真っ赤に染まった西の空が、少しずつ暗くなり、色を変えていく。
足元に寄せる波は優しい。
背中で、足音がしたような気がして、僕は振り返った。けれども。
誰もいない。
当たり前だ。
僕は、彼女を殺そうとした。
001が目を覚まし、迫りくる敵のミサイルの進路を変え、反転させた。
あっという間に敵艦隊が全滅した後。
僕は、ただナビゲーターの彼女に言われるまま、ドルフィン号を操っていた。
何も考えられなかった。
無事目的地に到着し、新しい研究所の設置が終わった直後、一人で、ギルモア博士に呼ばれた。
ものすごく叱られた。
僕たちは、敵の目を盗んで、研究所を新しい場所に移そうとしていた。
しかし、移動中の研究所は敵の大艦隊に発見され、容赦ない攻撃にさらされた。
僕たちは必死で戦った。
ほとんど勝つ見込みなどない戦いだった。
やがて。死角から研究所に向けて、何発ものミサイルが発射された。
……僕たちの作戦は失敗した。
だったら、考えるべきは…
博士はじっと僕の目を見つめ、言った。
どうやって生き残るか。
それだけだ。
004は、戦いの前…命を捨てて研究所を守り抜き、戦いぬくだけ…!と言い切った。
気持ちはそれでいい。
でも…お前はリーダーだ。
我々が持っていたまともな攻撃手段はドルフィン号の武器だけ。
そのドルフィン号でミサイルに体当たりして…その後、どうなると思っていたのか?
まだ、十分な攻撃力を持つ敵艦隊を前に、研究所本体と、我々を残して、どうするつもりだったのか?
研究所を捨てるべきだった。それしかない。
研究所をあきらめ、研究所を至近距離で守っていた仲間の命をあきらめ、ドルフィン号で戦えば…もしかしたら、数名が生き残るチャンスだけはあったかもしれない。
お前が選んだのは、全滅への道だ。
僕が考えていたのは一つのことだけ。
研究所がやられる。
それだけはあってはならなかった。
だから、僕は……
「もちろん…お前がああして、わしらの心を激しく揺さぶったために…001が目覚めた…のかもしれん…我々を救ったのは、やはり、お前なのじゃろうて…しかし、ジョー…もっと自分を大切にしなさい」
博士は、「そのこと」についてだけは、責めなかった。何も言わなかった。
言えば、僕を打ちのめすと、知っていたから。
博士はうなだれた僕の肩を優しくたたいた。
そうだ。
誰も何も言わないだろう。
誰も僕を責めないだろう。でも。
僕は…フランソワーズを殺そうとした。
「どうするつもりなの…ジョー?」
君の声は少し震えていた。
僕は…僕は、苛立っていたのかもしれない。
どうするつもりか、だって…?できることは一つだけだ!
「ミサイルに、体当たりする…!ほかに、方法はない」
君は息をのみ、小さく僕の名を呼んだ。
躊躇している暇などない。
僕は思いきり操縦桿を引き、つぶやいた。他に言うべきことがなかったから。
「許してくれ、フランソワーズ…!」
ミサイルが迫ったとき、僕の背中に、柔らかい暖かいものが触れた。
君の髪の匂い。
でも、もう何もできない。君を守ることも…
目を閉じた僕の肩を、君の手が強く、優しく抱いた。
目を開けたのは、君が先だった。
「ミサイルが…離れていくわ…」
001…だ。
ふと、離れそうになる君の手を…僕は思わず握っていた。
怖かった。
「はい、怪我はありません…ドルフィン号にも、異常ありません…」
博士に応答する君の声が、僕を現実に引き戻した。
君はいつのまにか自分の席に座り、てきぱきと計器をチェックしている。
「…ジョー、発進できるわ…敵も全滅しているし…急いで、今のうちよ」
いつもと同じ、君の凛とした声。
僕は操縦桿を握り直した。
君の顔を見ることはできなかった。
001は、作戦立案のあと、疲れ切っていた。
激しい戦いの間も、眠り続けていた。
博士が言ったとおり…僕たちと、僕たちを気遣うみんなの強い感情のためだろう。
深い眠りから無理矢理引き戻されて、目覚め、そして、すさまじい超能力を使い…
…イワンは…大丈夫かしら…?
