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日本昔話的009

鬼退治 記憶 下
 
じょーは、暴れなかった。
彼は、うつむいたまま、ふらんそわーずの話を聞いた。
 
三年前。
あるぬーる家の当主、大納言が世を去り、その喪が明けた頃、ふらんそわーずのもとに、深草の少将からの文がひそかに届けられた。
自分が年頃の姫君の中に数えられているなど、考えもしていなかったふらんそわーずは、文を黙殺し続けた。
 
妹姫たちが次々に結婚を決めていく…のに、ふらんそわーずには裳着の話もでない。
やきもきして、北の方の悪口を言う、ただ一人の侍女を、彼女はいつもなだめていた。
 
「お母様はおいそがしいのよ…それに、お父様がお亡くなりになって、今はそれどころではないでしょう…」
「だって…!こんなに妹君たちのための縫い物ばかりよこして…北の方は、姫君を使用人扱いしてるとしか思えません…くやしいわ、どうにかして思い知らせてやりたいのに…!」
「ダメよ、せりな…私はこうしているのが楽しいの…ほら、見て…なんてきれいな織物…!」
「ダメなのは姫君の方です…!ねえ、本当に…あの少将さまのお文、お返事だけでもしてくださいませ…あの方は、きっと姫君を幸せにしてくださいます…少なくとも、ここにこうしているよりはずうっと…!」
 
ふらんそわーずは首を振った。
 
「お父様の遺言に背くわけにはいかないわ…亡くなったお母様の…宮家の恥になるような結婚をするくらいなら、世を捨てなさいと…私も、それが正しいと思うの」
 
母は亡くなり、その身内もとうに絶え、今、父が亡くなり。
なさぬ仲の母…大納言家の北の方からは疎まれている身だった。
きちんとした後ろ盾など、望むべくもない。
どのみち朽ち果てる運命なら、誰にも知られず、静かに世を去りたい。
 
姫君は、頑固すぎます…!
せりなはいつも嘆いていた。
そうだったのかもしれない。
あとで、ふらんそわーずは何度となくそう思うようになった。
 
やがて、彼からの文は途絶えた。
ほっとしかけていたとき…その夜が来た。
 
少将がふらんそわーずの寝所に忍び入った。
手引きをしたのは、せりなだった。
 
少将は、婚姻の決まり通り、三晩…人目を忍んで、ふらんそわーずのもとに通い続けた。
 
しかし。
ふらんそわーずは、少将の後朝の文に一切返歌をせず、せりなが北の方の目を盗んでこっそり用意した、婚礼の三日夜の餅も頑として食べようとしなかった。
そんな彼女に、少将もせりなもほとほと手を焼いた。
 
ある日、少将は、ふらんそわーずのために小さな館を用意できた…と、せりなにうち明けた。
次の新月の夜、ひそかにお迎えに上がる。
門の錠をはずしておくように…と。
 
せりなが開いておいた門から、ふらんそわーずは一人、着の身着のままで逃げ出した。
館の外に出るのは、生まれて初めてのことだった。
雨が降っていた。
 
闇に紛れ、あてもなく走り、山に迷い込んだ。
雨に打たれ、手足の感覚もなくなり、ふらんそわーずは木の根本に座り込んだ。
…眠くなってくる。
 
こうして…お母様のもとに行けるのなら…
…これで…よかった、きっと…
 
ごめんね、せりな…きっとあなたを悲しませてしまう…
…それだけが、つらい。
でも、私はいや。
それが幸せなのだとしても…
流されていくのはいや。
流されて漂ううちに、汚れてしまうのはいやなの。
 
「鬼と交わったのは…そのときよ」
静かな声に、男たちは身を固くした。
 
必死で、ただ一つ、身につけていた守り刀を振り回した。
抵抗しても無駄…そんなことはわかっている。
いつもそうだった。
 
食い殺してくれる分、鬼の方がやさしいかもしれない…
 
守り刀がはじき飛ばされたとき、ふらんそわーずは唇をかみ、襲いかかる影を睨み付けながら、心で叫んだ。
 
いいわ、お前の好きにするがいい。
私を、殺しなさい!!
 
