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日常的009

シバタくんと僕
 
彼女の耳に、新しいピアスが光っている…なんてことに僕は気づいていなかった。
教えてくれたのはジェットだ。
教えてくれたというか……つまり、彼はそれが僕からのプレゼントに違いないと勘違いして、僕を冷やかすツモリだったらしい。
だから、一体何の話だかわからず、きょとん、としている僕をぎょっとしたように彼は見つめ、やがて軽く舌打ちをしたのだった。
 
まるで僕が悪いことをしたみたいじゃないか。
勝手に勘違いして、勝手に冷やかして、勝手に気まずい思いをして…それで舌打ちされたんじゃ、なんだか割が合わない、という気がする。
 
だいたい、お前は彼女に無関心すぎるんだ…とジェットは文句を言い続けた。
大いに日々関心をはらっているつもりの僕は、それもやっぱり心外なのだけど、ここで議論をしても仕方ないと諦めた。
 
「じゃあ聞くが、お前はアイツの誕生日に何か気の利いたものをプレゼントしたのか?」
「…気が利いていたかどうかはわからないけど、プレゼントならしたよ」
「ほーう?」
「なんだよ…別にいいじゃないか、そんなこと」
「…嘘だな」
「はぁ?」
「俺を見くびるなよ。こっちに来て一週間になるが、アイツが新しいモノを身につけているのを見たことがねえ。あのピアスをのぞいて、だ」
「…どうしてアクセサリーって決めつけるかな」
「違うのか?…じゃ、何だよ?」
「ドライヤー」
「…なに?」
 
どうしてこんなことまで話さなくちゃいけないんだろうな、とちょっと苛々しながら、僕はていねいにジェットに説明した。
 
フランソワーズは、冬場になると、静電気でヘアスタイルがまとまらない、とよくこぼしていた。
だから、ソレを抑えることのできる装置をくっつけたドライヤーを作ったのだ。
結構喜んでもらえたと思う。
 
「作った…?お前が、か?」
「ウン。ベースは電器屋で買ったけど。ホントはそういうのって違法なのかな?でも、ウチで使う分にはかまわないと思って」
「…ああ」
「え?」
「アレ、か…!アイツが毎朝毎晩、がーがー鳴らしてやがる、アレ!」
「…そういうこと。たしかに騒音が問題だなあ…彼女は耳が鋭いから、なるべく抑えたかったんだけど…そのうち改善するよ」
 
ジェットはしばらく天井を仰ぎながら、何かぶつぶつ言い…やがて、わざとらしい溜息を深々とついてみせた。
 
「なあ、ジョー?お前は、ソレでいいのかよ?」
「…ソレで…って」
「そーやってお前が苦労して作ってやったドライヤーでめかしこんで、他の男からもらったピアスをつけて、嬉々として新年会兼バースデイパーティとやらに出かけていったんだぞ、アイツは!迎えの車を運転していたのも男だったよな、アイツなんじゃないのか、その、ピアス野郎は?」
「迎えにきてくれたのは、バレエのパートナーだ…とか言ってたなあ。それに、ピアスのことは本当にわからないって…あんまりしつこく言うと、怒られるぜ」
「怒られる…?」
「…そ。どんなときに怒るのか、僕にはちょっと読めないんだけど…とにかく、怒ると猛烈にコワイんだ、フランソワーズは」
「……」
 
よくわからないけど、ジェットがそれきり黙ってくれたので、僕はようやく読みかけていた雑誌に戻ることができた。
 
そうか、新しいピアスなんかしてたっけなあ…気づかなかった。
また怒られるかな。
 
そんなことをぼんやり考えていた。
 
 
 
フランソワーズが着飾っているのを眺めるのは好きだ。
本当にキレイだと思う。
 
で、大抵の男はやっぱりそう思うものらしいし、そうなると、親しくなったときには、彼女の身を飾る何かを贈ってみたくもなるのだろう。
その気持ちはよくわかる。
 
僕がそうしないのは…特に理由があってのことじゃない。
ただ、そうしたいとあまり切実に思わないから…だとしか言いようがない。
 
ジェットがフキゲンなまま自室へ上がってから、もうずいぶんたつ。
そろそろフランソワーズが帰ってくるころなんじゃないかと思ったから、僕はゆっくり外に出た。
 
県道から邸までは一本道だ。
星空を眺めながら、ぶらぶら歩いた。
ちょっと離れた所で、車が止まる気配がして…ドアの音がして…それから。
 
とにかく、その数分後、フランソワーズは僕を見つけて嬉しそうに駆け寄ってきたのだ。
とびついてくる彼女を軽く抱きしめ、耳にキスをする。
たしかに、きれいなピアスが光っていた。
 
