1
「愛してるって…言って」
囁きに、ジョーはハッとマユミの手を離した。
潤んだ黒い瞳がじっと見つめている。
「お願い、ジョー…!」
夢から覚めたような気持ちだった。
黙っているジョーから、マユミはふと目をそらした。
「…やっぱり…そうなのね」
「え…?」
たじろぐようなジョーの表情に、マユミが寂しく笑う。
「いいの…何となくわかっていたから…あなたって、ホントに正直だわ」
「…マユミさん…?」
「ごめんなさい、困らせて…もうこんなこと、言わないから…」
それじゃ、来週ね…!
マユミは明るい微笑を見せて、手を振った。
それきり、彼女に会うことはなかった。
今日まで。
2
僕は…彼女を愛していたんだろうか…?
マユミが立ち去った部屋で、ベッドに横たわり、ジョーはぼんやりと天井を見つめていた。
…わからない。
彼女は…美しかった。
明るくて…素直で…一緒にいると、心が癒されるような気がした。
彼女の微笑みを見るたび、サイボーグであることも…暗い運命も、夢のように思えた。
…だから、僕は…彼女を愛していたんだろうか?
それとも…
僕はただ、忘れるために…
この体が機械であることを…あの戦いが現実であったことを…
そして、いつかまた、血で血を洗う戦場に戻らなければならないことを…
それを忘れるために、彼女の笑顔にすがったのだろうか…?
…わからない。
ただ、確かなことは…
いずれにしろ、そんな僕を信じて、僕に会おうとしたために、彼女の運命が狂ったということ。
彼女は…突然、あらゆる幸福を奪われた。
愛していたのかもしれない。
いまでも、愛しているのかもしれない。
…レバンを愛していると…彼女が言いきったとき。
あの黒い瞳が、烈しい情熱に輝くのを見たとき。
僕の胸は痛んだ。
確かに…痛んだ。
それなら…戦える。きっと。
それが、僕の償いになる。
ジョーは机に向かった。
手紙を書き始める。宛先は…ギルモア研究所。
無謀な戦いかもしれない。
それも、完全な私情がらみの。
僕の命は、僕だけのものではない。
僕が死ねば、仲間たちも危機に陥る。
でも…誰にも邪魔されたくない。
僕は、一人で…答を見つけたい。
僕は、彼女を愛しているんだろうか?
…いや。
僕は…人を愛することができるんだろうか?
手紙が研究所につくころ…僕は砂漠にいる。
仲間たちは、きっと駆けつけてくれるだろう。
それまでに…答を見つけなければ。
それまでは…彼女に、僕がサイボーグであることは…知られたくない。
3
危機が訪れるたび、マユミはすがるように僕の目を見た。
その視線の中に、微かな非難の色がよぎるのに、僕はたぶん気づいていた。
レバンが重傷を負い、倒れたとき…僕は自分の過ちを知った。
ここは、戦場だった。
僕は…サイボーグだから、ここに来たんだ。
もし僕がただの男だったら…いくら彼女の頼みでも、こんな無謀な旅をするはずない。
そもそもできるはずがない。
僕は、サイボーグだ。
だから、彼女の頼みを聞いた。聞くことができた。
それなら…サイボーグとして戦わなければ。
……戦わなければ。
迫る無数の戦闘ロボットを睨み付けた、そのとき。
「…ジョー」
レバンを抱きしめ、うつむいたまま、彼女が呻くように言った。
「お願い…私たちを助けて…!あなたの、その、鋼鉄の体で…!!」
思い切り頬を殴られたような気持ちで、僕は呆然と彼女を見つめた。
君は…知っていたのか?
僕のことを…どうして…?
君が…どんな世界で闘ってきたのか…僕はあらためて思い知った。
…そうか。
当たり前だ。
彼女は僕をサイボーグだと知ったから…助けを求めた。
力が欲しかったから、力ある者として、僕を求めた。
これ以上彼女に尋ねてはいけない…これ以上彼女を苦しめてはいけない。
君は、当たり前のことをしただけだ…愛する人のために…
なのに。
僕は烈しく彼女を問いつめていた。
「君は…はじめから、僕がサイボーグだと、知っていたのか?!」
「知っていたわ…そうで…なかったら」
いけない…もうわかってる…僕にはわかっているんだ!