 
 
いつの間にか、気を失っていた。
必死で呼ぶ声に目を開けると…
涙に濡れたせりなの顔があった。
その後に…黒い肌の青年。
 
「姫君…ご無事で…!よく、ご無事で…!!」
 
声をつまらせながら、せりなはふらんそわーずを抱きしめた。
 
「お許しください、姫君…こんなにあの方をお嫌いになっていらしたのに…私…私は…!」
「せりな…?」
 
鬼…は…?!
 
叫びそうになるのを、せりなはそっと押しとどめ、小声で言った。
 
「ご安心を、姫君…鬼は…倒しました。…夫が」
「…夫…?お前の…?それじゃ…ここは…」
「ええ…むさ苦しいところで申し訳ありません…私の…家です」
 
 
じぇっとが首をかしげ、ぴゅんまを振り返った。
「ぴゅんま、お前、たしか…自分は、ふらんそわーずの乳母の長男とか言って…」
「乳母子だったのは、せりなだけだ…せりなが…死んだあとは、姫と一緒にいるのを怪しまれないように、いつも俺は姫の乳母子の兄…ということにしてきた…嘘をついたのは悪かったが…ただす必要もないと思ったから。」
「…死んだ…あと…?」
「ああ。妻は、鬼に襲われて…患って、死んだ」
 
あるべるとが、ふと顔を上げ、じっとぴゅんまを見つめた。
ぴゅんまは、淡々と続けた。
 
「せりなは…姫を助けてくれる人を訪ねるのだと…夜更けに家を出た。俺に、ついてきてはいけないと…身分のある方だから、今はその人の名をあかせないと言って…そして…帰ってこなかった。心配になって翌朝探しにいったら…彼女は町はずれの森の入口に…倒れていた。」
 
やがて、意識を取り戻したせりなは、鬼に襲われた…と言った。
彼女の首には、鬼の牙が埋め込まれていた。
 
牙を埋められた女は、それに命を吸い取られるように、少しずつ…静かに弱っていく。
そして、夜になると、牙を埋め込んだ鬼がどこからともなく現れ、女を連れ去ってしまう。
朝になると、女はもとの場所に返されている。
死ぬまでそれが続く。
 
もう助からないとしても…妻が、最後まで夜毎鬼に弄ばれるなど、耐えられない。
ぴゅんまはせりなを抱え、必死であちこちの寺を回った。
 
相手にされなかった。
 
夜通し祈祷を続け、女を寺の中にかくまえば、鬼はやってこない。
しかし、一晩中鬼にねらわれながら、祈祷を続けてくれる僧など、容易には見つからない。
やっと探し当てた小さな寺の僧は、ぴゅんまに、気が遠くなりそうな報酬を要求した。
 
はじめの夜。そして、二日目の夜。
ぴゅんまは、夜通し鬼の影と戦い続け、妻を守った。
しかし…それが限界だった。
烈しく疲労し、傷を負い、ぴゅんまは歩くのもやっとという有様になっていた。
 
三日目の夜が迫る。
立ち上がる気力もないまま、彼は妻を抱きかかえ、涙を流すしかなかった。
 
少しずつ長くなる眠りに落ちる前。
せりなは、殺してくれ、と夫に頼んだ。
他に、方法はない。
せめて、あなたの手で…
 
他に…方法はない。
ぴゅんまは震える唇をかみしめ、目を閉じた。
 
やがて、せりなは眠りに落ちた。
…お前を、一人でいかせはしない。
そうささやき、ぴゅんまが太刀の鞘をはらったとき。
 
うしろから、すさまじい勢いで突き飛ばされた。
震える手で握っていた太刀が手から離れ、飛んだ。
 
床に突き刺さった太刀に駆け寄り、力任せに引き抜くと、ふらんそわーずは立ったまま、いきなり自分の髪を肩のあたりでひとつかみにし、断ち切った。
 
「これを…!これを売りなさい…!!」
 
粗末な黒い床板の上で、金色の川のように、豊かな髪が流れ、渦を巻いていた。
呆然と見上げるぴゅんまを、青く澄んだ光が鋭く射た。
 
 
三人は、その僧が住む寺に移り住んだ。
髪を売った金を少しずつ僧に渡して祈祷を頼み、その間休息をとりながら、ぴゅんまは鬼の影と戦い続けた。
 
せりなは日に日に弱っていった。
髪を切ったことを嘆く彼女に、ふらんそわーずは微笑んで言った。
 
「髪なんて…すぐに伸びるわ…生きてさえいれば。何があっても、生きていかなくちゃ…そう私にいつも言っていたのは、あなたよ…せりな」
「でも…私はもう…姫君」
「…姫君…なんて言わないで…私は…主人などではないわ…あなたを守るどころか、苦労ばかりかけて…ごめんなさい」
 