いやだわ、くすぐったい…と笑う彼女の目も星みたいにきらきらしている。
僕は満ち足りた気分で「おかえり」と言った。
 
「ウチの前まで送ってもらわなかったのかい?」
「少し歩きたかったの…星が綺麗だってわかっていたから」
「…もう遅いし、一人で歩くのは危ないよ」
「ふふ。私だって003なのよ…それに、これだけ家に近ければ、何かあっても…あなたが来てくれるでしょう?」
「うーん。加速装置を使うのは、ちょっと思い切りがいるんだよなあ…緊急事態でもないとさ」
「まあ!私が危険な目に遭うのを緊急事態じゃない…っていうの?」
「だって。…君は003なんだろ?」
 
大真面目に言うと、フランソワーズは、まあ…と目を丸くして…それから、楽しそうに笑った。
狙いがうまくいって、僕も上機嫌になる。
で、つい口が滑った。
 
「そのピアスも星みたいだ…きれいだね」
「…え」
「誰かに、もらったの?」
 
彼女は、自分のものを滅多に買わない。
アクセサリーなんて、特に。
だから、もらい物にまちがいない。
 
「…シバタさんに、いただいたの…お誕生日に…って」
 
シバタさん…と口の中で繰り返し、あの車を運転していた、バレエのパートナーのことだ、と思い出した。
 
「そうか…いいものもらったね。よく似合ってる」
「ええ」
 
あれ?と思ったときは、遅かった。
フランソワーズはうつむいてしまった。
…弱った。
 
やっぱり、慣れないことなんかするんじゃなかった。
 
アクセサリーの話はタブーだったのかもしれない。
それとも、あまり気に入っていなかったんだろうか。
そうかもしれない。
不本意だけど、今日はシバタさんに会うから、と思って…無理につけていたのかもしれない。
でも、似合うと思うんだけどなあ……
 
そう言ってあげたかったけれど、やめておいた。
女の子は、難しい。
 
ときどき、フランソワーズが女の子でなければいいのに、と思うことがある。
本気で思うわけではないけれど。
男の子になった彼女、というのを想像することなどどうにもできないし。
 
僕たちは、いつまでこうやって一緒に暮らしていけるんだろう。
 
ふと寂しくなって、僕はフランソワーズの手を軽く握った。
玄関まであと少し。
十歩も歩かないうちにドアの前に来たので、僕は彼女の手を離し、ドアを開けた。
 
「ただいまァ…!」
 
誰にともなく言った彼女の声が思ったよりも明るくて、思わず胸をなでおろす。
…そして。
 
玄関に上がった、その華奢な後ろ姿を見たとき、いきなり、猛烈に彼女を抱きたくなったのはどうしてなのか…説明はつくような気がするけれど、そんな風に説明したくない。
 
ときどき、フランソワーズが女の子でなければいいのになあ、と思うことがある。
もちろん、本気で思うわけではない。
 
とにかく、僕は体当たりをするように後ろから彼女を抱きしめ、驚いて悲鳴をあげそうになった彼女の口をあわてて塞ぎ、そのまま僕の部屋に引きずり込んだ。
どうしようもない。
 
だって、君は……女の子だから。
 
 
 
シバタです、と言われて、思わずああ、と声を上げてしまった。
シバタはそんな僕にちょっと眉をひそめるようにして、でもすぐに慇懃なお辞儀をした。
僕も慌ててお辞儀を返す。
 
