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非日常的009

花のように(北原白秋)
ゆくりなく庚申薔薇の花咲きぬ君を忘れて幾年か経し      北原白秋
 
 
 
意外に地味な家なんだな、とジェットがつぶやいた。
 
彼の基準に照らせば、大抵の日本の家が地味になってしまうような気もするけれど、たしかにそういわれてみるとどこか垢抜けない家だ。
買ったのはもう数年前になる。仕事のつながりで、なんとなく購入する羽目になった、かなり古い住宅だった。
かなり古い…といっても、それが味わいになるほどではなく、ただひたすら貧相にみえるだけ、という中途半端な古さで、どうにもぱっとしない。
 
「本気でここに住むなら、それなりに改築が必要だぜ、こりゃ」
「…いいよ、そんなの。僕一人で暮らすだけなんだし…第一、住まいについては君のあの部屋の方がずっとヒドイと思うけどな」
「まあ、そりゃそうだが…」
 
ジョーがレースから引退して半年ほどがたっていた。
その二年前に既に退いていたジェットの経験を生かし、極力静かに、素早く世間から忘れられるように、ジョーはつとめた。
その甲斐あって、今では街を歩いていても呼び止められることなどめったにない。
 
そろそろ住居を定めてもいいだろう、ということで、ここに落ち着くことにしたのだった。
やはりなりゆきでいくつか他の物件も所有していたジョーだったが、全て売り払うことにしている。
 
ギルモア研究所から、車を飛ばして30分ほどの距離にある、小さな家。もちろん、緊急のときは加速装置を使って研究所に駆けつけることができる。
そもそもがかなりの町外れにある研究所よりも更に奥まった場所で、静かに暮らすには好都合だった。
 
ジョーは、運び込んだわずかな荷物を淡々と解いていく。
これなら、自分が手伝うまでもなくあっという間に引っ越しは終わってしまいそうだ…と、ジェットはひそかに息をついた。
 
「だったらよ、せめて庭をなんとかしようぜ!…見ろよ、コレ」
「…うーん」
 
ジェットが指さした方を眺め、ジョーは思わずうなった。
たしかに、ひどい。
草や灌木がぼうぼうに生い茂り、虫はもちろん、下手をすると鳥や動物の巣もできていそうな感じだ。
 
「ちゃんとした庭を作れ、とまでは言わないが…コイツらを刈り取って、少しすっきりさせた方がいいんじゃないか?」
「…そうだね」
 
ジョーは渋々うなずいた。
あまりにヒドイ外観だと、かえって人目をひいてしまう。
それに、住まいをすっぽり覆い隠す茂みは、侵入者をも隠すことになるかもしれない。
 
…いや、それはどうでもいいんだった。
 
 
 
二人でざくざくやっていくと、思いの外草刈りははかどった。
一種の破壊行為、という気もしてくる。ジェロニモやピュンマから見たら、おそろしく大雑把なやり方に違いないが、仕方がない。
 
「お?…なんか、花が咲いているが…これも引っこ抜いておくか、ジョー?」
 
ジェットの大声に目を上げると、すっかりキレイになった庭の隅っこに、明るいローズピンクの塊が見えた。
そんなところに花が植わっていた記憶はないし、まして植えた記憶などない。
が、近寄ってみると、ジェットが抜くのを躊躇しただけのことはあって、なかなか美しい花だった。
 
「こんなところで咲いてたぐらいだから、咲かすのに手間もかからないんだろう…残しておいた方がいいかもな」
「…そうだね」
 
曖昧にうなずいたとき、ガレージに車の気配がした。
やがて響いた明るい少女の声に、ジョーははっと顔を上げた。
 
「ジョー、ジェット、お疲れさま!…お昼もってきたわよ!」
「お!サンキュ、フランソワーズ!」
「…フランソワーズ」
 
ぼんやりと見つめるジョーに、亜麻色の髪の少女が親しげに微笑みかけた。
あっさりした白いブラウスの胸元に、見慣れた水色のリボンを結び、柔らかいグレーのスカートをはいている。
 
