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日常的009

蒼空
 
「愛してるって…言って」
 
囁きに、ジョーはハッとマユミの手を離した。
潤んだ黒い瞳がじっと見つめている。
「お願い、ジョー…!」
 
夢から覚めたような気持ちだった。
 
黙っているジョーから、マユミはふと目をそらした。
「…やっぱり…そうなのね」
「え…?」
たじろぐようなジョーの表情に、マユミが寂しく笑う。
「いいの…何となくわかっていたから…あなたって、ホントに正直だわ」
「…マユミさん…?」
「ごめんなさい、困らせて…もうこんなこと、言わないから…」
 
それじゃ、来週ね…!
マユミは明るい微笑を見せて、手を振った。
 
 
それきり、彼女に会うことはなかった。
今日まで。
 
 
僕は…彼女を愛していたんだろうか…?
マユミが立ち去った部屋で、ベッドに横たわり、ジョーはぼんやりと天井を見つめていた。
 
…わからない。
 
彼女は…美しかった。
明るくて…素直で…一緒にいると、心が癒されるような気がした。
彼女の微笑みを見るたび、サイボーグであることも…暗い運命も、夢のように思えた。
 
…だから、僕は…彼女を愛していたんだろうか?
 
それとも…
僕はただ、忘れるために…
この体が機械であることを…あの戦いが現実であったことを…
そして、いつかまた、血で血を洗う戦場に戻らなければならないことを…
それを忘れるために、彼女の笑顔にすがったのだろうか…?
 
…わからない。
 
ただ、確かなことは…
いずれにしろ、そんな僕を信じて、僕に会おうとしたために、彼女の運命が狂ったということ。
彼女は…突然、あらゆる幸福を奪われた。
 
愛していたのかもしれない。
いまでも、愛しているのかもしれない。
…レバンを愛していると…彼女が言いきったとき。
あの黒い瞳が、烈しい情熱に輝くのを見たとき。
僕の胸は痛んだ。
確かに…痛んだ。
 
それなら…戦える。きっと。
それが、僕の償いになる。
 
ジョーは机に向かった。
手紙を書き始める。宛先は…ギルモア研究所。
 
無謀な戦いかもしれない。
それも、完全な私情がらみの。
 
僕の命は、僕だけのものではない。
僕が死ねば、仲間たちも危機に陥る。
でも…誰にも邪魔されたくない。
 
僕は、一人で…答を見つけたい。
僕は、彼女を愛しているんだろうか?
…いや。
僕は…人を愛することができるんだろうか?
 
手紙が研究所につくころ…僕は砂漠にいる。
仲間たちは、きっと駆けつけてくれるだろう。
それまでに…答を見つけなければ。
それまでは…彼女に、僕がサイボーグであることは…知られたくない。
 
 
危機が訪れるたび、マユミはすがるように僕の目を見た。
その視線の中に、微かな非難の色がよぎるのに、僕はたぶん気づいていた。
 
レバンが重傷を負い、倒れたとき…僕は自分の過ちを知った。
ここは、戦場だった。
僕は…サイボーグだから、ここに来たんだ。
もし僕がただの男だったら…いくら彼女の頼みでも、こんな無謀な旅をするはずない。
そもそもできるはずがない。
 
僕は、サイボーグだ。
だから、彼女の頼みを聞いた。聞くことができた。
それなら…サイボーグとして戦わなければ。
 
……戦わなければ。
迫る無数の戦闘ロボットを睨み付けた、そのとき。
 
「…ジョー」
 
レバンを抱きしめ、うつむいたまま、彼女が呻くように言った。
 
「お願い…私たちを助けて…!あなたの、その、鋼鉄の体で…!!」
 
思い切り頬を殴られたような気持ちで、僕は呆然と彼女を見つめた。
君は…知っていたのか?
僕のことを…どうして…?
君が…どんな世界で闘ってきたのか…僕はあらためて思い知った。
 
…そうか。
当たり前だ。
彼女は僕をサイボーグだと知ったから…助けを求めた。
力が欲しかったから、力ある者として、僕を求めた。
これ以上彼女に尋ねてはいけない…これ以上彼女を苦しめてはいけない。
 
君は、当たり前のことをしただけだ…愛する人のために…
 
なのに。
僕は烈しく彼女を問いつめていた。
 
「君は…はじめから、僕がサイボーグだと、知っていたのか?!」
「知っていたわ…そうで…なかったら」
 
いけない…もうわかってる…僕にはわかっているんだ!
もう、これ以上、彼女に尋ねてはいけない…言わせてはいけない!
 
