1
「いいえ…弟なんです」
「あら…ごきょうだいで日本にご旅行ですか?…まあ、仲がよろしんですねぇ……」
「お前…なあっ!」
お茶を入れ終えた女性が、ごゆっくり…とにこやかに部屋を出たところで、ジェットはフランソワーズを睨み付けた。
「俺たちのどこが『姉弟』なんだよっ?!」
「…しかたないでしょ…『ええ、新婚なんですぅ…ねぇ、ハニィ?』って言った方がよかった?」
「話をそらすなっ!…どう見たって、俺たち姉弟には見えないだろうっ?ゴマかしてますって言ってるようなモンじゃないか!そういうのってな、余計恥ずかしいんだぜ!」
フランソワーズは落ち着きはらって茶をすすっている。
なんか…腹立つくらい日本人っぽくないか?その仕草。
誰の影響だよ?
…ってか。
ヤツが素直に来なかったから、話がややこしくなってるわけで。
「ね…せっかくだから、お風呂、入ってこない?」
「風呂ぉ?!」
「そういうモノだって…ジョーが言ってたわよ?オンセンに行ったら、何度もお風呂に入るんですって」
「お前と一緒にか?」
「まさか…男女は別れてるみたいよ。もっとも…一緒に入っちゃうことになってるオンセンもあるらしいけど」
言いながら、フランソワーズはことん、と茶碗をおき、支度らしきことをはじめた。
本当にすぐ行くつもりらしい。
「あ…これがユカタ、ね…ジョーが教えてくれたとおりだわ…でも、ホントにこの帯一本で着られるのかしら?」
「…着られないモノなんか、着るんじゃねえぞ」
「そうねえ…」
「まかり間違って、お前の貧弱なムネなんか見せられる羽目になったら…」
「見たようなコト言うのね、ジェット」
「…な!」
ちくしょう。
今日はやけにタフじゃねえか、こいつ。
ジェットはこっそり舌打ちした。
そりゃ…タフにもなるわな。
何考えてやがるんだか、あのヤロー。
お前がその気なら…遠慮なくフランソワーズ、いただいちまうからな。
俺をナメるなよ。
日本風に膝を折って座り、荷物を整えているフランソワーズに近づき、勢いよくその傍らに腰を下ろす。
…そのとき。
すっとフランソワーズが顔を上げた。
至近距離で視線がぶつかる。
「ジェット」
「な、何だ?」
「…昼寝しちゃうつもりよね?…鍵を持っていくわ、閉め出されたらイヤだし…あなたって、一度寝ちゃうとどーしても起きてくれないのよねえ…」
うるせえな。
ちょっとぐらいびびったらどうなんだ、この女。
何が姉弟だ、フザけんな。
「…ジェット?」
「俺も行く。風呂。」
「…そう?」
「鍵は、フロントに預けとくから」
「わかったわ」
「覗くなよ」
「アナタもね」
…ほんっとーにタフだよな。
2
帰りにフロントに寄ると、フランソワーズは先に部屋に帰ったという。
足早に戻った。
「お帰りなさい、ジェット…ゆっくりだったのね」
「…鍵くらいかけとけ、バカヤロー」
「オートロックかと思ってたわ」
ジェットはいかにも貧弱なドアを振り返った。
どうしてこれをオートロックだと思う?
「目」を使え、「目」を。
フランソワーズが首をかしげた。
「ジェット…その着方、違ってるわよ」
くすくす笑いながら、彼女はジェットに近づき、素早く帯の結び目を解いてしまった。
「な、何しやがるっ?!」
「男の人の帯はね、もっと下に…ほら、こうやってこの辺に結ぶんですって」
「てめっ!今触っただろっ?!」
「…何に?」
何にって、なんだよっ?!
ジェットは憤然とフランソワーズを睨み付けた…が。
彼女は動じない。
「それも、ジョーに教わったのか?」
「それって?」
「その…着方だよ…お前、ちゃんと着てるみたいじゃないか」
フランソワーズはふっと襟元を合わせるように手をやり、微笑んだ。
「ジョーだってきっと知らないわ、ユカタのちゃんとした着方なんて…これはね、お風呂場にいたおばあちゃんたちに教わったの…意外に簡単だったわ…それで、『旦那サマにも、ちゃんと着せてあげなさい』って言われちゃって…男の人の着方もついでに教えてもらったのよ」
「…待て。俺は弟だったんじゃないのか?」
「どっちでも同じようなものでしょ」
…ドコが?
