1
ふらんそわーずが、いない。
少将からの文が届いてひと月ほどがすぎた朝だった。
慌てふためき、外に飛び出そうとしたぴゅんまを、ぐれーとが押さえた。
「太刀と…弓は?」
「…残っている…短剣も…!お出かけになられたとは思えない、何も支度をなさった跡がないんだ!」
「…ってことは…攫われたのか?!誰に?!」
「攫われたんじゃない」
じょーが落ち着き払って言った。
「僕がいる所から、彼女を攫うなんて無理だよ…じぇっとならできるかもしれないけど」
「は…?」
「彼女は…自分で、出て行ったんだ…こっそり」
それに気づかなかった…のは、はっきりいって面白くないけど。
「深草の少将のところへ行ったんだろう…間違いない」
「じょー?」
「…馬鹿な…そんなご様子は、少しも…!」
ふらんそわーずは、少将の文を黙殺した。
少将からも、それ以上文はこなかった。
いわんは、放っておいていい、と言い置き、また眠ってしまった。
鬼は相変わらず都を跳梁し…
たしかに、ふらんそわーずは、それに心を痛めていたはずだったが。
「そう…だね、そんな様子は見えなかった…僕にも」
見えていたら、絶対、行かせなかった。
やられた…完全に。
「でも、今、ふらんそわーずが、僕に知られないように行きたい場所は、そこしかない。距離から考えても…深草の少将は、祈祷のため、山にこもってる…って、言ってたよね?」
皆が寝静まってから抜け出したとして、朝までに少将の館にたどりつくのは、彼女の足では難しい。
じょーに気づかれたら、追いつかれ、連れ戻されてしまうにきまっている。
失敗は許されない。一度失敗して、じょーが警戒し始めたら…もう二度と抜け出すことなどかなうまい。
でも、今少将がいる寺なら…十分とどく距離だった。
「…そうか…では、恐らく姫君は既に少将殿のもと…」
「すぐ、連れもどすアルか?!私らみんなでかかれば、きっとたやすいこと…」
「…いや」
短く言い、首を振ったじょーを、あるべるとがふと見やった。
「確かめるだけでいい。少将のところにいるのなら、すぐ危険に陥ることはないだろう…彼女が何をしようとしているのか、見きわめておきたい」
「…若君?」
「僕が深草の少将や…彼に仕える者たちを殺したり、傷つけたりすることを、彼女は望んでいなかった…その彼女が少将のところに行ったのなら…今の僕は、そんなことをしないと…信じたからだと思う」
彼女が、僕を信じているなら…僕も。
「少将の寺へは僕がいく…みんなは今までどおり、鬼を警戒していてくれ」
「じょー!」
「…君の行ったとおりだったね、じぇっと…泥棒の稽古、役に立ちそうだ…ありがとう」
「し、しかし若君…!もし何かあったら…若君一人では手に負えないようなことが起きたら、その…」
「大丈夫だよ」
じょーは微笑した。
「そのときはきっと…いわんが泣くはずだ」
2
ほのかな灯火に照らされた、色とりどりの衣裳を前に、ふらんそわーずはため息をついていた。
今夜は、少将に目通りが許される…ということで、その際身につけるようにと出された衣裳だった。
この寺にたどりついたものの、少将への目通りはかなわなかった。
もちろん、予想していたことだったが。
ふらんそわーずは、調べてほしい、と申し出た。
やがて…一人の女房が、ふらんそわーずの前に現われ、歌の断片を言いかけた。
かつて、少将が贈ってきた歌の上の句の断片だった。
ふらんそわーずは、即座に下の句を答えた。
そうしたことを何度か繰り返すうち、姿を見せないながら、少将はどうやら彼女がふらんそわーずであると確信したらしい。
数日後。
この部屋に入れられ、同時に、数人の女房がつけられた。
彼女たちは連日ふらんそわーずの髪を洗い、肌を磨き、香を焚いた。
…だが。
どんなに飾り立てたところで、短く切った髪に、このきらびやかな衣裳がどれだけ珍妙に映るかと思うと、つい気持ちが沈む。
第一、この衣裳では…いざというときに身動きができない。
そう思いかけて、ふらんそわーずは思わず苦笑した。
いけない…戦いにきたわけではないのに。
「失礼いたします」
女房たちが、大きな桐の箱を捧げ持ち、入ってきた。
「少将さまのご命令です…お支度させていただきます」
とまどうふらんそーずを部屋の中央に座らせ、鏡をおき、女房はうやうやしく箱の蓋をあけた。
「……っ?!」
箱に入っていたのは…黄金の糸を束ねたような、たっぷりと長い髪の束だった。
「これを…おつけください」
ふらんそわーずは息をのみ、思わず身を引いた。
同時に、女房たちに取り押さえられた。
「…いや…っ!」
小さく悲鳴を上げ、手を振り払おうとしたとき。
冷たい光が目の前に閃いた。
女房の一人が、短剣を抜き、ふらんそわーずの顔の前に構えている。
ふらんそわーずは突然、固まったように動きを止め…おとなしく座り込んだ。
女房たちは、警戒しながらも、体の力を抜いた。
「…そうです…お静かに…何も、ご心配なさることはありません」
女房は短剣をおさめた。
ふらんそわーずは大きく深呼吸しながら、耳を澄ました。
…何も聞こえない。
でも。
今、確かに…微かな気配があった。
鋭い殺気を帯びた気配。
じょー…?そこに、いるの…?
