1
ふらんそわーずに桜を見せるつもりだった。
彼女は、満開の桜を見たことがない…と言ったから。
「…見たことが、ないの?」
驚いて目をみはるじょーに、彼女は困ったようにうなずいた。
「私は…ずっと自分の部屋にいたから…」
春は、忙しい。
夏物の仕立てを急がなければならないし。
花見の宴のための衣装も整えなければならない。
宴が近づくと、使用人たちの手も足りなくなって…
ふらんそわーずの部屋からは、桜の木は見えなかった。
時折、風に吹かれた花びらが舞うだけ。
そんな彼女をせりなは気の毒がって…毎年、一枝の桜を部屋に持ってきてくれた。
北の方の目を盗んで。
見つかったら、部屋を汚す、と叱られるのだけれど。
屋敷を出てからは、生きるのに必死で…
花を気にかけるゆとりなどなかった。
「それじゃ…花が咲いたら、一緒に見に行こうよ…すごく綺麗なんだ…きっと、気に入るよ」
その思いつきを、ふらんそわーずがとても喜んだので。
じょーは張り切って花見によさそうな静かな場所を探し回った。
仲間たちと一緒に行く…と約束させられてしまったのはちょっと不本意だったけれど…それはとりあえずガマンすることにきめた。
花見の宴も知らない、というふらんそわーずに、楽しい思いをさせてあげたかったから。
そして、今日がその宴。
思惑通り。
満開の桜の下、ふらんそわーずは声を出すこともできず、うっとりと歩き回った。
仲間達の声も耳に入らない様子で。
「…ね。きれいだろう?」
「ええ…!ええ、本当に…!夢を見ているみたい…」
もっともっと彼女の喜ぶ顔が見たい、と思った。
押えきれない衝動に動かされ、じょーは、彼女の肩をそっと引き寄せ、囁いた。
「もっときれいな場所、教えてあげるよ。ちょっとだけ…一緒に行こう」
2
白い山桜の群生。
あまりに険しい崖に阻まれ、普通、人は近づかない。
じょーに助けられながら崖をよじ登ったふらんそわーずは、その眺めに息を呑み、目を大きく見開いた。
「…きれい…なんて…なんてきれいなの…!」
「スゴイだろ?…ちょっと登るのに苦労するけど…でも、ここよりきれいな場所…僕は知らない」
「みんなは…知ってるの?この場所?」
じょーは一瞬目を丸くして…やがて、ほっと息をつき、微笑んだ。
「わかったよ…ご飯がすんだら、みんなで来よう」
ふらんそわーずは、あ、と小さく声をあげた。
「…そう…ね、もうご飯の支度だわ…戻らなくちゃ…張々湖大人の手伝いをしないと…」
「僕が戻って手伝う…君はもう少しここにいなよ…ちょっと休んだ方がいいし」
「でも…」
「大丈夫…大人、釣った魚を焼くって言ってたから…それなら、僕、得意なんだ」
「そう…なの?」
じょーは笑いながらうなずき、じゃ…終ったら呼びにくるよ、と言い残し、駆け出した。
風に、白い花びらが舞う。
雪のように。
この場所に来たのは、何年ぶりだろう。
誰にも教えなかった場所。
でも…
でも、もう…終わりにしてみよう。
これからは、君と…みんなと一緒に…
崖を軽々と駆け下りながら、胸の傷跡にそっと触れる。
…母上。
許されたとは思っていません。
それでも…これが今の僕にできる、精一杯のことだから。
もう二度と、あなたの前には現れない。
僕は、僕の場所で…
闇の世界で、あなたを守る。
僕は…生きる。
鬼とともに。
闘い、生きる。
それなら、生きていても…いいのかもしれない。
3
魚を焼くのは簡単だったが、数が多い。
ぎるもあも招いていたから、9人分…誤算だった。
思ったよりずっと時間がかかってしまった。
ふらんそわーず…待ちくたびれてるな、きっと…
そわそわと落ち着かないじょーにため息をつき、まだ終ってないアル!と憮然としながらも、張々湖は彼を解放した。
「だいたい、そんな山奥に女の子一人にしておくなんて…オマエ、いつも考えなしアルからして、こういうことに…!」
ぶつぶつ言い出した張々湖から逃げるように、じょーは崖へと向かった。
山奥に女の子一人…?