せりなは首を振った。
「私こそ…姫君のお気持ちも考えずに、本当に愚かなことを…お許し…いただけますか…?」
「…せりな」
 
胸がつまった。
私は…何を守ろうとしていたのかしら。
あんなに…むきになって。
大切な人を…こうして傷つけてまで。
 
ぎゅっと手を握られて、せりなは弱々しく微笑んだ。
「ありがとうございます…姫君…」
「せりな…!しっかりして…まだ眠ってはだめ…!」
「姫君…きっと、夫が命かけて、姫君をお守りします。…生きてください」
「…せりな…あなたもよ……私たち、一緒に…」
 
ええ、とうなずき、せりなは目を閉じた。
「約束…してください…姫君…どうか…生きて…」
力無くのばした手を、ふらんそわーずは夢中で握りしめた。
 
約束するわ、せりな…!だから…!!
 
せりなが眠ったのを確かめ、ふらんそわーずはそっと立ち上がった。
昨夜、戦いつづけたぴゅんまも…眠っている。
 
今日の明け方…水をくみにいったふらんそわーずに近づき、あの僧がささやいた。
どうやら、金が尽きたようだが…祈祷は続けてやろう。
お前が…私の言うことをきくなら。
 
せりなは、もう助からない。
そのせりなが、生きよ、というなら…私は生きる。
誰も私が生きることを望まないこの世で…唯一人、生きよと言う人がいてくれたのなら。
そのあかしのために…生きるわ、どんなことをしても…!
 
短い髪に櫛を入れ、指にわずかな紅をとって、唇にさす。
 
まだ日は高い。
僧の部屋の簀子に静かに座ると、さっと簾がひらき、手をとられた。
中に引き入れられる。
 
勧められるまま、杯の濁酒を飲み干す。
抱き寄せられるまま、僧の汚れた衣に額を押し当てる。
言われるまま、褥に横たわり、目を閉じた。
僧のかさついた手が髪を弄び、頬を撫でる。
帯が解かれ、襟が開かれたとき。
 
僧が、くぐもったうめき声を上げた。
 
「…姫君!」
僧を斬り捨てたぴゅんまは、素早くふらんそわーずの襟をかき合わせ、抱き起こした。
「…ぴゅんま…?!なにを…!せりなが…!」
「せりなは…死にました。たった今」
 
大きく目を見開き、震えるふらんそわーずを見つめ、ぴゅんまは太刀を鞘に納め、その場にかしこまった。
 
「亡き妻が、ただ一つ、私に残した遺言です…姫君を…頼む、と」
…だから。
 
ここに、この命かけて、あなたをお守りすると…誓う。
 
 
 
ぴゅんまは、僧殺しとして追われる身となった。
二人は身を隠しながら、細々と生き延びていった。
 
そして、あの晩。
追手に見つかり、逃げ場を失い…夜の山をさまよった。
鬼に遭い…仲間と出逢った。
 
「あのとき遭った鬼は、私と交わった鬼だった…そう感じたの。どうしてそう感じたのか、わからないけれど…もうひとつわからないのは…ぴゅんまが助けてくれたとき…鬼は影だけでなく、全て消えた…そう言っていたこと。今になると不思議だわ。いわんのような力を持った者でないと、鬼は倒せないのに…」
「俺も…それは不思議に思っている。でも…たぶん、間違いないと思う。鬼は、完全に消えた。そう感じたし…それに、もし鬼が消えていなければ、姫君は毎晩のように、しつこく狙われていたはずなんだ」
 
