どこに行くのか、朝になると寺を飛び出し、日暮れまで帰ってこないじょーは、毎日暑い暑いとぼやいていた。
が、夜になると、風はひんやりしている。虫の音も一日ごとに冴え渡る。
「…そうか…もう、秋アルねえ…!」
張々胡がしみじみうなずく。視線の先には、座って縫い物をしているふらんそわーずがいた。
「七人分だから…早く始めないと、すぐ冬になってしまうわ」
笑う彼女の隣に座り、じょーはじーっとその手元を見つめている。
「それは…誰の分?」
「…じぇろにもよ…大きいでしょ?」
「まだまだ…かかるのか?」
「そうねえ…だって、あと、あなたに…あるべるとに…じぇっとに…」
「じぇっとのはいいよ!…どうせ、どっかから盗んでくるんだから」
「…若君!!」
じょーは肩をすくめた。
「聞き捨てならねえこと言うじゃないか、じょー?…俺は、盗みはやめたのさ…な?ふらんそわーず?」
ふらんそわーずはせっせと針を運びながら、微笑みで応えた。
「…なんだよ?…なんで?…約束したのか?」
「お前には関係ないハナシだ、じょー…これは、彼女と俺だけの秘密ってやつ」
完全にふくれっつらになったじょーに、ぴゅんまはこらえきれず、吹き出した。
じょーはこのごろ機嫌が悪い。
冬物の支度、と言って、ふらんそわーずは一日中縫い物をしている。
どんなに誘っても、彼女は外に出ようとしなかった。
「せっかく上手になったのに…弓も太刀も、腕が落ちるぞ」
「…また、がんばって取り返すわ…だって、着るものがないと、みんな困るでしょう?」
ふらんそわーずは終始優しく微笑んでいたが、頑として動かない。
「一日くらい、いいじゃないか…!」
「一日だけ稽古しても…腕が落ちるのは同じだもの」
なんで、あんなに強情なんだ、ふらんそわーずは?と、とうとうじょーはぴゅんまに訴えた。
ぴゅんまは笑った。
「無理だよ、じょー…姫は、おそろしく頑固でいらっしゃるからな」
君だって、経験済みなんじゃないのか?諦めた方がいいよ…それに、必要なことなんだしね。
じょーはしぶしぶうなずいた。
澄み切った空に、月が煌々と輝いている。
気ままに琴をかき鳴らしていたあるべるとは、ふと手を止めた。
「…なんだ、やっぱりまだ縫っていたのか…?」
ふらんそわーずは顔を上げ、微笑んだ。
「おやすみになったかと…思ったわ…琴がやんだから」
「ひと休みして、お前もちょっと弾かないか?…いい月だ…」
ふらんそわーずは首を振った。
「ここで、あなたの琴を聞いているだけでいいの…もう少し弾いてください…仕事がはかどるし…心が…弾みます」
あるべるとは苦笑し、ふらんそわーずの隣に座った。
「…あ?」
「手伝おう…といっても、こうやって押えてるしか能がないがな…縫いやすくなるだろう?」
「それは…でも、いいのに…悪いわ」
「まあ、見てろよ…これでも、こういうことに慣れていないわけじゃないんだぜ」
たしかに、布の押えどころも、引く力も程良い。ふらんそわーずは目を丸くした。
「ほんと…とっても上手ね、あるべると…」
「…だろ?今日はそれを仕上げたら終わりにしろ…どうしても、お前の琴が聞きたいんだ」
「そんな…」
ふらんそわーずは僅かに頬を染めた。
まったく…見事な針運びだ、手慣れている。まるで、熟練した縫子のように。
あるべるとはふと思いにしずんだ。
あるぬーる家の姫…それが、なぜこんな…?
