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日本昔話的009

鬼退治 初陣 下
 
闇の中で、何かが動いた気がした。
ふらんそわーずはじっと眼をこらした。
 
弓が上達するにつれて、少しずつ感覚が鋭くなったような気がする。
暗闇をじっと見つめていると、時折、何かを感じることがある。
心を澄ませ、雑念を払い、気配をとらえようとするうちに、それが見えてくる。
 
ふらんそわーずは用心深く、気配を追って歩き始めた。
 
長者の館に迫っていた影を倒し、ふらんそわーずを待たせておいた場所に駆け戻ったじょーは、慌ててあたりを見渡し、大声を上げた。
「ふらんそわーず?!」
「…どうした?」
やや遅れて、じぇっととぐれーとが駆けつける。
「…いない」
「ん…?」
怪訝そうに、じぇっとは視線をさまよわせるじょーを見つめた。
「いないんだ、ふらんそわーずがっ!」
悲鳴のように叫ぶ。聞いたことのない、取り乱した声。
 
「若君!!」
異様に張りつめた口調。じぇっとは思わず身を硬くし、ぐれーとを振り返った。
ぐれーとは厳しい眼でじょーをにらみ、ゆっくり歩み寄ると、その両肩を力任せに掴んだ。
「…落ち着かれよ、若君…!」
「離せ!…離せよ、ふらんそわーずが……!!」
「落ち着きなされ!!…影はみな倒しました、何も心配はありません…若君!!」
「離せぇっ!!」
思い切り振り払われ、ぐれーとは吹っ飛んだ。
「ふらんそわーず!!」
喉を振り絞るように叫び、やみくもに駆けだそうとしたじょーは、ハッと立ちすくんだ。
じぇっとは思わず大きく息をついた。
「なんだ…どこ行ってたんだ?お姫さん…」
次の瞬間、じぇっとは息をのんだ。
 
思い切り頬を張られ、悲鳴を上げる間もなく、ふらんそわーずが倒れる。
「な、何しやがる、じょー…?!」
「若君っ!!」
 
二人がかりで止めようとしても無駄だった。
どこから出てくるのかわからないすさまじい力で、じょーは二人をはね飛ばし、殴り倒したふらんそわーずの襟をつかんで、引きずり起こした。
「なぜ、動いた…?」
「…ア…」
声も出せずに震えるふらんそわーずの頬を二度、三度と殴りつける。
「ここにいろ、と…動くな、と言ったはずだ!!」
「じょー!!…殺す気かっ?!」
腹の底から絞り出すように、じぇっとが吼える。
ハッとじょーの動きが止まった。
 
ぐれーとがふらんそわーずに駆け寄り、助け起こした。
「ご…めんなさ…い…」
「しゃべるな…!口の中が…切れている…早く戻って手当を…」
 
息を弾ませ、立ちつくすじょーに、じぇっとはつぶやいた。
「狂ったか…?お前…?」
突然じょーは、獣のように咆哮し、その場にがっくりと両膝をついた。
烈しく全身を震わせ…泣いた。
「じょー…?」
 
「ひどいことするアルねえ…じょーは…」
張々胡は何度目になるかわからないため息をついた。
「う〜ん、こっちの薬の方がよく効くアルんやけど…ひどくしみるアルから…」
考え込む彼に、ふらんそわーずは言った。
「効く薬の方が…いいわ」
「…そ、アルね…顔アルもんねえ…」
きゅっと眼を閉じ、痛みに耐えるふらんそわーずを気の毒そうに見つめ、張々胡はまたため息をついた。
「でも、ふらんそわーず…どこ行ってたアルか?殴るのはよくないアルけど、じょーの言うこともわからなくはないアルね」
「…ごめんなさい…不思議な…ものを見つけて…」
「不思議な…もの?」
張々胡は首を傾げた。
 
 
「…道…だと?」
「そうだ」
 
じぇろにもはうなずいた。
 
「ふらんそわーず、影の名残…見た。館から…」
床につっと指を滑らす。
「北…林の…はずれ…岩」
ぴた、と指が止まる。
「ここ」
 
「…岩?…それがいったい…」
ぴゅんまがさっと顔を上げ、ぐれーとを遮った。
「そうか…!聞いたことがある…鬼は…いや、人ならぬモノは、人の出入りできないものの中にこもると…入り口も、出口もない、閉ざされた場所に…」
じぇろにもは大きくうなずいた。
「その…岩を…砕く」
「そ、それで…鬼を…倒せるのか?」
「いや…いわん、で…なければ」
「…いわん」
 
