1
毎日届け物があるから、部屋を空けられない。
夕方、ドイツからワインが一本届いた。
テーブルを拭き、戸棚をかき回してオープナーを探し出す。
ソファに放り出してあるのは、アリゾナから届いた妙な香りのするリース。
張々湖飯店特製と銘打たれていた冷凍餃子を焼き、ピュンマから届いた白い皿に並べる。
この前、この部屋に寄ったとき、ピュンマ…呆れていたからな。
「ジェット、キミのところにはマトモな食器一枚ないのか?」だと。
小姑みたいなヤツだ。
ロンドンからはカードだけ。
また、貧乏してやがるのか、それとも無精者なのか…両方だな。
研究所から来た包みは、老人とその孫…にしか見えないだろう二人がこしらえた、超小型ロボット。
ネズミに似た…どうやら、ペットロボット…ということらしい。
分厚い説明書がついている。
誰が読むと思ってるんだ、こんなもの。
ため息をつき、さっき着替えたばかりの真新しいセーターをひっぱる。
元はと言えば、みんなお前のしわざだ。
俺は、こんな日があることなんて忘れていた。忘れようとしていた。
努力の甲斐あって、気持ちよくすっきり忘れていたのだ。長い間。
あの女、どこからどうやって調べやがったか、見当もつかないが。
数年前。
寒々とした朝だった。
彼女は唐突に言った。
「お誕生日おめでとう、ジェット!!」
何が起きたのか把握するより早く、仲間たちからの祝福を嵐のように浴びていた。
烈しい戦いの日々にあって…場違いな陽気なひととき。
悪くなかった。
それはそれで…な。
だからといって、毎年毎年…
どこにいようが。戦っていようが平和だろうが。
この日がくるたびに、こんなコトになろうとは。
はっきり言ってめんどうだぞ、フラン。
迷惑…とまでは言わないが。
2
彼女からの包みは、いつも二つ。
一つは、他の仲間たちと同じ、普通のプレゼント。
今年は…小さな花瓶だった。
もう一つは、それより前にひっそりと。
ヒミツのプレゼントよ、と彼女は微笑む。
手編みのセーターだ。
複雑な編み込み模様は、毎年微妙にパターンが違っている。
彼女が組み合わせたパターンだという。
文字通り、世界に一枚しかない…セーター。
「いいのか?…ジョーにバレても?」
初めてそれを渡されたとき。
面食らった後、ようやくそう言ったジェットに、フランソワーズはこともなげにうなずいた。
もちろん、バラす気はないが。
洒落にならない。
彼女はわかっているのだろうか。
ジョーは、あれで…ヤキモチやきなところもある。
少なくとも、俺は…あいつが、こんなセーターを着てるトコロなんて、見たことがないぞ。
毎年贈られるセーターは、クローゼットの奥にしまい込んである。
一年に一度だけ…誕生日の夜…一人で部屋にいるときにだけ着る。
研究所にいるときは、それもムズカシイが。
ジョーに見つからないように…というのが何より肝心だ。
黙っていればフランの手製だとわからないかもしれないが…
だが、アイツ、妙にカンがいいからな。
とにかく面倒はゴメンだぜ。
そんなわけで、彼がそれを着た姿を見たものは、フランソワーズも含めて誰もいないはず。
彼女は、何も言わない。
着てくれ、とも言わない。
黙って…微笑んで、彼女は包みを渡す。
黙って受け取る。
会えないときは、こうやって包みが届けられる。
届いたという電話一本入れたことがない。
でも、毎年…セーターは一枚ずつ増えていく。
よくわからない女だ。
3
ふと、部屋の隅に丸めて放り投げたままの包み紙に目をやった。
シールに書かれた発送元は…日本。
日本…?研究所から…だったのか?
ジェットは眉を寄せ、あらためて包み紙を取り上げた。
ギルモア研究所から…発送されている。
フラン…日本にいるのか?
ってことは。
ジョーも…一緒のはずだ。
誕生日のプレゼントなんて、どうでもいい。
もともと、誕生日なんてモノは憂鬱だった。
俺は、そういう種類のコドモだった。
ソレは、ジョーも同じだ。
たぶん、だから。
あいつは、仲間の誕生日に疎い。
だが。
本っ当にカンだけはスルドイ奴なので。
主にフランソワーズの雰囲気から、何かがあることを敏感に悟り、心優しいリーダーは、彼女を追うようにして、あれこれと仲間のため、プレゼント選びに心を砕くことになる。
まだジョーからのプレゼントだけが、届いていなかった。
だから…フランソワーズは今、パリにいると、思いこんでいた。
ジョーは、フランソワーズが近くにいないときには、必ず遅れてプレゼントを届けてくる。
「ごめん…忘れてたんだ」
と、馬鹿正直な謝罪の言葉とともに。
フランソワーズも、ギルモアも、イワンも、プレゼントを届けてきた。
彼らが準備している雰囲気が、ジョーに伝わらないはずないし。
伝わっているなら、彼に限って知らんぷりするはずもない。
何か…あったのか?
