ホーム 009的日常 更新記録 案内板 日常的009 非日常的009 日本昔話的009 009的国文 009的小話 学級経営日記
玉づと 記念品など Link 過去の日常 もっと過去の日常 かなり過去の日常 009的催事

非日常的009

明星
わたしは何を得ることであらう
わたしは必ず愛を得るであらう
その白いむねをつかんで
わたしは永い間語るであらう
どんなに永い間寂しかつたかといふことを
しづかに物語り感動するであらう
 
室生犀星「愛あるところに」(『愛の詩集』より)
 
 
 
「そういうの、好きだぜ、アイツ」
「…え?」
 
振り返ると、ジェットが生真面目な目でじっと見ている。
僕は、何気なく手にとった小さいガラスの靴に目を落とした。
アイツって…彼女のことだよな、もちろん。
 
黙って棚に戻す。
 
「買わないのか?」
「…お土産なら、もっと使えそうなものがいいよね」
「はぁ…?」
 
なんなんだオマエ、ちっとも変ってねえな、いいか、女ってのはな。
 
機関銃のようにまくしたてるジェットにこっそり苦笑し、ぶらぶら店の中を歩いた。
使えそうなもの、といっても、実はよくわからない。
彼女が、今どんな暮らしをしているのか、僕はほとんど知らない。
 
ジェットが研究所を出てから、約八ヶ月。
フランソワーズが研究所を出てからは、半年になる。
烈しい闘いで、九死に一生を得てから、ほぼ一年たっていた。
長かったような、短かったような。
 
「オマエ、ホントに大丈夫なのか?」
「…何が?」
「会えるのかよ、アイツに?」
「うん…一日だけね。休暇がうまく合わなかったんだ。でも、会えることは会えるよ。間違いなく。」
「…そうじゃなくて…キモチのことを言ってるんだよ、オレは!」
 
…キモチ。
 
「半年もロクに音沙汰なしでよ…第一、どうしてアイツ、パリに帰ったんだ?」
「それは…わからないけど。でも、毎日楽しいって言ってたよ」
「いつ?」
「一昨日電話くれたとき…元気そうな声だった」
「ふゥん…?」
 
どうして帰りたかったのか…は、わからない。
でも、彼女は帰りたがっていた。それはハッキリわかった。
 
結構、周囲には心配をかけたらしい。
コズミ博士までが「何かあったのかね?」と聞いてくれた。
 
何かあったのかどうか、それもわからない。
ただ、彼女がパリに帰りたがっていて…一人で暮らしたがっていることだけはわかったから…
僕たちは離れて暮らすことにした。
 
…というか。
他に選択肢がなかった。
僕も、新しい仕事が決まっていたし。
 
 
 
彼は、変った。
 
全てを背負って闘い、そして死の淵から帰ってきたのだから…変らない方がおかしいのかもしれない。
 
長い長い昏睡状態から目覚めた彼は、ひどく不思議そうに私を見つめて…それから微かに笑った。
後で、どうして笑ったのか聞いてみたけれど…覚えていないよ、と困惑していた。
それもそうね。
笑ってくれて、よかったと思うけど。
 
初めて、おかしいと思ったのは、彼が歩けるようになって、一緒に海岸を散歩したとき。
 
不意に、彼の手が私の背中に触れた。
驚く私に、彼は微笑んで、ちょっと足元がふらつく気がする、と言って。
慌てて博士のところへ行ってチェックしてもらったのだけど…
 
そう。
彼なら…今までのジョーなら、少し足元がふらついたぐらいで、不調を口にしたりはしなかった。
辛抱強い…といえばそうなのだけど、それでは困る、とよく博士に叱られていた。
 
九死に一生を得て、自分を大事にすることを覚えたのかもしれない…と漠然と思った。
それなら、それほど不思議ではないのだけど…でも、それだけではなくて。
 
何がどう、と説明することはできない。
でも…彼は変った。
笑顔も、何気ない仕草も、眼差しも…前とは違う。
 
それがイヤだというわけではなくて。
いいえ、むしろ……。
…でも。
 
何かが変った彼の傍らで、私も少しずつ変ったように思う。
なんだか…肩の荷が下りたような気がした。
肩の荷ってなんだろう、と思うと、それもわからないのだけど。
 
ある朝、食堂に降りてきた彼が、「おはよう」と微笑んだときだった。
明るい赤褐色の目に、思わず釘付けになった、そのとき。
 
私の中に、さっと眩しい光が差し込んだ。
突然思った。
 
パリに、帰ろう。
帰りたい。
 
…と。
 
 
 
…どこに、落ちたい?
 