ずいぶん久しぶりに会ったのに…変わらない子だなあ、と思った。
 
フランソワーズは大きなバスケットにサンドイッチとおにぎりと、それから簡単に食べることができる料理をあれこれ取りそろえてきていた。
 
「この間、イワンとここの掃除をはすませておいたから、もう残っている仕事もないと思って。引っ越しパーティのつもりで来たの」
「だったら酒持ってこいよ」
「だって、車で帰らなくちゃいけないもの…私だけ飲めないのはつまらないわ」
「けっ、わがままな女だなー、相変わらず…」
「あら。わがままなのはジョーよ。ホントは研究所でゆっくりお祝いしたかったの。だから引っ越しのときは泊まりに来てねって、あれだけお願いしたのに…」
 
二人の丁丁発止をのんびり見物していたジョーは、いきなり話を振られ、ややうろたえた。
 
「…いや。だって。博士もイワンも忙しそうだったし…君も」
「どんなに忙しくてもあなたに会いたいって…いつも思っているのよ、私たち」
「……」
 
どう答えたらいいかわからず、口を噤んでいると、フランソワーズは諦めたように微笑し、ふと立ち上がって庭を眺めた。
 
「ずいぶんキレイにしてしまったのねえ…二人らしいわ」
「仕方ないだろ、俺達に庭師の真似ができるかよ」
「そういえばそうね…あら、あんなところにバラがあるわ…!」
 
嬉しそうに言うなり、フランソワーズは庭に降り立った。
ジョーの大きなサンダルをつっかけて、さっきの花のところへ走っていく。
やがて、戻ってきた彼女は手に一枝の花を持っていた。それを水を入れたガラスのコップに挿し、テーブルに置く。
 
ふうん、と、ジョーは思わず声を上げそうになった。ジェットも感心したように眺めている。
そうやって見ると、たしかにそれはバラに見えた。それも、かなり可憐な。
 
「ティーローズね」
「…ティーローズ?」
「四季咲きのバラよ…原種…って言うのかしら。いい匂いがするでしょう?」
「珍しい花なのかい?」
 
目を丸くしているジョーに苦笑しながら、フランソワーズはいいえ、と首を振った。
 
「ありふれた花よ。この辺りは暖かいから、冬でも咲いているわ…丈夫で、手もかからないし…とにかく、いつも咲いているから、つい忘れられてしまうわね、こういう花って」
 
ちゃんとした庭にするなら、抜いてしまった方がいいんじゃないかしら…そうしてもいい?と問いかけるフランソワーズに、ジョーは咄嗟に首を振った。
 
「庭なんか造らないから、いいよ。それに、それぐらい丈夫な花なら、ちょうどいいと思うし…僕には」
 
急いで言っておかないと、彼女は今にもスコップを持って出ていきそうな勢いだったから、少し慌てた。
別に、その花を残しておきたいと強く思ったわけではなかったが、目の前で掘り捨ててしまいたいほど邪魔だと思ったわけでもなかったのだ。
 
 
 
その、地味な家に落ち着いていた期間は、ジョーにしては長い方だった。
 
ギルモアの紹介で始めた仕事は性に合い、それなりに楽しかった。
家も、週に一度はフランソワーズが訪れて、簡単な掃除や庭の手入れをしてくれていたから、いつも住み心地がよかった。
裸になった庭には、結局、手がかからないという草花の種が蒔かれていた。もちろん、フランソワーズの手で。
 
彼女は、いつも同じような服装で、同じような笑顔で訪れた。
本当に、出会った頃から変わらない少女だ、とジョーは思った。
いや、出会った頃から…ではなく、おそらくサイボーグにされる前も、彼女はこういう少女だったのかもしれない。
 
ジョーがギルモア研究所を訪れるのは、ほんの時たま、ギルモアに呼ばれたときか、メンテナンスのときだけだった。
玄関の呼び鈴を鳴らすと、顔を出すのは、これもまた決まってフランソワーズで。
 
