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日本昔話的009

鬼退治 兄弟 上
 
軽い足音が近づいてくる。
体を起こしかけていたじょーは慌てて横たわり、夜着をかぶりなおした。
 
「じょー…あなたに…お客さまよ…起きられそう?」
 
そろそろ普通に出歩いても平気なはずだと…張々湖は言っているのだが。
それに、まだ無理だと止めるぎるもあを振り切って、強引に雪の中を寺に戻るだけの気合いもあったのに。
どういうわけか、寺に戻ると、じょーは部屋から出ようとしなかった。一日中ごろごろしている。
あんなに外で遊ぶのが好きな若君が…?とぐれーとも首をかしげていた。
 
ふらんそわーずの声に、じょーは物憂げに首を振った。
 
「…そう…ね…じゃ、じぇろにもさまと私でお相手してくるわ」
「お客って…誰?」
「…名乗らなかったけど…あなたに会いたいって…私達ぐらいの、若い男の人よ…きちんとした身なりで…」
 
あなたのお友達じゃないの…?
と、首を傾げるふらんそわーずにつられるように、じょーも首を傾げた。
 
「…僕には、友達なんて…いないけど」
 
ふらんそわーずはちょっと瞬きした。
 
ほんとかしら。
あなたは、こんなに無邪気でひとなつっこい人なのに…?
誰にでもにこにこ笑いかけて、誰のことも警戒しようとしない。
…じぇっとが呆れるくらい。
 
「とても優しそうで、感じのいい人だったわ…もし、気分がよくなったらいらっしゃいね」
 
微笑みかけて、立ち上がるふらんそわーずを、じょーは黙って目で追った。
 
とても優しそうで…感じのいい人?
僕たちと同じくらいの年の…
 
ほどなく、明るい、楽しそうな声が聞こえてきた。
…ふらんそわーずだ。
 
じょーは憤然と起きあがった。
刺すような寒気。
ぎゅっと唇を噛み、彼は手早く身支度を整え始めた。
 
誰だよ、いったい…?!
 
 
 
「…あ!」
 
客は、端正な顔立ちの少年だった。
黒髪に黒い瞳。
足早に入ってきたじょーの姿を捉えるなり、その眼は、嬉しそうに輝いた。
 
ぎょっと立ちすくむじょーに、少年は駆け寄り、両手をとって強く握りしめた。
 
「…兄上…!ああ、やっぱりおいでくださった…!お会いしとうございました!」
「な、な、なんで…お前…?どうして、ここが…?!」
 
黒い瞳がふと潤んだ。
ますますうろたえながら、じょーは少年の手を乱暴に振り払った。
 
「帰れ!!」
「…兄上?」
 
兄上……?
 
じぇろにもとふらんそわーずは思わず顔を見合わせた。
…あまり、似ていないような気がするが…でも。
 
突き飛ばされ、足をよろめかせた少年を慌てて支え、ふらんそわーずはキッとじょーを睨みつけた。
 
「何するの、じょー?…乱暴よ!」
「ふらんそわーず!…だって…」
「だってじゃないわ!…そこに座って!」
 
思わず座ってしまったじょーをもう一度睨んでから、ふらんそわーずは眼を丸くしている少年に、もとの上座をすすめた。
 
少年は座り直し、ちらっとじょーに視線をやり…悄然とうつむいた。
 
「…申し訳ありません、兄上…どうしてもお会いしたくて…じぇろにも様、お許しください…出家されたからには、兄上はもう私の兄上ではなく、仏の御弟子でいらっしゃること、よくわかっております」
 
じぇろにもは慌ただしく瞬きを繰り返した。
 
「…気に、するな」
 
ようやくそれだけ言った。
 
 
沈黙が続く。
あいにく、ぐれーとは他の仲間たちとともに、狩りにでかけていた。
今ひとつ元気のないじょーに力のつく食事をさせるため、何か獲物を…と言って。
 
やがて。
寂しそうに微笑み、少年はじょーに向かって静かに両手をついた。
 
「…兄上。私は…来月、元服いたします。島村家の嫡男として」
「……」
「兄上のお心が変えられないのは、わかっています……でも、やはり…不安でなりません。世はこのように乱れつつあるというのに…私のような者に…家を守れるのかと」
「……」
「兄上…お願いです…せめて、何か…何かお言葉を…!」
 
