1
「よ、よしっ!…ちょっとそのまま支えていて…大丈夫?ふらんそわーず?」
「だい…じょうぶよ…ちょっと…なんでょ?」
白い息を吐きながら、ふらんそわーずがかろうじて微笑む。
「うん、ちょっと…!ほんのちょっとだから…!」
じょーは素早く巨大な雪のかたまりから手を離し、ふらんそわーずの傍らを離れた。
やがて。
「きゃああああああああああっ!!!!」
ぎょっと振り返ったじょーの眼に入ったのは…崩れた巨大な雪のかたまりに埋まったふらんそわーずだった。
「ふ、ふらんそわーず…!!」
駆け出そうとしたはずみに、思い切り転んでしまった。
懸命に起きあがり、駆け寄って、彼女を雪の中から掘り出した。
「だ、だ、大丈夫?」
「ええ…ああ…びっくり…した…わ…!」
大きく眼を見開いてじょーを見つめ…やがて、彼女はおかしそうに笑い出した。
「いやね、じょー…!雪だらけよ…!」
「…君…だって…!」
二人は笑いながらまとわりつく雪をはらった。
ようやく雪をはらい落とすと、ふらんそわーずは眼に笑いを残したまま、雪のかたまりを見やった。
「でも…困ったわね…またやり直しだわ…今日こそって思ったのに…」
「明日だって雪はあるよ…!また明日やればいい」
「…そのうち、春になっちゃうんじゃないかしら?」
「その前には…できるよ、きっと…たぶん」
なんとなく言葉を濁すじょーに、ふらんそわーずは首をかしげた。
「じょー…ホントに雪の家…なんてできるの?」
「できるよ!…コドモのころ…父上と作ったんだから…小さいやつだったけど」
「…本当かしら」
「…作ったのは…大体、父上だったけど」
くす…っとふらんそわーずが笑う。じょーは思わず口を尖らせた。
「大丈夫だってば…!それに…それに、こうやってると、力がつくだろ?」
「まあ!…これも稽古なの?」
「う…うん…そう…だよ、別に…遊んでる…ってわけじゃ」
「そうだったの……あ?」
ふらんそわーずは空を見上げた。
「…また、降ってきた…もう帰ろうか」
「ええ」
雪がひらひら落ちてくる…と思ったのは、ほんのわずかな時間だった。
瞬く間に、降りは烈しくなった。
「うわ…ひどいや…ふらんそわーず、大丈夫?つかまって…」
「ええ…ありがとう、じょー…」
歩き慣れた道だから、迷うことはない。
が、あっという間に降り積もり、来たときより深くなった雪の中を歩くのはそれなりに難儀だった。
じょーは懸命に雪をかき分け、ふらんそわーずの手を引いて進んだ。
行きの倍近くの時間をかけて、寺にたどりつくと…張々湖が外に駆け出してきた。
「やれやれ、無事だったアルか〜?!心配したアル!!」
「ご、ごめん…ちょっと…遊びすぎちゃった」
「ったく…!コドモみたいアルねえ…あったかいご飯、できてるアルからして、早く来るアル!」
「…あ…ご飯…できちゃった…のね…ごめんなさ……」
ふらんそわーずが、雪の中に倒れた。
慌てて抱え起こそうとしたじょーは、ハッと眼を見開いた。
…転んだんじゃない。
「ど…うしたアル?」
「…ひどい…熱だ…ふらんそわーず…ふらんそわーず!!」
「熱…アルか?」
じょーの脇からふらんそわーずを覗き込んだ張々湖が顔色を変えた。
「じょー、ぐずぐずしないヨロシ!早く、寝かせるアル〜っ!!」
2
「若君…」
返事はない。
眠っているわけでもないだろう。
静かに近づくと、じょーは座ってうつむいたままじっと目を閉じていた。
「大丈夫…さっき、じぇろにも殿も張々湖大人も、そう申し上げたはず…お休みください」
「…だい…じょうぶ?」
ぐれーとはうなずいた。
「まだ熱は下がらないでしょうが、心配はないと…念のため、雪がやんだら、ぎるもあ殿にも来ていただいて…」
突然、じょーは弾かれたように顔をあげ、立ち上がった。
