1
「いいお天気…!」
ふらんそわーずは軽く背伸びをしてからカゴをのぞき込み、つやつや光る栗の実を嬉しそうに見つめた。
一緒に来ていたじょーは、さっき、じぇろにもに呼ばれて帰ってしまった。拾うのに飽きてきたらしく、まだ若い実しかない木をむやみに揺すぶり始めたりしていたから、ちょうどよかったわ、とふらんそわーずは思った。
まだカゴはいっぱいにならないけれど、じょーがあらかた実を揺り落としたので、あとは拾うだけだ。
この寺に来て、二度目の秋。
何のために戦うのか。自分が本当にしなければならないことは何か。
それは、まだわからなかったけれど。
今は、依頼に応えて鬼から人々を守ることと、鬼と語らう秘術を記した巻物を探し出し、焼き捨てること。
それが、寺に住む彼らのつとめになっていた。
巻物については、かなりを焼き捨てることができたと思う…と、じぇっとが言った。
たしかに、最近、鬼が人を襲うという話をあまり聞かなくなった。
そうなると、俺たちの仕事がなくなってしまうわけだけどね…と、ぴゅんまが笑った。
でも、仕事がなくなる…なんてことは、きっとない。
まだ、そのときではない。
ふらんそわーずは漠然と思っていた。
何かが、まだ蠢いている。
この世のどこかに。
いつか新しい世が来れば、それは消える。
そして、そのときには、きっと自分も消える。
それまでは、戦い続ける。
帝位をめぐる争いも、今のところ落ち着いているらしい。
若宮の死と少将の負傷とで、帝方の貴族の動きは止まった。
もちろん、このままで終わるとは到底思えないが…と、あるべるとは言った。
不意に、風が騒いだ気がして、ふらんそわーずは振り返った。
じょーが、戻ってきたのだと思った。
2
ふ…っと目を開いた。
じょーがじっと見つめている。
こぼれ落ちてしまいそうな大きな茶色の目。
瞬きもせず見つめている。
どうしたの?と言おうとすると、声が出ない。
体も動かない。
ふらんそわーずは少し慌てた。
ここは…どこ?
寺ではないわ。
「動かないで」
押し殺した声でじょーが言った。
両肩に温かい手を感じるのと同時に、鈍い痛みが胸を襲った。
「痛むのか…?ふらんそわーず、僕がわかる…?声を出さなくていい。わかるなら、この…手を」
じょーは優しくふらんそわーずの指に自分の指を絡ませた。
微かに握り返す力を感じると、彼は呻くような声を上げ、唇を噛みしめた。
泣いてる…の、じょー?
私…どうしたの?
「ご…めん…大丈夫。ここは、ぎるもあの館だよ…わかる?」
ふらんそわーずは返事の代わりに、指に少しだけ力を入れようとした。
思うように力が入らない。
「きみは…ね、怪我をしたんだ…でも、もう大丈夫だから。心配しないで、おやすみ」
怪我…?
いつのまに…?
「僕が…ずっとここにいる…もう、きみの傍を離れたりしない」
じょーの目が不思議な光を放ち始めるのをぼんやり見つめながら、ふらんそわーずは心でつぶやいた。
何かが…始まったのね。
でも、大丈夫よ、じょー。
私は…大丈夫。
…そんな顔を、しないで。
3
「わしの言ったとおり、目を覚ましたじゃろう…?」
物憂げに振り返ったじょーに、ぎるもあは満足そうにうなずいた。
「ふらんそわーず…自分がどうなっているか…何が起きたのか、わかっていないみたいだ」
「…うむ」
「いったい…何が」
「さて。わからん…のう」
ぎるもあは息をつき、ふらんそわーずの傍らに座ると、注意深く傷を調べ始めた。
血相を変えたじょーがふらんそわーずを担ぎ込んできたのは5日前。
見たこともない傷だった。
彼女は胸を射抜かれていた…が、矢傷とは違う。
「実にキレイな傷じゃったから、むしろ治りは早いのう。血も大して流れておらなんだし…それでいて、急所には限りなく近かった。妙な傷じゃ。とんでもない武器をとんでもない手練れが使った…ということかの?もっとも、狙いが正確すぎたから、ふらんそわーずが僅かによけた分だけ、きっちり急所からはずれてくれたわけじゃが」
「よけた…?でも、彼女は何も」
「無意識のうちに体が動いたのじゃろう…オマエが、そう仕込んだんじゃろうが」