もう、これ以上、彼女に尋ねてはいけない…言わせてはいけない!
だが、次の瞬間…僕は自分の声を聞いた。
「そうで…なかったら…?」
放たれた矢が、彼女の胸に深くささる。
彼女は、手負いの獣が子を守ろうとするように僕を見上げ、叫んだ。
「あなたに…頼みになんか、いかないわ…!!」
彼女の目が…苦しみに閉ざされる。
いいんだ、苦しむことはない。
僕は…あの日の島村ジョーじゃない。
いや…そんな男はいなかった。僕ははじめから、君を騙していた。
そのために君は幸せな生活を…家族を奪われ…
そして、やっと見つけた愛する人を奪われようとしている。
僕のために。
僕の迷いのために。
君は今、とうとう自分の命さえ失おうとしているのに。
それなのに、僕は…まだ君を苦しめようとしているのか?
君に、罪はない…!
そう心が叫んでいるのに…僕は自分の苦しみを抑えきれなかった。
僕は…愛を守るため戦う。
そして、僕自身は…愛をつかむことなどない。永遠に。
マユミ、僕を見ないでくれ。
僕は…ただ自分の運命に押し潰されているだけだ。
もうどこにも逃げられない…まっすぐな君の瞳の前で。
僕を、見ないでくれ…!
しかし、マユミは…戦きながらもジョーから目をそらさなかった。
黒い瞳に涙が溢れる。
「ジョー…私…あなたを…愛して…!」
獣のように叫び、両手で耳を塞ぐと、ジョーは加速装置のスイッチを入れた。
苦しむことはない、マユミ…!
これが、僕の正体だ…!!
僕に、この自分を受け入れるだけの強さがあれば…
君もレバンも死なずにすんだ。
なのに、僕は…君たちを守れず…
君に偽りの十字架を負わせた。
君は僕を愛してなどいない。
君が愛したのはレバンだけだ。
君は僕を裏切ったりしていない。
君を騙し続け、最後まで裏切ったのは、僕の方だ。
襲いかかる無数の敵を次々引き裂き、ジョーは戦った。
…こいつらを、ここでくい止める…!!
せめて、君が…彼と、静かな…やすらかな最期を迎えられるように…!
4
もう、動けない。
かすんだ目が、黒光りする銃口を捉えた。
…これで…終わりだ。
目を閉じる。
彼らは…僅かに残った戦力で、それでも君たちを追いつめるだろう…
彼らの手にかかり、君は最期に何を思うのか…
それが…つらい。
目の前に、軽い砂埃が立った。
空から舞い降りた7人。赤い戦闘服。
「…みんな…?!」
サイボーグたちは、ものも言わず、敵に飛び掛かった。
流れるような連携。
鮮やかに戦車の間を飛び回り、またたくまに戦車隊は一掃された。
いつのまにか、立ち上がっていた。
誰かが駆けてくる。
「ジョー…!!」
一気に力が抜けた。
辺りが真っ暗になり、ジョーは崩れ落ちた。
「ジョー…ジョー!!」
「…フランソワーズ」
ジョーの唇が微かに動く。
微笑むように目を閉じ、彼は動かなくなった。
「いや…いやよ、ジョー…!!」
「フランソワーズ…?!」
駆けつけた仲間たちは顔色を変え、フランソワーズをジョーから引き離した。
「落ち着け、フランソワーズ…!ジェット、こいつを…ドルフィンへ…!」
アルベルトが言い終わる前に、ジェットはジョーを抱えて飛び立った。
「…どう…して…?」
微かなつぶやきが、コクピットの沈黙を破る。
「…フランソワーズ」
「どうして…ジョーは一人で戦おうとしたの…?私たちを…呼ばなかったの?!」
アルベルトは沈痛な面もちでフランソワーズを見つめ、そっと肩をたたいた。
「大切な思い出…のため?…私たちに、それを汚されたくなかったの?」