じょーは顔を上げ、少年を見つめた。
茶色の瞳と黒い瞳が静かに交錯する。
 
「二度と…来るな」
 
少年はびくっとうつむき、唇を噛んだ。
じょーは立ち上がり、さっと踵を返した。
 
3人は声もなく、座り込んでいた。
…が。
 
「…ふらんそわーず…?」
じぇろにもが眼を開くのと同時だった。
ふらんそわーずは猛然と席を蹴った。
 
 
「じょー!!」
 
部屋の真ん中に立ちつくしているじょーの肩を、駆け込むなり後ろから思い切り引き、ふらんそわーずは彼を振り返らせた。
 
「……」
「どういう…こと?…どうしてあんな意地悪が言えるの?…あなたの…弟なんでしょう?!」
「…君には、関係ない」
「もちろん関係ないわ、あなたが…あなたがこんな人なら!…知らなかった…あなたが、こんなひどい…」
「…僕…が?」
 
じょーは、鋭くふらんそわーずを見返した。
思わずたじろぐふらんそわーずの両肩を掴み、烈しく揺さぶりながら、噛みつくように言う。
 
「そうだ、君は僕のことを何も知らない!…知らない方がいいんだ…君も、みんなも……とおやも!!」
「…とお…や…?」
 
思い切り突きとばされ、ふらんそわーずは床にたたきつけられた。
痛みをこらえて起き上がり、なおも言い募ろうとしたふらんそわーずは、ハッと息をのんだ。
 
じょーの背中が、細かく震えている。
 
「…出ていって…くれないか」
 
重い沈黙のあと、じょーはぽつりと言った。
ふらんそわーずはぎゅっと両手を握りしめ…黙って彼に背を向けた。
 
 
どれだけ時間がたったのかわからない。
冷え切った部屋は、もう薄闇に包まれていた。
 
「…若君。今、戻りました」
 
穏やかな声。
じょーは眼を閉じ、密かに息をついた。
 
「…話は…聞いているんだろう?ぐれーと…それとも、お前…はじめから知っていたのか?それでわざと留守に…」
「…まさか。じぇろにも殿から聞いて…驚いていたところです。まさか…とおや様がおいでになるとは…」
「来月…元服だと言っていた」
「さよう…ですか」
 
ぐれーとも息をついた。
黒髪の華奢な少年が、供もつけずに、悄然と寺を後にした様子を…じぇろにもに聞かされ、胸が痛んだ。
 
我が輩が…留守にしておらなんだら…せめてお供してお見送りできたものを。
 
…そのとき。
およそ場違いな陽気な声と、慌ただしい足音が近づいてきた。
 
「ふらんそわーず〜?ちょっと手伝ってほしいアル!ワタシ、獲物の羽むしるので手一杯アルよ〜!…んん?」
 
張々湖は押し黙る二人に眼を丸くした。
 
「あれ?…あんたら、何してるアルか?こんな暗いところで…」
 
じょーがふらんそわーずと二人でいる…と思ったから、それなりに気をつかってわざと音を立てながら来たのに…と、わかるようなわからないようなコトを大まじめで言う張々湖に思わず息をつきながら、ぐれーとはふと首を傾げた。
 
「姫君は…ここにはいないぞ…?そういえば…まだ姿を見ていないが」
「…ん〜?おかしいアル…じぇろにもは、ふらんそわーず、ず〜〜っと、じょーのところに行ったきりだ…って…言ってたアルよ?」
 
じょーの顔色がさっと変わった。
同時に。
…赤ん坊の泣き声。
 
「?…いわん…アルか?…ぅわわわっ???」
 
乱暴に突き飛ばされ、張々湖はぐれーとに思い切りぶつかった。
 
「若君…?!」
 
ぐれーとが叫んだとき、じょーの姿は既に消えていた。
 
「…ど、どうしたアルか、じょーは…それに…ふらんそわーずも、どこに…」
「いったい……ま、まさ…か?…若君!!」
 
張々湖を思い切り押しのけ、ぐれーとも慌てて駆けだしていった。
 
「な、何するアル、どこ行くアル〜〜っ???」
 
一人残された張々湖は憮然と腕組みしてつぶやいた。
 
「全く…!じょーの行儀がなってないのは、やっぱりぐれーとの躾がよくなかったアルからやね〜っ!」
 
 
3 
 
何度も雪に足をとられながら、じょーは夢中で走った。
日は暮れていたが、雪明かりで、道ははっきりわかる。
 
「ふらんそわーず!!…とおや!!」
 
胸が締め付けられるように痛む。
 
…まただ。
また、また…僕は…!
何度繰り返せばいいんだ…
こんな…こんなこと、あと、何度?!
 