研究所に行くと、大抵夕食時まで引き留められたが、ジョーはそれを楽しみにもしていた。
フランソワーズは、ジョーの家に弁当をもってくることはあっても、台所で本格的に料理をすることはなかったので、彼女の温かい手料理を味わえるのはこのときだけだったのだ。
 
ゆっくりとではあったが、新しい職場で友人もできはじめた。
そうなってくると、研究所を訪れるのも更に間遠になる。
そんな風に、その数年間、ジョーはゆったりとした時間の中で穏やかに暮らしていたのだった。
 
だから、気づくのが遅れたのかもしれない。
 
始めに何となく違和感を感じ始めたのは、その年の冬になる頃だった。
何が、というわけでもないのだが、妙に気持ちが塞ぎがちになる。
 
職場の友人たちはそんなジョーを心配し、休暇を取るように勧めた。
それも気が進まなかったが、上司を通してギルモアにそういう話が漏れてもよくないという気がして、ジョーは勧められるまま、短い休暇をとった。
 
気さくな友人達は、それまでもジョーの家をしばしば訪れていた。頼みもしないのに、掃除をしたり、挙げ句、泊まり込んだりもした。
この家はなんとなく落ち着くのだ、と笑いながら。
そして、彼らは、ジョーが休暇をとった翌日の夕方に、早速前触れもなく押しかけてきた。思い思いに酒や食べ物を持ち寄りながら。
これじゃ、休暇にならないじゃないか…と思いながらも、彼らの温かさがジョーには嬉しかった。
 
「ああ、もう冬なのねえ…あんなにキレイだった花がすっかり枯れてしまったわ…」
 
辺りが薄闇に包まれ始めた頃。
カーテンを閉めようと立ち上がった女性がもらした、いかにも残念そうな声に、ジョーははっと顔を上げ、庭を眺めた。
彼女の言うとおりだ。
ついこの間まで華やかに咲いていた秋の草花が枯れ草となり、風にそよいでいる。
ふと、思った。
 
そういえば、前にフランソワーズが来たのは…いつだったんだろう?
 
…思い出せない。
 
枯れ草となっている草花は、たしかに、彼女が春先に蒔いたものだ。
夏の盛り、草取りにも来てくれた…かもしれない。
でも、その後は…?
 
そうだ。
初秋の休日に、咲き誇る可憐な花々を楽しんだのは、この友人達と一緒に…だった。
フランソワーズは、来なかった。
 
 
 
友人達を駅に送り届けてから、ジョーはまっすくギルモア研究所に向かった。
訪問するには遅すぎる時間だったが、嫌な胸騒ぎが抑えられない。
 
研究所に灯りはついていなかったが、ジョーは迷わずガレージに車を止め、玄関の鍵をあけた。
小さい女物の靴がきれいに揃えてあるのに気づき、少し胸をなで下ろす。
が、やはり、ちゃんと確かめておきたい。
 
真っ暗な廊下をそのまま進み、地下室への扉を開ける。
フランソワーズやイワンが眠っていても、ギルモアは深夜まで地下で研究を続けているのが常だった。
案の定、地下室の廊下は明るかった。
 
慌ただしくノックをし、扉を開けると、ギルモアが飛び上がるように立ち上がり、ギクリと振り返った。
 
「なんじゃ、ジョー…か。いきなりどうしたんじゃ?」
「……」
 
ジョーは答えなかった。
ギルモアが懸命に操作していたコンピューターのディスプレイに、目が釘付けになり、何も耳に入らなかったのだ。
 
これは……まさか。
 
「ま、待てっ、009!」
 
顔色を変えて部屋を飛び出したジョーを、ギルモアは慌てて追った…が、彼に追いつけるはずもない。
次の瞬間、メンテナンスルームの扉が開く気配と同時に、聞いたこともない悲痛な叫び声が廊下に響き渡り……ギルモアは思わず堅く目を閉じた。
 