…だとしたら…動けない。
激昂した彼が、何の躊躇もなく敵を切り捨てるのを、ふらんそわーずは何度も見てきた。
敵というのは…もちろん、鬼の影だが。
それが仮にヒト…女性だったとしても、彼は同じように切り捨てるかもしれない…という気がどこかしていて。
大丈夫…私は、大丈夫よ、じょー。
…だから。
ふらんそわーずは大きく深呼吸しながら、祈るように目を閉じた。
ずっしりとした重さが、肩に加わってくる。
無言のまま立ち働く女房達の手で、流れる黄金の髪を持つ姫君が形作られていった。
3
「…お会いしたかった…どうか、お顔を」
柔らかい声に、ふらんそわーずは静かに顔を上げた。
「…ご無事で…少しも変っておられない、いや…ますますお美しくなられた」
無表情のまま口を噤んでいるふらんそわーずに、少将はふと目を曇らせた。
「私を…恨んでいらっしゃるでしょうね」
「…いいえ」
「あなたが…そして、あの忠実だったあなたの侍女が残酷な目にあわれたのは…すべて私のせいなのです。お詫びして許されることではありませんが…」
「…恨んでは…いません。私も…せりなも」
「…姫!」
「昔のことは、もういいのです…私は、あなたにお聞きしたくて…ここに参りました」
ふらんそわーずは、まっすぐ少将を見つめ、言った。
「あなたが…私を何に使おうとしていらっしゃるのかを」
沈黙が落ちた。
「…使う…と、言われるのか」
「あなたは…私のことを何か知っているはず…私と…鬼のことを」
「…姫!」
少将は唇を噛み、ふらんそわーずを見つめた。
「…本当に…変っておられない。あのときも、あなたはそういう目で私をごらんになった」
「……」
「昔のことは…いい、と言われましたね…でも、私は、そう思い切ることができない。たぶん…生きている限り」
「たくさんの人が…死んだわ…罪のない人が…それが、もし…もし、私のせいだというなら…!」
「そう、あなたのせいだ、姫君…!あなたが、私のもとにおいでになればそれでよかったのだ…あなたが逃げるから、私は追った…鬼を放って、あなたを探した……だが、あなたが、私のもとにおいでになれば、これからは罪のない者は死ななくてすむ…戦いもなく、愁いもなく…ただ、世の流れだけが変るのです…!」
「…それは…あなたが自由に鬼をあやつれるようになるから…?それが、あなたの望みなの?」
「あなたは…あなたは、何も知らなくていい、そんなことを知る必要はない、ただ…」
「答えなさい…!」
「…姫」
青い宝玉のような眼の奥に、つめたい光が宿っている。
少将は、静かに眼を閉じた。
「答えなさい…それが、正しいことなら…私は、あなたのものになります。今、ここで」
「私を…愛することなしに、ですか…?」
「答えていただけないのなら…あなたは、命を落とすことになるわ」
「…姫?」
一瞬流れたふらんそわーずの視線を追い、少将は身を堅くした。
「誰か…いるのか?!」
「…いいえ…誰もいません……今は」
4
雷に撃たれたように、じょーは動きを止めた。
右手には、たった今、鞘から放たれた太刀が鈍く光っている。
ふらんそわーず…気づいて…いたのか…?!