だが、次の瞬間…僕は自分の声を聞いた。
 
「そうで…なかったら…?」
 
放たれた矢が、彼女の胸に深くささる。
彼女は、手負いの獣が子を守ろうとするように僕を見上げ、叫んだ。
 
「あなたに…頼みになんか、いかないわ…!!」
 
彼女の目が…苦しみに閉ざされる。
 
いいんだ、苦しむことはない。
僕は…あの日の島村ジョーじゃない。
いや…そんな男はいなかった。僕ははじめから、君を騙していた。
そのために君は幸せな生活を…家族を奪われ…
 
そして、やっと見つけた愛する人を奪われようとしている。
僕のために。
僕の迷いのために。
 
君は今、とうとう自分の命さえ失おうとしているのに。
それなのに、僕は…まだ君を苦しめようとしているのか?
 
君に、罪はない…!
そう心が叫んでいるのに…僕は自分の苦しみを抑えきれなかった。
僕は…愛を守るため戦う。
そして、僕自身は…愛をつかむことなどない。永遠に。
 
マユミ、僕を見ないでくれ。
僕は…ただ自分の運命に押し潰されているだけだ。
もうどこにも逃げられない…まっすぐな君の瞳の前で。
僕を、見ないでくれ…!
 
しかし、マユミは…戦きながらもジョーから目をそらさなかった。
黒い瞳に涙が溢れる。
 
「ジョー…私…あなたを…愛して…!」
 
獣のように叫び、両手で耳を塞ぐと、ジョーは加速装置のスイッチを入れた。
 
苦しむことはない、マユミ…!
これが、僕の正体だ…!!
 
僕に、この自分を受け入れるだけの強さがあれば…
君もレバンも死なずにすんだ。
なのに、僕は…君たちを守れず…
君に偽りの十字架を負わせた。
 
君は僕を愛してなどいない。
君が愛したのはレバンだけだ。
 
君は僕を裏切ったりしていない。
君を騙し続け、最後まで裏切ったのは、僕の方だ。
 
襲いかかる無数の敵を次々引き裂き、ジョーは戦った。
…こいつらを、ここでくい止める…!!
せめて、君が…彼と、静かな…やすらかな最期を迎えられるように…!
 
 
もう、動けない。
かすんだ目が、黒光りする銃口を捉えた。
 
…これで…終わりだ。
 
目を閉じる。
 
彼らは…僅かに残った戦力で、それでも君たちを追いつめるだろう…
彼らの手にかかり、君は最期に何を思うのか…
それが…つらい。
 
目の前に、軽い砂埃が立った。
空から舞い降りた7人。赤い戦闘服。
 
「…みんな…?!」
 
サイボーグたちは、ものも言わず、敵に飛び掛かった。
流れるような連携。
鮮やかに戦車の間を飛び回り、またたくまに戦車隊は一掃された。
 
いつのまにか、立ち上がっていた。
誰かが駆けてくる。
 
「ジョー…!!」
 
一気に力が抜けた。
辺りが真っ暗になり、ジョーは崩れ落ちた。
 
「ジョー…ジョー!!」
「…フランソワーズ」
 
ジョーの唇が微かに動く。
微笑むように目を閉じ、彼は動かなくなった。
 
「いや…いやよ、ジョー…!!」
「フランソワーズ…?!」
 
駆けつけた仲間たちは顔色を変え、フランソワーズをジョーから引き離した。
「落ち着け、フランソワーズ…!ジェット、こいつを…ドルフィンへ…!」
アルベルトが言い終わる前に、ジェットはジョーを抱えて飛び立った。
 
「…どう…して…?」
微かなつぶやきが、コクピットの沈黙を破る。
「…フランソワーズ」
「どうして…ジョーは一人で戦おうとしたの…?私たちを…呼ばなかったの?!」
アルベルトは沈痛な面もちでフランソワーズを見つめ、そっと肩をたたいた。
 
「大切な思い出…のため?…私たちに、それを汚されたくなかったの?」
「フランソワーズ…そうじゃない…」
宥めるような口調のアルベルトに烈しく首を振り、フランソワーズは叫んだ。
「私たち、そんなことしないわ!!…どんな思い出でも、ジョーが大切にしているなら、私たちは…!!」
「…わかってる…あいつにだって、わかっているさ…少し休んだ方がいい…」
 
