あそこでは
風に挑んで はためいていた
見知らぬ国の三色の旗
芝生に コカコーラのかげのやうに
茶いろい瞳をした 茶いろの犬
あそこでは
花壇の赤いパンジーに 陽を切り取って
白い椅子と白いテーブル
びはの葉に光ってゐた 青い蠅
でもどこにゐても
だれとゐても
海だけをみつめて 犬はさびしい
犬のみる景色は 灰いろ
犬は海をみてゐた
ひとりは 海をみる犬をみてゐた
海は つながりを信じない
犬も つながりを信じない
海だけをみつめて 犬はさびしい
犬のさびしいことが ひとりにさびしい
吉原幸子「風景」(『夏の墓』より)
1
それは、もう遠い昔…なんて言ってもいいくらい前のこと。
私が、海を見つめるあの人に初めて気づいたとき。
「何を見ているの、ジョー?」
「海さ」
尋ねる方も尋ねる方だけど、答える方も答える方よね。
どう見ても、ただひたすら海を見ているようにしか見えなかった。
だから、つい尋ねたくなってしまったのだし…
そして、やっぱりあの人は、ただひたすら海を見ていただけだったのだ。
あれから、何度も…今でも、海を見ているあの人をみると、やっぱり尋ねたくなってしまう。
あれきり、二度と尋ねたことはないけれど。
ジョー。
あなたは、何を見ているの?
2
たまに。
本当に、めったにないことではあるのだけど。
海を見るあの人の隣に、誰かが立っていることがある。
その人も、海を見ている。
並んで海を見ている二人は、絵のように美しい。
私は少し不安になる。
あの人の隣に立つ人は、ずっとそうしていられるのかしら。
もしそうなら……
…でも。
そうはならなかった。いつも。
その人は、いつかきまって、あの人に尋ねてしまう。
あの日の私のように。
「何を見ているの、ジョー?」
…海よ。
あの人の返事はいつも聞こえない。
だから私はこっそりつぶやいてみる。
3
さびしいな。
不意に、あの人がつぶやいて、振り向いた。
さびしいね、フランソワーズ。
びっくりしている私に、あの人は本当にさびしそうに笑った。
そうして、黙ったまま私をそうっと抱き寄せて。
それから、私たちは並んで歩くようになった。
二人でいるとき、あの人は海を見ない。
きみがいないと、ぼくはさびしい。
ときどき、そうささやく。
うなずきながら、私はあの人の手をそうっと握る。
ごめんなさい。
ごめんなさいね、ジョー。
あの人がさびしいことをあの人に教えてしまったのは、きっと私。
あの人がさびしいことに気づいてしまったさびしい私が、あの人をさびしくした。
あの人は、やっぱり、どうしても、海を見つめる人なのに。
4
ジョー。
いつか、あなたの隣で海を見てみたい。
あなたのように。
そうして海を見ていれば。
いつもあなたの隣にいれば…
あなたがさびしいと気づく人はなく、あなたはさびしくない。
そして、あなたがさびしくないのなら、私もさびしくない。
ああ、そうできたらどんなにいいでしょう!
でも、私は海がおそろしい。
だから、あなたがおそろしい。
それでも、いつかあなたの隣で誰かが海を見るのだとしたら。
そう思うと、どうしたらいいかわからなくなるの。
どうしても海を見つめるあなたの後ろで、私もあなたを見つめるしかなくて。
こんなことはいつか終わりにしなければいけないのだと、わかってる。
もしも終わらせたくないのなら……
わかってる。
でも、私は海がおそろしい。
いくじなしの私は、今日もあなたが振り返るのを待っているだけ。
あなたが、あなたはさびしいと気づいてしまうのを、ただ待っている。
5
きみがいないと、ぼくはさびしい。
いいえ、私はいなくならないわ。
私はいつもあなたのそばにいる。
そうとは言えない私は、今日もあなたを見つめている。
海を見つめているあなたを。
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