じぇっとが腕組みしたまま、仲間たちを見回した。
 
「俺の考えはこうだ。」
 
ふらんそわーずが交わった鬼は…なぜかわからないが、ぴゅんまに消された。完全に。
その鬼の想いを…彼女への想いを、誰か…ある人間が拾った。
 
やがて、女への執着…記憶を植え付けられた鬼が跳梁するようになった。
せりなを襲った鬼も、ゆきを襲った鬼もそれだったのではないか。
 
「鬼が頻繁に現れ始めた時期と…ふらんそわーずが鬼に襲われた時期が、ちょうど重なるんだ。それ以前に、そういう事件は起きていない」
 
じっと考え込んでいたじぇろにもが、静かに目を開けた。
 
「…なるほど。」
 
鬼がなぜ普通の人間であるぴゅんまに消されたのか…それはわからない。
だが、鬼がそのとき何か、異常な状態になっていた…ということは想像できる。少なくとも。
 
その隙間をつかんだ人間がいる。
中空に一瞬浮かび、迷った鬼の、消えかけた想いを捕まえた人間が。
 
「それが…深草の少将か…?」
あるべるとが低い声でつぶやいた。
じぇっとはうなずいた。
 
「偶然だったのかもしれない。逃げたふらんそわーずの行方を、陰陽師に捜させていたんじゃないか…?で、やつらは彼女が鬼に襲われているのを見つけた…俺は、鬼を消したのは、陰陽師だったんじゃないかと思っている。」
 
いくら陰陽師でも、普通なら、鬼を消しながらその想いをつかまえる…など、できないだろう。
しかし、もし…彼女を襲っていた鬼が、何らかの異常な状態になっていたのなら…それがギリギリ可能だったのかもしれない。
さらに、鬼はぴゅんまにも気をとられていたはずだ。
 
「まさに千載一遇のチャンス…ってわけさ。やつらは鬼の想いを…記憶を手に入れた。」
 
じぇっとは、懐から巻物を取り出した。
「で、少将の館で見つけた…こんなものをな」
 
さっと広げ、目を通したじぇろにもの顔色が変った。
脇からのぞき込んでいた張々胡が悲鳴を上げた。
 
「な、何アルか、これ〜っ???」
「…何…って、何だ?張々胡?じぇろにも?」
 
「おそらく…鬼と語らう…秘術…しかも、これは…写したもの。と、いうことは…」
「これと同じモノ、都のあちこちに散らばってるアルかもしれないネ!…鬼の記憶さえ手に入れれば、この術を使って、鬼に人を襲わせることができるアルよ…!」
 
「鬼に…人を、襲わせる…?」
低い声。
誰の声かわからず、仲間たちは思わず顔を見合わせた。
 
「じょー…?」
じぇろにもが眉を寄せた。
じょーは堅く拳を握りしめ、身じろぎもせず、目の前の床の一点を睨むように見つめていた。
 
 
 
息を弾ませ、走っていたぴゅんまは、ハッと足を止めた。
音もなく、舞い降りた影。
白い刃が、月明かりに光る。
 
「…きみ…か」
 
ぴゅんまは影を鋭く睨み付け、低く言った。
 
「そこをどけ、じょー…どかなければ…斬るぞ」
「君に…僕は斬れない。寺に戻るんだ」
「どけ…!」
 
太刀を抜いたぴゅんまに向け、じょーの刃が一閃した。
次の瞬間、肩を押さえ、膝を折ったぴゅんまの手から、太刀が落ちた。
 
「だから…言ったのに。怪我をさせたくなかった」
「…お前に何がわかる、じょー…!そこをどけ!!」
「深草の少将を殺すのは…僕だ。君にも…誰にもやらせない。」
「…黙れ!!」
 
怒りに身を震わせながら、ぴゅんまはじょーを見上げた。
 
俺は、知らなかった。
 
不遇な姫の身をいつも案じていたせりな。
抱きしめるたび、小さく吐息をつき、姫にもこうして愛してくれる人がいれば…それだけで幸せなのに、とつぶやいていた。
 
ある日から。
せりなは、ある高貴な優れた青年が、姫を見初めたのだといって、はしゃぐようになった。
 
誰にも秘密よ。
こんなことがあの意地悪な北の方にしれたら、すぐめちゃめちゃにされてしまうわ。
あなたにも、秘密。
 
…気がかりだった。
貴族の…それも高貴な身分の若者は気まぐれだ。
結局、姫に気の毒なことになるのではないか。
そう危ぶむと、せりなは生真面目な顔で首を振った。
 
いいえ。
あのお方は、姫を正式な北の方にしてくださるかもしれないわ。
ちょっと浮気だという噂はあるけど…文を見ればわかるの。
とても誠実な…優しい方だわ。
 
それが…深草の少将だったとは。
彼が今の北の方と結婚したのは2年前。
せりなが死んでから程ない…ではないか。
 
せりなは、最後まで彼の名をあかさなかった。
ふらんそわーずも。
 
もし、じぇっとの考えが当たっていれば…いや、当たっているだろう。
彼は、せりなを騙し、はじめから姫を貶めるために近づいたのだ。
そして、鬼に襲われる姫を…知っていながら見捨て、利用した。
 
