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日常的009

子猫のいる風景
 
雨が降っていた。
ジョーと買い物に行った帰り、見つけた。
小さい箱の中でうずくまる、まだ目も開いていない子猫が2匹。
 
彼も…きっと私と同じコトを考えた。
だって…とても困った顔をしていたから。
でも。
私たちは、結局その箱を抱えて研究所に戻った。
 
思ったとおり…博士も困った顔をした…けど。
その理由は意外なものだった。
 
「イワンが…おるからのう……」
 
そうだったわ。
私たちは顔を見合わせた。
 
眠っているときのイワンが普通の赤ん坊だってこと…すぐ忘れてしまう。
猫を2匹も飼うのは…危ないのかもしれない。
 
私は…たぶんジョーも、考えていたのは、いつかこの子たちをここに置き去りにしなければならないかもしれない…ということ。もしかしたら、永遠に。
 
私がそう言うと、博士は笑った。
せめて、この猫の寿命分くらいは無事に暮すつもりでいてほしいものだ、と。
でも、博士の目は…笑っていなかったかもしれない。
 
とにかく…このままでは死んでしまう。
とりあえず、育てることに決まった。
 
この子達がひとり立ちできるようになったら、張々湖飯店で引き取り手を探せばいいんだから…と、ジョーは誰にともなく言い訳した。
 
 
 
子猫の世話はフランソワーズがしている。
僕はあんまり不器用…らしくて。
任せてもらえない。
 
ミルクを飲ませるだけじゃなくて…ウンチの世話までしなくちゃいけないなんて思わなかった。
フランソワーズは辛抱強く子猫たちのお尻をガーゼでぬぐって…
 
子猫たちは、彼女をお母さんだと思ってるみたいだった。
 
張々湖飯店にはり紙をしたけど、引き取り手はなかなか見つからない。
フランソワーズは、イワンの眠る部屋を厳重に戸締まりして、難を防いだ。
 
さらに、猫たちはいつも彼女について歩いてしまうから…
イワンの世話をするのはもっぱら僕の役目になってきた。
 
イワンは…ちょっと不満そうに見える。寝てるはずなんだけど。
少しの間だから、我慢してくれよな。
 
 
 
暑い日だった。
 
ここ数日、研究所には誰もいない。
事件じゃなくて…たまたま、ちょっとした旅行とか用事とかが重なっただけ。
博士は学会。眠ったままのイワンも連れて…
たまには一人でのんびりするのもいいじゃろう、と優しく笑って。
 
ジョーは…その前からずっと旅行中。
なんだか、急に出かけたくなったから…なんて。
そう言って、ふらっと出て行くことが…彼にはよくある。
 
もう帰ってこない…なんてあり得ないけど。
でも、彼が出て行くたび、私はちらっと考える。
この人は…もう帰ってこないかもしれない…と。
 
ここにしか居場所が無い私とは…違う。
年齢のことを言うと、彼はいつも不機嫌そうな顔をするけど…
でも、事実だから。
私たちの間には、何十年ものへだたりがある。
 
知っている人が誰もいない外の世界。
年月は私の体を通り抜け…
この世に私の居場所はここだけ。
 
甘えた鳴き声に、我に返った。
ぐずぐず考えてるなんて。よくないわ。
 
掃除でもしよう。
それから…熱いシャワーを浴びて、汗を流して…
この子達に、おいしいごはんを作ってあげて。
 
考えても仕方のないことは…考えない。
そうやって、私は何とかここまで歩いてきたんだもの。
 
 
 
旅は…つまらなかった。
そもそも、どこかに行きたくて旅立ったわけじゃない。
 
部屋の前で、がさごそカバンをかき回していた僕は、ふと、耳をすました。
歌…?
 