「…若君?」
そのまま部屋を飛び出していくじょーを、ぐれーとは慌てて追った。
「お待ちなさい、若君!!…どこに行かれます?!」
「ぎるもあを…迎えに行くんだ、離せ!!」
「何を無茶な…!真夜中ですぞっ!…それに吹雪が…明日にしなされ…!姫君は、大丈夫…」
「大丈夫、大丈夫?…何が大丈夫なんだよっ?!」
「…若君…!」
「また…僕を騙すつもりか?…お前は……みんなで、僕をっ!!」
「何を言っておられる?…落ち着きなされ、若君…!姫君は本当に…」
「離せ…!!」
振り払われ、ぐれーとは床に転がった。
「…何、騒いでる…?」
「じぇろ…にも…?離せ…!離せっ!!」
暴れるじょーを事もなげに押さえ込み、じぇろにもはじっと彼の眼を見つめた。
「大丈夫。慌てるな…ふらんそわーず、熱高いが…大丈夫」
「うるさい…!離せっ!!」
「やかましい〜〜っ!!ふらんそわーず、目を覚ましてしまうアルよっ!!」
「…張々湖…大人…?」
大きく見開いた茶色の眼が震えている。
走ってきた張々湖はため息をついた。
「そんなに心配なら、見にくるヨロシ…わけわからない子アル!」
「そうです、若君…!だから、申し上げたでしょう、姫君の様子をご覧になって…」
じょーは堅く唇を噛んで、首を振った。
「いやだ…!僕がふらんそわーずを…病気にしたんだ…僕が…無理に連れ出したから…僕が…」
「若君…!」
「悪いと思うなら、ふらんそわーずが目を覚ましたときに謝ればいいアル…それだけのことアルのに、何をそんなに騒いで…」
「…目を…覚ましたとき…?」
じょーの抑揚のない声に、ぐれーとはハッと息をのんだ。
思わず張々湖を抑えようとしたが、遅かった。
「そうアル!…こんなことで死ぬわけじゃなし…」
「じょー…?!」
じぇろにもが吹っ飛ばされ、簾に倒れ込んだ。
「若君…!!」
我に返ったぐれーとが叫んだとき。
じょーの姿はどこにもなかった。
「…どうしたアル?アタマおかしいアルか、じょーは?…まあ…無事に戻ってくるやろけど…ぎるもあ先生が、気の毒アルねえ…」
しみじみ息をつく張々湖をぐれーとはぼんやり眺め、じょーが消えた闇を見つめた。
「…若君」
3
半ば殴りつけられるようにたたき起こされ、ぎるもあは肝をつぶした。
「な…なんじゃ、オマエか…?おお、寿命が縮んだわい…」
盗賊…にしても、この吹雪の中だ。
わしゃ、てっきり鬼かと…
ぼやくぎるもあを、じょーは寝床から引きずり出した。
「ま、待て…寒いじゃないか…っ!いったい何が……」
声を荒げ、じょーを見やったぎるもあは、思わず息を呑んだ。
じょーの目は熱っぽく潤み、髪も体も雪まみれになっている。
手は…氷のように冷たい。
「何があった…?!どうしたことじゃ、じょー?!」
「ふらんそわーずが…」
「な…に…?」
「ふらんそわーず…が……たす…け…て……」
「じょー…?!」
ぐらり、とじょーの体が力を失った。
ぎるもあは慌ててじょーを支え、手早く雪をはらい、着物を脱がせると、自分が寝ていた寝床へ横たえた。
「ふらんそわーずが…どうしたというんじゃ…!いや、その前にまずオマエをどうにかしないと……!」
吹雪がやんだのは、昼過ぎだった。
山門で懸命に目をこらしていたぐれーとは、ぎるもあの姿を見つけ、急いで駆け下りていった。
「ぎるもあ殿…!」
「おお、ぐれーと…やれやれ、さすがに難儀じゃったわい…」
「…若君は…ご一緒では…?」
「じょーか?…眠らせておる。薬湯を無理に飲ませてな…まったく、オマエたちも無茶をさせおって…よく無事でたどりついたもんじゃ…やっと容態が落着いたんで…こっちに来てみたんじゃが…で、ふらんそわーずは…?」
ぐれーとは瞬きした。
「若君に…お聞きになっては…」
