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非日常的009

春夜(蘇軾)
    
春宵一刻値千金  花有清香月有陰
 
歌管楼台声細細  鞦韆院落夜沈沈
 
               (「春夜」 蘇軾)
 
 
珍しいよな。
君が、こんな…
 
よっぽど疲れていたんだろう。
そう思った。
 
…ってことは。
こない方がよかったのかな。
こんなところで居眠りするより、ベッドでゆっくり眠った方がいいのかも。
 
早く起こしてあげた方がいいよな。
それで、早く…家に帰って。
 
でも…
ごめんよ、フランソワーズ。
 
 
 
「きれいな月…!」
 
座るなり、辺りをぐるっと見回して、上を見て、君は嬉しそうに言った。
ぼんやり黄色くかすんだ月。
 
春の、月だね…何ていうんだっけ、こういう月…たしか…
 
口の中でもごもご言っていると…
花の香りがした。
 
…何の花だろう?
 
 
広い公園の野外ステージ。
桜は終わったけど、いろんな花があちこちで咲いている。
少しずつ濃くなってくる夕闇。
 
しばらく月を見上げていた君が、
こんどは前に眼をやって…くすっと笑った。
…ブランコだ。
乗っているのは小さい女の子。男の子が後ろから押して揺らしてやっている。
一生懸命に。
 
「きょうだいだわ、きっと」
 
君は囁くように言う。
僕は黙ってうなずいた。
 
君も…ああやって遊んだの?
 
聞いてみたかったけど、やめた。
 
君がああやって遊んだことは、知っている。
君は、いつも笑いながらブランコの上にいたんだろう。
優しい人たちに包まれて。
 
でも、それを思い出したとき。
君は楽しそうに微笑むだろうか。
それとも…寂しそうにうつむくだろうか。
 
僕には…わからなかったから。
 
聞いてみるかわりに、君の肩を抱いた。
君は驚いたように僕を見上げて…また笑った。
 
 
やがて、音楽が始まった。
君は瞬きもしないでステージに見入っていた。
 
仄かな月光。
いい匂いのする風。
腕に伝わる、柔らかいぬくもり。
 
僕は…そっと眼を閉じた。
 
 
 
眠ってしまっていた。
眼を開けたとき、辺りはひっそりしていて、僕は慌てた。
 
フランソワーズ…?
 
あやうく声を飲み込んだ。
君も…眠っている。
僕の肩にもたれて。
 
珍しいよな。
君が、こんな…
 
疲れて…いたのかな。
 
 
音楽はとっくにやんで、ステージはしん、としていた。
もちろん、誰もいない。
公園にも…人の気配はない。
あんなに大勢集まっていたのに…
みんな、どこに行ってしまったんだろう?
 
…というか。
よく寝ちゃったね。
僕たち二人とも。
 
 
起こしてあげた方がいいのかな。
そうだよな。
早く帰って、君を寝かせてあげなくちゃ。
…でも。
 
淡い月の光。
花の匂い。
…何の花だろう…?
 
君を起こして、聞いてみようか。
そうして、一緒に月を眺めて、風を感じて…
 
それとも。
もう少し、このままでいようか。
君の髪が優しく僕の頬をくすぐっている。
甘い匂いは…君の匂いかもしれない。
 
 
フランソワーズ。
ほんとにきれいな夜だよ。
いつまでも、しまっておきたいような春の夜。
 
ブランコには…もう誰も乗っていない。
 
君が目覚めたら、あのブランコに乗せてあげる。
この風のようにそっと…そっと揺らしてあげるから。
 
黄色い淡い春の月。
こういう月…何ていうんだっけ?
 
清らかな花の香り。
何の…花だろう?
 
君を起こして、聞いてみようか。
それとも、もう少しこのままでいようか。
 
どうしても決められない。
ごめんよ、フランソワーズ。
 
 
いつまでも、しまっておきたいような春の夜。
 
 
更新日時:
2002.04.09 Tue.
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Last updated: 2010/9/3