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日常的009

夜明け
真っ赤に染まった西の空が、少しずつ暗くなり、色を変えていく。
足元に寄せる波は優しい。
背中で、足音がしたような気がして、僕は振り返った。けれども。
誰もいない。
当たり前だ。
 
僕は、彼女を殺そうとした。
 
 
001が目を覚まし、迫りくる敵のミサイルの進路を変え、反転させた。
あっという間に敵艦隊が全滅した後。
僕は、ただナビゲーターの彼女に言われるまま、ドルフィン号を操っていた。
何も考えられなかった。
 
無事目的地に到着し、新しい研究所の設置が終わった直後、一人で、ギルモア博士に呼ばれた。
ものすごく叱られた。
 
 
僕たちは、敵の目を盗んで、研究所を新しい場所に移そうとしていた。
 
しかし、移動中の研究所は敵の大艦隊に発見され、容赦ない攻撃にさらされた。
僕たちは必死で戦った。
ほとんど勝つ見込みなどない戦いだった。
 
やがて。死角から研究所に向けて、何発ものミサイルが発射された。
……僕たちの作戦は失敗した。
 
だったら、考えるべきは…
博士はじっと僕の目を見つめ、言った。
どうやって生き残るか。
それだけだ。
 
004は、戦いの前…命を捨てて研究所を守り抜き、戦いぬくだけ…!と言い切った。
気持ちはそれでいい。
でも…お前はリーダーだ。
 
我々が持っていたまともな攻撃手段はドルフィン号の武器だけ。
そのドルフィン号でミサイルに体当たりして…その後、どうなると思っていたのか?
まだ、十分な攻撃力を持つ敵艦隊を前に、研究所本体と、我々を残して、どうするつもりだったのか?
 
研究所を捨てるべきだった。それしかない。
研究所をあきらめ、研究所を至近距離で守っていた仲間の命をあきらめ、ドルフィン号で戦えば…もしかしたら、数名が生き残るチャンスだけはあったかもしれない。
 
お前が選んだのは、全滅への道だ。
 
僕が考えていたのは一つのことだけ。
研究所がやられる。
それだけはあってはならなかった。
だから、僕は……
 
「もちろん…お前がああして、わしらの心を激しく揺さぶったために…001が目覚めた…のかもしれん…我々を救ったのは、やはり、お前なのじゃろうて…しかし、ジョー…もっと自分を大切にしなさい」
 
 
博士は、「そのこと」についてだけは、責めなかった。何も言わなかった。
言えば、僕を打ちのめすと、知っていたから。
博士はうなだれた僕の肩を優しくたたいた。
 
そうだ。
誰も何も言わないだろう。
誰も僕を責めないだろう。でも。
 
僕は…フランソワーズを殺そうとした。
 
 
「どうするつもりなの…ジョー?」
君の声は少し震えていた。
僕は…僕は、苛立っていたのかもしれない。
どうするつもりか、だって…?できることは一つだけだ!
 
「ミサイルに、体当たりする…!ほかに、方法はない」
君は息をのみ、小さく僕の名を呼んだ。
躊躇している暇などない。
僕は思いきり操縦桿を引き、つぶやいた。他に言うべきことがなかったから。
 
「許してくれ、フランソワーズ…!」
 
ミサイルが迫ったとき、僕の背中に、柔らかい暖かいものが触れた。
君の髪の匂い。
でも、もう何もできない。君を守ることも…
目を閉じた僕の肩を、君の手が強く、優しく抱いた。
 
目を開けたのは、君が先だった。
「ミサイルが…離れていくわ…」
001…だ。
ふと、離れそうになる君の手を…僕は思わず握っていた。
怖かった。
 
「はい、怪我はありません…ドルフィン号にも、異常ありません…」
博士に応答する君の声が、僕を現実に引き戻した。
君はいつのまにか自分の席に座り、てきぱきと計器をチェックしている。
 