間違いない。
彼女は…気づいていた、僕がここにいることを。
僕が…太刀を抜いたことを…だから…!
じょーは懸命に呼吸を鎮めようとした。
…誰もいない、今は…
彼女は、そう言った。
僕に、動くな…と言いたいんだね、ふらんそわーず…!
…しかし。
わずかな天井の隙間から見え隠れする、金色の滝のような豊かな髪。
華やかな衣裳の上を、まるで生きているように妖しく光り、うねり、流れている。
これが…本当の君の姿なのか…?
宮家の母君を持つ、大納言家の本来の大君、ふらんそわーず・あるぬーる。
なんて…高貴で、あでやかな姫君。
匂い立つ香。
艶めかしい衣擦れの音。
どこまでも優雅で、どこまでも遠い世界。
そうなのか、ふらんそわーず?
時々、君がひどく遠くに見えたのは。
君が、僕の手の届かないところに消えてしまうように見えたのは、そのせいだったのか?
君は…やっぱり僕とは、違う……だから…?!
「わかりました…お話しましょう」
少将の声…押し殺した声に、じょーは我に返った。
落ち着かなければ…しっかりしろ…!
じょーは何度も自分に言い聞かせ、太刀を握りしめた。
君は、戦おうとしているんだ…自分の運命と。
本当の君は、その美しい姿の奥にいる。
もっと…もっと美しい君が。
僕だけが知っている、本当の君が…!
僕は…君と戦う。
だから、君の戦いを…妨げはしない。
そう、誰もいない、今は…
僕は、ここにいない。そのときが、くるまで。
君の戦いと僕の戦いが交わるときまで…!
5
「あなたが…どんな力を持っているのか、はっきりわかっているわけではありません…確かなのは…あなたが鬼を引き寄せるということだけです」
「鬼を…引き寄せる…?」
「あなたは、鬼に新しい力を吹き込むことができる。だから鬼は、あなたを求め、あなたに惹かれて倦むことがない…でも、心配はいりません…私たちの術を使えば、あなたは何事もなく毎日を過ごすことができるのです。私は、鬼からあなたを守り…あなたは私のあやつる鬼に力を与える……今のままでは、私は鬼を完全にあやつることができないし、あなたは、常に、さまよう鬼たちの標的となる…私たちはそれぞれに、災いを呼ぶ者となってしまうのです」
うつむくふらんそわーずを少将はどこかいたましそうに見つめた。
「私を…信じてほしい、ふらんそわーず…私は、あなたを使って自分の野心をかなえようとしているのではないのです。ただ、救いたい…この世を。滅びから」
「…滅び…?」
「そう…この世は、滅びようとしています…新しい世が訪れるのです。その時は近づいている。新しい世が訪れれば、古い世は滅びる…私も…あなたも」
「…それを…防ごうと…いうの?…鬼の力を借りて…?」
「恐ろしいことだと…思われますか?…そうかもしれません…私も、そう思っていました…あなたにお会いするまでは」
「…え?」
「あなたにお会いするまで…私は、私の住む世界が…私の愛する古いもの、佳いものたちがいずれ滅びることを、なすすべもないことと感じていました。父に命じられるまま、卑劣な策謀に手を染めるのも、私の運命だと…ならば、せめてその中に少しでも美しいものを見いだそうともがき続け……そして、あなたに出逢った」
こんなに美しい人が、この世にはいるのか。
美しく、優しく…清らかで…それなのに。
この人は、滅びようとしている。
こんな…暗い場所で、ひっそり…儚く消えようとしている。
それが、運命だと…
「私は、あなたを救おうと…そう決めたのです。あなたを滅ぼそうとするもの全てと…戦うと。そのときから、それが、私の生きる意味そのものとなった…そのためなら、どんな非道なことでもやり通そうと、私はそう心に誓った」
「…少将…さま…?」