おそらく…せりなを殺した鬼も…
 
「…君の気持ち…わかるよ。たぶん、せりなさんは…助けを求めにいく途中、やつらに…陰陽師に気づかれて、練習…に使われたんだ。鬼を本当にあやつれるかどうか、女の人を襲わせることができるかどうか…試してみたんだね。もしかしたら、せりなさんの口封じもしたかったのかも。少将には、右大臣家の姫と結婚する話がでてきたから。」
「そこまでわかるなら、どくんだ…!」
 
「でもさ…もう一つ、わからないことがある…ふらんそわーずは、その後もう一度鬼に襲われている…あの、僕が君たちと出逢ったときに。…ってことは、あのとき…誰かが…たぶん少将が、彼女を殺せと…鬼に命令していたんだ…そういうことだよね?…だけど、何のために?」
 
…まあ、そんなことはどうでもいいけどさ。
じょーはつぶやくように言った。
 
風が柔らかな前髪を弄んでいる。
いつも隠れている片目が一瞬のぞいた。
白い、雪のような額。
 
…笑って…いるのか…?!
 
背筋を冷たいものが流れる。
微かに震えるぴゅんまに、じょーは冷ややかに言った。
 
「いいかい、ぴゅんま?…深草の少将を殺すのは、僕だから。ふらんそわーずを傷つけ…鬼を弄んだ。僕は…許さない。」
 
もちろん…僕の邪魔をするヤツもね。
 
そう付け加えて、じょーはゆっくりとぴゅんまに歩み寄り…右手を出した。
引き寄せられるように差し出したぴゅんまの手をつかみ、彼に肩を貸して、じょーは寺へと歩き始めた。
 
 
10
 
すっと弓を引いたとき、気配に気づいた。
振り返るふらんそわーずを、じょーは目で制した。
 
大きく息を吐き、集中しなおす。
放たれた矢は、的の真ん中に命中した。
 
「…どうしたの、じょー?…この稽古は、気が散るといけないから一人でした方がいい…って言ったのはあなたなのに…」
微笑むふらんそわーずに、じょーは困ったように笑った。
「うん…ちょっと、聞きたいことがあったんだ」
「…聞きたい…こと?」
 
じょーはうなずき、ふらんそわーずを真っ直ぐ見つめた。
「君は…深草の少将が好きだったの?」
「…え?」
 
ふらんそわーずは、大きく目を見開いた。
 
「いいえ…立派な人だと思ったわ。でも…好きにはなれなかった」
「…そう」
 
じゃ、いいや…よかった、とつぶやき、じょーは微笑んだ。
 
なにが「よかった」なのか、わからない。
ふらんそわーずはじっとじょーを見つめ、静かに言った。
 
「どうして、そんなことを聞くの?」
「…内緒」
「内緒?」
「うん…言ったら叱られるから」
「誰に?」
「君に」
 
ふらんそわーずはふと息をつき、空を仰いだ。
抜けるような青。
 
「わかったわ…それじゃ…今度は私があなたに聞きたいことがあるの。答えて。」
「いいけど…怒らない?」
「…たぶん」
 
じょーはちょっと肩をすくめ、首を傾げた。
 
「あなたは…私が少将さまに…少なくとも三晩、抱かれたと思ってるでしょう…?」
「思ってないよ」
 
即答。
 
口を噤み、見つめるふらんそわーずに、じょーは笑った。
「好きじゃなかったんだろ?そいつのこと。だったら、そんなことあり得ない。君に限って。」
…それで?聞きたいことって、何?
 