遠い囁きに、僕はぼんやり目を開いた。
腕時計に目を落とす。
 
…パリ到着まで、あと、3時間。
 
どこに落ちたい、なんて。
こんなところで、縁起でもないよな。
そう思うと、なんだかおかしくなった。
 
僕は、どこに落ちたかったのだろう。
時々考える。
 
あのときは、わからなかった。
 
ただ、全てをやり遂げたという不思議な開放感だけがあった。
ジェットが僕のために命を落とそうとしている…という痛みも、体が溶け始めたあのとき、どこかに消えた。
 
これでいい。
 
僕は、それだけ思って目を閉じた。
 
後で、ジェットにからかわれた。
オマエ、ほんとはアイツのところに落ちたい、と思っていただろう?
あのとき、返事をしなかったのが何よりの証拠だ、と。
例によって、わかるようなわからないような理屈を言い、彼は笑った。
 
でも、本当のところ、最後に彼女を想って目を閉じたのは…僕よりジェットの方だったんじゃないかと思う。
彼はそう言われるのを望んでいないけど。
きっと、死ぬまで。
 
僕は、どこに落ちてもいいと思った。
全てをやり遂げ、何も望むものはなかった。
僕は、ジェットの体をもう一度抱きしめ、静かに目を閉じた。
 
 
次に目を開けたとき。
きれいな碧の瞳が僕を一心に見つめていた。
この人は、だれだろう…とぼんやり思った。
 
そして、だれでもいい、とも思った。
それは、どうでもいいことだと思ったんだ。
 
僕は、その透明な碧をただ見つめていた。
そうしていれば、大丈夫だという気がして。
…やがて。
 
空気が微かに震えた。
「ジョー」とよぶ声が聞こえた。
 
…僕は、僕を思い出した。
 
 
結局、僕が選んだ「お土産」はそれほど実用的なものではなかった。
 
僕がそれを手に取り、店員に渡すのを見て、ジェットは何か言おうとした。
口を開き…すぐ噤んで。
いきなり僕の背中を思い切り叩いた。
 
かなり、痛かった。
 
 
 
彼は、不意に跳ね起きると、ガウンをひっかけて…さっき脱ぎ捨てた服を拾い、何か探り始めた。
 
「…どうしたの、ジョー?」
「うん…キミに、渡す物があったんだ…ええと…これだ!」
 
体を起こした私にふわっともう一つのガウンを投げてから、彼はベッドに腰掛け、小さい包みを差し出した。
 
「…はい。開けてみて。」
「なあに…?」
「いいから、早く…!あ。ちょっと待って、目は…」
「使わないわよ…いやね、ジョーったら。」
「…ごめん。」
 
細いリボンをほどいて、包み紙をといて、箱を開けて…そのまま黙っている私に、彼は心配そうに言った。
 
「あの…」
「…え?」
「それ…ホンモノじゃ、なくて…」
「…ホンモノ?」
「クリスタルガラスなんだって…だから、その…」
「…ジョー?」
「ダイヤじゃ、ないんだけど…」
 
私はあっけにとられて、うつむく彼を見つめた。
…笑いがこみ上げてきた。
 
「な、なんだよ…何がおかしいんだ、フランソワーズ?」
「…う、ううん…ごめんなさい…だって…当り前じゃない、これが全部ダイヤモンドだったら…スゴイ値段のはずよ。」
「…やっぱり…おかしかったかな。」
「そんなことないわ…嬉しい…ありがとう、ジョー。」
「…フランソワーズ。」
「ホントよ…ごめんなさい…なんだか、びっくりしてしまったの…きれいね…とっても。」
 