甘い、優しい少女の声。
そうっとドアを開けた。
 
足音を忍ばせて部屋に入ると…窓辺にフランソワーズが座っていた。
柔らかい…日だまりの中に。
 
彼女は、驚いた風もなく振り返った。
白い指で、子猫の喉をのんびり愛撫しながら。
 
「お帰りなさい、ジョー」
 
…ええと。
 
ただいま、というコトバが出てこない。
フランソワーズは子猫を片手ですくい上げ、すっと立ち上がった。
もう一匹、彼女の足下に寝そべっていた子猫が、はねるように起きあがり、彼女の後を追う。
 
「お腹、すいてる?」
「…う…ううん」
「じゃ、冷たいお茶は?」
「今は…いい」
 
そう、とつぶやき、子猫を抱えたまま、彼女は僕の前で立ち止まった。
じーっと見つめられ、僕はますますうろたえた。
 
「あ…あの、フランソワーズ?」
「お風呂に入って来た方がいいわ、ジョー…ひどい埃」
 
…お掃除したばかりなのに。
 
眉を寄せ、不機嫌そうにつぶやく彼女に、僕は後ずさりした。
そのままバスルームに直行する。
カバンも持ったまま、ばたん、とバスルームのドアを閉め、大きく息をついた。
 
なんなんだ、あのカッコ。
 
白かった。とにかく。
目に入るモノ全部が真っ白…というか。
いや…真っ白っていうのともちょっと違うけど…
 
初めて見た…ような気がする。
白くて丸い肩。
クリームをちょっとへこませたみたいな肘のとことか。
 
そうなんだよな。
そういえば、彼女はいつも袖の長い服を着ていた。ような気がする。
まして…
 
あのネコ…どさくさに紛れて、ドコにのってた?
膝…じゃないぞ。
もっと上だ。たぶん。
 
ソコも、やっぱり白かった。
めちゃめちゃ白くて…あとはなんだかよくわからなかった。
マトモに見たのは一瞬だ。見たことは…間違いないけど。
ネコが寝そべってるのは見たんだし。
とにかく白かった。
 
あ。
それに、裸足だった…かも。
 
あんな服だって初めて見た。
…ってか、あれ…服なのか?
 
僕はシャワーの温度を思い切り熱くして頭から浴び、ボディーシャンプーをむやみに泡立て始めた。
 
でも、まさか、下着…ってことないよな。
いくら一人でいたからって…
フランソワーズに限って。
あんな…
 
と思いかけて、僕はあれ?と首をかしげた。
どんな服だったっけ?
 
…思い出せない。
 
たしか…ワンピースで、白かったような。
いや…水色…かな?
ピンクだったかも。
 
…とにかく、薄い色だ。
それで、なんかひらひらがついてて…
 
…ついてなかったか?
 
しばらく考えた。
…やっぱり思い出せない。
 
とにかく…
白かったんだよな。
なにもかも。
 
 
 
タオルで髪を拭きながらリビングに戻った。
キッチンからフランソワーズの声。
 
「ずいぶん丁寧に洗ってたのね…お風呂で倒れてるかと思っちゃったわ」
 
むっとした。
さっき、僕のことゴミ扱いしたのは君じゃないか…!
 
僕は黙ってソファに座った。
足音が近づいて…
目の前に麦茶のコップがことん、と置かれる。
…白い手。
 
僕は思いきって…さりげなく視線を上にずらしていった。
 
…あれ?
 
フランソワーズは、縞模様の長袖のシャツを着ていた。
それに…いつもの、ジーンズ。
 
「少し留守番お願いできるかしら?…買い物に行ってきたいの…夕ご飯、何がいい?」
 
夕ご飯…
もしかしたら…今日は君と二人きり…なのか?
 
「博士に合わせようと思っていたけど…特別、あなたの好きなモノにしてあげるわ」
 
あ…そっか。
学会は…今日までだったんだ。
 
「ジョー?」
 
ぼんやりしている僕の耳を少し厳しい声が打った。
僕は慌てて瞬きした。
 
「え、ええと、カレー」
「…また?」
 
うんざりしたように、彼女は目を見開く。
 
…だって。
ゆっくり考えさせてくれないから。
 
 
 
スーパーを足早に歩く。
細かい肉の切れ端がパックされて並んでいる。
 
これしか種類がないんだもの…
つまらないわ、日本のお肉屋さんって。
しかたないけど。
それに。
 
カレー…かぁ。
 
声に出しそうになった。
私は思わず首をすくめ、ずらっと並んでいるカレールウの中から、「甘口」と書いてあるのを選んだ。
 
ジョーは、これが好きなのよね…
お料理しがいがないったら。
 
以前、私が何時間もかけて手作りしたカレーに、ジョーは曖昧な表情をした。
 
他の仲間達はみんな口々においしい、と喜んでくれたのに。
お世辞じゃなかった…と思う。
実際、私も我ながらおいしいと思ったもの。
 
それなのに…彼ときたら。
 
辛くてなんだかわからなかった…ですって!
あの複雑かつ絶妙なスパイスの風味を、よくそんなたった一言で表わしたモノだわっ!
 
