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非日常的009

花(山川登美子)
 
うたがはず怖ぢず我知る君ひとり賜へいのちのおくに栖ませむ
をみなにて又も来む世ぞ生まれまし花もなつかし月もなつかし    
 
                              山川登美子
 
 
1
 
あなたの負けよ、ボグート。
あなたたちは、勝てない。
 
私がほしいものを、あなたは持っていない。
 
ほしいものを何でも与えると言ったあなた。
ほしいものを手に入れたいと願うのは、人間として当然のことだと言ったあなた。
 
手段を選ぶな。
きれいごとを言うな。
お前たちには、ほしいものがあるだろう。
あのトカゲどもも、地上のやつらも、お前たちを踏みつけ、それを奪ってきた。
今度は、お前たちの番だ。
 
でも、あなたは持っていないじゃない。
私がほしいものを、あなたは持っていない。
 
撃てばいいわ。
私は知っている。
あなたたちは、勝てない。
 
「ヘレン…!!」
 
心が締め付けられるような叫びは、彼女の声。
その傍らで、きっと息をのんでいる、あなた。
 
…009。
 
私は知っている。
勝つのは、あなたよ。
 
 
 
「…きれい」
「バラの花よ…」
 
わかる…?と碧の目が親しげに瞬いた。
ヘレンは、微かに首を振った。
 
「あ…ごめんなさい、私ったら…いいわよね、きれいだって思うだけで、それで…」
「あなたが…育てたの?」
 
003はちょっと考え込み、曖昧に首を振った。
 
「植えたり、剪定したりしてるのは005と008よ…私は、こうやって水をやっているだけ」
「ほんとうに、きれい…」
「少し、切っていきましょうか?」
「え…?」
「切った方が木のためにもいいんですって…小さい花束を作ってみない?テーブルに飾るの」
 
ヘレンの顔に、微笑が広がった。
 
「でも…みなさんの…ご迷惑にならないかしら」
「まさか…!そう…ねぇ…フフ、たしかに、素直にきれいって言ってくれるかどうかはアヤシイけど」
 
くすくす笑う003を、ヘレンはけげんそうに見つめた。
 
「でもヘレン…少なくとも、009はとても喜ぶわ」
「本当…?」
「ええ…ハサミ、持ってくるわね」
 
009が喜んでくれる。
本当かしら。
あの優しい目で笑ってくれるかしら。
 
 
 
「ほう!これは可愛らしい…003じゃな?」
「あ…私じゃないんです…ヘレンが作ってくれたのよ」
「…ヘレンが?そうなんだ…!」
 
009は顔を上げ、テーブルの花束を嬉しそうに眺めた。
 
「すごくきれいだよ…ヘレン」
「あ…ありがとう…003が…教えてくれて」
「003が?」
 
テーブルの向こうで微笑みながら顔を見合わせている二人の少女に、009はふと目を細めた。
 
「きょうだいみたいだね、そうやってると」
「…どっちがお姉さん?」
「…え?!」
 
あからさまに、しまった、という顔になった009に、003はつんとしてみせた。
 
「あら…ごめんなさい、違ったわ、お母さん…ううん、おばあちゃんよね」
「また…君はそういうことを…っ!」
「あ…あの…」
 
おろおろしかけたヘレンに、グレートが軽くウィンクした。
 
「ほっとけほっとけ、ヘレン…じゃれ合ってるだけ、いつものお約束、さ」
「…え?」
「グレート…?聞こえてるンですけど?!」
 
おぉっと、くわばらくわばら、と口の中で言いつつ、グレートは新聞をわざとらしく広げた。
 
「…もう…!」
 
口をとがらせた003の頬が微かに染まっている。
バラの花みたい、とヘレンは心でつぶやいた。
 
 
 
姉さん。
 
あなたの心に映ったものを、私たちは見ることができた。
あの男の狙いどおり。
でも、あの男は、気づかなかった。
…それが、どういう結果をまねいたか。
 
姉さん。
あなたの心の中に、私たちは初めて見たの。
本当の花というものを。
 
あの男が私たちに見せた、地上の美しいものたち。
中でも、光を浴びて咲き誇る鮮やかな花々に、私たちは目を奪われた。
 
でも、あれは本当の花ではなかった。
 
姉さん。
あなたが、その手で摘んだ、あの小さな花束。
朝露を含み、明るいテーブルに置かれた、あの花束だけが…
私たちが見た、本当の花。
 
姉さん。
あなたは、何も知らず…でも、その曇りのないまなざしで、私たちに全てを見せてくれた。
 
本当に美しいもの。
本当に悲しいもの。
 
私たち、わかっていたわ。
あの人は、姉さんのものにならない…って。
 
でも、姉さんはそんなこと…気にかけようともしなかったわね。
ただ、その人の笑顔のために一心に花を摘んで。
その人の笑顔のために笑って。
 
あの男なら、なんて言うかしら。
奪え、と言うのかもしれない。
 
彼を手にいれればいい。
彼女を殺し、仲間達を殺し、彼の力を奪い、ここに閉じこめればいい。
お前のもとに。
 
愚かなことを…!
 