「聞くも何も…うわごとしか言えんようになっとったからの」
ぎるもあはふと眉を曇らせ、小声で言った。
「…もう…手遅れ…なのか…?」
ぐれーとは勢いよく首を振った。
「い、いや…その…とにかく、お上がりください…!」
「…んん?」
寺に入るなり、ぎるもあは目を見開いた。
ふらんそわーずが床に両手をついて、丁寧に頭を下げている。
「ふらんそわーず…?」
「こ、これ…!まだお休みになっていないと…!」
制するぐれーとにふらんそわーずは微笑んで首を振った。
「こんな雪の中をおこしいただいてしまったんですもの…ぎるもあさま、本当に申し訳ありませんでした…あの…じょー…は…?」
「なんじゃ…?わしは…てっきりオマエさんが…その、もしかしたらもう生きてはおらんのかと…」
4
駄目だ…駄目だよ、こっちに来たら…!
だって…オマエは…僕とは違う。
青く澄んだ瞳が、無心に笑っている。
一緒に連れていって…
ずっと一緒に…!
僕だって…!
僕だってそうしたい。
ずっと一緒に…でも。
でも、駄目なんだ…来ちゃいけない…来るな!!
どうして…?
何が…違うの…?
ううん、違ってもいい…一緒に連れていって…!
駄目だ…!!
…兄上!!
「……っ!!」
飛び起きたじょーは、しばらく自分が何者なのか…どこにいるのかもわからないような気がしていた。
やがて。
暖かい感触が、頬から伝わってくる。
「…ふらんそわーず…?」
ぼんやり見上げ、つぶやくじょーの上半身を、ふらんそわーずはそっと抱きしめた。
「ごめんなさい…心配かけて…」
「…ふらんそわーず…ここ…は?」
「ぎるもあさまの館よ…あなたは…吹雪の中を無理に歩いて…ひどく体を痛めてしまったの…ゆっくり休まなくてはいけないわ」
じっと見つめるじょーの目に涙が浮かんだ。
「ふらんそわーず…君…」
「私は大丈夫だったのに…信用がないのね、じょーったら…!」
「……だって。僕が…」
ふらんそわーずは静かにじょーを横たえ、涙に濡れた頬を指でぬぐった。
「…ね、また雪の家…作りましょうね…たくさん降ったから…楽しみだわ」
「…駄目…だよ…君には…無理だったんだ…違う…僕は…僕が……」
力無く首を振るじょーの手を握りしめ、ふらんそわーずは囁くように言った。
「無理…なんかじゃないわ…また…連れていって…ね?」
返事はない。
ぬくもりを確かめるように、じょーはふらんそわーずの手に、そっと指を絡めた。
それを両手で包み込みながら、優しく唇に当て、ふらんそわーずは微笑んだ。
「連れていって…あなたの行く所、どこへでも」
…私は、大丈夫よ。
5
峠を越えた所で、あるべるとは首をかしげた。
さっきから…ぴゅんまが一言も口をきいていない。
依頼を受け、鬼を倒してきた帰り道だった。
鬼は三晩続けて現れ…退けられると、四日目の夜からは現れなくなった。
諦めたらしい。
「意外に…楽な仕事だったな」
あるべるとの言葉に、ぴゅんまは驚いたように振り返り、ああ、と微かに笑った。
「それほどの執着がなかったんだろう…帰る道を見つけたのかもしれないし。」
「…そうだな」
それが、普通だ。
ぴゅんまは息をついた。
「何を考えてる?おまえ…」
「…心配いらない…危ないことは考えてないから。じょーとは違うよ」
「…じょー…ね…」
やがて。
あるかなきかの声が届いた。
「君も…大事な人を…殺されたんだってね、あるべると」
「……」
「恨んで…いるか?」
「……誰を?」
ぴゅんまは目を閉じ、大きく深呼吸した。
「…せりなは…誰も恨んでいないだろう…わかってるのに」
「鬼を倒しても、深草の少将を殺しても…彼女は戻ってこない…だったら…忘れた方がいい。本当は、恨む相手など…いないんだ、俺たちには」
「…あるべると」
なら…君はなぜ戦うんだ?