ああ、よそう…思い出さないって決めたのに…
…腹が立つだけだから。
 
だいたい、ぼんやりしすぎてるわ、彼。
今日だって…帰ってくるならくるって…電話の一つもいれてくれればいいのに。
あんな…泥棒みたいに入ってきて。
そうでなかったら、私だって…あんなカッコしてなかったのに。
 
だってあんまり暑かったし…
誰も来るはずなかったし。
 
それに…新しく縫いつけた裾のレースをゆっくり眺めてみたかったの。
今の下着って…なんだか素っ気ないんだもの。
 
…たしかに私が悪いんだけど。
 
そういえば、パリにいた頃…
ちょっとだらしなくしてると、よく兄さんに叱られたっけ。
なんだ、そのスキだらけのカッコは…!って。
 
うるさかったなあ…
 
…あ。
 
そうだわ…そうよ。
どこかで見たことがあると思ったら。
あのときのジョーの顔…
 
兄さんとそっくり…!
 
…はぁ。
 
兄さんみたいにウルサクて、でも、食べたいのはカレー…なのよね。
…困った人。
 
 
 
博士は割合早く帰ってきて、僕たちは3人で夕食のテーブルを囲んだ。
 
…やっぱり、落着く…な。
 
楽しそうに話をしながら、まとわりつく子猫を叱っているフランソワーズ。
そんな彼女を嬉しそうに見守る博士。
 
「ジョー…もういらないの?」
 
…え?
 
僕はスプーンを持ったまま、ぼーっとしていたようだった。
 
「た、食べるよ…まだ」
「冷めちゃったじゃない…温めなおす?」
「いいよ…これで…少し冷めたのだっておいしいし…」
 
ウルサイなあ…と言いかけて、僕は慌てて言葉を飲み込んだ。
ちょっとキツい目で睨まれてる。
 
…コワイ。
 
しみじみココロでつぶやいて、あれ?と思った。
コワイ…のか、僕は。
フランソワーズのことが。
というか。
彼女に叱られるのが。
 
なんでコワイんだろう?
 
子供のころから叱られてばかりいたけど。
オトナなんて、ちっとも怖くなかった。
 
叱られたら、「ごめんなさい」と言えばいい。
言いたくなくて、また叱られたけど。
でも、だいたいは、黙って我慢してれば…それですんだしな。
 
ああ。
でも、そうだ…神父さま。
 
神父さまはいつも優しくて、叱られたことなんて、あまりなかった。でも…
 
…ダメだ。思い出したら。
思い出さないって決めたのに。
 
「ジョーっ?もう、いいかげんに…!」
 
突然、フランソワーズの鋭い声。
思わず飛び上がるほどびっくりして、次の瞬間、カッと血が上って…
僕は大声を上げていた。
 
「うるさいなぁっ!!」
 
…しまった。
 
口を噤んだけど…もう遅い。
気味の悪い沈黙。
 
僕は乱暴に立ち上がった。
 
「ごちそうさまっ!」
 
…なんて言わなくていいんだよ、馬鹿っ!
 
慌てて、ココロで自分を叱りつけ、僕は自分の部屋に駆け上がった。
 
 
 
子猫が、片方…いない。
 
夕ご飯の後かたづけが終ってから気づいた。
一匹はいつもの寝床にもぐりこんでいるのに。
 
外に…出ちゃったのかしら…?
まさか…イワンのところに…?
 