私たちはあの男を見放した。
あの男は、私たちのほしいものを持っていない。
私たちが何がほしいかさえわかっていない。
 
バン・ボグート。
私たちは、もうあなたを信じない。
 
 
 
少しずつ、わかってきた。
わかればわかるほど、望みは薄れていったけれど。
 
私、あなたと同じ場所にはいられないのね、009。
 
たとえブラック・ゴーストを倒し、地上の人間と私たちとが手を取り合い、ともに光の中を歩く時がきても。
あなたは、その光の中にいられない。
 
「これから闘おうとしている僕が平和を願うのは、なんだか…矛盾してる気がする」
 
あなたは、静かにつぶやく。
 
戦火の中で、あなたはいつも真っ先に私を庇ってくれる。
私が、ここにいるべき者でないと思っているから。
 
私を…私たちを、あるべきところに帰すために、あなたは戦っている。
そこがどこなのか、私にはわからない。
そんな場所があるのかどうかさえ。
たぶん、あなたにも。
 
そんなときが来るとは思えない。
でも、そのときが来たら。
戦いが終ったら、そのとき…私たちは離ればなれになる。
あなたは淋しく微笑んで、私に背を向ける。
 
 
「ドルフィンが…沈む?!」
「モングランで脱出するんだ…急げ!」
 
烈しく揺れる船。爆発音。
 
「急いで…こっちよ!」
 
003が私とビーナを誘導した。
 
「003…!」
「…ジョー?」
 
微かに聞こえた余裕のない叫び声に、003が鋭く振り返った。
私の心臓も跳ね上がった。
今の声…009…?!
 
「いけない、009が囲まれてる…!ヘレン、ビーナ、ここを真っ直ぐ走って!突き当たりまで行ったら、誰かが来るのを待っていればいいわ」
「003…?」
「大丈夫、ここから先、敵はいないし…通しもしないから」
 
003は銃を抜き、くるっと踵を返して駆けだしていった。
足音が遠ざかる。
撃ち合いの気配。爆発音。
 
「…行きましょう、お姉さん」
「え、ええ…」
 
行くしかない。
私は、何の力にもなれない。
 
 
 
あの男は、唇をかすかにゆがめ、笑った。
銃口が閃く。
 
次の瞬間。
 
「…アル…ベルト…!」
 
薄れかけた意識に、奔流のように流れ込む、妹の想い。
 
「ビーナ!!」
 
アルベルト。
彼の名前。
 
あのとき。
ともに戦い、心を通わせ、命を投げ出そうというときに。
妹がそっと抱きしめた…彼の本当の名前。
 
あの人の名前を、私は知っている。
でも…
私には、呼べない。
 
「ヘレン…!」
 
悲鳴のように叫ぶ彼女。
あの人の名前を呼ぶ人…003。
あの人とともに戦い、心を通わせ…命を投げ出す人。
 
…そう。
彼女があの人を呼んだから、私はあの人の名前を知った。
 
私は…守られていただけ。
記憶を失い、あの男に利用され、そして。
 
「ボグート…っ!」
 
あの人の声…凄まじい怒りをたたきつけるような声に、私はハッと目を開いた。
かすむ視界。
…でも。
 
見える。
あの男の…脚。
 
バン・ボグート…!
 
私たちの敵。
そして…あの人の。
 
…009。
勝つのは、あなたよ…!
 
 
全身から、痛みがすっとひいた。
胸の痛みも、溶けるように消えていく。
 
私は、地を蹴ろうとするあの男の脚にしがみついた。
 
凄まじい衝撃。
熱い。
 
自分がどうなったのか、わからない。
倒れているのか、それとも…
…でも。
 
鈍い音を、私は聞いた。
あの男の片腕が、地に落ちる。
 
 
 
もう、何も見えない。
 
花の香り。
光の中に揺れる花束。
 
あなたの笑顔。
 
後悔…していない。
不幸せだったとも思わない。
 
もう一度生まれ変っても…私は私で生まれたい。
 
あの花束を胸に、こうして眠りにつくのなら。
あなたの、本当の名前を抱きしめて。
 
ジョー。
 
今わかった。
私がほしかったもの。
どうして、手に入らないなんて思ったのかしら?
 
美しいもの…悲しいものを抱きしめて、私はここにいる。
何も恐れることはなかった。
 
勇気があれば。
ほんの少しの勇気が。
 
 
もう一度生まれ変わっても…私は私で生まれたい。
あなたと生きることができなくても。
 
花を抱き、あなたの名を抱いて。
ほんの少しの勇気といっしょに。
 
だから、あなたも恐れないで。
私は、知っている。
 
ジョー。
勝つのは、あなたよ。
 
更新日時:
2003.06.29 Sun.
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Last updated: 2010/9/3