「とおや!!…ふらんそわーず!!」
 
…気配があった。
じょーはぴたっと立ち止まり、じっと眼を閉じ…息を整えた。
 
「ふらんそわーず!!」
 
大きく目を見開き、叫ぶなり、じょーは振り返った。
山道の端に、下へ向かって雪が崩れ落ちたような、わずかな跡がある。
じょーは迷わず、そこから暗い斜面へと飛び込み、勢いよく滑り降りながら、太刀を抜いた。
 
斜面の下の方で、青白い光が閃いている。
 
「……っ!!」
 
声にならない叫びを上げ、太刀を振り上げたじょーの前を光が一瞬よぎり…消えた。
ふっと大気が…静まる。
 
「…じょー…?」
 
少女の震える声に、じょーの全身から力が抜けた。
思わず取り落とした太刀を拾い、鞘に納めると、じょーは振り返った。
 
「…ふらんそわーず…」
 
ふらんそわーずは左手に弓、右手に太刀を握りしめ、肩で息をしながら立っていた。
 
「鬼…が」
 
崩れるように座り込むふらんそわーずに駆け寄り、抱き起こすと、彼女は弱々しく微笑んだ。
 
「とおやは…無事よ…落ちたとき、足に軽い怪我をしてしまったみたいだけど…」
「…ふらんそわーず…君が…君が一人で鬼を…?」
「…大丈夫…よ…あなたに教わったとおりに…戦ったわ…ああ、でも…よかった…来てくれて…どうやって、とおやを上に連れていけばいいか…と…思って…心細くて…」
「ふらんそわーず…怪我…は?…君は、大丈夫なのか?」
 
ふらんそわーずはうなずいた。
 
「…ごめんなさい…さっき…私…」
 
…声が出ない。
烈しく首を振ったじょーの耳に、微かな呻き声が届いた。
 
「…とおや…?」
「兄…上……申し訳…ありません…ご心配を…?」
 
不意に息が止まりそうに抱きしめられ、とおやは大きく目を見開いた。
 
「…兄上」
 
とおやは震える声でつぶやき、眼を閉じた。
堅く瞑った瞼から、涙がにじんだ。
 
 
 
息せき切って追いついたぐれーとは、三人の姿に大きく息をついた。
大丈夫だから、と言うとおやを半ば無理矢理に背負い、ぐれーとはじょーを振り返った。
「若君は…どうされます?」
「ふらんそわーずを連れて帰る…気をつけてくれよ、ぐれーと」
「…まぁ…一晩に二度も鬼に遭う、なんてことはございますまい。しかし、若君…」
「行くぞ、ふらんそわーず!」
じょーはぐれーとに背を向け、ふらんそわーずの手をつかんでさっさと歩き出した。
 
「じょー…じょー、待って…!速すぎるわ…!!」
息を切らしながら訴えるふらんそわーずの声を完全に黙殺して、じょーはさっさと歩き続けた。
「じょー…!!」
「…本当についてこれないのか?…これぐらいで?」
「…え?」
 
じょーはぱっとふらんそわーずの手を放し、呻くようにつぶやいた。
「やっぱり、無理なんだ…君には……」
「…じょー?」
 
ふらんそわーずは大きく目を見開き、次の瞬間、堅く唇を噛んだ。
 
「うわ…っ?!」
いきなり突き飛ばされ、じょーはまともに雪の中に転がった。
「な…何するんだよ、いきなりっ!!」
「何よ…卑怯者!」
「…ふらんそわーず…?」
 
起きあがろうとしたじょーの顔に思い切り雪つぶてをぶつけ、ふらんそわーずは怒鳴った。
 
「稽古なら稽古だと言ってちょうだいっ!…ええそうよ、私はあなたよりずっとずっと弱いわ…だから、私は一生懸命にならなくちゃいけないの…一生懸命にならなくちゃ、あなたと一緒に歩くこともできないのよ…!!」
 
雪の中に座ったまま、あっけにとられて見返すじょーにもう一度雪を投げつけ、ふらんそわーずは走るように歩き始めた。
 
また、鬼に遭った。
偶然かしら、それとも…
…わからない。
少将のかけた術の他にも…私に、鬼を呼ぶ何かがあるのだとしたら…そう、あの夜から。
 
もしそうなら…私はこうして生きていくしかない。
鬼と戦って生きていくしか。
私が鬼を呼んでしまうのなら…その鬼が誰かを傷つけたりしないように…誰かの悲しみを呼ばないように…戦わなければならない。
 