本当に…私は、ただ驚いていた。
 
小さなクリスタルガラスをちりばめたイヤリング。
星を集めたようにきらきら光って。
 
手の中で踊る光に見入っていた私を、彼の声が引き戻した。
 
「つけてみてよ…似合うと、いいけど。」
「…ええ……あら?」
「…どうした?」
「あら…?やだ…ええ、と…」
 
留め金のネジをくるくる回して、緩めて…なのに、イヤリングは台から外れない。
彼がひょいっと私の手元を覗き込んだ。
 
「おかしいわ…これ以上緩めたら…」
「こう、するんじゃないの?」
 
彼がぐい、と金具を押し広げたので、私は危うく声を上げそうになった。
 
「ほら。ここで、はさむんだよ…バネみたいになってる。」
「…ホント。」
 
私は、ぼんやり彼からイヤリングを受け取った。
 
「よくできてるのねえ…」
 
ちょっと恥ずかしくなって、笑った。
不思議そうに見ている彼に説明する。
 
「こういうの見たの…初めて。昔はね、こんな具合のいい金具、なかったのよ。」
「…フランソワーズ?」
 
そうだわ。そうよ。
…と、いうことは…つまり。
 
彼は少し戸惑うような目をしている。
なるべく明るく聞こえるようにと、心に願いながら言った。
 
「あれから、イヤリングを買ったことなんてなかったのね、私…本当に嬉しいわ、ジョー…ありがとう。」
 
彼は黙って私を抱きしめた。
 
 
 
君に、話したいことがあった。
いっぱい、あったと思う。
 
日本で、僕は君の夢ばかり見ていたような気がする。
君に…君だけに話したいことを数えていたような気がする。
僕は、寂しかった。
会えないのは仕方がないことだとわかっていても、寂しかった。
 
…でも。
 
こうして望みどおり君を抱いているのに。
君は全てを受け入れる眼差しで、僕を見つめてくれるのに。
君に話したいと思っていたことを、僕は忘れてしまった。
ほんとに、忘れてしまった。
 
全部、夢のようだ。
今君と抱き合っていることも。
明日、また離ればなれになることも。
 
「…やっぱり、思い出せない。」
 
つぶやくと、君はくすくす笑った。
 
「おかしなジョー…ね、もう…休みましょう…だって、明日は…」
「もう少し…もう少し待ってよ…思い出すから…!」
「忘れるってことは、重要な話じゃない…ってことでしょう…?」
「そんなことない…大事なことだよ…すごく、大事な…」
 
君は僕を軽く抑えて…言った。
 
「それじゃ…ね。あなたが、思い出したときに聞いてあげる…だから…」
「だめだよ…!明日は、もう…帰らなくちゃいけないのに…」
「大丈夫…いつでも、聞いてあげるわ…どこにいても。」
「…フランソワーズ…?」
「本当よ、ジョー…」
 
優しい、優しい声だった。
 
 
やがて、君の細い指が僕の髪に静かに入り込み、僕を甘い眠りへと誘う。
逆らうことなんて、できはしない。
わかっていて、僕はもう一度だけ抵抗してみる。
 
「ずるいよ…君は、早起きしたいだけなんだ…僕は…パリ見物なんて…いいのに……」
「…ダメ。明日は、お買い物に付き合ってもらうんだから」
「…え?」
「このイヤリングに合う服を探さなくちゃ…」
 
もう、君の声は遠ざかり始めている。
楽しそうにくすくす笑う声が僕の耳を微かにくすぐった。
 
眠りに落ちる瞬間。
君の手を握りしめた。
離れてしまわないように。
 
目が覚めて…思い出したら。
君に話したかったことを思い出したら。
 
すぐ、君をつかまえて…全部話すことができるように。
 
 
 
本当は、私も彼と同じ。言えなかった。
言いたいことがあんなに心に溢れていたのに。
口にしようとする片端から、言葉は泡のように消えてしまって。
 
私たちは、結局朝寝坊して…買い物はできなかった。
彼の飛行機が見えなくなるまで見送ってから、私は空港を後にした。
 
それから、夕暮れまで…
泣きたいくらい優しい故郷の街で、彼が集めてくれた星の光を頼りに、私は私を探して歩いた。
もう、とっくに失われていたはずの私を。
失われていたことにさえ気づかなかった、私を。
 
君は、なんでも似合うよ…どんな服だって素敵だよ、と彼は真面目に言ってくれた。
でも…でもね、違うのよ、ジョー。
 
なんて長い間、忘れていたんだろう。
私は、003ではなくて。フランソワーズ・アルヌールでもなくて。
ただ、私だったのに。
 
あの頃、私はいつも私に話しかけていた。
レッスン室の鏡の前で。
お気に入りのショーウィンドウの前で。
 
あのとき…私から全てを奪った悪魔は、私から私も奪っていった。
私は、003になった。
フランソワーズ・アルヌールになった。
そうならなければいけなかった。
 
戦士になり、仲間になり、友人になり、妹になり、娘になり、母になった。
望まれるまま…それを望んでくれる人の心のまま。
望まれることは…嬉しいことだったから。
 
私は私を亡くしたままで、亡くしたことにも気づかずに、闇の中に座っていたんだわ。
そこが闇であることにさえ気づかずに。
 
彼がくれた星の光は、ささやかで…でも、強い。
この光が私の中で消えることは、きっとない。
 
私は私を探しにいくの。
あなたがくれた星の光をかざして。
本当は、もう私なんてどこにもいないのかもしれないけれど。
あのとき、奪われて…消えてしまったのかもしれないけれど。
 
