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日常的009

兄妹
 
「兄さんみたいだった」と彼女は僕に言った。
 
僕も…僕には家族がいないからわからないけれど、妹がいたら…きっとこんな風なのかもしれない…と思っていた。いつの間にか。
女の子のことを、そんなふうに思ったのは初めてだった。
 
心配だから…かもしれない。
彼女の能力が攻撃されるようになってから、僕はどうしようもなく不安になっていた。
他の仲間も同じだったと思う。
 
敵は、彼女の索敵能力をまず潰そうとする。
目や耳への攻撃が、彼女を襲う。
なのに、彼女はいつも…ためらわずに、その攻撃の前に自分をさらすのだ。
 
彼女は…逃げたことがない。
その目が潰されるまで、敵を見つめ続け、耳が破られるまで、音源を探り続ける。
 
僕たちは、攻撃されれば、逃げる。
でも、彼女に逃げることは許されない。
そんなひどいことって、あるだろうか。
 
しかも…彼女には帰る場所がない。
あの日…クリスマスイブ、故郷に下り立った彼女は、昔の幻影を見せられたという。
 
彼女は…泣いていた。古い複葉機を見つめて。
なぜ泣いていたのか、僕は教えてもらえなかった。
聞いてはいけないような気がした。
 
戦いは容赦なく続く。
その果てに何があるのか、僕にはわからない。
彼女には、もっとわからないのかもしれない。
 
もういいよ、と言ってあげたい。
もう戦わなくていい…と。もう苦しまなくていいんだ、と。
でも…それはできない。
 
君は、苦しんでいる。誰にも言わない。言っても何にもならないから。
でも、君は、苦しんでいる。
 
君の頬は少しずつ青白くなっていった。
君の笑顔は…少しずつ翳りを帯びるようになった。
いつか、君は…全然笑わなくなってしまうかもしれない。
 
僕にできることは…君を苦しめる敵を倒すことだけ。
君に向けられる兵器を、一つ残らずたたきつぶす。
そいつらが、君を傷つける前に。
 
でも…それだけだ、僕にできることは。
それだけじゃ、君は笑ってくれない。
 
どうしたらいいのかわからない。
でも、このままではいられない。
 
フランソワーズ…僕は…どうしたらいい?
「兄さんみたいだった」と、君は僕に言った。
嬉しかった。
僕は、嬉しかったんだ。
だから…君を守ってあげたい。
君の兄さんがしたように。
 
 
 
守って…やりたかった。
守れると思っていた。
俺の…たった一人の妹。
 
あの日も寒かった。
でも、お前が…あのきらきら光る水面のところに行きたい、とせがんだので…俺たちはボートに乗った。
 
光る水面は、どこまで漕いでも逃げていく。当たり前だ。
でも、お前は嬉しそうに笑った。
光がどこまでも逃げていく、と言って笑った。
 
お前は珍しく髪を束ね、うしろでまとめていた。
理由はすぐわかった。
俺に…見せようとしていたんだ、金のイヤリング。
 
この間の、お前の誕生日…仕事で戻れなかった俺は、それを送った。
こんな、大人っぽい贈り物は初めてだと、お前は踊るような字で手紙を書いてきた。
 
よく、似合うよ…
すぐ言うと、お前は本当に嬉しそうに笑った。
そうだ。
たしかに…お前は大人になった。
もうすぐ…俺を離れていくのかもしれない。
 
そんなことを考えたのは、初めてだった。
 
どうして…あんなことになったのか、いま思うとわからない。
お前が、何かを見つけて、勢いよく頭を振り上げたとき…金色の小さな光が飛んだ。
 
あ、と声をあげ、お前はごく自然な動きで光の後を追い、それが落ちた水面に身を乗り出し、手を伸ばした。
 
危ない!
 
