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非日常的009

石見相聞歌
柿本朝臣人麻呂の石見国より妻に分かれて上り来し時の歌
 
石見の海 角の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも いさなとり 海辺をさして にきたづの 荒磯の上に か青なる 玉藻沖つ藻 朝はふる 風こそ寄せめ 夕はふる 浪こそ来寄れ 浪のむた か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十(やそ)隈ごとに 万たび かへりみすれど いや遠に 里はさかりぬ いや高に 山も超え来ぬ 夏草の 思ひしなへて 偲ふらむ 妹が門見む なびけこの山
 
  反歌二首
 
石見のや 高角山の木のまより 我が振る袖を 妹見つらむか
ささの葉は み山もさやにさやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば
 
                 (『万葉集』巻二 131〜133) 
 
 
僕たちはたいてい離れ離れだ。
そうしたくてそうしてるわけじゃないけど。
 
君が君でいるためには、君はそこにいなくちゃいけない。
僕が僕でいるために、ここにいなくちゃいけないように。
 
僕は君が好きで、君以外のモノは好きになれないのだから、
君が君でいることに文句を言うわけにはいかないんだ。
だから。
僕たちはたいてい離れ離れだ。
 
でも。
どこを歩いていても、波が聞こえるから。
振り向けば、君が僕を見つめているから。
僕は寂しくない。
君を遠く遠く離れて、僕は寂しくない。
 
 
ギルモア研究所の崖下。お気に入りの小さな入り江に向かって、彼女は立っていた。
 
「こうしていると、風が寄せてくるでしょう?それがとても好きなの…波が寄せてくるのも」
「…僕も、嫌いじゃないけど…でも、ここはそれほどきれいな場所じゃないのに」
彼女は楽しそうに笑った。
「そう…ね、グレートもそう言ってたわ…張大人なんて、魚がいそうもない場所には興味ないアル、ですって…」
でもね、と彼女は彼を見上げ、また遠くの水平線に目をやった。
「私は、ここが一番好きなの」
 
彼女は背筋をひときわ伸ばして、まっすぐに水平線の向こうを見つめる。
「ニューヨーク……それから…ナイロビ…ベルリン…」
歌うように言いながら、くるっとターンする。
「…見えてるのかい?」
聞いてしまってから、そんなはずないじゃないか、と彼は思う。
案の定、笑われてしまった。
ひとしきり笑ってから彼女は、ふと目を閉じた。
 
「みんな…元気かしら…?」
 
寄せる波。
光を集めた亜麻色の髪が風に散らばる。
彼女は目を開け、ゆっくりと右手を前に上げた。
せいいっぱいのばした指が、中空でさまよい、止まる。
 
「…遠いわ」
 
彼は思わずその手を捕らえ、彼女を胸に引き寄せた。
この髪を、肌を、吐息を離れて、僕はどこで、どうやって生きていこうというのだろう?
「…どこにも…行かないよ…!」
声が震える。
彼女は小さく、しかしきっぱりと首を振った。
 
「それは、駄目よ、ジョー」
「…フランソワーズ!」
 
激したように言葉を繋ごうとする彼を、澄んだ青い瞳が射すくめる。
 
「それなら、私、バレエをやめるわ…ずっとあなたの傍にいる」
「何を…!駄目だ、そんなこと!!」
 
叫んでから、罠に気付いた。
彼はため息をついて亜麻色の髪をそっと撫でる。
ふと柔らいだ青いさざなみがきらめき…溢れた。
 
「大丈夫よ、ジョー…」
彼女は静かに彼の胸を離れ、入り江を振り返った。
 
「見て。変わらないものなんて、何もない…って、みんな言うけれど…でも、あの向こうからは…いつも新しい波が生まれて、寄せてくるの…いつまでも…ほんの少しも休まずに」
 
いつまでも変わらずにはいられない。
こんなに幸せなのに。
僕たちはここに立ち止まっていられない。
でも。
 
どこからでも、僕は絶え間なく君の岸辺へ寄せ、君を包むだろう。
朝、海を吹き渡る風のように。
 
どんなときも、君はくり返し僕の岸辺に打ち寄せ、僕を満たすだろう。
夕べ、荒磯を洗う波のように。
 
 
君を遠く離れて、僕は異国の街に立つ。
振り向けば、君がまっすぐ見つめている。
青い海が僕を包む。でも。
 
いつかその目に涙が浮かび。
君は少しずつ少しずつうつむいてしまう。
 
君がかなしくて、そっと手を伸ばしたのに。
僕の手は、虚空で止まる。
 
フランソワーズ。
僕たちは
こんなに近くて
こんなに遠い。
 
輝く水底で
深く青く揺れていた美しい藻。
柔らかく指に絡みつき、つかもうとするとすり抜けていく。
果てしない彼方から流れ着き、波のままにまたどこかへ漂う、透明な翡翠の光。
 
泣かないで。そのまま行ってしまわないで。
 
君の声を聞きたい。
あの夜のように、僕の腕の中で微笑む君が見たい。
君に触りたいんだ、今、ここで!
 
僕はわかってる。信じている。君はそこにいる。
 
もう一度振り向こう。
君を隔てる全てを叩き伏せ、君を抱きしめるため。
 
さあ、フランソワーズ。
顔を上げて、まっすぐ僕を見て。
すぐ、行くから!
更新日時:
2001.11.30 Fri.
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Last updated: 2010/9/3