「少し…お時間をいただけますか?」
 
嫌な予感がした…が、断るわけにはいかなかった。
そして、嫌な予感というのは大抵当たるのだ。
 
 
「…ええと。いつも、フランソワーズがお世話になっています」
 
静かな喫茶店にシバタと向かい合った。
ちょっとした沈黙が落ちたのをなんとかしようと焦った僕は、またどうしようもないことを口走っていた。
案の定、シバタはむっとした顔つきになった。
 
「大したことはしていません」
 
それは、そうだろう。
 
僕が知っているのは、彼がフランソワーズのバレエのパートナーであるということと。
彼がよくフランソワーズを車で送り迎えするということと。
時々、お茶や食事に誘っているということと。
誕生日にダイヤモンドのピアスを贈ったということ。
そう、ダイヤモンドだったのだ。
イワンが言うのだから間違いない。
 
それぐらいだ。
確かに、大したことではない。
 
僕はたぶん、ぼーっとした顔をしていたのだろう。
シバタは明らかに苛立っていた。
 
「失礼を承知の上で、お尋ねしたいのです。あなたは…いったい、フランソワーズをどうしたいんですか?」
「…へっ?」
 
頓狂な声がでてしまった。
どうしたい…どう…って?
 
「僕は…島村さん、僕はフランソワーズを愛しています」
 
たぶん、そうなんだと思う。
そして…
それもまた、大したことではない。
 
「教えてください、島村さん…あなたは、どうなんですか?」
 
僕はどう…かっていうのは、つまり。
僕がフランソワーズを愛しているかどうか、ということ…なんだろうな。
…でも。
また勝手に口が動いてしまった。
 
「それを聞いて……どうするのかな」
「…っ!」
 
シバタは悔しそうに唇を噛んだ。
失敗したかもしれない。
僕は少し慌てた。
 
「いや…あなたがどうするのかに、興味があるわけではなくて…僕は…ただ」
「やっぱり、興味が、ないんですか?…どうして?」
「え…」
「思い上がらないでください、あなたがそういうつもりなら…僕はもう遠慮なんかしませんから…!」
 
コーヒーが運ばれてきた…が、シバタは勢いよく立ち上がり、驚くウェイトレスからレシートをひったくると、レジへつかつかと歩いていった。
僕は、あっけにとられてその背中を見送った。
 
やっぱり失敗したらしい。
それも、大失敗の部類に入りそうだった。
 
 
 
遠慮なんかしない、か……
 
なんとなく電車にもバスにも乗る気がしなかったので、僕はぶらぶら歩き続けた。
このペースでいけば、日が落ちるころに研究所に着くだろう。
ちょうど、夕飯の支度が出来る頃だ。
 
思ったとおり、研究所が見えてくると、微かにいい匂いがしてきた。
何の匂いかなあ…と、考えていると、急にお腹がすいてくる。
 
よくわからないけど、たぶん僕の好きなものだ。
フランソワーズはたいてい博士の好みに合わせてゴハンを作るけれど、時々僕を優先してくれることもある。
今日は、ソレだ、という気がした。
 
彼女を愛している、ということは、アレだろうな…結婚したい、と思っているのかも。
少なくとも、一緒に暮らしたいとは思うんだろうなあ…
 
僕は、シバタの端正な顔立ちを思い浮かべた。
 
もし彼と結婚したら、フランソワーズはもちろん、彼の好みに合わせてゴハンを作るんだろう。
それはそれで構わないと思った。
時々僕を優先してくれれば、何も文句は……
 
…いや、そんなわけないんだ。
 
僕はふと立ち止まって、深呼吸した。
かすかな夕餉の匂い。
僕のためのその匂いを思い切り吸い込む。
 
このまま…閉じこめてしまえたらいいのにな。
この時間も…景色も…台所でゴハンを作っている君も。
姿は見えなくてもいい。
このまま、閉じこめてしまえたら。
 
僕たちは、いつまでこうやって一緒に暮らしていけるんだろう?
 