胸が騒いだ。
急いで階段を駆け上りかけると…細い鳴き声。
ジョーの部屋からだった。
 
…なんだ。そこだったの。
 
私は足音を忍ばせて階段をゆっくり下りた。
 
結局彼は夕ご飯を半分しか食べないままで部屋にこもりっきり。
イライラした私がいけなかったのだけど…
 
でも、なんだか…つらくて。
あなたが、どこを見ているのか、何を考えているのか…
私にはいつもわからない。
 
やっぱりあなたは…ここにいるのが嫌なのかしら。
 
嫌…よね。
当たり前だわ。
 
私だって…
もし、帰れるのなら、きっと…
 
きっと。
 
 
 
ベッドに仰向けに寝ころんで…僕は胸の上に寝そべる子猫を撫でていた。
柔らかくて…なめらかな肌。
 
「…大体さ…今日はのっけから、お前がイケナかったんだよ…あんな…」
 
目を閉じると、途端に浮かぶのは…真っ白な肌。
ため息がこぼれる。
 
胸の上で、子猫があくびをしながら大きく伸びをした。
 
「…ちぇっ!」
 
お前…いつも彼女にあんなコトしてもらってるのか?
だったら…
 
「ちゃんと言ってやれよ…誰も見てないとは限らないんだから、油断しちゃだめだって…!」
 
そうだ、油断だ。
一応、女の子なんだし。
あんなカッコしてるとこ、他のみんなが見たりしたら…!
 
アルベルトは…注意してくれるよな。
ピュンマは…うん、きっとさりげなく言ってくれると思う。
張々湖は、コトバを選ばないから、かえって彼女を怒らせるかもしれないけど…
 
グレートは…う〜ん、どうかなぁ…?
レディの心得について、なんてお説教するのかも。
でも…ケンカになっちゃうな、きっと。
 
…だからさ。
ケンカしてるのは僕なんだってば。
 
またため息が出る。
 
なんで…あんなにつっかかったんだろう。
彼女…いや、僕も。
 
不意に、子猫が嬉しそうな鳴き声を上げて、僕の胸から飛び降りた。
ハッとベッドに起きあがった。
 
ノックの音。
…フランソワーズだ。
 
 
10
 
私が口を開くより先に、ジョーは素早く言った。
 
「さっきは…ごめん」
 
そんな顔されたら…何も言えなくなってしまうのに。
 
私は、やっとの思いで微笑んで、そして…布巾をかけた皿を彼の前に差し出した。
 
「…これ?」
「オムスビ…よ。まだ、お腹すいてるんじゃない…?」
「あ…」
「…私の方こそ…ごめんなさい、ジョー…あなた、疲れて帰ってきてたのに」
 
 
あっという間にオムスビを平らげ、お茶を飲み干して…ジョーは満足そうに息をついた。
 
「ああ、おいしかった…ありがとう、フランソワーズ…でも…さっきのカレーは?」
「この子たちに…あげちゃった…だって、おいしそうじゃなくなってたし…」
「…う…ん…ね、フランソワーズ…あのカレーさ…どうやって作ったの?」
 
遠慮がちな聞き方に、私は首をかしげた。
 
「おいしく…なかった?」
「…そ…うじゃ…ないけど」
「この間使ったのと同じルウで作ったのよ…それとも、銘柄を間違えたのかしら?」
 
似たような箱がずらっと並んでいたスーパーの棚を思い出し、私は考え込んだ。
ジョーは、慌てて首を振った。
 
「そ、そうじゃないんだ…!その…前、君が作ってくれただろ?もっと辛くて…」
「…え?」
 
目を丸くした私に、ジョーはますますうろたえた。
 
「わ、わかってるよ、なんか…すごく作るのタイヘンそうだったし…だから…その、いつもってわけには…いかないと思うけど…でも…」
「…あなた、あれは嫌いなんじゃ…なかったの?」
「そんなこと…!はじめは…慣れなかっただけだよ…でも」
 
彼はそれきり口を噤み、困ったようにうつむいてしまった。
 
…変な人。
 
慣れなかっただけ…
じゃ、今は慣れた…のね?
…でも。
そんな褒め方って、あるかしら?
 