俺は思わず声を荒げ、お前を抱き留めた。
小さな光をおいかけ、お前がそのまま水底に沈んでしまうような気がした。
 
お兄ちゃん…
 
泣きそうな声でつぶやくと、お前は俺を見上げた。
潤んだ瞳。
片方だけになったイヤリング。
 
馬鹿、泣くな…また買ってやるから。
俺はお前を抱きしめ、そっと口づけした。
 
約束は…果たせなかった。
 
忘れていたわけじゃない。
でも…あの後のことは…よく思い出せない。
 
ようやく夢がかなうと、目を輝かせていたお前。
喜びと誇らしさと愛しさと…ありったけの想いをこめて、俺はお前を抱きしめた。
そして…それが最後だった。
 
あれから…どれだけの年月が流れたのか、俺にはわからない。
ただ、時が流れ…誰もがお前はもういないと言うようになった。
 
 
 
「本当に大丈夫…?ジャン…」
心配そうに尋ねるアンヌに、ジャンは柔らかい微笑を向けた。
「…大丈夫だよ…うまく言えないけどね…これで終わりにする」
「無理しないで…私は…」
本当は信じてる、と言いかけて、彼女は口を噤んだ。
もう何年も…何年になるかわからないくらい長い間、言えなかった言葉。
まだ言えない。
 
 
あの、愛らしかった少女。
恋人が、もしかしたら自分よりも愛おしんでいたかもしれない、彼の妹。
嫉妬したことも…あったと思う。
でも…もう、気が遠くなるほど昔のことだ。
 
半狂乱になった彼と一緒に、少女を捜し…嘆き、苦しんだ。
長い長い年月。
望みは年とともに薄れ、それでも妹を求め続ける兄を、人ははじめ憐れみ、やがて蔑んだ。
 
あいつと一緒にいても、君は幸せになれない。
そうささやく青年も一人や二人ではなかった。
…でも。
アンヌは、ジャンのもとを去らなかった。
 
確かに…あの人は、一生…このままなのかもしれない。
消えてしまった最愛の妹と一緒に…心を失って。
でも…私は、この人を去れない。
この人が…永遠に私を振り返ることが…なくても。
 
数日前、ジャンに呼び出され、プロポーズを受けた。
呆然とする恋人に、髪に白いものが混じり始めた彼は言った。すまなそうに。
 
僕は…君の知っているとおり、きっと、妹を忘れることができない。
こんな僕が、これ以上君を縛るのは…許されないことだとわかっている。
今までだって十分。
…でも。
 
口ごもった恋人の言葉を、アンヌは柔らかいキスで塞いだ。
 
 
これだよ、とジャンがそっと開いた手のひらを、アンヌはのぞきこんだ。
「…イヤリング…?」
「ああ…妹の…18の誕生日に贈ったんだ…」
「片方だけ…なの?」
ジャンはうなずいた。
「もう片方は…この川の底に沈んでいる」
 
妹と暮らした、あの部屋を引き払うとき…たった一つ手元に残した、彼女の形見。
片方だけになったイヤリングが、大事そうに小箱にしまわれていた。
いじらしくて…また泣いた。
 
「返してやろうと…思うんだ、ここに…フランソワーズに」
「…」
アンヌは黙ってジャンを見つめた。
彼が妹の名を呼ぶのを聞いたのは…久しぶりだった。
 
アンヌが止めようとしたとき…既に、ジャンは力一杯、腕を振り上げていた。
空に向かって、高く上がっていく金色の光。
二人の上で、それは日差しと一つになって強く輝いた。
 
…消えた…?!
 