赤ん坊は眠っている。
 
「しかし、困ったアルねえ…!岩を砕けば、鬼はホンキになるアルよ…おそらく、ひとつや二つじゃなく、いっぱいいるはずアルし…もし、いわんが起きてくれないと…」
「待てよ…そんな危ないこと…なんでするんだ?今までのように…影を倒しながら、コイツが起きるのを待った方が…」
じぇっとの言葉に、張々胡は大きく首を振った。
「いわんはほっといても起きないアルよ…起こさないと」
「…あぁ?」
 
じぇろにもは苦笑いした。
「いわんのこと、わからない…いわんは『時』がこなければ、起きない」
 
いわんは、『時』がきたときに、泣き声をあげ、それを告げる。
そして、強く呼びかける魂に感じて目覚め、その力を出す。
とりあえず、わかっているのはそこまでだ…と、張々胡は説明した。
 
「今まで泣いてないアルからして、同じことしてるうちは、いわんは泣かないアル…間違いないネ。このままだと、いつまでも、長者殿やゆきさんを苦しめることになるアルよ」
「…鬼が…諦める…ということは?」
「諦めるなら…とっくに諦めてるアルねえ…」
根比べになったら、人間に勝ち目はない。
何と言っても、鬼の方が圧倒的に長生きだ。
 
「…やるしかない」
男たちはハッと顔を上げた。
じょーが鋭いまなざしで彼らを見回す。
「ふらんそわーずが道を見つけた。だとすれば、今が…その『時』だ。僕たちが命の限り戦えば…必ず、いわんは目覚めるはず」
じぇろにもが大きくうなずいた。
 
 
たしかに、よく効く薬だった。
ふらんそわーずの傷はすぐに大方消え、よく見れば、少し目元が腫れているように見える…くらいに回復した。
あれから、じょーはふらんそわーずに話しかけようとしない。
 
「ふらんそわーず」
振り返った彼女に、あるべるとは小さな包みを投げた。
「忘れ物だ」
「ありがとう、あるべると…」
ふらんそわーずは笑って、今さっき自分で作った昼食の包みを受け取った。
「…毎日…よく続くな。一人で稽古してるんだろう?」
「まだ…射るのが遅いんです…これでは、獣を射ることはできても、鬼を射ることは…」
「…と、じょーに言われたか?」
ふらんそわーずは寂しそうに微笑んだ。
「私には…無理なのかもしれません…あんなに…教えていただいたのに」
「そうとは…思わないがな」
ふと、ふらんそわーずはあるべるとを見上げた。
「もう…十分だ…お前も戦える」
「…あるべると」
 
深く澄んだ青い瞳。透き通るような肌。
自分も、この少女を鬼と戦わせたくはない。
だが。
じょーの想いはそれとは違う。
どう違うのか、彼が何を考えているのかは…わからなかったが。
 
「お前は…強くなった」
「……」
「だが…じょーは…もっともっと、お前を強くしたい…それでいて…戦わせたくはない」
「…そう…でしょうか」
「たぶんな…なぜだか、わからんが…間違いない」
 
うつむいていたふらんそわーずは、やがて馬の轡をとった。
「…行くのか?」
「はい…稽古を休むと、腕が落ちます」
「お前は…強くなりたいのか?…なぜだ?」
 
ふらんそわーずは、ふと視線をさまよわせた。
青い瞳が何かに耐えるように色を深める。
 
やがて、彼女は静かにあるべるとを見上げた。
頬を僅かに染め、微笑む。
 
「…あの人が…そう望まれるから」
 
 
馬を駆りながら、的を次々に射る。
流れるように放たれた矢の、最後だけが僅かに外れた。
馬から降り、肩で息をしながら、ふらんそわーずは唇を噛んだ。
…まだ…できない。
 
「右腕の力が弱いんだ…それで、だんだん遅くなってしまう」
驚いて振り返った。
じょーは細長い石をふらんそわーずに投げた。
「それを握って…腕を動かすと…少しずつ力がつくよ」
うなずくふらんそわーずの傍らに、じょーは片膝を抱えるようにして座った。
「この石…あなたが…」
滑らかな手触り。ずっしりと重いが、彼女の手の大きさにぴったり合う。
「…昔…父上に、同じものを作っていただいたのを…思い出したんだ」
ふらんそわーずは手の中の石を大事そうに眺めながら、座った。
 
