「…ご、ごめん…」
「もう、しょうがないわね…だから、蓋、とってあげましょうかって言ったのに」
 
…言ったっけ?
 
あれからというもの、ジョーは緊張し通しだった。
ともかくも風呂に入ってから部屋に戻り、おそるおそる覗いてみると、先に戻ったフランソワーズはもう眠っていて。
でも、こっちは眠るような気分にとてもなれず。
 
ジョーはもう一度蚊の鳴くような声で繰り返した。
 
「…ごめん」
「謝ってばかりね、ジョーは」
 
フランソワーズはくすくす笑い、自分の膳の前に戻った。
器用に碗の蓋を開け、箸を取り直す。
 
「汚れちゃったけど、また、お風呂に入り直せばいいわ」
「…うん」
「今度は、あなたに教えてもらおうかな」
「何を…?」
 
フランソワーズは碗を口元にもっていき、一口吸い、膳に戻した。
 
「お湯の湧いているところ…昨夜ひとりじゃわからなかったのよ」
「……。」
「ジョー?」
「……あの、フラン」
「冗談です」
「……。」
 
そんな、世にも情けない顔しなくたっていいじゃない…と、フランソワーズは心でつぶやいた。
ほんと、話をごまかすってことができないヒトなんだから。
何考えてるのか、全然わからない。
昨夜だって。
 
…でも。
たぶん、あのとき…少なくともあのときは、私を探してくれていたんだと思う。
きっと方々探したんだわ…心配かけちゃったのね。
この人があんなことまでするなんて、よっぽど…
 
悪いこと、してしまった。わかってたはずなのに。
この人はそういう人。
誰にでも、とても優しくて。
 
「…ごめんなさいね」
「…え?」
 
弾かれたように顔を上げ、まじまじと見つめる茶色の眼に、フランソワーズはどきん、とした。
動揺を押し隠し、できるだけ優しく言う。
 
「ごめんなさい、昨夜は急にいなくなったりして…あのね、ただお手洗いにいっただけだったんだけど…帰ろうとしたらね、あの…そう、鳥の声がしたから」
「…鳥?」
「ええ…夜鳴く鳥なんて、めずらしいなあ…と思って」
「フクロウ…かな?」
「たぶん、そうね…」
「…あの」
「…なあに?」
「それじゃ、きみ…探しに行ったの?その…鳥を?」
 
フランソワーズはこともなげにうなずいた。
 
「それで、歩き回ったら寒くなっちゃって…お風呂に入って帰ろうと思ったの…きっと誰もいないと思ったから、ついでにお湯の湧いてるところも探してみようかな…って」
 
そうしたら、すぐ気配がした。
 
「…まさか、あなただったなんて」
 
くすっと笑う。
ジョーは身を堅くした。
 
「…ごめん」
「もう…だから、どうして謝るの、ジョーったら」
 
「だって」
 
フランソワーズはもう一度碗を手にすると、今日行く予定の有名な湖について、矢継ぎ早の質問を始めた。
それに一生懸命答えるうち、ジョーの頬にもいつの間にか笑みが戻っていた。
 
 
14
 
会計をすませて、フロントを離れたとき、あの女性とすれ違った。
 
ちょうど風呂上がりだったらしく、豊かな黒髪をアップにし、頬を微かに火照らせた彼女は、ジョーをみとめると軽く会釈をした。
あわてて会釈を返しながら、ジョーは思わず、玄関にしゃがみこんで一心に靴の紐を結んでいるフランソワーズを横目で覗いた。
 
「…終ったよ。行こうか」
「ええ…いいお天気ね」
「うん」
 
外に出ると、眩しい日射しに目を細め、フランソワーズは思いきり伸びをした。
 
「う〜ん…!いい気持ち…!」
「…そうだね」
「ホント?」
「え…?」
 
車に荷物を載せ、助手席の扉を開ける。
アルベルトに教わったエスコートの基礎のひとつで。
始めは照れくさかったけれど、フランソワーズがごく自然に滑らかに応じてくれるので、このごろはずいぶん慣れた。
 
ドアを閉め、自分も運転席に乗り込む。
エンジンをかけるのとほぼ同時に、フランソワーズがあら、と小さく声を上げた。
視線を追うと、駐車場の入口に、身支度を整えた中年男が三人立っている。
フランソワーズが軽く手を振ると、男達は曖昧に微笑んだ。
 
「…あのヒトたち…?」
「ふふっ、昨夜ちょっとだけお話したの」
「……」
 
何か、ひっかかる。
なんだろう。
 
「ええと…いつ?知らなかった」
「あなたは寝てたもの…」
 
それじゃ、例のお手洗いに起きたとき…かな。
それにしても。
何がこんなにひっかかるんだろう。
 
バックミラーに遠ざかる男達の顔をもう一度ちらっと眺める。
中のひとりと目が合った気がした。
奇妙な表情…にも見える。
 
「…あ!」
 
突然叫んだジョーを、フランソワーズは怪訝そうに見やった。
 
「どうしたの、ジョー?」
「…い、いや…なんでも…」
 
思い出した。
あれは、昨夜、露天風呂で会った三人だ。
 
服を着てると咄嗟にはわからないものだ…な…って。
…あれ?
 
ってことは…その。
あの人達に、会ったのか、フランソワーズ。
それで、話を…したって。
 
…まさか。
まさか…な。
 
ジョーは注意深くハンドルを切り続けた。
車内に沈黙が流れる。
 
沈黙はいつものことだ。
でも。
しだいに動悸が激しくなる。
 
話って…どんな話、したんだ?
 
「ジョー?」
「え、え、ええっ?!」
 
頓狂な声を上げるジョーに少し眉を顰めるようにしてから、フランソワーズはのんびりした調子で尋ねた。
 
「日本では、若い男の人が髪を茶色に染めるのって…とても流行ってるのよね…?」
「…え?」
「そういう人、たくさんいるんでしょう…?」
 
優しい、優しい声。
…でも。
 
ジョーは曖昧にうなずいた。
フランソワーズがくすっと笑う気配がする。
 
「…あの、フラン」
「今度は、ちゃんと入ってみようかな…私も」
「フランソワーズ…あの…さ」
「…あなたと」
「え、僕と?…何?」
「お風呂よ…コンヨク・ロテンブロ」
 
いきなり目の前に対向車が現われた。
凄まじいクラクション。
慌てて大きくハンドルを切ると、フランソワーズが小さく悲鳴を上げて倒れかかってきた。
 
「ご、ご、ごめん…!」
「…もう…!」
 
口を尖らせながらも、碧の目には楽しそうな光が躍っている…ような気がした。
 
「決めた…!今夜は、滝のある露天風呂の宿にしましょう」
「滝…?」
「ええ、お風呂から滝を見ることができるんですって…すごいわねえ」
「で、でもフランソワーズ…今日はもう…」
 
…帰る日なんだけど。
 
まごつくジョーに構わず、フランソワーズはぱらぱらとガイドブックをめくっている。
 
「やっぱり混浴ですって…あ!ここもお風呂に直接お湯が湧いているのね…今度こそちゃんと見たいわ…教えてね、ジョー」
「フランソワーズ!」
 
悲鳴のような声に、明るい笑い声が重なる。
車はどこかおぼつかないカーブを描きながら山道を抜けていった。
 
更新日時:
2003.11.11 Tue.
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Last updated: 2013/10/17