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日常的009

Le Petit Prince
 
小さい手がしきりに肩を揺すってくる。返事をしてやらないと、泣き出すかもしれない。早く、目を開けないと。そう思うのに、体が鉛のように動かない。どうなってるんだ、いったい。
 
「おにいちゃん、おにいちゃん……おにい、ちゃ……」
 
あ。マズイ。泣く。
いや待て、何でもないんだから泣くな。
見てろ、大丈夫だ…ほら、フランソワーズ…!
 
「……う?」
 
いきなり目に青空が飛び込んでくる。なんだ、ここは。
体を動かそうとした途端、激痛に襲われた。
思わず声を上げかけたジャンの肩を、誰かが掴む。
 
「大丈夫ですか?まだ、動いたら……」
「……なんだ、オマエ?」
 
一気に覚醒した。
そうだった、俺は……そして、ここは。
だから、つまり…つまり。
 
つまり、誰だ、コイツ?
 
 
 
少年、だった。
身につけているのは、軍服らしい…のだが、鮮やかな赤。
フザけた色だ。
さらに、馬鹿馬鹿しく長い黄色いマフラーまでつけている。
 
どの国であれ、正規軍ではないだろう。
しかし、精巧そうな銃を持っている…のだから、どこかの武装組織に所属しているのには違いない。
それにしても……
 
さっき、少年が置いていった水を少しずつ舐めるようにする。
ヤバイものは何も入っていないようだ。
こんなトコロで、こんな体になって、こんな些細な警戒をしてみたところで何にもならないだろうが。
 
「大丈夫かもしれません」
「……」
 
軽い足音が近づき、少年がのぞきこむようにしてきた。
黙って睨むと、彼は困った表情になった。
 
「あなたの、飛行機…応急処置がうまくいけば、飛べるかもしれない」
「…なに?」
「不時着…でも、完璧でしたね…さすがだなあ」
 
少年はふと微笑し、また視界から消えた。
とにかく身動きできないから、何がなんだかわからない。
だが……飛行機、だと?
応急処置?
どういうことだ?
 
動けなければ何もできない。
どのみち、一度捨てた命だ。今更おろおろしても仕方がないだろう。
 
ジャンは深呼吸すると、静かに目を閉じた。
次に目ざめることがあるかどうかはわからなかったが。
それなら、それでいい。
 
眠りに落ちる瞬間。
最後に、小さくつぶやいた。
 
…フランソワーズ。
 
 
 
次に目が覚めたときには、上体を起こすことができるようになっていた。
辺りを見回してみて、ごつごつした岩山のちょっとした窪みにいるのだとわかる。
おかげで、砂漠の烈しい日差しから守られているようだ。
 
ここから飛行機は見えない。気配もない。
少なくとも、不時着する時、こんな岩山は周辺に無かった…と思う。
 
少年は、日暮れにやってきた。
水の残量を確かめ、食料を置き、ジャンの傷ついた足に添え木を当てて、手当をしてくれる。
そういったものを、彼がどこから持ってきているのかもわからない。
それ以前の問題として、彼がどんな手段でここまで来たのかすら見当がつかない。
歩いてきているようにしか思えないのだが、まさか、そんなはずは……
 
「オマエは…誰だ?」
「……」
 
少年は困ったように微笑するだけで、答えなかった。
しげしげ眺めてみると、本当にまだ子供だ。
 
「俺の飛行機が…どうとか、言っていたな?」
「直しています。もうすぐ、終わります」
「どこで?誰が?」
「あなたの足が治ったら…きっと飛べるでしょう。遠くまでは無理だけど、南の方に町があって…そこに、フランス軍もいますから」
「…お前」
「すみません…たぶん、何を聞かれても、僕は答えられない」
「……」
「これ…飲んでください」
 
首を傾げながら、プラスチック容器を受け取り、口に含んでみる。
紅茶…のようだった。ふわっと甘い香りが広がる。
ジャンは、ハッと顔を上げた。
 
「…っ!」
「それじゃ…おやすみなさい。大丈夫ですから」
「……」
 
足音が遠ざかる。
やはり、彼は歩いて……
いや、それより、この紅茶の香り。
 
夢を見ているのかもしれない、と、ふと思った。
 
 
 