「ふらんそわーず…あの…」
「お弁当、食べましょうか…おなか、すいてるでしょう?」
「いいよ…君のだろ?」
「分けて食べた方がおいしいものだと…母上に教えていただいたことがあります」
じょーは思わず微笑んで、ふらんそわーずが差し出した飯を受け取った。
 
「…ごめん」
「……」
「この前…殴ったりして…痛かっただろう…?」
ふらんそわーずがそっとうなずく。
「…でも、それは…私が…勝手なことをしたから…」
「違うよ」
「…じょー」
「……怖かったんだ」
小さな声。
「…僕は…ずっと一人だった……これからも…そうなんだと、思っていた」
じょーはそれきり口を噤んだ。
 
立ち上がったふらんそわーずを、じょーはぼんやり見上げた。
「あの…花が咲いている場所を、教えて」
「花が…咲いている場所?」
「いつも、ゆきさんにって…たくさん花を持ってくるでしょう?…咲いているところを…見たいの」
お弁当、半分しか食べなかったから…もう稽古はできないわ…ふらんそわーずは微笑んだ。
 
険しい、半分崖のような道を、じょーに手を引かれて登り切ったふらんそわーずは眼を輝かせた。
「きれい…!」
「よく…登れたなあ…強くなったんだな、君は」
「…あなたの…おかげだわ…こんな…ところがあるなんて…夢を見ているみたい…」
息を弾ませながら、ふらんそわーずは色とりどりの花が咲き乱れる野原を見つめた。
 
そのまま二人は、黙ったまま風に吹かれ、立っていた。
やがて、ふらんそわーずがぽつん、とつぶやく。
「私は…ずっと…一人だったの」
「ふらんそわーず…?」
「とても…怖かった……これからも…きっと、死ぬまでそうなのだと…思っていたわ」
素早く瞬いて涙を払うと、ふらんそわーずは真っ直ぐにじょーを見上げた。
「でも、もう…一人じゃない」
「……」
「…そうでしょう…?」
澄んだ湖のような瞳。じょーは静かにうなずいた。
「私…強くなるわ…だから、連れて行って、鬼の…岩に。みんなと…あなたと一緒に…戦わせて」
「ふらんそわーず…!」
じょーはそっとふらんそわーずの両肩に手を置き、そのまま抱き寄せた。
「そう…だね、君は…一人じゃない…僕も…」
息ができないほど強く抱きしめられ、フランソワーズは小さくうなずいた。
「一緒に……行こう…必ず、君を守る…!」
 
 
月の明るい夜。
じぇろにもは、今夜、鬼の岩を砕く…と男たちに告げた。
 
「ふらんそわーず…準備はできたか?」
胸元に何かを差し込むようにしている彼女に、じょーは首を傾げた。
「…お守りです。母の形見の…」
「…そうか。大丈夫、落ち着いて…必ず、勝てるから」
「ええ」
うなずくと、ふらんそわーずは弓をとって立ち上がり、ふっと灯りを吹き消した。
 
簾が軽い音を立てる。
振り返るじょーの眼に、月明かりに仄かに光る亜麻色の髪がうつった。
深い光をたたえた青い瞳。
白玉のように滑らかな細い首筋。
華奢な手足。
 
不意に、体が…凍り付いたように動かなくなり、じょーは大きく目を見開いて、ふらんそわーずを見つめた。
 
…兄上…兄上…!兄上……!!
 