アンヌは呆然と目を見開き、素早く水面を見た。
水面に波紋はない。
 
…そんな…ことって…
 
同じように身をこわばらせて宙を見つめ、水面を見下ろしていたジャンが、やがて、ゆっくり振り返った。
 
「生きているわ!」
 
口をついて、出た言葉。
ジャンが息を呑み、大きく目を見開いて見つめている。
 
「フランソワーズは、生きているわ…どこかで…幸せに…!」
 
自分が何を言っているのか、わからないまま、アンヌは叫ぶように言い切った。
 
…言ってしまった。
長い間…言えなかった言葉。
苦しそうなあなたの背中を見つめ続けて…何度も心で繰り返した言葉。
 
本当にそうなら…どんなにいいだろう。
でも、あまりに空々しくて…言えば、いたずらに悲しみが増すようで。
…言えなかった。どうしても。
 
ジャンの目に涙が溢れた。
引かれるように近づくアンヌを、息がとまるほど抱きしめ、ジャンは声を上げて泣いた。
 
そうだ、生きている…お前は、生きているんだ…!
どこかで…幸せに…
 
俺は信じている…こんなに、信じている。
 
多分…俺はお前に二度と会えないだろう。
でも、フランソワーズ…俺は知っている。いつもわかっている。
お前の笑顔…幸せそうなお前の笑顔が、俺には見える。
 
フランソワーズ…俺が信じている限り、お前は…
 
お前は生きている。
どこかで、幸せに生きている。
…どこかで。
 
 
 
烈しい戦いが終わった。
003は、また敵の攻撃にさらされ、聴力を失った。
その瞬間の、鋭い悲痛な叫びが胸から離れない。
 
コクピットの座席で、ぐったりした彼女に、009は駆け寄り、抱き上げた。
「持ち場を離れるな、009!」
するどい声。008だ。
彼だってつらい。みんな気持ちは同じだ。
わかってる。でも。
 
009は黙って彼女を抱いたままキャビンへ走り、ベッドに寝かせてから、駆け戻った。
 
…意識は戻った、とギルモアは言う。
だが、彼女はキャビンから出てこなかった。
治療を怖がっている…と、ギルモアはつらそうに告げた。
 
「無理もない…今まで、がんばりすぎるほどがんばってたものな、003…」
008がため息とともに言った。
「治したところで、またやられるだけじゃから…聴覚への攻撃は…かなりの苦痛じゃろう…可愛そうに…」
 
でも…
だからといって、いつまでもこのままではいられない。
それは、彼女自身が一番よくわかっている。
 
入ろうかどうしようか、ためらう009の前で、キャビンのドアが開いた。
青白い顔の003が立っている。
思わず、両肩を支えるように抱いた。
 
ありがとう、009…もう大丈夫よ…ごめんなさい。メディカル・ルームに行くわ…
 
通信。
慌てて返した。
 
僕も、一緒に行くよ…!つかまって…!
 
003は微笑んで首を振り、009の腕をそっとはずした。
 
「…フランソワーズ」
 
つぶやきは…彼女の耳に届いていない。
ゆっくり歩く細い背中を食い入るように見つめ、009は心で叫んだ。
 
ダメだよ、フランソワーズ!こんなことしてたら…君は、壊れてしまう…!!
 
「…どう…して…っ!」
唇が震える。
009はふと自分の手のひらを見つめた。
 
血に染まった手。
この手で…何ができる…?
君を支えることなんて…君の苦しみを受け止めることなんて…できない。
 
でも、僕がやらなかったら…
僕がやらなくちゃいけない…やりたいのに。
このままじゃ、君は壊れてしまう。
壊れていく君をただ見ているだけなんて…いやだ。
そんなの、絶対に…!
 
「009…」
 
頭の中に声が響いた。
 
「001…?」
「心配かい?…003のこと」
「あ、当たり前だろっ?…君は心配じゃないのか?…いつも、あんなに…だっこしてもらったり、優しくしてもらったり…」
「フフ…しょうがないじゃないか、ボクは赤ん坊なんだよ?…いや、そんなこと今はいいか」
「そうだ…キミの力で、何とかしてあげられないのか?キミは心を…」
「操作できる…たしかにね。でも、それじゃ解決にならない…大丈夫、キミが考えてるより、彼女は強いよ」
「…キミの…言いそうなことだ!」
「あ…!待ってよ、009…まだ用はすんでないってば」
 