声にはならなかった。
ぴゅんまは、さっさと歩き出したあるべるとを、無言のまま追った。
鬼が現れる回数が異様に増えているのは、鬼の世界に働きかける人間がいるからだ…と、いわんは言う。
深草の少将…あるいは、他の人間が、直接動かす鬼はそれほど多くないはず。
だが、彼らによって乱された世界は、さまよう鬼を生み出す。
深草の少将を倒そう、と意気込むじぇっとと、ただならぬ殺気を漂わせるじょーと。
この二人を抑え込むのは大変だった。
今動くわけにはいかない。
じぇろにもは辛抱強く二人を説いた。
少将が全ての黒幕とはとても考えられない。
何か、恐ろしいこと…大きな変化が起きようとしている。
それを止めることは、きっと我々にはできない。
…でも。
時の流れにのみこまれていくのが、人間のさだめなのだとしても。
それでも、悲しむ人間は少ない方がいい。
防げる惨禍なら、防ぎたい。
「鬼は鬼の場所に。ヒトはヒトの場所に。」
僕たちに…僕に出来ることは、それしかない。
だから、僕はそれをする。
僕は、たぶん…そのために生まれたのだから。
いわんは、じょーとじぇっとに言った。
深草の少将を殺してはいけない。
彼が…今の僕たちには、たった一つの手がかりなんだ。
山門が見えてきた。
二人は無言で石段を登る。
せりなは、誰も恨まずに逝った。
そして、おそらく…
ひるだも。
ならば…俺たちにも、恨む相手などいない。
俺たちが、戦うのは…
「ぴゅんま…!あるべると…!」
二人は同時に顔を上げ、駆け下りてくるふらんそわーずを見つめた。
「お帰りなさい…!怪我は…?」
「…大丈夫ですよ…二人とも。ほら」
「ああ…よかったわ…なんだか…心配だったの」
ほうっと息をつくふらんそわーずの髪をくしゃっと撫で、あるべるとは笑った。
「心配したのは俺たちの方なんだがな…どうだ。具合は?」
「…昨日ぎるもあ様のところから帰ってきたばかりで、まだ寝てるけど…でもずいぶんよく なったわ」
「じょーのことなんか聞いてない。お前はどうなんだ?」
「彼の看病で疲れてるんじゃないかと…二人で心配していたんですよ」
ふらんそわーずはちょっと目を丸くしてから、微笑んだ。
「私はもう大丈夫よ…まあ、冷たい手…!早く入って。温かいものを用意するから…」
石段を軽やかに駆け上がっていく後ろ姿を、二人はぼんやり見送った。
誰も恨んではいない。
…この、少女も。
だったら…
信じられる。
天上で、愛しい者たちはきっと幸せに微笑んでいる。
彼女の向こうに、それが見える。
ならば、俺たちは…あの笑顔を護るために戦おう。
この世に生きている限り。
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