繰り返す、鈴を降るような澄んだ声。
全身がわなわなと震える。
 
「…じょー…?」
 
ふらんそわーずは怪訝そうにじょーを見上げた。
月の光のせいだろうか。彼の頬が血の気を失ったように青白い。
 
「どう…したの、じょー…?」
 
次の瞬間。
鳩尾に彼の拳が突き刺さった。
ふらんそわーずは声も立てず、その場にくずおれていた。
 
「…ごめん…ふらんそわーず…僕は…やっぱり……!」
 
押し殺した声でつぶやくと、じょーはふらんそわーずを抱え上げ、簾の中に入った。
そっと彼女を寝かせる。
 
立ち上がろうとしたとき、何かが足元で光った。
小さな…金色の観音像。
さっき、彼女が胸に差し込んでいたものだ。
 
じょーは観音像を拾い、気を失ったふらんそわーずをじっと見つめ…それを自分の懐にしまった。
立ち上がり、もう一度振り返る。
 
「必ず…戻ってくる…許してくれ…!」
 
 
怒りが大気を震わせていた。
凄まじい気の固まりが、矢継ぎ早にじょーたちを襲う。
 
岩を砕くのと同時に、無数の影が一斉に現れた。
静かな山中は一瞬で烈しい戦場と化した。
 
切っても砕いても、影の勢いは衰えない。
「みんな、ひるむな!!」
じょーが叫びながら影を切り裂いていく。
だが、数が…多すぎた。
 
「…畜生…!!」
あるべるとは思わず呻いた。
やはり…愚かな真似だったのか…?
鬼のこもった岩を砕くなど…人の分際を越えた暴挙だったのかもしれない。
だが、後戻りはできない。
ここで俺達が倒れたら……
怒り狂い、放たれた鬼がどれほどの惨禍を巻き起こすか…
長者も…ゆきも…そして…
 
眠っているいわんも、ふらんそわーずも…!
 
渾身の力を振り絞り、影を払いのけ、切り捨てたあるべるとは、ぐれーとの叫びを聞いた。
「ぐれーと?!…大丈夫かっ?」
返事はない。
駆けつけるヒマもない。
視界の隅に、倒れて動かなくなったぐれーとがちらっと入る。
 
それが、一人目だった。
 
…いわん…!眼をさませ…!!
 
また、一人倒れた気配。
ぴゅんまか?張々胡か?
 
肩で息をしながら、あるべるとは影に切り込んでいった。
 
 
火のついたような赤ん坊の泣き声。
ふらんそわーずは、ハッと飛び起きた。
鈍い痛み。息が苦しい。
ぼんやりと辺りを見回す。
 
…じょー…?
 
懸命に立ち上がった。
「いわん…?…いわんが…泣いている…?」
 
いわんを寝かせている部屋に飛び込もうとして、ふらんそわーずは息をのんだ。
赤ん坊は宙を飛び回り、烈しく泣きわめいている。
手を差し伸べて抱こうとしても、捕まらない。
部屋の調度が嵐に吹かれたようにすさまじい勢いで飛び交っていた。
 
「…ア…?!」
壊れた陶器の破片が、鋭く頬をかすめた。
血が伝わる。
 
少しずつ…心が落ち着いてくる。
ふらんそわーずは、泣いているいわんを部屋にのこし、弓をつかむと、外に駆けだした。
馬に飛び乗り、思い切り鞭を当てる。
 
行かなくては…!
 
月明かりだけの山道を、全速力で駆けさせる。
怖くはなかった。
道が…はっきりと見える。
 
 
足元がふらついた…と感じた次の瞬間。
あるべるとはがっくりと膝をついていた。
もう、立っていられない。
 
…これまで、か…?
 
烈しい息づかい。閃光。
まだ戦っているのは……一人。
じょー…か…
 
やはり…化け物だ、あいつは…
…だが。
いわんが…目覚めなければ…
もう、時間の問題だろう。
 
「…ひるだ…」
 
つぶやき、あるべるとは眼を閉じた。
 
 
ふらんそわーずは、声にならない悲鳴を上げた。
男たちが点々と倒れている。
その上を、影が狂ったように飛びまわっていた。
 
ぴゅんま…張々胡…ぐれーと…じぇっと…じぇろにも…あるべるとまで…!
…みんな…倒されてしまったの?
 
きゅっと唇を噛む。
矢をつがえ、構えようとしたとき。
まだ動いているものが見えた。
 
「じょー…?!」
 
閃光がひらめき、影がひとつ散った。
が、同時に、じょーはその場にうずくまり、膝を落としていた。
彼が動けないのを見きわめるように、影はゆっくりとその回りを飛んだ。
 
ふらんそわーずは懸命に眼をこらした。
影は…少なくとも…八つ。
まだ、他にもいる可能性はある。
気づかれる前に、全てを倒さなければ…
 
やがて、不気味な唸りをあげて、ひとつの影がじょーに襲いかかった。
ふらんそわーずは、馬に鞭をあて、思い切り弓をふりしぼった。
 
ひとつ…二つ…三つ…
 
矢は立て続けに影たちを貫いていく。
ふらんそわーずは馬に乗ったまま一気に駆け入り、ひるんだ影たちを次々に倒していった。
…七つ…あと…ひとつ!
 