「フランソワーズ…そうじゃない…」
宥めるような口調のアルベルトに烈しく首を振り、フランソワーズは叫んだ。
「私たち、そんなことしないわ!!…どんな思い出でも、ジョーが大切にしているなら、私たちは…!!」
「…わかってる…あいつにだって、わかっているさ…少し休んだ方がいい…」
砂漠にさしかかる前から、彼女は目と耳をフルに稼働させていた。
彼女の能力で、ジョーが戦闘を開始するより早く、彼らはその位置を把握した。
おそらく、レーダーだけでは、烈しい爆発が起きない限り、彼の位置を捉えることはできなかっただろう。
…それからでは、とうてい間に合わなかったはずだ。
仲間たちの視線が集まっているのを感じ、フランソワーズは懸命に涙を払おうとした。
もう…わかってしまったのかもしれない…
私だけの…秘密。
ジョーからの手紙を読んだとき、仲間たちはめいめい、言いたいことを言いまくった。
「いくら昔の彼女に頼まれたからって…」
肩をすくめたグレートに、アルベルトが烈しく言い放つ。
「黙れ…!男には、胸の底にしまっておく美しい思い出ってモノがあるんだ!」
容赦のない言葉が、次々に胸を突き刺す。
でも…それは、誰にも…気づかれていないから。
…これでいい。
フランソワーズはキッと顔を上げた。
「博士、私たちを…行かせてください!」
コクピットに、彼女のすすり泣きの声だけが響く。
両手で顔を覆うフランソワーズを見つめ、アルベルトはため息をついた。
気づかなかったわけじゃない…だが。
これほどとは…思っていなかったんだ。
数時間後。
ジョーはよろめきながら姿を現し、止める仲間の声を振り切るように、操縦席に座った。
が、操縦桿を握る力すら出ない。
その彼の手に、白い手が重なった。
「フランソワーズ…」
微笑み、うなずく彼女に、ジョーはうつむいたまま告げた。
「すまない…機首を…南へ」
「大丈夫よ、ジョー…見えるわ…二人とも、生きてる」
ふと、そらしたジェットの視線を、アルベルトが受け止める。
…いいのか?あれで…あいつら…?
…さあ…な。
アルベルトは目で笑いを投げ、自分の席についた。
5
ぼんやり開いた目に、恋人の笑顔が飛び込んだ。
「…レ…バン…?」
「マユミ…!助かったんだ、私たちは…!!」
力強い声。
「そ…れじゃ…ジョー…が…?」
茶色の瞳が、柔らかくマユミを包んだ。
「もうすぐ…港だよ」
ジョー…?
屈託のない、少年のような笑み。
あなたが…こんな顔をするなんて……
包帯を替え、着替えを手伝ってくれたのは、亜麻色の髪をした美しい少女だった。
「…ありがとう」
「無理…していない?…もう少し…ここにいてもいいのよ」
マユミは微笑んで首を振った。
「…あなたは…あの…」
「私も、サイボーグよ…003」
「…そう」
うつむいたマユミはふと顔を上げ、少女を見つめた。
「私…私は…ジョーが好きだったの」
「…ええ」
「信じて…もらえる…?」
少女は真顔でうなずいた。
「信じるわ…だって、ジョーが戦ったのは…あなたに愛されたから…それに、あなたを…愛していたからだもの」
「でも…私は……」
再びうつむいたマユミの手を、フランソワーズはそっと握った。
「大丈夫…」
本当よ…と、フランソワーズは微笑んだ。
「私たちって…戦闘用サイボーグのくせに、ただ戦うために戦うって…できないみたいなの…私たちはね、愛する人のためにしか戦わないわ…特に、ジョーは」
でも、きっと、それって…兵器としては、致命的な欠点よね…?