言われてみればそうだった。
でも…
ふらんそわーずなら、大丈夫。
彼女は…強いから。
走りながら、じょーはふと微笑んだ。
大丈夫。
ふらんそわーずは、この崖だってのぼれた。
彼女は風のように馬を駆ることもできる。
弓も太刀も使える。
…だから。
息せき切って崖を登りきると…
さっきの場所に、彼女はいなかった。
「ふらんそわーず?」
軽い、胸騒ぎ。
慌てて辺りを見回す。
遠く、白い花の下に、華奢な少女が立っていた。
「…ふらんそわーず!」
少女は、うっとりと花を見上げている。
何度呼んでも振り向かない。
「ふらんそわーず!聞こえないのか?…ふらんそわーず!!」
不意に、強い風が吹いた。
白い花びらが吹雪のように舞い…
一瞬、少女の姿を覆い隠した。
4
ぐい、と腕を捕まれ、ふらんそわーずは驚いて振り返った。
「じょー…?」
「何ぼーっとしてるんだよ?」
「あ…ご、ごめんなさい」
「行くよ!」
引きずられるように走る…が。
なぜか、じょーは全速力で走っている。
とても追いつけない。
「ま、待って、じょー…!」
じょーは立ち止まり、軽く舌打ちすると、ふらんそわーずを肩に抱え上げた。
「ちょ…ちょっと…?じょー…?!」
「だって…急がなくちゃ」
「人さらいだと思われても、しらないから!」
「いいよ…思われたって」
じょーはつぶやくように言った。
「誰も…僕をどうにもできやしないんだから」
5
「何事アル?!どうしてフツウに連れてくること、できないアルかっ?」
「急げって言ったの、大人じゃないか」
「フツウに急げば十分だったアルね!私ら、人さらいの山賊と思われるアルよ!!」
半ば投げ出すように地面に下ろされたふらんそわーずは、張々湖の剣幕にくすくす笑った。
「ごめんなさい、大人…私が、ぼんやりしていたのよ…じょーが何度も呼んだのに、返事もしなかったんですって…」
「…何…してたアルか?」
「桜が…あんまり綺麗だったから、つい見とれていて…」
「…桜?」
あるべるとが、首をかしげた。
「ええ…たくさんあったの…白い桜だったわ…」
「ほう…?」
「山桜、ですな?それはまた風流な…飯がすんだら、上がってみますか」
「ええ…!」
「ダメだよ…!」
キツイ声に、ぐれーとは瞬いた。
「ダメ…って…何がですか、若君?」
「…何でも…」
じぇっとが眉を顰めた。
「それじゃ…お前はココで留守番だ…な、みんな?」
全員がうなずく。
「…う。」
6
…何があったのやら。
あるべるとは、道々、何度も注意深くじょーに視線をやった。
別に…いつもと変わったところがある…ようには見えない。
だが。
崖をよじ登り、見事な山桜に仲間達が感嘆の声を上げている間中。
彼はしっかりとふらんそわーずの手を握りしめながら…どこかうつろな目をしていた。
俺たちに「ジャマ」されたから不機嫌になっているのだろう、とはじめは軽く考えていたのだが。
…何かおかしい。
そんな気がした。
しかし。
荷物をまとめ、家路につく準備を始める頃には…
彼の目には、いつもの穏やかな光が戻っていた。
よくわからない。
「ほんとに…綺麗だったわ…」
少女のつぶやきに、あるべるとは振り返った。
青い瞳が夢見るように輝き、傍らのじょーを見上げている。
「でも、すぐ…散ってしまうよなぁ…」
「ええ…だから、みんな…あんなに桜を大事にするのね…歌にも一生懸命詠んで…どうして、桜の歌ばかりこんなにたくさんあるのかしらって…不思議だったの」
「そんなに…あるの?」
「ええ」
「…ふう…ん…?」
関係ないや、と、つまらなそうに首をかしげるじょーにくすくす笑い、ふらんそわーずは歌うように言った。
「花咲かば告げよと言ひし山守の来る音すなり馬に鞍置け」
「…なに、それ?」
「私の好きな歌よ…今、あなたみたいだな…って思ったの」
「僕?…何が?」
「ね、そう思わない、あるべると?」
あるべるとは思わず吹き出した。
「ああ…そうだな…たしかに」
「な…何だよっ?!」
ぐれーとも面白そうに振り返った。
「それじゃ…差詰め、我輩は山守…ってとこですな…いやはや…」
「なんだよ、ぐれーとまで…!ふらんそわーず、それ…どういう意味?どうして…」
「それは…ご自分でお考えなされ…そうそう、久しぶりに手習いのお相手でもいたしましょうか?」
じょーがいかにも不満そうな声をあげた。
仲間達と一緒に笑いながら、あるべるとは、気にすることはない…と、心でつぶやいた。
花は、人の心を惑わせる。
ときに、見てはいけないものまで見せる。
だが…
俺たちは、大丈夫だ。
きっと。
どんなものを見ようと、どんなものに誘われようと。
俺たちは、迷いはしない。
花の美しさを愛し、はかなさを惜しみ…それを守りたいと願い、また来る春を信じる。
その気持ちを見失わなければ。
あのとき、お前が教えてくれたように。
|