右腕に力が入らなくなっていた。最後の影を射た矢が、僅かにそれる。
あっと思う間もなく、影は馬を襲い、ふらんそわーずは地面にたたきつけられていた。
懸命に起きあがり、太刀を抜き、構える。襲いかかる影を、辛うじて防いだ。
 
「ああっ…!」
 
思わず悲鳴をあげた。太刀での戦いは十分な訓練をしていない。
影の圧倒的な力に押され、ふらんそわーずはじりじりと追いつめられていった。
 
しかし。
突然、ふっと影が消えた。
何が起きたのか…わからない。
次の瞬間。
異様な感覚がふらんそわーずを包んだ。
背筋に寒気が走る。
これは…まさか…?
 
オマエ…カ…?
 
哄笑。
 
「…来ないで…!」
声が震えた。
ぞっとするような冷気が忍び寄る。
 
…コンドハ…ニガサナイ…
 
咄嗟に構えた太刀はまっぷたつに折れた。
あれは…宙に浮き、光っているのは…
…鬼の牙。
 
埋め込まれたら、生きた人形となり…
鬼の慰み物にされるという。
最後の血の一滴まで…
 
唇を噛み、ふらんそわーずは迫る鬼たちの気配を見据えた。
その中に…ひとつ。
あの…鬼がいる。
 
でも。
いわんが…あの時の鬼は…全部消したと言ったはず…
 
ちらっと疑念がよぎる。
だが、それ以上考える余裕はなかった。
 
…コワガルコトハナイ…クルシイコトナド、ナイノダカラ…
オマエハ…ウツクシイ…
牙が、宙を滑り…止まった。
 
…サア、コイ!ワレラガモトヘ…!!
 
闇を切り裂くように、牙がふらんそわーずに襲いかかる。
思わず眼を閉じ、顔を背けたとき。
 
キ…ン…!
 
小さな火花が散った。
そっと眼をあけたふらんそわーずの前に、金色の観音像が転がっている。
その真ん中に、光を失った牙が突き刺さっていた。
 
「…だ…いじょうぶか、ふらんそわーず…?」
「じょー…?!」
 
よろめきながら、じょーはふらんそわーずに歩み寄り、彼女を庇うようにして、鬼たちのうごめく気配がする方を睨み付けた。
「…逃げろ」
「…え?」
 
じょーは全身に傷を負っていた。
血まみれになった腕で、ふらんそわーずを後ろへ押しやろうとする。
 
「…逃げるんだ…僕が、できるだけ…こいつらを食い止める…早く…!」
 
ふらんそわーずはそろそろと立ち上がり、じょーの背中を抱きしめるように支えた。
 
「ふらんそわーず…?」
「…いやです」
「馬鹿、早く逃げろ…!」
「いやよ…残されて悲しむのは、もういや…!!」
 
嘲るような咆哮。
 
「危ない…!!」
 
襲いかかる鬼から、ふらんそわーずを体で庇い、じょーは歯を食いしばった。
背中が引き裂かれた。
 
ソノ、ムスメヲ…ワタセ…!
 