砂漠にさしかかる前から、彼女は目と耳をフルに稼働させていた。
彼女の能力で、ジョーが戦闘を開始するより早く、彼らはその位置を把握した。
おそらく、レーダーだけでは、烈しい爆発が起きない限り、彼の位置を捉えることはできなかっただろう。
…それからでは、とうてい間に合わなかったはずだ。
 
仲間たちの視線が集まっているのを感じ、フランソワーズは懸命に涙を払おうとした。
もう…わかってしまったのかもしれない…
私だけの…秘密。
 
ジョーからの手紙を読んだとき、仲間たちはめいめい、言いたいことを言いまくった。
「いくら昔の彼女に頼まれたからって…」
肩をすくめたグレートに、アルベルトが烈しく言い放つ。
「黙れ…!男には、胸の底にしまっておく美しい思い出ってモノがあるんだ!」
 
容赦のない言葉が、次々に胸を突き刺す。
でも…それは、誰にも…気づかれていないから。
…これでいい。
 
フランソワーズはキッと顔を上げた。
「博士、私たちを…行かせてください!」
 
コクピットに、彼女のすすり泣きの声だけが響く。
両手で顔を覆うフランソワーズを見つめ、アルベルトはため息をついた。
気づかなかったわけじゃない…だが。
これほどとは…思っていなかったんだ。
 
数時間後。
ジョーはよろめきながら姿を現し、止める仲間の声を振り切るように、操縦席に座った。
が、操縦桿を握る力すら出ない。
その彼の手に、白い手が重なった。
 
「フランソワーズ…」
微笑み、うなずく彼女に、ジョーはうつむいたまま告げた。
「すまない…機首を…南へ」
「大丈夫よ、ジョー…見えるわ…二人とも、生きてる」
 
ふと、そらしたジェットの視線を、アルベルトが受け止める。
…いいのか?あれで…あいつら…?
…さあ…な。
アルベルトは目で笑いを投げ、自分の席についた。
 
 
ぼんやり開いた目に、恋人の笑顔が飛び込んだ。
「…レ…バン…?」
「マユミ…!助かったんだ、私たちは…!!」
力強い声。
「そ…れじゃ…ジョー…が…?」
茶色の瞳が、柔らかくマユミを包んだ。
「もうすぐ…港だよ」
 
ジョー…?
 
屈託のない、少年のような笑み。
あなたが…こんな顔をするなんて……
 
包帯を替え、着替えを手伝ってくれたのは、亜麻色の髪をした美しい少女だった。
「…ありがとう」
「無理…していない?…もう少し…ここにいてもいいのよ」
マユミは微笑んで首を振った。
 
「…あなたは…あの…」
「私も、サイボーグよ…003」
「…そう」
うつむいたマユミはふと顔を上げ、少女を見つめた。
 
「私…私は…ジョーが好きだったの」
「…ええ」
「信じて…もらえる…?」
少女は真顔でうなずいた。
「信じるわ…だって、ジョーが戦ったのは…あなたに愛されたから…それに、あなたを…愛していたからだもの」
「でも…私は……」
再びうつむいたマユミの手を、フランソワーズはそっと握った。
 
「大丈夫…」
本当よ…と、フランソワーズは微笑んだ。
 
「私たちって…戦闘用サイボーグのくせに、ただ戦うために戦うって…できないみたいなの…私たちはね、愛する人のためにしか戦わないわ…特に、ジョーは」
 
でも、きっと、それって…兵器としては、致命的な欠点よね…?
だから私たち、できそこないの試作品…なんて言われるんだわ。
 
天井を見上げて、真顔で首を傾げるフランソワーズに、マユミはくすっと笑った。
 
「ありがとう…003…いいえ…あの…」
「フランソワーズ…よ」
「フランソワーズ…ありがとう」
もしかしたら、あなたも…言いかけて、マユミは口を噤んだ。
 
吸い込まれそうな、青く澄んだ瞳。
 
あの人は…いつも寂しそうだった。
いつも遠くを見つめていた。
あの人が好きだったのは、晴れた日の海と空。
焦がれるように、食い入るように…いつまでも…見つめていた。
どこまでも青い…青い海と空。
 
 
 