じょー。
あなたに逢ったとき…私は自分が何をほしがっているか、わかったの。
私は…あなたの力が、ほしい。
そうすれば、もしかしたら生きていけるかもしれない。
生きていて…いいのかもしれない。
 
だから、お願い、じょー。
私を見捨てないで。
あなたが走れと言うなら走るわ。
あなたが行けと言うならどこへでも行く。
どんな苦しいことも、烈しい稽古でも…きっとあなたの望むとおり、やり遂げるから。
 
だって…私には他に生きる術がない。
私は、生きなければならないのに。
 
 
 
「とおや様…本当は、何のためにおいでになったのですか?」
ぐれーとの問いに、とおやは軽く唇を噛んだ。
 
ぐれーとは父の腹心の中でも、一、二を争う切れ者として知られていた。
その風貌からはおよそ想像がつかなかったりするが。
その男の背に負われていては、何も隠し事はできないような気がした。
実際、こうして黙っている自分の息づかいや鼓動の変化を、彼はしたたかに捉えているに違いない。
 
「兄上の力を…お借りしたかったのだ」
「力を…?」
「私は…父上の血を継いでいない。私を島村家の嫡男と認めない家臣も多い」
 
短い沈黙の後、ぐれーとはふとため息をついた。
 
「まあ…そういうこともあるでしょうな…だが、とおや様…だからこそ若君は…」
「わかっている。兄上がご自身で家を出られたことで、皆あきらめた…そうするしかないからな…兄上を無理矢理従わせることができる者など…この世にはいないのだから」
「おっしゃるとおりです…とおや様、何もご心配なさることはありません。とおや様の他に、島村家を継げる者など、誰一人ありはしないのです。それに…とおや様なら、間違いなくご立派な家長になられます」
「…ありがとう、ぐれーと…だが…私は…」
「大体、若君の力…といっても…若君は、ああいうお方だ…難しいまつりごとの世界では、何のお力にもなれないでしょうに」
「…言い過ぎだぞ、ぐれーと。兄上は、その気になられれば、まつりごとも立派に…」
「今頃手習いを初めていらっしゃるようなお方に、それは無理ですな」
「お前もわかっているはず…兄上は、たしかに学問がお嫌いだ…文の読み書きすら億劫がられる。恐れながら、世の動きのことは何もご存じないし、知ろうともなさらない……でも」
とおやは大きく深呼吸した。
「…どんなことであろうと…兄上が本気でなさるご判断に…間違いがあったことなど、一度もない」
「…ならば、今度のことも同じです…とおや様」
「ぐれーと」
「若君は、島村家の将来をとおや様に託された…もし、ご自分がなさった方がよい方向に進む…と判断されていれば、若君は必ずそうなさったはず…それが、どんなに苦しい道であろうと…ちがいますか?」
 
沈黙が落ちた。
とおやはじっと目を閉じ…やがて、細い声でつぶやくように言った。
 
「ぐれーと…兄上は、まだ…ゆうりの事をお忘れになれないのか?」
「…お忘れになることなど、ありますまい…とおや様も同じでしょう…もちろん、私も」
「そういう意味では…ない」
 
ぐれーとの足が止まった。
 
「…鬼が…館に出た…とでもいうのですか?」
「まだ、出ていない…だが…不思議な文が届けられた」
「…とおや様?」
「私は…惨いことをしようとしている…兄上を苦しませるとわかっているのに…」
 
だから…言い出せなかった。
部屋に入ってこられた兄上は、あのころのような明るい御眼をされていた。
 
「…わかりました、とおや様…私が若君にお伝えします…詳しい話をお聞かせください」
「ぐれーと…!」
「相手が鬼なら、恐れながらとおや様には、なすすべもありますまい…それでよいのです、とおや様…家長たる者、家に集まる人々を守るため、どんな惨い判断でもされねばなりません…若君の力を、存分にお使いなされ…若君も必ず、そうしろとおっしゃるはずです」
 
 
 