「…ジョーよ」
 
メンテナンスルームに入ると、ギルモアはうずくまっているジョーの両肩を静かに抱き、それが小刻みに震えていることに気づいた。
 
「…どういう、こと…なんですか、博士…?」
「まず落ち着くんじゃ…よくごらん、彼女は死んでいるわけではない」
「でも…っ!目を覚まさないじゃないですか…!」
「いいから、こちらに来なさい…リビングで温かい飲み物でも飲もうじゃないか、ジョー。ワシもちょっと休憩したくなってきたわい」
「イヤだ…っ!僕は、ここに…」
「オマエがここにいても何もできんじゃろう?…とにかく、頼むから落ち着いておくれ」
「……っ!」
 
ジョーは堅く唇を噛み、ゆっくり顔を上げると、無数のチューブをつながれて眠っているフランソワーズの青白い頬を見つめた。
 
 
 
「それも、運命だ…まして、彼女がそう望むのなら」
 
アルベルト・ハインリヒはそう言った。
他の仲間達と同じように。
 
フランソワーズに起きた異変についてギルモアの説明を聞き、彼女が残した手記を読んだ後、ジョーはやみくもに00ナンバーたちに電話をかけまくった。
彼らは驚き、嘆きながらも、最後にはこう言った。
それも、運命だと。
 
「どうして、そんなことが言えるんだ、君も…みんなも!放っておいたら、フランソワーズは死ぬんだぞ!それも、もう長くないうちに…」
「そうなればいいと言っているわけではない。それが運命なら受け入れるしかないと…」
「運命なんかじゃない!…彼女は治るんだ、ギルモア博士の手術を受けさえすれば!」
「だが、それを彼女は望まなかった…なあ、ジョー。お前にはわからないのか?俺たちは、知らないうちに自分の体をいじくられるなんざ、もうゴメンなのさ」
「そういう問題じゃないだろう?…彼女を、助けたくないのか?」
「助けたいさ……助かるものなら、な」
「助かるとも!それなのに、どうして博士も君たちも…!」
「俺が気になるのは、彼女よりお前の方だな、ジョー。何がそんなに気に入らないんだ?」
「…何が…って。君は、それでも、彼女の仲間なのかっ?」
「同じことをお前に問おう。仲間なら、彼女の意志を尊重するべきだ…それが、どんなに…身を切られるようにツライことでも。違うのか?」
「…違う…違う、違うっ!」
「お前は、彼女を思っているんじゃない…自分の心配をしているだけさ…そうだ、001に頼んでみるといい」
「…001に…何を?」
「お前から、003の記憶を消すことを…だ」
「……なっ?」
「受け止められないなら、そうするしかない」
「アルベルトっ!」
 
アルベルトは受話器を叩き付けるように置き、深く息をついた。
 
「バカが…」
 
たしかに、時間はもうないのだ。
その僅かな時間の中で、彼は気づくことができるだろうか?
全てを握っているのが、他の誰でもない…彼女自身ですらなく、自分である…ということを。
 
かけがえのないものを永遠に失う前に。
 
それが「009」なら、できる、と確信したかもしれない。
だが「島村ジョー」なら…。
 
アルベルトには、わからなかった。
 
 
 
…記憶を、消せばいい。
 
そんなことは、考えたこともなかった。
たしかに、001ならできるだろう。
 
彼女に関する、全ての記憶を消すのは寂しすぎる。
だが……。
 
ジョーはぼんやりと歩き続けた。
ギルモアに勧められ、数週間ぶりに家へ帰ることにしたのだ。
 
ここにいても、できることは何もない。
 
そのとおりだと思い知った。
フランソワーズが、仲間達に隠してほしいと願ったのも、まさにそれゆえだったのだ。
 
知ったからといって、何もできない。
ならば、知らないですごしてほしい。最後の時が訪れるまで。
全てが終わっていた方が、受け入れることも楽なのだから。
 
フランソワーズの異変は、彼女に残されていた生体部分が、原因不明の壊死を起こしたことによるものだった。
彼女は、それらの切除…「治療」は拒まなかったが、それらをギルモアが開発した精巧な人工臓器に置き換えること…「サイボーグ手術」は拒んだ。
 
異変が始まったのは、春だったという。
そういえば、彼女の訪問が間遠になっていたのもその頃からだった。
庭に種を蒔きながら、この花が咲くのを見ることはないかもしれない、と彼女はひそかに覚悟していたのか。
 