「…いやだ…っ!」
 
眼がかすむ。
気が遠くなりかけたじょーを再び鬼が襲った。
 
「…?!」
温かい血が…頬にかかる。
短刀を構えたふらんそわーずが、じょーの前に立ちふさがっていた。
ざっくりと傷ついた肩から、血が滴っている。
 
「な、何を…?!いいから、逃げるんだ!」
「…いや…!」
 
ふらんそわーずも膝を折った。
最後の力を振り絞り、じょーを庇おうと、懸命に身を起こす。
じょーはそんなふらんそわーずを後ろから抱きかかえた。
 
物音が遠ざかり…辺りが闇に包まれる。
二人は、抱き合ったまま地に倒れた。
 
 
「う…?」
体が…動かない。
ゆっくりとまぶたを上げる。
どこかで見たような…天井。
 
「ここ…は…?」
懸命に体を起こそうとしたとたん、激痛が走った。
じょーは思わず呻いた。
 
「ああ…まだ無理じゃ…!動いたらいかん!」
せかせかと近付く足音。
 
…ぎるもあだった。
 
「どうだね?気分は?…何があったか、覚えておるか?」
 
ぼんやり視線を宙にさまよわせていたじょーは、ハッと眼を見開いた。
 
「ふらんそわーず…は…?!」
「ふふ、そう言うと思ったわい…」
 
ぎるもあは苦笑した。
 
「あの子は、もう寺に戻った…オマエが一番ひどい傷を負っていたんじゃよ…」
「寺に…ここは…?」
「もう忘れたのか?…わしの館じゃ」
 
きょとん、としているじょーに、ぎるもあは笑った。
 
「やれやれ…わからないか。いわんが目覚めて、鬼を消した…それで、お前たちをここに運んで…」
「…誰が…?」
「いわんに決まっておる」
「……」
「まあ、細かいことは気にせんでもいい…とにかく、わしがまた叩き起こされた…というわけじゃ…まったく、あの赤ん坊…人使いが荒いわ…8人もいちどきに手当てさせられたのは、さすがに初めてじゃったよ…」
 
肩をすくめ、ぎるもあは注意深くじょーを観察した。
 
「ふむ…やはり、すぐ動くのは無理じゃの…あと何日かそうして休んで…それで、寺に戻るといい…鬼は倒したのじゃから、焦ることはない…そうじゃ…お前にこれが…長者殿から届いておったが…」
 
ぎるもあは一輪の花を差し出した。薄い紙が結びつけてある。
すぐさま片手で枕元に紙を広げ、横目で眺めるじょーに、ぎるもあは苦笑した。
 
「…恋文じゃろうに…?そういう文は、人前で見るモノでは…」
「……」
「どうした?」
 
じょーは、文を広げたまま物憂げに脇へ押しやった。
 
「…何か…悪いしらせじゃったか?」
「…わからない」
「ん…?」
「…何が書いてあるのか、全然わからないよ…」
 
ため息まじりにつぶやき、じょーは眼を閉じた。
彼が眠りについたのを確かめ、ぎるもあはためらいがちに広げられた文をのぞきこんだ。
 
「…恋歌ではないか…なかなかよい歌じゃが…?」
 
 
3日後、じょーは寺に戻った。
さすがに、体が重い。
のろのろと石段をあがると、山門のかげに、淡い金色の髪が見えかくれしている。
急に足取りが弾んだ。
 
「ふらんそわーず!」
箒を手に、ふらんそわーずはハッと振り返り、まじまじとじょーを見つめた。
「…よかった…もう、動けるんだね?」
「……」
「ふらんそわーず?」
「あなたは、まだ…ぎるもあさまのところにいなければならないと…聞いていました」
じょーは声を立てて笑った。
「もう大丈夫だよ…!ほら…!」
 
ふらんそわーずはくるっとじょーに背を向け、掃除を続けた。
「……ふらんそわーず?」
「抜け出してきたんでしょう…?そんなに早く傷が癒えるはずありません」
「だって…すぐ君に会いたかったんだ…無事だって聞いたけど…この眼で確かめるまでは…」
「ぎるもあさまを疑っていたんですか?」
「…そ…そういうわけじゃ…」
 
じょーは首を傾げた。
ふらんそわーずは黙々と庭を掃き続ける。
 
「…怒ってるのか?」
「……」
「どうして…?ふらんそわーず…?」
「どいてください。邪魔です」
 
じょーはぎゅっと唇を噛み、荒々しい足音をたてて、その場を離れた。
しばらく彼の後ろ姿を見ていたふらんそわーずは、素早く指で涙を払い、つぶやいた。
 
「…嘘つき…!」
 
 
じょーが寺に戻って、半月がすぎようとしていた。
不意に後ろからひっぱられ、ぴゅんまはそのままぐいぐい物陰に引きずられた。
「な、なんだよ、ぐれーと…?」
「シ…ッ!」
 
ぐれーとは辺りを見回し、ぴゅんまに耳打ちした。
「…おぬしに、相談がある…教えてほしい…姫君は…何を怒っておられるんだ?」
「え…?」
「おぬしならわかるだろう、そのわけが…?とにかく、若君が寺に戻ってからというもの、姫は一度も…一っ度も、若君に笑いかけてくださらんのだ…!」
「…そう…かな?…普段と変わらないように…見えるけれど」
「我々にはな…なぜか若君だけ、特別扱いで嫌われているというか…その」
ぴゅんまは面白そうにぐれーとをのぞいた。
「…それで、じょーに頼まれたのかい?…理由を探れって…」
「まさか…!若君は意地っ張りだ…しらんぷりしようとしておられるが…もうイケナイ。か〜な〜り、限界に近い」
思わず吹き出すぴゅんまに、ぐれーとは憮然とした。
「…いや…ごめん…つい…」
「笑い事ではござらん…!」
「…そ、そう…だね…フフ…でも、悪いけど…僕も理由は思いあたらないよ…だって、姫はぎるもあ殿のところにいたときには、あんなに彼を心配して…夜も眠らずに看病して…それで、むりやりこっちに連れてきたぐらいだったんだから…彼を嫌っているなんて、とても思えない……ただ…」
「ただ…?」
「姫は…とてもお心が優しくて…寛大でいらっしゃるが、ひとつだけ…」
「…ひとつだけ…何だ?」
 