島村家の北の方に奇妙な矢文が届けられた…何通も。
ぐれーとの話を、じょーは仲間たちとともに、黙って聞いた。
 
「…近いうちに、災いがふりかかる…か…つまらねえ嫌がらせだな」
「だが…島村家といえば、武門でしられた名家だ…その北の方の母屋の柱にそんな矢文を何度も突き刺すことが…できるのか?」
「たしかに…一度ならそういうこともあるかもしれないけれど…警戒もしてるのに何度も、なんて…普通じゃない」
「内部に密通者がいる…ってことなんじゃないのか?」
あるべるとの言葉にぐれーとは眉を寄せた。
「それは…とても考えられないことだ…北の方の侍女たちは、古くから仕えている選りすぐりの女たちばかり…」
「それじゃ…やっぱり鬼の仕業アルか?」
 
「…鬼は…文など書かない」
じぇろにもが、静かに言った。
「……そうだな…ってことは、誰が、何のためにそんなことをするのか…考えてみようや…じょー、何か心当たりはあるか?」
じょーは驚いたようにじぇっとを見返し、首を振った。
「とにかく…母上…北の方が心配だ…そうでなくも身体の弱いお方なのに…北の方をお守りすることを一番に考えなければ…」
「…それ…だろうな」
「あるべると…?」
「お前の父親も、とおや…とかいうヤツも、もちろん同じ事を考えるだろう…鬼が絡んでいるようなことなら、災いを防ぐためにまず考えるのは…これからやろうとしている大きな物事に、何か不吉な気配はないか…少しでもあれば、それをすぐ取りやめる…ということだろう」
「島村家で今、一番大きな出来事は…何といっても、とおや様の元服と、家長となられる儀式だが…これを止めるわけにはいかない…代わりになる者が一人もいないのだからな…ということは…考えられるのは…とおや様の元服に伴うご結婚…かもしれないな」
「結婚…?相手はどんな姫君だ?」
「…内大臣家の大君…その…もともとは若君の伴侶となられるはずの…」
「内大臣家…?」
 
島村家と内大臣家の縁組みは、以前から約束されていたことだった。
内大臣家は由緒ある旧い家柄で、武門で名高い島村家より、明らかに格上だったのだが。
当主の内大臣が、じょーの父親と親友の間柄だった。
彼は、島村家の清新な家風と生き生きとした一族の雰囲気に感服していた。
 
新しい時代がくる。
その中心となるのは、そなたたちのような精気あふれる者たちに違いない。
 
一風変わった人物として知られていた内大臣は、自分に姫が生まれたら、是非、島村家の嫡男を婿に迎えるのだ…と言い張った。
こうして、じょーが生まれるより何年も前に、両家の縁組みは定められた。
 
「だが…内大臣家の大君…なら、当然…帝や東宮に差し出すこともできるご身分…なんだろう?」
「…そういう話もあったらしい。が、何と言っても内大臣が頑固な変わり者だから…どうしようもない…ってことで」
ぐれーとの説明に、ぴゅんまはなるほど、とうなずいた。
 
「…ってことは…コレも奴らの仕業…かもしれないってことか?」
「いや…深草の少将は…関係ないと見てるぜ、俺は…ここんとこ、ヤツのところでは何も動きはない」
都から戻ってきたばかりのじぇっとが断言した。
「そう、少将の仕業…とは限らないよな…何と言っても、あの秘術を記した巻物は…あといくつあるのか、都のどこにあるのかもわからないんだから…帝方の仕業か、東宮方の仕業かさえ、わからない…でも…とにかく、あの巻物を読んだヤツの仕業である可能性なら十分ある」
そういうことだろ?…とぴゅんまはじぇろにもを仰いだ。
 
「…とすると…俺たちがするコトは…二つだ」
じっと考え込んでいたあるべるとが口を開いた。
「一つは…この件の首謀者とその目的をつきとめること…じぇろにもが言ったとおり、鬼は文など書かない…矢文を柱に刺したのは、間違いなく内部の密通者だ…それを探り出し、そこから、黒幕をたどっていく…もう一つは…万一鬼が現れたら…そいつを倒すこと」
「…そうだな…そろそろ始めた方がいい頃なのかもしれない…いわんが言ってた…アレを」
 
…アレ。
いわんは、都に散らばっているはずの、鬼と語らう秘術を記した巻物を「回収」する必要がある、と言った。
おそらく、それを読んだところで、書かれたとおりの事ができる人間などほとんどいないだろうし…
深草の少将にしても、実際に鬼を動かすには、奇跡的な偶然を待たねばならなかった。
 