周りの様子が目に入らないほど、気になることが…?
ジョーのカンは鋭い。
戦いの予兆を誰より早く感じ取るのも、彼だ。
眉を寄せ、時計を見上げる。
まさかとは思うが…
だが。
腰を上げ、受話器を取ろうとするのと同時に、ノックの音がした。
「………」
「こんばんは、ジェット…久しぶりだね」
あっけにとられているジェットに、ジョーははにかむような笑みを見せ、ポケットから包みを取り出した。
「誕生日、おめでとう…間に合ってよかった」
「……なに…?」
4
とりあえず、ビール。
焼き餃子を満足そうに味わっている少年に、ジェットは腕組みしたまま尋ねた。
「で…お前、結局、何しにきたんだ?」
「何って…コレを渡しに…だよ」
包みの中身は…小熊のカタチをした、ライター。
「………」
「フランソワーズがね、可愛いっていうから…ほら、コレがしっぽでさ…それで…」
「フラン……が…?」
不意に口ごもったジェットに、ジョーはふと顔をあげる。
「い、いや…なんだ…そうか、フン、あいつの見立て…か。相変わらずだな」
「相変わらず…って?」
「仲がおよろしい…ってことさ」
「…ジェット!!」
いつもと同じだ。耳まで赤くなった彼を用心深く見つめ、ジェットはこっそり深呼吸した。
…バレちゃいないよな…大丈夫。
「僕たちは、そんなんじゃないんだから…よしてくれよ」
「ふ〜ん、そうか?」
だったら…教えてやろうか?
このセーターは…
真剣な茶色の瞳を見つめ返し、ジェットは心で溜息をついた。
…やめとけ。くだらないコトは。
なんだかんだ言ったって、こいつらは…それは俺が一番よく知っている。
ジェットは立ち上がった。
ジョーに背を向け、ビールの缶を持ったまま窓辺に歩き、ブラインドを上げる。
…フランソワーズ。
あの頃…あの島を逃げ出したばかりの頃。
なかなか戦おうとしないジョーを、お前はムキになって庇った。
いや…そう思っていたのは俺だけだったのかもしれないが。
戦いたくない。
そんなことまで、お前は言うようになった。
決して言わなかったその言葉を。
ジョーに出逢ってから…お前は言うようになった。
そんなことを言ってどうする?
みんな、キモチは同じだ。だが、戦い続ける、それしかないだろう?
あの甘ちゃんにたぶらかされたか?
あいつは…まだ何もわかっちゃいない!!
青い瞳が、真っ直ぐに俺を見返した。
そうよ、あの人は…まだ何もわかっていない。
これから、どんなに長い烈しい戦いが…殺し合いが待っているのか。
そこから逃げることなんて…できはしない。
私たちは、所詮、兵器よ。
人間らしい心なんて…持っていられない。
そんなものにこだわっていたら、生きていられない。
長い長い間…いやというほどたたき込まれてきたわ。
私も…あなたも。
でも、私たちは…組織から逃げ出すことができた。
私たちに、それを教え込もうとする者はもういない。
だから、せめてあの人は…あの人だけは、このままにしておいてあげたいの。
あの人は、強いわ。
何もわかっていなくても…わからないままでも、きっと戦える。
生きのびていける。
いつか、そうできなくなるときがくるのだとしても、それまでは。
そのときまでは、あの人にうなずいていてあげたい。
戦いたくない…戦うのはいやだと…うなずいてあげたいの。
戦いたくないと叫びながら戦う。
殺したくないと叫びながら殺す。
終わりのない苦しみ。
お前は…ジョーに寄り添い、その苦しみを選び取った。
そして…俺たちも。
後悔はしていない。
だが。
ジョーが言うことといえば、いつもコレだ。
「ぼくたちはそんなんじゃない」
あのころからずっと…今でも。
いい加減聞き飽きたぜ。
お前の本音がどこにあるかぐらい、俺は知ってる。
だが。
お前がそうやってシラをきりとおすつもりなら。
最期の日までそう言い続けるつもりなら。
もし、もしそうなら…俺は。
「よく…似合ってるね」
「?!」
体が…動かない。
感じる。
向けた背に、ジョーの視線が突き刺さっている。
振り返ることができなかった。
静かな足音が近づく。
唇を噛み、さっと顔を上げ、窓に映る茶色の瞳を睨んだ。
…瞳は、穏やかだった。
「…知って…いたのか?」
ゆっくり振り返る。
「ついこの間…偶然」
ジョーは遠くを見ながら、つぶやくように言った。
「キミのために編んでるんだって…すぐわかったよ。なんとなく。」
5
手の込んだ編み込み模様。
戸口に突っ立っている僕にも、しばらく気づかず…彼女は一心に祈るように編んでいた。
やがて。
僕に気づいた彼女は…いたずらを見つかった子供のように微笑んだ。
「ジェットは…すぐどこかに飛んでいってしまうから…って…そう言ってた」
「…どこかに…飛んでいく?」
「うん…だから、こうやって…目印をつけておくんだって。どこにいても探し出せるように…って」
「…よくわからないな」
「…僕も」
ジョーは、肩をすくめるようにした。
「…でも」
息をつく。
「そうだなぁ…きっと、フランソワーズなら…探してくれるよ。キミがどこに行ってしまっても。」
そう思わない?