君は、独り言のようにつぶやき、とても心配そうに、001のいる船外機の方を何度も振り返った。
目的地につき、博士たちと合流すると、君はすぐ001のもとに駆けつけた。
僕は、何を守ろうとしていたんだろう。
あのときの僕に、他の方法はなかった。
それは間違いない。
僕は…ああするのが僕の務めだと…信じた。
でも、僕の傍らには…君がいた。いつものように。
「許してくれ、フランソワーズ…!」
自分の声が蘇る。
違う。
許してくれと、頼んだわけじゃない。
だって、わかっている。僕にはわかっていたんだ。
君は…許してくれる。
君だけは、いつでも僕を許してくれる。
だから、僕は…
君を殺そうとした。
いつのまにか、辺りは夕闇に包まれている。
まもなく、ミーティングの時間だ。
ここに移って、はじめて、全員が落ち着いて顔をそろえることになる。
僕の傍らには…きっと君がいるだろう。
いつものように。
僕は…何を望んでいる?
君に許してほしいのか。
それとも…許さないでほしいのか。
ジョーはふと振り返り、そのまましばらく立ち尽くしていた。
やがて、彼はゆっくりと研究所に向けて歩き始めた。
安らかな寝息を立てるイワン。
…ありがとう…
抱きしめて、囁いた。
海中で始まった、激しい戦闘。
武装強化したドルフィン号が、本格的な戦闘をするのは初めてだった。
裸になった研究所を庇いながらの戦い。
そして…今、まともに戦えるのは…彼だけ。
彼は巧みに船体を操り、敵の大艦隊を少しずつ崩していく。
002や004がここにいてくれたら…もっと楽に戦えるはず。
彼らの代りは…とても私にはつとまらない。
私は、せめて彼の目と耳になろうと、必死だった。
「003、後ろは?!」
「大丈夫よ!」
「…くっ!…右側方?!」
「小型ミサイル一基…!004が落としたわ!」
少しずつ、私の索敵は遅れ始めていた。彼に「催促」されるようでは…
唇を噛んだとき。
船体が激しく揺れた。
大きな敵鑑が爆発した、その衝撃だった。
…研究所は…?
必死で船体を立て直そうとする彼。
咄嗟に研究所に気をとられた私。
一瞬の、隙ができた。
下方で、鈍い音。
私はハッと息を呑んだ。
不吉な…予感。
「下で、何か音が…」
「何…?」
彼の横顔がさっと緊張する。
次の瞬間。
私は絶望を…見た。
「ジョー、下から…ミサイルが!」
研究所めがけて、ミサイルは発射されてしまった。
何も遮るもののない海中を、凄まじいスピードで迫ってくる。
私は…彼を見ていた。
どうすることもできないのに。
ただ、すがるように彼を見ていた。
そのとき。
彼が動いた。
少しも迷わずに、素早く操縦桿をとる。
無言の、流れるような操作。
彼は…諦めていなかった。
でも。
何ができるの?…いったい…あなたは…
「…どうするつもりなの…ジョー?」
「…ミサイルに…体当たりする…!」
静かな声。
「ほかに、方法はない」
そ…う…。
たぶん、そうだわ。
あなたが…そう言うのなら。
ジョー…
すっと肩の力が抜けていく。
ここで…終わるのね。
あなたが…ピリオドを打ってくれる。
「許してくれ、フランソワーズ…!」
私はハッと顔を上げた。
僅かに脂汗がにじむ額。
堅くかみしめた唇。
ジョー…?