「旅行してたとき…何食べてもあんまりおいしくなくて…食欲なかったんだ。なんか…久しぶりにおいしいもの食べた…って気がする」
 
彼はしみじみと独り言のように言った。
 
久しぶりにおいしいもの…って。
インスタントのルウで作ったカレー?
それとも…オムスビ?
 
ほんと、全然褒められたって気にならないわ。
 
「あ!そうだ…忘れてた!」
 
急に頓狂な声を上げて、彼はほうり出してあったカバンを引き寄せ、慌ただしく中を探った。
 
「はい…これ」
「…何?」
「オミヤゲだよ…君に」
「…オミヤゲ?」
 
紙包みを渡された。
開くと…木の人形が出てきた。
 
「かわいい…!日本のお人形ね?」
「うん…こけし…っていうんだよ」
「こけし…?」
「うん…この真ん中の線が、キモノの帯なんだ…それで、これが模様で…」
「花の模様ね?」
「菊模様なんだって…そう言われてみれば、そう見えるけど…」
 
ジョーは首をかしげた。
その仕草がなんだかおかしくて、私はくすくす笑った。
 
オミヤゲ…もらうのなんて、久しぶりだわ。
 
木の香りをかぎながら、私はそっと人形を撫でてみた。
 
「気に入ってくれた?」
 
細い、優しい声。
思わず顔を上げた。
彼は…どこか不安そうに、おどおどした目で私を見ている。
 
「ええ…とても。嬉しいわ…ありがとう、ジョー」
 
茶色の瞳がふっと和らいで…微笑みがさざ波のように広がる。
 
…反則よ、そういう笑顔は。
 
ふと目を伏せたとき。
消え入りそうな声が耳に届いた。
 
「よかった…僕、初めてだったから。オミヤゲ買ったのって」
 
 
11
 
博士は、帰ったばかりの晩だというのに、もう研究室に閉じこもっている。
 
僕はフランソワーズとテラスに出て、海風に吹かれていた。
夜になって、少し涼しくなった…と思う。
 
子猫は僕の腕の中で眠り込んでいる。
 
不意に、海を見つめたまま、フランソワーズがつぶやいた。
 
「…私…ここが好きだわ」
 
亜麻色の髪が風にそよいでいる。
微かに…いい匂いがした。
 
「…僕も」
 
彼女がふっと振り返り、僕を見つめた。
 
「僕も、好きだよ…ここが」
「…そう」
 
優しい微笑。
心が、弾んだ。
 
「だって、ここは…僕たちのウチだから…やっぱり、ウチが一番いいんだよ!」
 
フランソワーズがくすくす笑った。
妙に力一杯言ったのが…おかしかったらしい。
頬が熱くなって、僕はうつむいた。
…でも。
 
「君は笑うけどね…僕は…ずっとこういうウチが欲しかったんだ…子供の頃から」
 
いや。
僕にもウチはあった。
誰より優しくて、誰よりコワイ人が僕を抱きしめてくれる場所。
 
でも。
今はもう、いない…その人は。
 
二度と、あんな思いはしたくない。
…絶対に、しない。
 
僕は…今度こそ守るんだ。
このウチを。
それから…この…優しい人たちを。
 
誰より優しくて、誰よりコワイ…人。
 
 
「もう、休みましょうか…疲れているでしょう、ジョー?」
 
彼女がささやくように言って、手をさしのべた。
一瞬どきっとしたけど…すぐわかった。
子猫を受け取ろうとしたんだ。
 
僕は首を振って、子猫を抱き直した。
 
「今夜は僕のところで…一緒に寝かすよ」
「ベッドが毛だらけになっちゃうわ」
「いいよ」
「オシッコするかも」
「洗濯すればいいし」
「…誰が?」
「僕が。その…やり方、教えてくれれば」
 
フランソワーズがまた楽しそうに笑った。
 
オヤスミ、と彼女に手を振って、僕は自分の寝室に入った。
横たわると、甘えた寝ぼけ声で、子猫がすりよってくる。
 
柔らかくて…なめらかな肌。
あたたかい。
そっと子猫を撫でながら、目を閉じた。
 
微かにいい匂いがする…ような気がした。
 
 
更新日時:
2002.06.22 Sat.
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Last updated: 2013/10/17