レバンは、感謝に満ちたまなざしでジョーを見つめた。
「ありがとう…君のことは…忘れない」
ジョーはうなずいて、差し出された手をしっかりと握り、マユミに目を移した。
「…さようなら…ジョー」
彼女は、すっと背伸びをした。
…かすかに、ふれあったくちびる。
真っ赤になり、半ば飛び退くように身を引いたジョーに苦笑しながら、マユミはレバンを見上げた。
レバンは、微笑んだ。
 
「…じゃ…気をつけて。お幸せに」
 
やっとの思いでそう告げ、ジョーは二人に背を向け、歩きだした。
仲間たちが待っている。
くるっと振り返り、二人に軽く手を振った。
 
傷が癒えるのに、数日を要した。
無理をするからだ、とギルモアはさんざん小言を繰り返し、あらためてジョーに絶対安静を厳命した。
それを甘んじて受けるのは…さすがに退屈だったが。
逆らうわけにはいかなかった。
 
やっと短い散歩を許され、ジョーは庭に出て、大きく伸びをした。
よく晴れている。
ぐるっと辺りを見回した栗色の瞳が、明るく輝いた。
 
「フランソワーズ…!」
菜園でトマトを摘んでいたフランソワーズは、振り返り、目を丸くした。
「ジョー…動いても、大丈夫なの?」
「ああ…やっと博士のお許しが出たんだ」
…本当?と、疑わしそうに首を傾げると、フランソワーズはすぐに彼に背を向け、赤く熟れた実をまた一つ摘み取った。
 
「…おいし…そうだね」
「ええ…大人が丹精してる野菜だもの…昨日も食べたでしょう?」
「…う、うん…そうだった…かな?」
昨日、食事を運んできたピュンマが、そういえばそんなことを言っていたかもしれない。
…ふと気づいた。
彼女は一度も部屋に来なかった。
ということは。
ここに戻ってから、彼女と顔を合わすのは、これが初めてだ。
 
「フランソワーズ…」
 
なぁに…?
彼女は、真剣に熟れ具合を品定めしながら、歌うように応える。
「…あの…君に…お礼が言いたい」
手が止まった。
振り返った青い瞳が、まっすぐにジョーを見る。
 
「…ありがとう…フランソワーズ」
「なに…が?」
 
…わからない。答えられない。
だが、ジョーはもう一度、繰り返した。
 
「ありがとう」
 
 
フランソワーズは瞬きした。
なぜか、熱くなる頬にたじろぎながら、ジョーは付け加えた。
 
「それから……ごめん」
 
 
 
不意に、フランソワーズがくすくす笑い出す。
一気に緊張が解け、ジョーは深いため息をついた。
 
「どうしたの、ジョー…何が、ごめん、なの…?」
「…その…わからないけど…ごめん」
「何よ、それ…!」
 
楽しそうに笑ってから、フランソワーズはふと表情を引き締めた。
澄んだ瞳に、冗談ともホンキともつかない光が宿る。
 
「…許してあげるわ…でも、これっきりよ」
「…え?」
「いい?」
見つめられ、ジョーは即座に何度もうなずいた。
フランソワーズが声を上げて笑った。
 
山盛りになったトマトの籠をもたされたジョーは、踊るように歩くフランソワーズの後を少し遅れて追いながら、空を見上げた。
眩しい、夏の日差し。
「フランソワーズ!」
立ち止まったフランソワーズに足早に近付く。
 
「…走りに行こうよ、ちょっと遠くまで…!」
「何言ってるの、ジョー…まだ安静に…」
「大丈夫だよ…」
 
言うなり、ジョーは駆けだした。
赤い実が一つ、籠から転がる。
フランソワーズはまたくすっと笑った。
空が…眩しい。
 
「早く…早くおいでよ…!」
 
トマトの籠を適当に台所口に放り出し、振り返ったジョーが呼ぶ。
フランソワーズは、かがんで、彼が落とした実を拾っていた。
 
「そんなの、いいから…!ガレージで待ってるよ!」
 
立ち上がったフランソワーズは、両手でもったトマトにそっと白い歯をあてた。
ジョーがまた振り返り、もどかしそうに手招きする。
 
軽いスキップに、亜麻色の髪が揺れる。
フランソワーズは少しずつ足を速めていった。
 
更新日時:
2002.05.13 Mon.
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Last updated: 2013/10/17