「あなたは、私が愛する佳いものたちの全てでいらっしゃる…私が朽ち果て、滅びるのは…それがさだめだというのなら、かまわない…でも、私の目の前で、私の愛するものが…滅びようとしているのを、諦めることはできなかった…!私は、この世を守る…あなたが、帰るべき場所を…あなたが、その本当のお姿で輝くことができる世界を、この手で作る…それがもし人にはかなわぬことだというのなら、鬼の力を借りても…!」
燃えるようなまなざしを、ふらんそわーずは静かに見返した。
「それなら…私は、あなたのものにはなりません。あのときと、同じように」
「…ふらんそわーず!」
「新しい世が訪れて…古い世は滅びるのがさだめなら…私は、喜んでそのときを迎え、滅びるだけ…新しい世は、きっと美しいでしょう…そのために、どんなに苦しんでも…皆が、そこを目指すのなら…!」
「…あなたは…」
「少将さま…あなたも、諦めなければならない…鬼を使うのはやめてください。あなたの放った鬼は、たくさんの人を傷つけてしまう…もしかしたら、滅ぼしてはいけないものまで、滅ぼしてしまうかもしれない…!」
「そう…そうなのだ、あなたは…そういう方だ、少しも変っておられない…でも!」
少将は一枚の護符を懐から取り出し、破り捨てた。
「今度は、逃がさない…どんなことをしても…!」
「…っ?!」
次の瞬間。
無数の影がふらんそわーずに襲いかかった。
咄嗟に身をかわしたものの、重い衣裳が彼女の動きを阻む。
ふらんそわーずは、そのまま床に倒れた。
「…手荒な真似を…お許しください、姫君…しばし、ご辛抱を」
どこか夢見るようにつぶやき、少将は静かに片手を上げた。
中空に、鬼の牙が現われた。
「あなたを鬼に渡しはしない…ただ、しばらく…私の言うとおりにしていただくために…これを、使わせていただくだけです…ご安心ください」
突然、ふらんそわーずの表情に烈しい怯えが走った。
「…だめっ!じょーっ!!」
叫ぶなり、ふらんそわーずは、少将に思い切り体当たりした。
鈍い音と、悲鳴が上がった。
「…っ!」
ふらんそわーずは息をのんだ。
少将の片腕が、切り落とされている。
「…じょー!」
「どくんだ、ふらんそわーず」
「やめて…お願い、じょー…あなたが、こんなことをしてはだめ…!」
襲いかかる影を瞬く間に切り裂きながら、じょーは一歩ずつ少将と、彼に覆い被さるようにして庇うふらんそわーずに近づいた。底冷えのする暗い視線を一時も離さないまま。
「ふらんそわーず…どいてくれ」
「…いや…!」
じょーは立ち止まり、僅かに微笑んだ。
「困らせないでくれよ、ふらんそわーず…こんなやつ…生かしておいたら、また君を狙うにきまってる…」
「あなたの手をこんなことで汚してはいけない…!あなたは…あなたは、私たちとは違うの…!」
「どくんだ…っ!」
じょーは力任せにふらんそわーずを少将から引きはがし、太刀を大きく振りかざした。
「…若君っ!」
「姫…!!」
叫びとともに、ぐれーととぴゅんまが飛び込んできた。
僅かにじょーがたじろいだ瞬間。
眩しい光が辺りを満たし…
じょーは、声もなくその場に倒れた。
「…いわん…?!」
「間に合った…よかった、寝坊しちゃったかと思ったよ…」
赤ん坊が、宙に浮かんでいた。
6
深草の少将が、鬼に襲われ、片腕を失った。
噂は都中を駆けめぐった。
そして、それこそが鬼の目的であったかのように。
あれだけ都を脅かしていた鬼は、ぱったりと現われなくなった。
少将の傷は、不思議に早く癒えた。
それもまた鬼によってつけられた傷だからだろうと、人々は噂した。
太陽の照りつける、暑い日。
深草の少将は、久しぶりの参内を果たした。
帝や大臣達にいたわられながら勤めを終え、早々に控えの間に戻ると…
渡殿の端に、華奢な少年が立っていた。
…新しい…殿上童か…?
何気なく通り過ぎようとしたとき。
少将は、息を呑んだ。
茶色の髪。茶色の澄んだ瞳。
穏やかだが、どこか冷たいその色…
…お前…は…っ?!