 
 
あんまりそのことばかり考えていたから、つい生返事を繰り返していたのだろう。
急にとがった声を投げつけられ、僕はびっくりして箸を止めた。
フランソワーズが悲しそうな顔で睨んでいる。
 
「…え」
「もう…!やっぱり何も聞いていなかったのね」
「…ゴメン」
 
油断していた。
ギルモア博士が研究室にこもっていたから、二人きりの食卓だったのだ。
博士がいれば、ちゃんと話をしなければいけないと、ちょっとは気を張っているのだけど…
 
「ええと…何だい、フランソワーズ?」
「もう…いいわ。わかったから」
「わかったって…何が?」
「あなたにとっては、どうでもいいことなんだなー…ってことが。いいのよ、気にしないで。それがわかれば十分だもの」
「……」
 
マズイ…ことになったみたいだ。
が、フランソワーズはそれきり口を開いてくれなかった。
 
ひどく、心細い気持ちになった。
やがて、自室に戻ってシャワーを浴び、ベッドに入っても、眠れそうな気がしない。
何度か寝返りを繰り返してから、僕は諦めて起き上がり、深い溜息をついた。
 
だしぬけに部屋に押し入り、有無を言わさずベッドに潜り込んだ僕を、フランソワーズは手ひどくはねつけようとした…けれど、驚いてはいなかった。
たぶん、予想していたんだろう。
 
離して、キライよ、あなたなんか…大嫌い!
 
残酷な言葉が僕を突き刺す。
でも、止められなかった。
 
嫌われるのは悲しいけれど、止められない。
このままでは眠れない。
心細くて、死んでしまいそうだ。
 
大嫌い、大嫌い…と、フランソワーズは涙を流している。
本当にそうなんだろう。
 
「あなたは…いったい、フランソワーズをどうしたいんですか?」
 
不意に、シバタの声が聞こえたような気がして、僕は思わず呻いた。
僕はただ……ただ。
 
いつも傍にいてほしいだけだ。
他には何も望まない。
 
今だって…こんなこと、したくてしているわけではないのに。
 
 
 
その後シバタがどうしたのか。
遠慮しないとはどうすることだったのか。
結局僕にはわからなかった。
 
ともあれ、フランソワーズは、相変わらず研究所にいて、イワンや僕や博士の世話をしている。
 
彼女を迎えに来る男が、シバタではなくなったことに、僕はやがて気づいた。
パートナーが変わったのよ、とフランソワーズは笑う。
あまり同じ所で踊り続けるわけにはいかないでしょうから…と、少し寂しそうに。
 
そう、か。
 
僕は、バカだった。
そういうこと、じゃないか…!
 
「大丈夫だよ、フランソワーズ…日本で踊れなくなったら、他の国にいけばいい、世界は広いんだから」
「…ジョー」
 
目を丸くするフランソワーズが可愛らしい。
僕は元気よく続けた。
 
「フランスがマズイっていうなら、ロシアでも…イギリスでもドイツでもいい。アメリカだってカナダだってある。そうやってあちこちで踊ればいいじゃないか…もちろん限界はあるけど…そうなったときは、また日本に戻りなよ。そのころには君を覚えている人なんて、いなくなってるかもしれないだろ?」
 
フランソワーズはますます目を丸くして、やがて長い息をついた。
 
「ずいぶん、気が長いのね、ジョーは」
「…そうかな」
「でもそういうわけにはいかないわ…私はここにいなければいけないもの」
「博士とイワンのことなら、僕にまかせればいい」
「…ジョー」
 
不意に、大きな青い目が僕をじっと見つめた。
どぎまぎしていると、フランソワーズは囁くように言うのだ。
 
「あなたは…それでいいの?」
「…え?」
「私が…帰ってこなくても」
「え、それは、困るけど」
 
君が帰ってこない、なんてあり得ない。
そう気づいたから提案しているのに。
 
「君だって困るだろう?メンテナンスはどうするんだ?…一年に一度は必要だよ、それに…」
「まあ。一年に一度ですって…まるでタナバタね!」
「…タナバタ…?」
 
きょとんとしている僕に、あきれた、とフランソワーズはつぶやいた。
 
「さあ、お洗濯してしまわなくちゃ…!ジョー、シーツはもってきてくれた?」
「…あ。まだ…」
「早くしてね。待ってるから」
「う、うん…ゴメン」
「もう。私はイヤよ…タナバタなんて!」
「…え」
「それに、博士やイワンのことは任せろ、ですって?…あなたには無理です、絶対に」
「そんなの…!やってみなくちゃわからないじゃないか」
「やってみてダメだった…じゃ、すまないのよ。鉢植えと違うんだから」
「…う」
 