最後に訪れた日…あの、真夏の盛りも、彼女は熱心に庭の草取りをしていた。
きっと苦しかったにちがいない。
それなのに、自分は何も気づかなかった。
あの数日後、彼女は研究所で倒れ、それから起き上がれなくなったのだという。
 
もし、戦場だったら…と、ジョーはちらりと思った。
おそらく、何も気づかなかったはずはない。仲間の体調に気を配るのは、リーダーとしての009のつとめだったから。
そうした異変に気づくだけの能力も、自分にはある。間違いなくある。
 
ということは、つまり…何も気づかなかったということは、つまり、自分はあのとき、彼女を全く見ようとしていなかったのだ。そんな自分を、彼女はどう思っただろう。
そして、それが…そんな冷淡で無神経な男が、彼女が見た最後の島村ジョーだったというのか。
 
苦しい。
考えれば考えるほど、苦しかった。
 
それでも、ジョーは考え続けた。
何も考えないでいると、彼女の「死」に世界が全て覆い尽くされてしまう気がしたから。
その恐ろしさに比べれば……
 
…イワン。
 
ジョーは立ち止まり、星空を仰いだ。
 
君なら…すべてを忘れさせてくれるのか?
この苦しさも…恐怖も。
 
そう、なのかもしれない。
世界は何も変わっていないのだから…本当は。
その証拠に、彼女が死のうが生きようが、数週間前まで僕は穏やかにすごしていたではないか。
彼女を忘れて、僕は幸せだった。
その状態に戻るだけのことだというのなら……
 
記憶を消す。
数週間前の、あの状態に僕を戻す。
僕は彼女を忘れ…思い出すこともなく。
それが君の願いでもあるというのなら…フランソワーズ。
 
のろのろと歩き続け、ようやく家にたどり着いたときは、夜が明け始めていた。
庭には真っ白に霜が降りている。
その片隅に、ふと目が釘付けになった。
 
ティーローズ。
 
フランソワーズはそう言っていた。
四季咲きのバラ。
 
夜明けの薄明かりの中で、萎れた花は固まった血のように赤黒く見えた。
近寄って手を伸ばすと、霜に覆われ、枯れた葉がぱらぱらと落ちる。
 
世界は何も変わらない。
僕が、君を忘れていればいい。
 
――本当に?
 
ジョーは、はっと顔を上げ、堅く唇を噛みしめた。
ドアをはね飛ばすようにして家に駆け込み、部屋の奥にしまいこんだ防護服をひっぱりだすと、素早く身につけ、スーパーガンを取る。
パラライザーから、レイガンにモードを切り替え、ホルスターに納めた。
 
嘘だ。
世界は、変わる。変わってしまう。
だから、僕は君を忘れない。
もう二度と、忘れはしない。
 
僕を恨むがいい、フランソワーズ!
 
 
 
「…あら?」
 
フランソワーズは首を傾げた。
庭の片隅に、覚えのない花が咲いている。
 
「ティーローズだわ…いつの間に」
 
街で可愛らしいフロックスの苗を見つけ、ここに植えようと思って買ってきたのだが。
いつからあったのだろう。
気づかなかった、というのが不思議だ。
 
「どうしたんだい、フランソワーズ?」
「…ジョー。博士のご用は?」
「うん、終わったよ…ああ、可愛い花だね、買ってきたんだ…どこに植えるの?」
「ここ…と思ったんだけど…これが」
 
フランソワーズが指さした先を見て、ジョーは何度か瞬きした。
 
「ああ。それは、僕の花だよ」
「…え?」
「冬の間に、前の家から持ってきたんだ。枯れたと思ってたんだけど、ジェロニモが見てくれて、そうじゃないっていうからさ」
「前の…ああ、あのティーローズね!…でも、どうして…?」
「…僕の、花だからね」
「ジョー…?」
「悪いけど、それは動かさないで。せっかく根がついたところだから……って、ピュンマが言ってたんだけどね」
「え、ええ…わかったわ」
 