「ああ…おなかすいちゃった…!ご飯、楽しみだわ…いろんなお皿が出るんですって…小さい、可愛いお料理がたくさん…」
「…って、それもジョーが言ったのか?」
「ええ…もっとも…あんまりよくは知らないけど…って言ってたわ。彼、こういう旅行したこと、ほとんどないんですって」
だから、だ。
こんな旅行、めったにないチャンス…ってことだろ?
しかもフランソワーズと二人で…だぞ。
だったら。
来い、万難を排してっ!
余計な気遣いしてる場合かよ?!
「ジョー…ちょっとかわいそうだったわね」
フランソワーズ。
これだけは言っておく。
かわいそうなのは、オマエだ。
3
「本当に…よかったのかね?」
「…何が…ですか、博士?」
「いや…その、せっかくお前さんが引き当てた旅行じゃったのに…」
ジョーはなんだ、と屈託のない笑顔を見せた。
「僕は、そういうところ、行ったことがあるからいいんです。日本人ですから…でもフランソワーズは初めてだし、とっても楽しみにしていたし…ジェットが来てるときでほんとによかった」
行ったことがある…と言っても、修学旅行ぐらいなモノだった。
福引きで当てた温泉旅館は、パンフレットを見る限りは、綺麗で、豪華で。
正直、こんな旅館に泊ったことなどジョーにはなく。
ちょうど紅葉もいい時期だというし。
でも、一番心が躍ったのは、やっぱりあの笑顔を見たとき。
二人で行こうか?と誘ったとき、青い瞳がそれこそ秋晴れの空みたいに輝いた。
「じゃから…あの子が…あんなに楽しみにしておったから、気の毒でな…」
「何言ってるんですか、博士…そんなことより、こっちの仕事のほうがずっと大事だって…わかってるくせに」
「ずっと…大事…か」
「ええ」
ギルモアのもとに、急な仕事が飛び込んだ。
二人が旅行に行く予定だった週末も含めて数日間、研究所を離れなければならなかった。
人工臓器についてのアドバイスを求められた…のだが。
研究スポンサーには某国軍と密接な関係をもつという会社が名を連ねていた。
BGの影は…調べた限り、なかった。
だが、参加する研究者の中に、元BGだったメンバーが交じっていたこともあって、ギルモアを一人で行かせるのには不安があった。
護衛として一番確かなのは、もちろんジョーしかなく。
フランソワーズは笑って、張々湖飯店の常連客にでも旅行を譲ったら?と提案した。
でも…
ちょうど計ったようなタイミングで、ジェットが来日した。
彼は、二つ返事でフランソワーズのエスコートを引き受けた。
もちろん、フランソワーズにも否やはなく…
「そういえば、今頃…晩ご飯かなあ…?」
「うむ…あの二人のことじゃ…きっとにぎやかに食べとるじゃろう」
「…ふふっ」
たしかに…にぎやかだろうなあ。
4
「だあああっ!!!!」
突然大声を上げたジェットに、フランソワーズはきょとん、と首をかしげた。
「なんなんだ、コレはっ?!シチ面倒くせえっ!!」
彼の左手には細い蟹の足、右手には専用フォークが握られている。
「でも、おいしいわよ…とっても」
「どこがだっ…こんな…ちまちました食い物…!」
「貸して」
さっさとジェットから皿を受け取り、フランソワーズは器用に蟹の身をほぐし始めた。
「他のお皿食べて待ってなさい…もう、いちいちうるさいんだから」
「い、いいって…そんなことしなくても…よこせ!」
「つまみ食いなんかしませんから安心して」
「…そう…じゃなくて!ガキじゃねえんだからよ」
「ガキじゃない」
うまくいかないからって大騒ぎするのはコドモの証拠よ、とフランソワーズは静かに言う。
反論できない。
「女がほじくって触ったモノなんか…食えるかよ」
「…ほんっと…コドモね…ジョーだってそんなこと言わないわ」
「あ?」
なんで、そこでソイツの名前が出てくるんだ?