声にならなかった。
いつのまにか、私はすべてを彼にゆだねていた。
戦いも、苦しみも…死の決断も。
彼は、たった一人で…その重みに耐えている。
この、最期の時に。
違うわ、あなたのせいじゃない。
私が…油断したから…
いいえ、そうじゃない…そういうことじゃないわ!
私は立ち上がって彼に駆け寄り、その両肩を抱きしめた。
できることは…それだけだった。
…イワン…
助けてくれて、ありがとう。
あのまま終わりになっていたら…間に合わなかった。何もかも。
あの優しい人を、あんな風に死なせてしまうところだった。
でも。
どうしたらいいのか…わからない。
ジョーは…あれから、私を見ない。
あなたのせいじゃなかったと…言えばいいの?
いいえ。
あなたは、自分をごまかしたりしない。
私の命はあなたのものだと…言えばいいの?
いいえ。
あなたは、その重さに苦しんでいるのに。
一人で苦しまないで、私にも重荷を分けて…と言えばいいの?
いいえ。
私に、その荷物は背負えない。
私には、あなたのように戦う力がない。
それなら。
あなたをこれ以上苦しめないため、私にできることは…
もしかしたら、一つだけ。
あなたの傍らから…去ればいいの?
…たぶん、そうだわ…でも。
それは……できない。
フランソワーズはふと時計に目をやり、イワンを抱いて立ち上がった。ミーティングの時間だった。
会議室の前で、彼女と鉢合わせした。
彼女は、黙って微笑み、僕の傍らに並んだ。いつものように。
ミーティングの後、僕はまた砂浜に降りた。
満天の星。
繰り返す波音。
やがて。
僕はなるべく静かに、なるべくゆっくりと言った。
彼女を脅かさないように。
「フランソワーズ…そこに…いるんだろう…?」
軽い足音がちかずく。一歩ずつ…
そして、僕の背中から五,六歩のところで、足音は止まった。
いつものように。
僕は振り返った。
君が、微笑んでいる。
僕たちはそのまま黙ってお互いを見つめていた。
君が、ふと、右手を差し伸べる。
引き寄せられるように、僕がその手をとると、君はもう片方の手をそっと重ねた。
君の瞳の奥に、強く輝く星。
君は黙っている。微笑んでいる。僕を見つめている。
視線を君にとらえられたまま、僕は、僕の声をただ聞いていた。
「…僕は…君を、殺そうとした」
君が微かにうなずく。
星の光が、僕をうながす。
「言い訳はしない…それが、僕のさだめだから」
君の両手から、暖かいものが溢れ、僕を包んだ。
声が震える。でも、僕は懸命に続けた。
「これから、ますます戦いは激しくなる…僕たちは、使命を果たさなければならない…僕は、また君を殺そうとするかもしれない…いや、いつかきっと、僕は君を殺す、世界を守るために…!」
喉がつまり…僕は口を噤んだ。
震える僕に、静かな声が降る。
「…それで、いいの…それが…私のさだめだから」
晴れやかな微笑。
君は、もう帰りましょう、と囁いて、軽々と砂浜を駆けていった。
やがて立ち止まり、僕を振り返る。
「ジョー!」
僕も駆けだした。
フランソワーズ、今、君に言えなかったことがある。
僕は、いつかきっと君を殺すだろう、世界を守るために。
それが、僕のさだめならば。
…でも。
そうして守った世界で、僕が生きていくかどうかは…僕が決める。
ジョーは明るい笑い声を立ててフランソワーズに追いつくと、彼女の手を引いて走り始めた。
これは君には内緒だ、絶対に…!
なぜなら僕は……君の言葉に逆らうことなんて、できないのだから。
息をきらしながら、フランソワーズが笑う。童女のように。
それでも、僕たちは今、この夜を越えることはできるだろう。
明日も…明後日も…その次も。
フランソワーズ、僕たちは、できるだけたくさんの夜を越えよう。
できるだけたくさんの朝日を…一緒に見よう。
だから、僕たちは戦える。
それが…僕たちのさだめだから。
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