体が震え出し、止まらない。
動くことができない。
声すら、出せなかった。
少年は、微笑んだ。
「どうやって…ここに入り込んだか…?ふふ、僕には…凄い友達がいるんだ…泥棒のね」
あ。今は違うけど…
少し慌てたようにつぶやく。
間違いない。
あの…少年だ。
しかし。
この華奢な子供のような体のどこから…あの信じられない力が…
凍りついたように見つめている少将に、少年はふと真顔になった。
「…その腕…ごめん…」
「な…にをしに来た…?私に、何の用が…」
「確かめにきたんだ…あなたが、もう鬼を使わない…って誓ってくれるかどうか…僕はそんなことどっちでもいいんだけど…誓ってくれたら、きっと…ふらんそわーずが、喜ぶから」
…ふらんそわーず。
その名を聞いた瞬間、少将の顔色に僅かな生気が戻った。
「ならば、今私を殺すがいい。私は諦めない。生きている限り、決して」
「……」
少年は、眉を顰め…じっと少将を見つめていた。
やがて。
彼は、ため息をついて、控えの間の奥をアゴで指すようにした。
「…あれ…返しておいたよ」
「…?」
「僕にもふらんそわーずにも…もう必要ないものだけど…あなたには必要なのかもしれない」
「待て…!お前は…」
そのまま身を翻し、走り出そうとした少年を、少将は懸命に呼び止めた。
「彼女を私に渡せ!お前に、何がわかる…!」
少年は立ち止まり…振り返った。
「世が変って…新しい世がくるなら…彼女も変る。それだけのことだ」
「変る…だと?!変るのではない…滅びるのだ!」
「…いいよ、そう思うなら…戦おう。あなたが、鬼を使うのなら…その鬼は全部僕が…僕たちが倒す。必ず」
僕たちは、変る。
彼女も…変る。
「あなたには、渡さない」
涼やかな声で告げ…少年は、風のように消えた。
しばらく呆然と立ちつくしていた少将は、ハッと控えの間に駆け込んだ。
部屋の奥に、長く豊かな黄金の髪の束が置かれていた。
それは、ふらんそわーずを方々捜し続けた少将が、ようやく手に入れた…彼女の形見だった。
7
「お姫さんは、あの少将のものになってもかまわない…って思ってたのかね?場合によっちゃ?」
「何言い出すんだ、お前…いきなり?」
あるべるとは首を傾げた。
じぇっとが唐突なのは、今に始まったことではないが…それにしても唐突だ。
「俺にはよくわからねえが…要するに、あの少将は…お姫さんを、ほっといたら滅びてしまう、佳いもの…とか思ってたわけなんだろ?」
「…と、いわんは言ってたが…それがどうした?」
「いや…時々思うんだけどな…あのお姫さん…どーも投げやりな所があるような気がするというか…」
「…投げやり?」
「お待たせ、あるべると、じぇっと…結構たくさんもらってきたよ」
「…げ。重そうだな」
ぴゅんまは笑いながら、麻糸の束が入った袋を積み上げていった。
「三人なら運べるだろ?文句言うなよ」
「へいへい」
「さすが、これだけの麻畑があると…気前がいいね…助かるよ」
「…そうだな。まずまずの報酬だ」
三人は、鬼退治の依頼を受け、仕事を終えたところだった。
怪我人もなく、比較的簡単に片づいた方だった…と思う。
明るい開放感に浸りながら、彼らは眼の前にそよぐ麻畑を眺めていた。
「…今頃、どうしてるかな、お姫さん…」
「稽古してるんだろうよ…じょーとな」
「暑いから…あまり無理をされなければいいんだけど…」
「フフ…じょーはすぐ夢中になるからな…彼女も大変だろう」
じぇっとが肩をすくめた。
「…ったく…!稽古もいいが…こういう季節なんだからよ、あいつらも…もーちょっと…なんだ、こぉ…色っぽい雰囲気になったりしないのかね…?」
「そうは、ならないよ…姫君は」
あるべるとはふとぴゅんまを覗いた。
何か…引っかかった。
「どういう…ことだ?」
「どういう…って…そういうことさ…じょーも…早く気づいてくれればいいんだけど…」
ぴゅんまは、息をついた。
「姫君は…彼と一緒に戦いはしても、愛することはない。絶対に」
「絶対…?へっ、それはまた手厳しいな…」