それでも…
と、いわんは言った。
問題は、それが紙に書かれた状態で流布している、ということだ。
 
こういう秘術は、ごく限られた者に口伝されるのがフツウだ。
鬼と語らう術を知っている人間が一人もいないのは…それはそれで困る。
だが、その人間はその資格を持つ、選び抜かれた者でなければならない。
 
「文字は、誰でも読める…だから、いけないんだ」
 
今回の首謀者を探り出せば…その巻物の一つにぶつかるかもしれない。
じぇろにもは大きくうなずいた。
「その…とおりだ、はじめよう…いわんの言うとおり」
 
 
 
ほらみろ、泥棒の稽古が役に立ったじゃないか、とじぇっとにからかわれても、じょーは無表情だった。
二人は島村家に忍び込み、ひそかに見張りを続けた。
 
表向きにはふらんそわーずが島村家に入った。
とおやのはからいで、下働きとして入る…予定だった。
その美貌といい教養といい…北の方の侍女としても間違いはなさそうだったし、北の方の母屋を探るにはその方が好都合だったが…彼女の、尼のような短い髪では…そういうわけにもいかない。
 
が。
 
ふらんそわーずが、初めて北の方に目通りした時だった。
 
「母上…この人が、これから母上をお守りします…おそば近くに置くことはできませんが…先日、私を助けてくれた人です…間違いなく母上のことも…」
「…ふらんそわーずと申します…北の方さま、どうかよろしくお願いいたします」
「……」
「…母上…?どうされましたか…?」
 
とおやがやや慌てた声を出した。
ふらんそわーずが静かに顔を上げた瞬間…北の方の顔色がさっと変わった。
 
「母上…?!」
「北の方さま…?」
 
二人が同時に叫んだとき…北の方は声もなくその場にくずおれ、意識を失っていた。
騒然とした中、わけもわからず退出したふらんそわーずのもとに、夕暮れになってから、ひとそろいの奇妙な装束が届けられた。
 
「…これは…?」
「…北の方さまが、そなたに側近く仕えるよう、ご命令されました…このご衣装をお付けください」
「私…に…?」
 
ふらんそわーずは首をかしげた。
浅黄色の装束。でも、これは…
もしかしたら、男の子の?
 
「あの…」
「何も聞いてはなりません…とにかく、急いで参上なさい」
 
少年の装束は着慣れている。稽古の時はいつもそれだ。
しかし。
羽のように軽い、絹の装束…もちろん、優雅に着こなすべき衣装に違いない。
どうしたらよいのかと、戸惑うふらんそわーずに、女房たちは手際よく衣装を着付け、腰には金の飾りのついた小刀をさした。
 
ふらんそわーずは北の方の母屋のすぐ隣に局を与えられた。
「そなたには、北の方さまの御身の回りの世話を頼みます…何事も、北の方さまのお心のままに」
「はい…あの…でも…」
「さっそく、北の方さまに夕餉を差し上げます…そなたはお側でお世話差し上げるのです」
「……はい」
 
静かに夕餉の膳を運び、かしこまっているふらんそわーずの手を、北の方はそっと捉えた。
「…そなたも…召し上がるがよい…さあ…」
「あ、あの…でも…」
「…そなたの好きなものばかりこしらえさせたのです…たくさん召し上がれ」
「北の方さま…でも…この御膳は…北の方さまの…」
「また、女房の口真似をして…母上、とおよびなさい」
「…え?」
「さあ、お腹がすいていらっしゃるのはわかっておりますよ…ご一緒に夕餉をいただきましょう…ゆうり」
 
ゆうり…?
 
ふらんそわーずはじっと北の方を見つめ…やがて、静かにうなずき、勧められるまま椀をとった。
 
「わかりました…でも…どうかご一緒に……母上」
 
北の方は優しく微笑み、うなずきながら、そっと手を伸ばし、切りそろえられた亜麻色の髪をさらさらと指で梳いた。
 
「優しい子ですね…そんな心配そうなお顔をされてはなりません…大丈夫、母もきちんといただきます…そなたが戻ってきてくれたのだから…早く元気にならなくては…」
 
ふらんそわーずの青い瞳を食い入るように見つめていた北の方は、不意に彼女を引き寄せ、強く抱きしめた。
 
「もう…もうどこにもやりません…どこにも行ってはなりませんよ、ゆうり…!」
 
 
 
更新日時:
2002.05.09 Thu.
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Last updated: 2006/3/5