苛立たしげに振り返る009を、001は、からかうように見つめた。
 
「手を、開いて」
 
そういわれると、素直に手を開く009に、思わず吹き出しそうになる。が。
これ以上怒らせたら、まずい。
 
「え…?」
金色の眩しい光に、009は目を細めた。
次の瞬間、手のひらに、冷たいものが落ちた。
 
「…これは…イヤリング?」
「それを…003に渡して」
「…何なんだ、これ?」
「見てのとおりさ」
「だから…!」
「イヤなら、捨てればいい…でも、たぶん…それを渡してあげたら、彼女は元気になるよ…キミの手から…渡してあげるんだ」
 
それ以上の質問を拒否するように、001は姿を消した。
思わず舌打ちしながら、009は手の中のイヤリングを見つめた。
 
わけがわからない。
何て言って渡せばいいんだろう…?
第一、片方だけ…なんて。
 
…何でもいい。とにかく、急ごう!
009はぎゅっとイヤリングを握りしめ、足早にメディカルルームへ向かった。
 
 
 
「ねえ、フランソワーズ…?」
耳元でささやかれ、目を開ける。
茶色の瞳が、何やら妙な光をたたえている。
 
「どうしたの、ジョー…?」
ほとんど同時に、彼の手が胸に伸びるのを感じ、フランソワーズはきゅっと目を閉じた。
「もう…もう、今日はダメよ…!…ジョー?」
「…これ」
 
ジョーの指に、金の鎖が軽く巻き付いている。
その先に、奇妙な形の金のヘッド。
「はずしてよ、このネックレス」
「…イヤ。前も言ったでしょ…それ、私のお守りなの」
「ボクが嫌いだって言っても?…こうしてるときくらい、はずしてくれてもいいじゃないか…お守りなんていらないだろ?」
 
こうして…ボクがいるのに…
堅く抱きしめられて、フランソワーズはくすっと笑った。
 
「ダメよ…どうして嫌いなの、ジョー?」
「どうしても…!なんか、アヤシイし…なんだよ、この変な形…?」
「そういう形になっちゃったんだもの…しかたないわ」
「…誰に…もらったんだ?」
 
え…?
 
思わずまじまじと見返されて、ジョーは顔を赤くした。
 
「自分で買ったんじゃないだろ?…作った…みたいに見えるし。誰にもらったんだよ…!」
「…やだ…ジョーったら…!」
「な、なんだよ、笑うなよ…!イヤなんだ、いっつもキミの…ココにコイツがあるって思うと…ボクが会えないときもずっと…!」
「会えないときなんて、ほとんどないじゃない…」
「でも、コイツはいつもキミと一緒だろ?」
「…おかしなジョー…!」
 
とうとう声を上げて笑い出したフランソワーズに、ジョーは悔しそうに唇を噛み…やがて、力任せに彼女を組み伏せた。
 
「いいよ、じゃ…このままで…!」
 
ほんとに…わからないのかしら、ジョー…?
 
ムキになって胸に顔を埋める彼の髪を、フランソワーズはそっと指で梳いた。
 
あなたが…くれたのに…炎の中から…
私の宝物だから…って。
攻撃を受け、燃え上がった研究所に…無理に取りに戻って。
 
「…ごめん…こんなに…なっちゃった」
悲しそうに、すまなそうにつぶやく彼の手の中に、熱と衝撃で歪んだあのイヤリングがあった。
 
あのときは…ホントにあなたを殴ってやりたかったわ。
もう少しで命を捨てるところだったのよ、こんなもののために…
 
なのに、もう、すっかり忘れてしまってるなんて。
ほんとに…
 
ほんとに、おかしな人…あなたって。
ジョー…でも…
 
…愛してる。
 
ぷつっ…と小さな音に、フランソワーズは目を開けた。
「…ア?」
ジョーが鎖を引きちぎり、ネックレスを床に投げ捨てていた。
 
…しかたのない人ね…
フランソワーズは微笑み、熱い唇を優しく受け止めた。
 
「愛してる…愛してるよ」
 
どこか懐かしい…遠い声。
素直にうなずいた。
わかってるわ…わかってる…愛しているわ。
 
どこにいても…どんなときも、私たちは…一緒よ。
 
 
更新日時:
2002.01.24 Thu.
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Last updated: 2013/10/17