その後。
豆腐に小鍋に焼き魚…と、結局、のべつくまなしにフランソワーズの手を焼かせ。
何がドコに入ったのか、わからないまま、夕食の膳は下げられた。
「イワンの世話の方がマシだった…とか思ってるだろ?」
フランソワーズは返事の代わりにくすくす笑った。
「よかった、あなたが来てくれて…ジェット」
「は…?」
フランソワーズは歌うように言った。
「なんだか、楽しい」
…そりゃどうも。
5
フランソワーズは、あくまでジョーに教わったとおりにするつもりらしい。
夕食の後、風呂に出かけ、さらに寝る前に…とまた出かけていった。
一人で部屋にいても手持ちぶさただったから、ジェットも風呂場へ向かった。
…ったく…何が楽しいんだか。
ぬるい湯船につかりながら、ぐるっと辺りを見回す。
くたびれた中高年の日本人たちが、じっと目を閉じて湯の中に身を沈めている。
はじめは、外に湯船があるのに仰天したが、慣れれば風が気持ちいい。
空を見上げると、星が瞬いている。
たしかに…悪くない気分かもしれない…が。
退屈じゃねえか?
竹でできた小洒落た垣根が立ててある。
たぶん、この向こうが女湯で…
ジェットは思わず耳を澄ませた。
聞き覚えのある笑い声が聞こえる。
「まあ…!じゃ、日本に住んでるのね?」
「ええ…」
「東京?」
「少し離れてます…」
「お子さんはいらっしゃるの?」
「いいえ…」
「まだお若いもの、これからよぉ……で、あの背の高いヒトがご主人でしょう?」
「あ!あの髪の赤いヒト?あら、ステキねえ…」
「ええ…ふふっ、彼…目立ちます?」
「そりゃ目立つわよ……いいわねえ、若い人は…」
だから。
「弟」じゃなかったのかよ?
声は一人や二人じゃない。
コレと同じくらいの、ちっこい風呂だとして…オバサン、いや、ここにいるジイさんたちの連れ合いなら、バアさんも混ざってるよな…それが、…五、六人…いやもっとかも…ってことは…
…あいつ、ドコの隙間に入ってるんだ?
耳を澄ませていると、話題はどんどん雑然としてきて…
とうとうそれぞれの得意料理の話になってきた。
フランソワーズの相づちは、だんだん間遠になってくる。
そりゃそうだ…つきあっていられるか、こんな話。
やがて。
ざっと水音がして…にぎやかな話し声は少しずつばらけ…消えていった。
やれやれ。
ゆっくり湯船を出る。
…と。一瞬、足下がふらついた気がした。
脱衣場に出てみると…1時間近くたっている。
ユカタを巻き付け、さっさと部屋に向かった。
…が。
鍵は開いていなかった。
ノックをしても返事はない。
なんだ…
まだ戻ってなかったのか。
俺はてっきり…
舌打ちして、フロントに鍵をとりに行こうとエレベーターを待った。
扉が開くと。
フランソワーズが、エレベーターの床にうずくまっていた。
6
「フランソワーズが、倒れたっ?!」
思わず受話器を耳から離し、ジェットはため息をついた。
「もしもしっ?…どういうことだよ、ジェット?!」
「…頼むから大声出さないでくれ…その…風呂から出たとたん、オカシクなったらしいんだよな…食べたモンもほとんど吐いちまって…なんか…苦しそうでよ」
「…どう…したっていうんだ…?何か、悪いモノでも食べたのか?」
「俺は平気なんだから…そうじゃないだろう…とにかく、風呂に…」
「待って、ジェット…風呂に…って…フランソワーズ、どれくらい入ってた?お風呂に?」
「…ついてすぐ…30分くらいかな…それから飯の後だろ…で、さっき…そうだな、1時間近く…」
ジョーが大きく息を吸い込むのがわかった。
「…それ…だよ、きっと!」
「それ?」
「湯あたりだ…ダメだよ、そんなに何度も…長い時間入ったりしたら…」
「風呂のせいなのか?」
「たぶん…」
「まさか…!あんなヌルイ風呂に何回か入ったからって…第一、そうしろってアイツに教えたのはお前だろう?」
「僕…?僕は、そんなこと言ってないよ!…とにかく、すぐ博士を連れていくから」
「はぁ?!」
「クルマで、すぐ行く…!そうだな、3時間ぐらいで着くと思う」
ちょっと待てっ!