ぴゅんまはふと真剣な表情になった。
「嘘が…お嫌いだ」
 
「…嘘?」
「じょーは、姫に嘘をついた…僕たちは一緒に鬼を倒しに行くはずだったろ?それを、彼は…」
「……」
ぐれーとは絶句した。大きく目を見開き、ぴゅんまを見つめる。
「…し、しかし…それは無理だ…無理なのだ、若君…には……!」
絞り出すように呻くぐれーとに、ぴゅんまは首を傾げた。
 
10
 
山が紅葉で染まり、じょーの傷も完全に癒えた頃。
長者から、使いが来た。
夥しい謝礼の品々と共に。
 
「ふ〜ん、紅葉の宴…ねえ…これを着てこいってか?…さすが、大した金持ちだ」
鼻歌まじりに、色とりどりの着物を品定めしながら、じぇっとは笑った。
「いわんにまで、立派な産着が届いたアルよ…ふらんそわーずにも…」
じょーはふと顔を上げた。
「ふらんそわーず…行くのか?」
「行く、言ってたアル…なんだ、聞いてないアルのか?」
からかうような口調に、じょーはそっぽを向いた。
ふらんそわーずは、まだ彼を完全に黙殺したままだった。
 
長者から贈られた美しい紐でふわっと髪を束ね、ふらんそわーずは鏡をのぞいた。
少しずつ伸びた髪は、肩を覆ってあまるほどになり、上手に束ねて正面から見ると、普通の長さのように見えなくもない。
 
ふっと眼を閉じ、ふらんそわーずは想いに沈んだ。
 
やがて。
彼女は白い手を傍らに置いた蒔絵の箱に伸ばした。
 
 
「よ〜し、準備はできたか?」
「張り切ってるアルねえ、ジェット?」
「ふふ…思い切り飲んで食ってやるぞっ!」
「ちょっと待って…姫が…ふらんそわーずがまだ…そういえば、今日は朝から姿を見なかったような…」
ぴゅんまの言葉に、あるべるとは顔を曇らせた。
…やはり…酷だったか…?
そのとき。
 
「ごめんなさい、待たせてしまって…!」
駆けだしてきた少女の姿に、男たちは息をのんだ。
 
すらりとした体を優しく包む、水色の絹。
象牙の肌に青い瞳が輝き、愛らしい唇には珊瑚の紅。
そして。
風を受け、夕日と戯れるように軽く舞う金色の髪は…
肩の上で、きれいに切りそろえられていた。
 
沈黙を破ったのは、じょーの弾んだ声だった。
 
「すごく、似合うよ、ふらんそわーず…!とってもきれいだ…!!」
 
ふらんそわーずはじょーを見上げ、くすっと笑った。
じょーは頬を紅潮させて駆け寄り、いかにも嬉しそうにふらんそわーずを上から下まで丹念に眺めながら、ぐるっと彼女の周りを一周した。
 
「早く行こう…!みんなに君を見せなくちゃ…!ふらんそわーず、琴も聞かせてくれるよね?僕が笛を吹くからさ…!」
こっくりうなずくふらんそわーずの両手を、有頂天になってぐいぐいひっぱり、じょーは半ば走るように歩き始めた。
その後ろ姿を呆然と見送り、ぐれーとは思わずため息をついた。
 
「ったく…うちの若君ときたら…!」
「素直でいいアルよ、可愛いアルね」
「…そうか?…俺は時々…あいつって、実はホントの馬鹿なんじゃねえかと…思うけどな」
じぇっとが腕組みしてつぶやく。
 
あるべるとは唇の端を僅かに上げ、ため息とも笑いともつかない声をもらした。
「…まったくだ」
 
 
 
更新日時:
2001.12.01 Sat.
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Last updated: 2006/3/5