そのまま手伝おうとするでもなく、ジョーはフランソワーズにくるっと背中を向けた。
ということは、急に園芸に興味が出てきた…というわけでもないらしい。
 
「ジョー!」
「うん…なんだい?」
「この花が好きなら、もう少し増やしましょうか?…垣根の方まで、ずうっと…」
「ああ、そんなことしなくていいよ…君も言ってたじゃないか、ありふれた花だって…わざわざ新しく植えることもないだろ?」
「……」
 
そう、なんだけど…。
よくわからないヒト。
 
首を傾げるフランソワーズに、ジョーの表情がふと険しくなった。
あ、と思う間もなく、腕をつかまれる。
 
「…どこか、調子が悪いのか?」
「い、いいえ…」
「すぐ博士に診てもらおう」
「そんな…大丈夫よ、ジョー。本当に何でもないもの…それに、博士だってお忙しいし…」
「いいかい、フランソワーズ」
 
ジョーはじっとフランソワーズを見つめた。
 
「忘れるな。君は、もう君のものじゃない。僕のものなんだ…だから、僕の命令は聞いてもらう。それに、博士だって、研究をするための命が惜しいのなら、僕の言うことを聞かないわけにはいかないんだよ」
「…ジョー」
「いいから、来るんだ…!」
 
痛いほど腕をつかまれ、引きずられながら、フランソワーズはこっそり息をついた。
 
あの日。
もう目ざめることはないと思い、目を閉じてから…長い時が過ぎたのだという、あの朝。
目を開くと、まぶしい光の中に、彼がいた。
 
「君は自分で自分を捨てた。だから、これからの君は、君のものじゃない。君の全ては僕のものだ」
 
何を言われているのか、自分がどうなっているのかもわからないまま、フランソワーズはぼんやりうなずいた。
すると、怖いほど厳しかった彼の眼差しが、少しずついつもの柔らかい光を帯び始め……
その後のことは、あまり覚えていない。
 
気がついたときには、自分の体はギルモアによってすっかり再改造され、回復していた。ジョーが、無理矢理そうさせたのだという。ギルモアの足には、そのときジョーに抵抗しようとして撃たれた銃創が生々しく残っている。
 
そう聞かされたフランソワーズには、それを嘆く時間も憤る時間も与えられなかった。ほどなく始まった、ジョーの嵐のような求愛におし包まれ……いつのまにか流されてしまったからだ。
あれから、彼は片時も自分を放そうとしない。
 
それでも、とフランソワーズは思う。
あの目ざめたばかりの頃と比べたら、今はずいぶん彼ものんきになってきた気がする。
たとえば、こうやって、一人で街に買い物に出ても何も言われなくなった…とか。
 
 
きっとそのうちにあなたは忘れてしまうわ、私のこと。
いつもそうだもの。
 
 
 
ドルフィン号が空に舞い上がり、急上昇するのと同時に、大爆発が起きた。
追っ手は来ない。
どうやら、今の爆発に巻き込まれてくれたようだ。
脱出作戦は、ひとまず成功した。
 
「…003」
 
放心したように眼下の炎を見つめているフランソワーズの肩を、ジョーはそっと抱いた。
 
「研究所…燃えてしまったわ…」
「ああ」
「でも、行かなくちゃ…」
「うん…大丈夫。僕達は必ず勝つ。今までと同じだ」
「ええ、わかってる」
「そうそう、元気出すね、003!この戦いが終わったら、また立派な研究所作るヨロシ!」
「本当にそうね、006…ありがとう」
 
フランソワーズはにっこり微笑むと、ジョーに明るい瞳を向けた。
 
「そうしたら、また新しい花を植えましょう…ね」
「そうだね…」
 
――でも。
 
ジョーは心でつぶやき、フランソワーズの手を確かめるように握りしめた。
 
僕の花は、ひとつだけだ。
新しいのなんか、どこにもない。
だから…守り抜くだけ。
この命がある限り。
 
君を……僕の、世界を。
 
更新日時:
2007.10.09 Tue.
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Last updated: 2010/9/3