…怒鳴る前に、電話は切れた。
「ジョーが…くるの?」
弱々しい声。
「ああ…ってか、博士がくるんだ…ヤツは運転手だよ」
「そんな…博士…お気の毒だわ…疲れてるのに…明日だって…」
「そりゃ…そうだが」
「私なら、大丈夫よ」
「たぶん…な。俺もそう思う」
だが。
万一…ってことがある。
そうしたら…
コイツのカラダを、普通の医者に診せるわけにはいかないだろう。
「どうだ?まだ…気持ち悪いか?」
「…ずいぶん…よくなったわ」
「水…飲むか?」
フランソワーズは曖昧な表情になった。
そうだよな…あれだけ吐いて…
水飲んだら、また…
携帯が鳴った。
「…あ。ジョーか?…なんだ?」
「言い忘れたんだけど…フランソワーズに水分をとらせてあげて…!気持ち悪がるかもしれないけど…できる範囲で、なるべく努力して…いい?!」
叫ぶような声だった。
携帯のスイッチを切り、横たわったフランソワーズを見やると…彼女は微笑んだ。
「お水…飲んだ方がいいみたいね」
「…そうだな」
ジェットはそっとフランソワーズを抱き起こし、少しずつ水を飲ませた。
汗ばんだ浴衣の襟元が、僅かにゆるんでいる。
暑い、と彼女が言うので、掛け布団の上にそのまま寝かせた。
ついでに、部屋にあったうちわであおいでやると、フランソワーズは気持ちよさそうに目を細めた。
「…ありがとう…ジェット…ごめんなさいね」
「いいから…寝ろ」
「せっかく…来てくれたのに…」
なんにも、してあげられなかったわね…
つぶやくようなコトバに、ジェットは眉を寄せた。
「なんにもって…何…してくれるツモリだったんだよ?」
「……」
フランソワーズは目を閉じたまま、答えなかった。
7
慌てるギルモアを背負い、ジョーは旅館の中庭に忍び込んだ。
通信を開く。
「ジェット…?ベランダに出てくれないか?」
「…ベランダ?」
数秒後、窓の一つに明かりが灯り、背の高い影が現れた。
「博士…しっかりつかまっていてください」
声をかけるなり、ジョーは地面を蹴った。
「どいて、ジェット!」
「う、うわっ?!」
ベランダに降り立ったジョーは、ギルモアを下ろすと、靴を脱ぎ捨て、部屋に駆け込んだ。
「…フランソワーズ」
立ちすくむジョーを押しのけるようにして、ギルモアが彼女の枕元に走った。
まず脈を取り、持ってきた小型の機器をつないで、目と耳の機能チェックを始める。
「…うむ」
やがて、ギルモアは息をついた。
「異常は特に見あたらないが…たしかに、循環系がややバランスを崩しかけている…ようじゃな」
「循環系?」
「…なに、大したことはない。ジョーの言う『湯あたり』ってやつじゃろう…」
一気に肩の力を抜いた二人に、ギルモアは微笑んだ。
「よく…寝てるね」
「ああ…疲れたんだろうよ…昼間っから、こいつ…はしゃぎとおしだったからな」
「…そう」
…はしゃいでいた。
紅葉に歓声をあげ、小川で足を濡らし、小さな魚や蟹を追いかけ。
宿についたらついたで、何度も風呂浴びて、見知らぬババアどもと無駄話して。
俺のすること言うことに…いちいちツッコミ入れて。
いつもよりずっと明るくてタフで…優しかった。
「さて…そろそろ行かないと…いかんな」
「…はい」
薬を並べ終ると、ギルモアはすまなそうにジョーを見やった。
そのとき。
「…あ?」
立ち上がろうとしたジョーを、ジェットが押えた。
「…俺が行く」
「ジェット…?」
「お前の車…ナビあったよな?…後は俺に任せろ」
「え…?どうして…?」
「博士はクルマん中で寝ることができるが…お前はそうはいかないだろ?いくらサイボーグでも、居眠り運転はいただけないぜ」
「だ、大丈夫だよ…それ言うなら、君だって…」
「ああ、俺は平気だ…さっきまで寝てたからな」
ジェットはさりげなく、顎で布団を指した。
ほとんどくっつくように並べられている二組の布団。
ジョーが、ほんの僅か唇を噛むのを見届け、ジェットはひっそり笑った。
だから…だ。
いい子ぶってると、こういうことになるんだよ。
わかったか?