だから私たち、できそこないの試作品…なんて言われるんだわ。
天井を見上げて、真顔で首を傾げるフランソワーズに、マユミはくすっと笑った。
「ありがとう…003…いいえ…あの…」
「フランソワーズ…よ」
「フランソワーズ…ありがとう」
もしかしたら、あなたも…言いかけて、マユミは口を噤んだ。
吸い込まれそうな、青く澄んだ瞳。
あの人は…いつも寂しそうだった。
いつも遠くを見つめていた。
あの人が好きだったのは、晴れた日の海と空。
焦がれるように、食い入るように…いつまでも…見つめていた。
どこまでも青い…青い海と空。
6
レバンは、感謝に満ちたまなざしでジョーを見つめた。
「ありがとう…君のことは…忘れない」
ジョーはうなずいて、差し出された手をしっかりと握り、マユミに目を移した。
「…さようなら…ジョー」
彼女は、すっと背伸びをした。
…かすかに、ふれあったくちびる。
真っ赤になり、半ば飛び退くように身を引いたジョーに苦笑しながら、マユミはレバンを見上げた。
レバンは、微笑んだ。
「…じゃ…気をつけて。お幸せに」
やっとの思いでそう告げ、ジョーは二人に背を向け、歩きだした。
仲間たちが待っている。
くるっと振り返り、二人に軽く手を振った。
傷が癒えるのに、数日を要した。
無理をするからだ、とギルモアはさんざん小言を繰り返し、あらためてジョーに絶対安静を厳命した。
それを甘んじて受けるのは…さすがに退屈だったが。
逆らうわけにはいかなかった。
やっと短い散歩を許され、ジョーは庭に出て、大きく伸びをした。
よく晴れている。
ぐるっと辺りを見回した栗色の瞳が、明るく輝いた。
「フランソワーズ…!」
菜園でトマトを摘んでいたフランソワーズは、振り返り、目を丸くした。
「ジョー…動いても、大丈夫なの?」
「ああ…やっと博士のお許しが出たんだ」
…本当?と、疑わしそうに首を傾げると、フランソワーズはすぐに彼に背を向け、赤く熟れた実をまた一つ摘み取った。
「…おいし…そうだね」
「ええ…大人が丹精してる野菜だもの…昨日も食べたでしょう?」
「…う、うん…そうだった…かな?」
昨日、食事を運んできたピュンマが、そういえばそんなことを言っていたかもしれない。
…ふと気づいた。
彼女は一度も部屋に来なかった。
ということは。
ここに戻ってから、彼女と顔を合わすのは、これが初めてだ。
「フランソワーズ…」
なぁに…?
彼女は、真剣に熟れ具合を品定めしながら、歌うように応える。
「…あの…君に…お礼が言いたい」
手が止まった。
振り返った青い瞳が、まっすぐにジョーを見る。
「…ありがとう…フランソワーズ」
「なに…が?」
…わからない。答えられない。
だが、ジョーはもう一度、繰り返した。
「ありがとう」
フランソワーズは瞬きした。
なぜか、熱くなる頬にたじろぎながら、ジョーは付け加えた。
「それから……ごめん」
不意に、フランソワーズがくすくす笑い出す。
一気に緊張が解け、ジョーは深いため息をついた。
「どうしたの、ジョー…何が、ごめん、なの…?」
「…その…わからないけど…ごめん」
「何よ、それ…!」
楽しそうに笑ってから、フランソワーズはふと表情を引き締めた。
澄んだ瞳に、冗談ともホンキともつかない光が宿る。
「…許してあげるわ…でも、これっきりよ」
「…え?」
「いい?」
見つめられ、ジョーは即座に何度もうなずいた。
フランソワーズが声を上げて笑った。
山盛りになったトマトの籠をもたされたジョーは、踊るように歩くフランソワーズの後を少し遅れて追いながら、空を見上げた。
眩しい、夏の日差し。
「フランソワーズ!」
立ち止まったフランソワーズに足早に近付く。
「…走りに行こうよ、ちょっと遠くまで…!」
「何言ってるの、ジョー…まだ安静に…」
「大丈夫だよ…」
言うなり、ジョーは駆けだした。
赤い実が一つ、籠から転がる。
フランソワーズはまたくすっと笑った。
空が…眩しい。
「早く…早くおいでよ…!」
トマトの籠を適当に台所口に放り出し、振り返ったジョーが呼ぶ。
フランソワーズは、かがんで、彼が落とした実を拾っていた。
「そんなの、いいから…!ガレージで待ってるよ!」
立ち上がったフランソワーズは、両手でもったトマトにそっと白い歯をあてた。
ジョーがまた振り返り、もどかしそうに手招きする。
軽いスキップに、亜麻色の髪が揺れる。
フランソワーズは少しずつ足を速めていった。
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