「…ジョー、発進できるわ…敵も全滅しているし…急いで、今のうちよ」
いつもと同じ、君の凛とした声。
僕は操縦桿を握り直した。
君の顔を見ることはできなかった。
 
 
001は、作戦立案のあと、疲れ切っていた。
激しい戦いの間も、眠り続けていた。
 
博士が言ったとおり…僕たちと、僕たちを気遣うみんなの強い感情のためだろう。
深い眠りから無理矢理引き戻されて、目覚め、そして、すさまじい超能力を使い…
 
…イワンは…大丈夫かしら…?
君は、独り言のようにつぶやき、とても心配そうに、001のいる船外機の方を何度も振り返った。
目的地につき、博士たちと合流すると、君はすぐ001のもとに駆けつけた。
 
 
僕は、何を守ろうとしていたんだろう。
 
あのときの僕に、他の方法はなかった。
それは間違いない。
僕は…ああするのが僕の務めだと…信じた。
でも、僕の傍らには…君がいた。いつものように。
 
「許してくれ、フランソワーズ…!」
 
自分の声が蘇る。
違う。
許してくれと、頼んだわけじゃない。
だって、わかっている。僕にはわかっていたんだ。
 
君は…許してくれる。
君だけは、いつでも僕を許してくれる。
 
だから、僕は…
君を殺そうとした。
 
 
いつのまにか、辺りは夕闇に包まれている。
まもなく、ミーティングの時間だ。
ここに移って、はじめて、全員が落ち着いて顔をそろえることになる。
 
 
僕の傍らには…きっと君がいるだろう。
いつものように。
 
僕は…何を望んでいる?
 
君に許してほしいのか。
それとも…許さないでほしいのか。
 
 
ジョーはふと振り返り、そのまましばらく立ち尽くしていた。
やがて、彼はゆっくりと研究所に向けて歩き始めた。
 
 
 
安らかな寝息を立てるイワン。
…ありがとう…
抱きしめて、囁いた。
 
海中で始まった、激しい戦闘。
武装強化したドルフィン号が、本格的な戦闘をするのは初めてだった。
裸になった研究所を庇いながらの戦い。
そして…今、まともに戦えるのは…彼だけ。
 
彼は巧みに船体を操り、敵の大艦隊を少しずつ崩していく。
002や004がここにいてくれたら…もっと楽に戦えるはず。
彼らの代りは…とても私にはつとまらない。
私は、せめて彼の目と耳になろうと、必死だった。
 
「003、後ろは?!」
「大丈夫よ!」
「…くっ!…右側方?!」
「小型ミサイル一基…!004が落としたわ!」
 
少しずつ、私の索敵は遅れ始めていた。彼に「催促」されるようでは…
 
唇を噛んだとき。
船体が激しく揺れた。
大きな敵鑑が爆発した、その衝撃だった。
 
…研究所は…?
 
必死で船体を立て直そうとする彼。
咄嗟に研究所に気をとられた私。
一瞬の、隙ができた。
 
下方で、鈍い音。
私はハッと息を呑んだ。
不吉な…予感。
 
「下で、何か音が…」
「何…?」
 
彼の横顔がさっと緊張する。
次の瞬間。
私は絶望を…見た。
 
「ジョー、下から…ミサイルが!」
 
研究所めがけて、ミサイルは発射されてしまった。
何も遮るもののない海中を、凄まじいスピードで迫ってくる。
 
私は…彼を見ていた。
どうすることもできないのに。
ただ、すがるように彼を見ていた。
 
そのとき。
彼が動いた。
 
少しも迷わずに、素早く操縦桿をとる。
無言の、流れるような操作。
 
彼は…諦めていなかった。
でも。
何ができるの?…いったい…あなたは…
 
「…どうするつもりなの…ジョー?」
「…ミサイルに…体当たりする…!」
 
静かな声。
 
「ほかに、方法はない」
 
そ…う…。
たぶん、そうだわ。
あなたが…そう言うのなら。
 
ジョー…
 
すっと肩の力が抜けていく。
ここで…終わるのね。
あなたが…ピリオドを打ってくれる。
 
「許してくれ、フランソワーズ…!」
 
私はハッと顔を上げた。
僅かに脂汗がにじむ額。
堅くかみしめた唇。
 
ジョー…?
 