茶化すようなじぇっとの言葉に、ぴゅんまは口を噤み、うつむいた。
姫君は覚悟していらっしゃる。
じょーは…強い。
強く、しなやかで…
その力は、いつか、世を照らす光となり、新しい風を呼ぶだろう。
だから。
彼には、彼にふさわしい伴侶と…彼にふさわしいなすべきことがあるはず。
ご自分が、そこから遠く離れたところにおられることを、姫君は誰よりもよくご存じだ。
今は、こうして共に生きていても。
その生き方こそが揺るぎない現実であり…お二人が命の限り守り抜こうとされている生き方であっても。
「姫君は、じょーがいつか…ご自分ではない、彼にふさわしい申し分のない奥方を迎えることを望んでいらっしゃるよ…心からね」
「そんなこと…あいつが承知するはずないだろう…じょーに限って」
微かな胸騒ぎを感じながら、あるべるとは吐き捨てるように言った。
ぴゅんまは真っ直ぐにあるべるとを見つめた。
「じょーが承知するかどうか、なんて関係ないさ。運命は全ての人間を押し流していく。姫君はご自分の背負われた運命の重さをよくご存じだ。彼を巻き込むことは決してなさらないだろう…姫君は、彼のための逃げ道をいつも穿っていらっしゃる」
「逃げ道…?くだらん、じょーがそんなことを望むはずが…」
「望むかどうかは…関係ないんだよ、あるべると」
ぴゅんまは自分に言い聞かせるように言った。
「姫君は…ご存じなんだ」
運命が押し寄せてきたとき、愛は儚い。
何の防御にもならない。
姫君は…一度、ご自分の運命に立ち向かっていかれた。
全てを賭け、ただ一人、暗い牢獄から、さらに暗い闇へと逃げだし…そして。
せりなが、死んだ。
だから、姫君は…二度と同じことはなさらない。
「なんだよ…それじゃ、お前もあの少将と同じじゃねえか…!古いものは滅びる、それが運命だ…ヒトの力で運命は変えられない…そういうのか?辛気くせえ考え方だぜ」
「花は、散るから美しいんだ…そういう…ものじゃないのかな、じぇっと?散るのを惜しんだり恐れたりしたところで…僕たちには、なすすべがないんだ…諦めきれず、花を散らすまいと本気で考えてしまったら…たしかに、鬼の力を求めるしかないのかもしれない」
姫君は…もう二度と、せりなが感嘆していた、美しいお姿には戻らない。
本来あるべきだった、お姿には…決して。
あの少将は、姫君が失ったものを拾い集め、再び与え…時を戻そうとしている。
鬼の力を使って。
「でも、姫君は…決してそうなさらない…だから」
それをしないのなら…滅ぶしかない。
…そうなのか?
そうなのかも…しれない。
ひるだも、死んだ。
罪人の娘という運命を背負ったまま。
彼女は、最後まで俺の妻になろうとしなかった。
運命と戦う俺を見守り、共に戦いながら…彼女も、俺のための最後の逃げ道を穿っていたというのか?
…だが。
「だが…じょーは…違うかもしれない」
「…違う…?」
あるべるとは顔を上げ…青々と広がる麻畑に、眼を細めた。
「桜麻…」
「…ん?」
「…桜麻、という言葉がある。麻の美称だ…知っているか?」
「うん…聞いたことがある。歌の言葉だね?」
花は散る。
だが…その美しさは、人の心に残る。
人は、それを蘇らせることができる。
夏、生い茂る、溢れんばかりの別の命に、その名をつけ…愛することができる。
「彼女は、変る…俺たちもな…ぴゅんま」
「…あるべると」
「変ることは…滅びることではないかもしれない…少なくとも、あいつは…じょーはそう信じてるぜ?」
ぴゅんまはまじまじとあるべるとを見つめ…やがて、微かにうなずいた。
そうなのかもしれない。
もし、俺自身は、そう信じることができなくても…散った花の美しさから逃れられないまま命を終えたとしても。
それでも、彼らの力になることはできる…力に、なりたい。
その思いが…いつか、俺を変えてくれるかもしれない。
君も、そう…思うかい?
…せりな。
桜麻(さくらあさ)の苧生(をふ)の下草しげれただ飽かでわかれし花の名なれば
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