「チェックアウトはフランに任せて、明日はお前、なるべく隠れてた方がいいぞ」
「…う…うん…でも」
「新婚夫婦のダンナが入れ替わった…ってんじゃ、さすがに怪しまれるからな」
「…え?」
じゃ、行きましょうか…と声をかけると、ジェットは軽々とギルモアを抱き上げ、ベランダへ走った。
「ジェット…!」
能力を使った…はずはないが。
風を受けてふわりと庭に舞い降りる姿が、鳥のようだった。
8
「気を…遣ったのかね?」
高速に乗ったところで、ギルモアがぽつりと聞いた。
「いいえ…もう勘弁してやろうと思っただけですよ…はじめっから…こうしておくのが本当だったんですから」
「……」
そうだ。
あのとき…話を聞いたとき、俺は、すぐ思った。
言おうとしたんだ。
博士の護衛は俺に任せればいい…ってな。
…だが。
アイツの…あの目を見て、気が変わった。
馬鹿野郎。
少しも邪気のない茶色い目。
アイツは…本当に、心から俺を気遣っていた。
博士のことも。
もちろん、フランソワーズのことも。
いつもそうだ、アイツは。
自分のコトなんか、これっぽっちも考えやしない。
だが。
ジョーよ。
お前が自分を後回しにするってことは…
彼女がそれだけ傷つくってことにもなるんだからな。
彼女の一番の願いは…お前の笑顔なのに。
どうして…それがわからない?
「ジェットと楽しんでおいでよ」
そうお前が言って微笑んだから…
彼女は楽しもうとしたんだ。
そりゃあもう、必死で。
フザけんなよ。
お前ら、二人して…ヒトを何だと思ってやがる?
9
隠れてろって言っても…な。
朝になったら、フランソワーズ…驚くだろうな。
第一、寝ようにも着るモノがない。
ジェットが脱ぎ捨てていった浴衣があるだけで。
いきなり交替だなんて…大丈夫かな…ジェット?
ギルモア博士、まだ仕事が残ってる…のに。
ジョーはため息をついた。
…そうだよな。わかってる。
僕は…彼を止めなくちゃいけなかった。
僕がもっと強くダメだ、と言えば…止められたんだ。
でも。
できなかった。
…フランソワーズ。
彼女が小さく寝返りをうつ気配があった。
ジョーは思わず息を殺していた。
こんな…君を見てしまったら。
どこにもいけないよ。
君とジェットが二人で旅行する…って、全然気にならなかったわけじゃない。
でも…わかってたから。
君は…誰とでもちゃんと距離をおいて、気持ちよくすごせるヒトだって。
僕にいつもそうしてくれてるように。
今日は…楽しかった?
はしゃいでいた…って…ジェットは言ってた。
楽しみに…していたよね。
…僕も。
君に、きれいな紅葉を見せてあげたかった。
君にはきっと珍しい、温泉とか…旅館とかも。
君がどんなに喜ぶか、わかっていたから。
…だから。
そのとき、君の隣にいるのがジェットでも…全然かまわないと思ったんだ。
今でも…そう思ってる。
でも。
今の…君は。
あんまり無防備で、あどけなくて…綺麗で。
息がつまるくらい。
こんな君を…誰にも見せたくない。
どうしても。
こんなこと思ってはいけないのに。。
わかってるのに…どうしても…見せたくない。
ジェットにも…博士にも。
他の誰にも。
どうしてか…わからない。
ごめん…フランソワーズ。
どうしたら…目覚めた君をそれほど脅かさずにすむだろう?
もうすぐ夜明けだ。
…考えなくちゃ。何か、いい方法を。
また、彼女が微かに動いた。
部屋の隅に座り込み、早鐘のようにうつ心臓にとまどいながら、ジョーはゆっくり深呼吸した。
何か…いい方法を。
夜が、明ける前に。
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