黙り込むじょーをちらっと見上げ、ぎるもあは無造作にふらんそわーずの襟をかき寄せ、布団を引き上げた。
「まぁ…あと5、6日で寺に戻れるじゃろう」
「でも、まだ歩けるようには…」
「オマエが背負っていけばいい。いくら場所が知れておっても、万一のときは、寺の方がここより遙かに安全じゃ…いわんもおる」
息を呑むじょーにかまわず、ぎるもあは淡々と続けた。
「おそらく…この子がこうして生きていると、相手は思っておらんじゃろう。とどめもささず立ち去ったのは、完全に殺したという自信があったからじゃよ…じゃが、ほどなく失敗に気づくじゃろうし…気づけば間違いなく、また来る」
「……」
「じょー。オマエ一人でこの子を守るのは、無理じゃぞ」
「…わかってる」
「…ふむ」
少しはオトナになったの、とぎるもあは笑った。
4
風のように藪を切り裂き続けていた太刀が動きを止める。
やがて、息ひとつ乱さず振り返ったぴゅんまに、じぇっとは軽く肩をすくめた。
「えらく気合いが入っているじゃねえか」
「そっちは、順調かい?」
「…まあ、な」
二人は慎重に言葉を選びつつ話した。
辺りに人の気配はない。だが、得体の知れない敵だ。
もうしばらく、ふらんそわーずは死んだと思わせておきたい。
せめて…敵の正体をわずかでもいい、何かつかむまで。
「こんな稽古…結局役に立たないのかもしれない」
「かもな…だが、俺たちにできることが他にあるのか…?」
「…そうだね」
「そうそう、できること、といえば…張々湖が栗をゆでてたぜ。何か、菓子を作るんだとか言って」
「栗…って、まさか、あの栗か?」
「その栗さ…ったく、気が利いてるのか悪趣味なのか、わからねえよな」
「…たしかに」
あの日。
不意に鋭い叫び声を上げ、身を翻して走り出したじょーの後を、ぴゅんまは咄嗟に追いかけた。
ふらんそわーずに何かあったのだと、直感した。
駆けつけた場所には、栗の実が散乱していた。
その真ん中に、ふらんそわーずは倒れていた。
後から、ぴゅんまはその場所へ何度も行っては、彼女を傷つけただろう矢を探し歩いたが、何も見つからなかった。
そんなぴゅんまに、一人では危ないアルよ、と張々湖がよく同行した。
…が。
実のところ、彼の本当の狙いは、そこに散乱した栗の実の回収だった…のかもしれない。
「とにかく…できることをするしかない…そういうことか」
つぶやくぴゅんまに、じぇっとは真顔でうなずいた。
「ああ。それに、俺たちは一人じゃねえ」
5
「ごめんなさい…」
消え入るような声に、じょーは振り向いた。
「…何が?気にしなくていいんだよ…すぐ歩けるようになるし…僕が力持ちなのは知ってるだろう?それに…」
すっかり軽くなってしまった。きみは。
きゅっと口を噤むじょーを申し訳なさそうに見やり、ふらんそわーずは首を振った。
「ううん…そうじゃなくて…どんな相手に襲われたのか、さえわからないなんて…少しもみんなの役に立てないのが、くやしいの」
「ふらんそわーず」
じょーは黙ったまましばらくふらんそわーずを見つめていた。
やがて、彼は静かに尋ねた。
「もう、怖く…ない?」
「…ええ」
「大丈夫だから…よく思い出してみて」
「……」
「きみは、何も見なかった。何が起きたのかもわからない…そう、痛みすらなくて、ただ気を失った…そう言ったね」
「…ええ」
「本当に…本当に、何も思い出せない…?」
じっとじょーを見つめ返してから、ふらんそわーずは小さく深呼吸して目を閉じ…うつむいた。
ややあって、はっと顔を上げ、彼女はつぶやくように言った。
「風…が…!」
「…風?」
「ええ、風が、吹いたわ…私…」
「……」
「…あなたが…帰ってきたんだと…思った」
それが、最後の記憶。
じょーは瞬きもせず、ふらんそわーずを見つめた。
僕と、同じ気配を持つ者…?
…それは。
「…鬼は武器を使わない。だから、きみを襲ったのは鬼ではない。でも…」
…それは、人間だったのだろうか?
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