そういえば、この間、鉢植えに水をやりすぎて…あやうく枯らしてしまうところだったのだ。
参ったなあ…と思いながらも、僕はその場に座り込んでしまいそうなぐらい安堵していた。
 
そう、だよな。
博士とイワンもいるんだから。
君は、ここを出て行ったりしない。
 
シバタが何人束になってきても…君はここを離れない。
それで、十分だ。
それ以上は望まない。
僕は、君がただ傍にいてくれれば…それだけで。
 
 
 
フランソワーズが女の子でなければいいのになあ、なんて、思ったことがあったっけ。
 
不意に思い出し、僕は低く笑った。
バカだったなあ…と思う。
女の子だから、いいんじゃないか。
あの頃の僕は、どうしようもなく臆病で、いつも怯えていたんだ。
彼女がいなくなったらどうしよう…って。
 
いなくなったらいなくなったで…どうにでもなるものだったのに。
 
さて、と深呼吸して、僕は灯りの点った窓を下から順に数えていった。
6階。
そして、北の角から3つ目の部屋。
そこに、彼女がいる。
 
一人で居るのか、友達といるのか……男といるのか、それはわからないが、どうでもいい。
どのみち、彼女を攫うことに代わりはないのだ。
 
もしかしたら、彼女もそれなりに警戒しているかもしれない。
もう、何度目か…わからないからなあ。
なんといっても、003だ。油断はできない。
 
いや、もし気づかれても…逃がしはしないけれど。
でも、一応僕にも009としてのプライドというものがある。
気づかれてたまるものか。
 
わくわくと血がはやるのを止めることができない。
でも、同時に胸が痛むことも確かなのだ。
また、彼女は泣くだろう。
その彼女を押さえつけて、口づけして……僕は、またきっと。
 
そんなこと、したいわけではないのに。
 
ああ、でももう止められない。
体が熱くたぎっているのがわかる。
これを鎮めなければ、君と言葉を交わすこともできない。
 
たしかに、一年に一度なんて、無理な話だった。
君は案外平気そうだけど、僕はダメだ。
 
君が傍にいてくれないと、息ができなくなるような気がする。
そんなはずないけれど、そんな気がしてしまうんだ。
苦しくて、苦しくて……どうしようもない。
 
だから、無理矢理連れ戻す。
そういうのを愛している、とは言わないだろう。
そう思うと、やっぱり胸が痛い。
 
あの部屋には、君を心から愛している人がいるかもしれないのに。
あの男のように…ええと、誰だっけ。
 
 
…シバタ、だ。
 
 
もう遠慮はしないと言っていた。
もちろん、遠慮など無用だ。
 
僕を倒すがいい、シバタ。
そうすれば、彼女は自由になれる。
誰よりも幸せになるだろう、君の腕の中で。
 
僕を倒しさえすれば、だけどね。
 
 
 
男はいなかった。
彼女は一人だったんだから、別に攫う必要はなかったんだ。
そう気づいたのは、やれやれ…と、ようやく一息ついたときだった。
 
抱きしめた腕の中で、フランソワーズはやっぱり泣いた。
あなたは、いつまでこんなことを続けるつもりなの?と震える声で聞く。
 
胸が痛い。
僕は、あんまりな男だ。
可哀相なフランソワーズ。
 
でも、可哀相なフランソワーズもすごく可愛い。
だから、僕はできるだけ優しく彼女の耳にささやいた。
 
強いシバタが来るまで、と。
 
彼女はきょとん、と目を丸くして……それからやっと笑った。
 
僕が何を言ったのか…全然わからなかったらしい。
それなのに、僕がとんでもなく真面目な…悲壮な顔をしている、といって、彼女は大笑いしたのだ。
 
もしかしたら、君だって、あんまりな女なのかもしれない。
たぶん違うけれど。
でも、そうだったら…いいのにな。
 
 
いつか。
強いシバタがやって来て、僕を倒したとき、君が笑ってくれるといい。
君が笑えば、僕は嬉しい。
 
更新日時:
2009.01.12 Mon.
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Last updated: 2013/10/17