ふらんそわーずは瞬きを繰り返した。
「…じょー…?」
 
そうだ、とじょーは真顔になった。
「あの…まだ、歌の返事、聞いてないんだけど」
「…歌?」
「そう!……この間の…」
「あ…!」
 
ふらんそわーずは微笑んだ。
「…どんな歌だったか、忘れちゃったわ」
「え、ええっ?!」
「だって、書いてくれないんだもの…そうだわ、もう一度言って、じょー?」
「…え…?」
 
…忘れ…てる…かも。僕も…
 
じょーはふらんそわーずを睨み付けた。
「…じゃ…じゃあ…あるべるとには?返事したのか?」
「ええ…あるべるとは文をくれたんだもの…返さないと失礼だわ」
「ま、待ってよ…君、あるべるとのことは……好きなのか?」
「ええ。」
 
「僕よりっ?」
「…同じよ。」
 
…同じぃ…?!
 
 
憤然とじょーが立ち去った後、ふらんそわーずはもう一度深呼吸して的に向かった。
が。
 
やがて…息をついて弓をおろした。
ダメだわ。
もう…集中できない。
 
不意に烈しく吹き付けた木枯らしに身を震わせ、ぎゅっと目を閉じて、ふらんそわーずはつぶやいた。
 
…我のみは あはれとも言はじ 誰も見よ 夕露かかる 大和撫子…
 
「…冬だぞ?」
笑いを含んだ声に、びくっと振り向いた。
「あ、あるべると…」
脅かさないで…と、目を丸くするふらんそわーずから弓を取りあげ、あるべるとは笑った。
「夕方になる前に、引き上げろ…今日は寒くなる…じょーが、なんだか妙な様子で帰ってきたから…ちょっと気になって来てみたんだが…」
 
ケンカでもしたのか?
からかうような問いに、ふらんそわーずはくすくす笑って首を振った。
「違うわ…それより…聞いてたのね、いやなあるべると…!ふふ、でも、そう、ほんとに…おかしいわよね、冬に撫子…なんて」
 
ふらんそわーずをじっと見つめ、あるべるとは静かに言った。
「…常夏」
「え…?」
「あいつには、そう見えるんだろう…お前が」
「…な…何の…こと…?」
 
真っ赤に頬を染め、目を反らすふらんそわーずに、あるべるとはまた微笑した。
 
撫子…か。
常夏、と呼ばれる花…無邪気な愛らしい少女を思わせる花。
 
全てが枯れ果て、死に絶え、凍りつく冬でも。
どんなときも、何があっても、誰が何を言おうとも。
お前の目には…いつも彼女が常夏の少女に見えるのなら。
 
それなら、惜しみなくそう歌ってやれ、じょー。
いつまでも…大切に守ってやるがいい。
 
 
11
 
夜中、祈祷を終えて、部屋に戻ろうとしたじぇろにもは、廊で大あくびをしているぐれーとに行き当たった。
 
「お…?これは、じぇろにも殿…こんな時間まで…ご苦労ですな」
「そっちこそ…何…していた?」
 
ぐれーとは肩をすくめた。
 
「若君にお付き合い…ですよ。なんだか、急に仮名文字の手習いを始めるんだとかおっしゃって…いやはや、館にいるころは、どうやってもおとなしく座ろうとしてくださらなかったものを…何がどうなってるのやら…」
 
ぼやくぐれーとに、じぇろにもは微笑した。
「上達、してるか…?」
ぐれーとは大きく首を振った。
「お小さいときに練習なさらなかったのだから…まあ、無理でしょうなあ…しかし…やれやれ、毎晩若君にコレをやられたら…拙者も、身がもちませんな」
 
面白そうにうなずき、立ち去ろうとするじぇろにもを、ぐれーとは呼び止めた。
「どうなさる…おつもりだ、じぇろにも殿?」
「…」
「深草の少将…そのうしろには、右大臣家に…恐れ多くも今上帝がいらっしゃるのだとしたら…」
 
深いため息。
 
「…鬼は…鬼の場所に。人は…人の場所に。それが、俺たちの、望み」
「俺たち…?」
「俺と…いわん」
「…そう…か」
 
ややあって、じぇろにもはつぶやくように尋ねた。
 
「じょー…は?」
「拙者には…お止めできない…拙者はただ、若君にお供するだけだ…」
 
何が…あろうとも。
 
「…諦めるな。おれたちが…いる。ふらんそわーずも。」
ぐれーとは目を閉じ、うなずいた。深く息を吐き、吸い込む。
 
「そう…でしたな…かたじけない、じぇろにも殿…」
更新日時:
2002.01.13 Sun.
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Last updated: 2006/3/5