少年に肩を借りながら、岩山を後にしたのは、それから5日後の夜中だった。
歩くのはちょっと怪しいが、たしかに操縦席に座ればどうにかなるかもしれない。
 
「…大丈夫ですか?」
 
少年が優しい声で尋ねる。
華奢な肩に寄りかかるのが気の毒で、体重をかけないようにと無理をしていた…ら、いきなりその華奢な肩に担ぎ上げられた。
 
「…なっ?」
「僕、これでも力持ちですから」
「……」
「もう少し、ガマンしていてください」
 
少年はすいすい軽々と足を進めていく。
それでも、かなりの時間がたち…やがて、ジャンは月明かりの中にうかぶ愛機のシルエットを前方に見た。
 
「…いったい、これは…」
「乗ってください」
 
操縦席に座らされる。
たしかに、俺の飛行機だ。
 
「月が出ているから、方角はわかりますよね…南へ、約50マイルです。近づいたら、下をよく見てください。合図しますから」
「…合図?オマエがか?」
「それじゃ…お気を付けて」
「な…っ?」
 
ひらりと飛び降りた少年は、地面に届くか届かないかというところで、姿を消してしまった。
同時に、小さなつむじ風が舞う。
 
思わず追いかけようと身をよじった途端、激痛が走った。
うめき声を上げ、唇を噛みしめると、ジャンは操縦桿を握りなおした。
 
 
 
「星の…王子さま?」
 
きょとん、と首を傾げる妹に、ジャンは笑ってうなずいた。
 
「昔…オマエがいなくなっていた時のことさ。ヘマをして、砂漠地帯に不時着してな…いろんな武装組織もうろうろしているトコロだったっけ」
「…まあ!」
「約一週間…遭難していた」
「そんなこと、初めて聞いたわ…!」
「それもな、救助されたんじゃないんだぜ…自力で飛行機を飛ばして近くの基地に戻った」
「自力で…?」
「…ってことになってる。それで、ちょっと名を上げたりもしたもんだ」
 
フランソワーズは探るように兄を覗いた。
退役してから、白髪が急に目立つようになったジャンは、彼女の視線に気付き、苦笑いした。
 
「カンベンしてくれよ…いくらなんでも、ボケるには早いだろ?」
「それは…そうだけど」
「信じられない事だからな、誰にも話したことはない…だが、オマエには話しておこう」
 
今夜で、最後の別れになるかもしれないのだから…という言葉をのみこみ、続ける。
 
「俺を助けてくれたのは…子供だったのさ。男の子だ」
「…子供?」
「ああ。どこからともなく現れて、俺に水と食い物を与え、傷の手当てをして…飛行機の修理までしてくれた」
「……」
「最後は、俺を基地まで導いてくれたよ…星の光でな」
「星の…光?」
「ああ。不思議だが、本当の話だ…あの子は…童話に出てくる、あの王子さまだったのかもしれない…そんな感じの子だった」
「…お兄ちゃん…それ、いつのこと?」
「うーん…?そうだな…かれこれ…うん、30年前になる」
「……」
 
フランソワーズは黙ったまま、湯気の立つカップを兄の前に置いた。
いつもの、アールグレイだった。
 
 
 
紅茶の香りが堅く縮んだ気持ちをゆっくりほぐしてくれる。
ジョーは思わず息をつき、心配そうに見つめるフランソワーズに微笑んでみせた。
 
「ありがとう。なんだか、ほっとした」
「…そう」
「ごめん……君だけは、巻き込みたくなかったのだけど」
「まだそんなことを言うの?変わらないのね、ジョーは。私も003なのよって、何度言えばわかってもらえるのかしら」
「…うん。でも、今の君を…お兄さんから引き離すのは」
「……」
 
フランソワーズはふとうつむいた。
兄には、何も話していない。
今に至るまで。
 
年をとらない妹。
一本の電話で旅支度を始め、ふらっと出て行ったきり数ヶ月…時には数年戻ってこないこともある妹。
そんな妹に、兄は何も問いかけなかった。
ただ、傍にいてくれればいいのだと、そう言いながら、彼女を庇い続けた。
 
そして、年老いた兄は、今、また何も問わないまま妹を送り出したのだ。
いつでも戻ってこい、とだけ囁いて。
 
「お兄ちゃん…全部、わかっていたのかもしれないわ」
「…え?」
「だから、何も言わなかった……」
「わかっている…って…何を?」
「私が、どこにいるのか…誰と暮らしているのか…幸せなのか」
「幸せ…か。君は…幸せなの?」
 
心配そうにのぞきこむジョーに、馬鹿ね、と囁く。
 
「そろそろ、交替の時間だわ」
「そうだね。ごちそうさま。おいしかったよ」
 
空になったカップを手渡され、フランソワーズは柔らかい微笑を返した。
 
私は幸せよ、ジョー。
 
もし、そう見えないときも、心配しないで。
大切なことは目に見えないものよ。
 
 
そうでしょう?……お兄ちゃん。
 
更新日時:
2006.04.03 Mon.
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Last updated: 2013/10/17