無邪気な問いかけに、ジェットは苦笑しながらうなずいた。
…そうかもな。
「ねえ…ジェット?」
「なんだ?」
「ほんとは…キミにはわかってるんじゃないのかい?彼女が…どうしてキミに、これを…」
思わずまじまじと、ジョーを見つめた。
真剣そのものの瞳。
突然声を上げて笑いだしたジェットに、ジョーは目を丸くした。
「ジェット…?」
「そ、そうだな…ああ、そうだ、わかってるとも…オレにはな…何たって、彼女とのつきあいは長い…オレにしかわからないことだって…あるさ」
茶色の眼に、一瞬、険しい光がよぎる。
怒らせちゃマズイが…どうにも笑いがとまらない。
そうか、そういうことか…それで、お前…わざわざここに来たってわけだな?
可愛いとこ、あるじゃねえか。
戦いの中で…僕とジェットが二人ともひどい傷を負ったことがあった。
僕が先に目覚めた。
僕の目に初めて入ったのは、彼女の涙と微笑。
彼女は僕を見つめ、黙ったまま僕の手を堅く握りしめた。
それから。
僕は浅い眠りに落ちた。
ふと眼を覚ましたとき、僕の傍らに、彼女はいなかった。
彼女は隣のベッドの脇に腰掛け、心配そうに…まだ目覚めないジェットを見つめていた。
こういうときは、どんなに疲れて眠っていても、僕の微かな気配にすぐ眼を開けて「どうしたの?」と聞いてくれる彼女が。
僕がそっと身じろいでも、体を静かに起こしても、気づかなかった。
僕の方を向いて座っているのに。
彼女は、ただ一心にジェットを見つめていた。
僕の知らない年月。
彼女と彼の上に流れた年月。
僕が生まれるより、もっと前に……
「気になるなら…彼女に聞いてみろよ。どういうつもりで…毎年、こんなもんをよこしてるのか」
「別に…!別に気になる…ってわけじゃ…!それに…こんなもん…って言い方、ひどいよ!フランソワーズ、本当に一生懸命…心を込めて編んでるんだぞっ!」
「…わかってるさ…そんなこと」
…う。
またおかしそうに笑うジェットに、ジョーは堅く唇を噛んだ。
聞いたけど…教えてくれなかったんだ。
これからも、きっと教えてくれない。
彼女の笑顔は、僕にそうハッキリ告げていた。
あの、眩しいほどの優しい笑顔。
「まぁ、そうとんがるなって、ジョー…飲もうぜ、この酒をよこしたヤツも…きっと俺たちと似たようなもんなんだろうしな」
「アルベルトが?…どういうことだよ?」
「いいから、飲もうって…!ナンだ、お前…俺様の誕生日を祝いに来たんじゃないのかよ?」
「…そ、それは…そうだけど…」
「だったら飲め…!ほらほら!」
ジョーをぐいぐい押し、無理矢理椅子に座らせると、ジェットはワインの栓を抜いた。
「乾杯だ、ジョー…俺様の誕生日と…我らが姫君の謎に…!」
「…ジェット…!」
どうしようもないな。
とにかく酔わせちまうか。困ったヤツだぜ。
それじゃ、乾杯しよう、フランソワーズ。
どこに飛ぼうが、俺は必ず戻ってくる。お前の…お前たちのところに。
こいつと同じさ。
俺には…目印が必要だと思ってるなら…それでもいい。
そんな必要ないんだが。
夜が明けたら、こいつをちゃんと送り届けてやるよ、お前のもとに。
だから…
だから、今夜は、俺の夢に降りてこい。
あのころのように。
俺たちが、まだ…ただの兵器だったころ。
僅かな夢をつなぎ合って生きたころのように…な。
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