でも。
それなら、私はもう一度生まれよう。
あなたがくれた、星の光を浴びて。
 
私がただ私であることだけを望んでくれた、世界でたった一人のあなた。
 
ああ、ほら…
やっぱり、言葉は消えてしまう。
あなたに話したいことがこんなにあるのに。
こんなに、心に溢れているのに。
 
いつか…いつか聞いてくれるわね、ジョー。
そのときがきたら。
あなたは、いつでも、私の言葉を受け止めてくれるわね。
 
 
 
僕は、どうして生まれたんだろう?
なぜ、生まれてしまったんだろう?
 
いつも、そのことを考えていた。
考えていた…ということを微かに覚えている。
 
一度だけ、彼女の前でそれを口にしたことがあった。
彼女は、黙って僕を抱き寄せて…そのまま僕の背中を撫で続けた。
 
僕は、いつも探していた。
僕が、この世に生まれたわけを。
 
理由が、あるはずだと思った。
僕には、なすべきことがあって、それをなすために生まれてきたのだと、いつも思っていた。
 
あのとき。
 
僕は、それを果たした。
全てやり終えた。なすべきことを。
 
…そう思った。
 
僕は僕の役目の全てを果たし、落ちていった。
だから、どこに落ちてもよかったんだ。
 
 
そして、僕は目覚めた。
 
僕は、どうして生まれたんだろう?
なぜ、生まれてしまったんだろう?
 
そう自分に問わなくなったことに気づいたのは、ずいぶんたってからだった。
いつのまにか僕の心から、その問いが消えていた。
 
答がわかったから…ではない。
どうして生まれたかなんて、きっと誰にもわからない。
わからないけど、みんな生きているんだ。
 
ただそれだけのことに、不意に気づいた。
 
気づいたとき。
たった一人で広い荒野に立っているような、そんな気がした。
 
誰も、僕に何も望まない。
誰も、僕を支えない。
僕が支えるべき人も、どこにもいない。
僕には、この世でやるべきことなんて、何一つなかったんだ。
 
でも、僕はこうして立っている。
たった一人で、それでも歩いている。
 
君がくれた、あの星を目印にして。
あの日、目覚めたとき。
僕が僕であることを教えてくれた、碧の星。
 
フランソワーズ。
僕は、どうしようもないくらい一人だよ。
あんなに怖がっていた一人きりの世界に、僕はこうやって立っている。
当り前のようにして。
だって、当り前なんだ。それだけのことだったんだから。
 
いつか、君に話したい。
君を思いきり抱きしめて、そして全部話してしまおう。
 
君はいつでも聞いてくれる、と言ったね。
どんなに遠く離れていても。
僕が思い出したら、すぐに聞いてくれると。
 
本当に、君はそうしてくれると思う。
だから、いつかきっと、話すよ。
君にしか話せない、ただ一度きりの話を。
 
 
帰り着いた僕を迎えるように、電話が鳴った。
あのイヤリングにぴったりの服を見つけた、と君が弾む声で告げる。
 
それなら、また、会えるね。
 
今度は、きっと話すよ。
全部思い出して、そうして話してしまうんだ。
 
全部思い出して、全部話し終わるまで、君を抱いていたい。
どれだけ時間がかかっても、ずっと離さない。
 
そのときはくる。きっとくる。
 
それまで、僕はここから君を見つめ続けよう。
君がくれたあの星を目指して、一人で歩き続けよう。
 
いつか、きっと。
そのときがくるまで。
 
更新日時:
2003.09.03 Wed.
prev. index next

ホーム 009的日常 更新記録 案内板 日常的009 非日常的009 日本昔話的009 009的国文 009的小話 学級経営日記
玉づと 記念品など Link 過去の日常 もっと過去の日常 かなり過去の日常 009的催事


Last updated: 2010/9/3