声にならなかった。
いつのまにか、私はすべてを彼にゆだねていた。
戦いも、苦しみも…死の決断も。
彼は、たった一人で…その重みに耐えている。
この、最期の時に。
 
違うわ、あなたのせいじゃない。
私が…油断したから…
いいえ、そうじゃない…そういうことじゃないわ!
 
私は立ち上がって彼に駆け寄り、その両肩を抱きしめた。
できることは…それだけだった。
 
…イワン…
助けてくれて、ありがとう。
あのまま終わりになっていたら…間に合わなかった。何もかも。
あの優しい人を、あんな風に死なせてしまうところだった。
 
でも。
どうしたらいいのか…わからない。
ジョーは…あれから、私を見ない。
 
あなたのせいじゃなかったと…言えばいいの?
いいえ。
あなたは、自分をごまかしたりしない。
 
私の命はあなたのものだと…言えばいいの?
いいえ。
あなたは、その重さに苦しんでいるのに。
 
一人で苦しまないで、私にも重荷を分けて…と言えばいいの?
いいえ。
私に、その荷物は背負えない。
私には、あなたのように戦う力がない。
 
それなら。
あなたをこれ以上苦しめないため、私にできることは…
もしかしたら、一つだけ。
 
あなたの傍らから…去ればいいの?
…たぶん、そうだわ…でも。
 
それは……できない。
 
フランソワーズはふと時計に目をやり、イワンを抱いて立ち上がった。ミーティングの時間だった。
 
 
 
会議室の前で、彼女と鉢合わせした。
彼女は、黙って微笑み、僕の傍らに並んだ。いつものように。
 
ミーティングの後、僕はまた砂浜に降りた。
満天の星。
繰り返す波音。
やがて。
僕はなるべく静かに、なるべくゆっくりと言った。
彼女を脅かさないように。
 
「フランソワーズ…そこに…いるんだろう…?」
 
軽い足音がちかずく。一歩ずつ…
そして、僕の背中から五,六歩のところで、足音は止まった。
いつものように。
僕は振り返った。
 
君が、微笑んでいる。
 
僕たちはそのまま黙ってお互いを見つめていた。
 
君が、ふと、右手を差し伸べる。
引き寄せられるように、僕がその手をとると、君はもう片方の手をそっと重ねた。
 
君の瞳の奥に、強く輝く星。
君は黙っている。微笑んでいる。僕を見つめている。
視線を君にとらえられたまま、僕は、僕の声をただ聞いていた。
 
「…僕は…君を、殺そうとした」
 
君が微かにうなずく。
星の光が、僕をうながす。
 
「言い訳はしない…それが、僕のさだめだから」
 
君の両手から、暖かいものが溢れ、僕を包んだ。
声が震える。でも、僕は懸命に続けた。
 
「これから、ますます戦いは激しくなる…僕たちは、使命を果たさなければならない…僕は、また君を殺そうとするかもしれない…いや、いつかきっと、僕は君を殺す、世界を守るために…!」
 
喉がつまり…僕は口を噤んだ。
震える僕に、静かな声が降る。
 
「…それで、いいの…それが…私のさだめだから」
 
晴れやかな微笑。
君は、もう帰りましょう、と囁いて、軽々と砂浜を駆けていった。
やがて立ち止まり、僕を振り返る。
 
「ジョー!」
 
僕も駆けだした。
フランソワーズ、今、君に言えなかったことがある。
僕は、いつかきっと君を殺すだろう、世界を守るために。
それが、僕のさだめならば。
…でも。
 
そうして守った世界で、僕が生きていくかどうかは…僕が決める。
 
ジョーは明るい笑い声を立ててフランソワーズに追いつくと、彼女の手を引いて走り始めた。
 
これは君には内緒だ、絶対に…!
なぜなら僕は……君の言葉に逆らうことなんて、できないのだから。
 
息をきらしながら、フランソワーズが笑う。童女のように。
 
それでも、僕たちは今、この夜を越えることはできるだろう。
明日も…明後日も…その次も。
フランソワーズ、僕たちは、できるだけたくさんの夜を越えよう。
できるだけたくさんの朝日を…一緒に見よう。
だから、僕たちは戦える。
 
それが…僕たちのさだめだから。
 
更新日時:
2001.11.30 Fri.
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Last updated: 2013/10/17