「…できたわ…!」
「ああ…フフ、疲れただろう?」
あるべるとは軽くふらんそわーずの肩を叩いた。
「いやね、あるべるとったら…私、おばあちゃんじゃないわ…」
「根を詰めれば、誰でも肩が張るもんだ…ほら、じっとしてろ…」
ふらんそわーずはくすっと笑い、大きく息をついて、目を閉じた。
「…まだ秋になったばかりだろう…何も、こんな遅くまでがんばることはないんじゃないか?」
「でも、早くしないと…弓も太刀もどんどん腕が落ちてしまうから…」
あるべるとはふと彼女から目をそらした。
「そんなこと、気にするな…体をこわしたら、元も子もない」
ぽつりと言った。
寝ころんで、半分上げた格子からぼんやりと月を眺めていたじょーはふと耳を澄ませた。
琴の音。
さっきの音と違う。
やがて、音は二つになった。
「…なんだよ…!琴で遊んでるヒマはあるんじゃないか…!」
口の中でつぶやき、じょーは跳ね起きた。
音を立てて格子を下ろし、真っ暗になった部屋の真ん中に転がって、両耳に指を突っ込む。
「もう夜中なのに…うるさくて寝られないよ…!」
翌朝。
勢いよくふらんそわーずの部屋に駆け込んだじょーは、簾を上げたとたん、固まってしまった。
「…あ…おはよう、じょー…」
「早いな…もう出るのか?」
ふらんそわーずの隣で、布を引っ張りながら、あるべるとが笑う。
「…う…うん…ふらんそわーず、今日は…」
「ごめんなさい…でも、もうすぐ終わるわ…あるべるとが手伝ってくれて、とってもはかどっているのよ」
「…てつだう…?」
じっと見ているじょーにそれきり目をやることもなく、ふらんそわーずは忙しく手を動かしていた。
布を押えているあるべるとの手が彼女の手から離れ…また近付く。
じょーは、ぎゅっと口を結んで簾を乱暴に下ろした。
馬のいななきに、ふらんそわーずは思わず顔を上げた。
「じょー…?どうしたのかしら、鞭をあてたりして…何か、急ぐことでも…?」
「…さあな」
あるべるとは笑いを押し殺し、首を傾げてみせた。
今夜は琴の音がしない。
廊で大きく伸びをしたじょーは、ちらっとふらんそわーずの部屋の方を見た。
微かに灯りがもれている。
足音を忍ばせ、こっそり部屋に近付いた。
格子が少しだけ上げてある。
じょーは体をぴったりと柱に寄せ、格子の隙間から、中をのぞいた。
ふらんそわーずは一心に縫い続け…その傍らには、あるべるとがいる。
何か話しているが…聞き取れない。
時折、ふらんそわーずがくすっと笑う。
それを見つめるあるべるとのまなざしは、限りなく優しい。
突然、ふらんそわーずが小さな声を上げた。
「…どうした?」
「……」
針で突いた左の薬指に、ぽつん、と血の玉が盛り上がるように浮かぶ。
あるべるとは無言でふらんそわーずの手をとり、その指先をそっと口に含んだ。
「…あ」
ふらんそわーずは目を伏せた。頬がみるみる紅に染まっていく。
じょーは思わず拳を握りしめていた。
早く…何とかしないと…そうしないと…ええと。
どういうことになるの、か…な?…よくわからないけど。
でも、とにかく、ぐずぐずしていちゃダメだ、たぶん……!!
「ったく、じょーはどこ行ったアルかね…?夜明け前から馬をとばして…いつ帰ってくるのかも言わずに…困ったアル!」
食事を用意する者の身になってほしい、と、張々胡は嘆いた。
もう、日が暮れかかっている。
そのとき。
蹄の音が一気に近付き、止まった。
「ふらんそわーず!!」
急ぎ足で部屋に駆け込んできたじょーは、手に細長い大きな包みを持っていた。
「…じょー…?それ…」
首を傾げるふらんそわーずの前で、じょーが包みをぐるぐるとほどくと、木でできた道具のようなものが現れた。
「…これを…こうやって、膝に敷くだろ?…それで、ここを…布の端にはさんで…」
呆気にとられているふらんそわーずに構わず、じょーはその道具の使い方を説明した。
要するに、縫い物をするとき、布を押え、ひっぱることのできる道具だ。
「まあ…便利ねえ…こんなものがあるなんて、知らなかったわ…」
感嘆するふらんそわーずに、じょーは得意そうに言った。
「この世にひとつしかないのさ…!ぎるもあに作ってもらったんだ」
「…ぎるもあ様に?」
「うん…君が、たくさん縫い物があって大変だって言ったら、すぐ作ってくれた」
「……」
ぐれーとは眉を寄せてじょーを睨んだ。
…どうやら、これは…あとで、ぎるもあ殿に詫びをいれにいかなくてはならないな…
「どう…?気にいった?」
意気込むじょーに、ふらんそわーずはうなずき…少し困ったように微笑んだ。
「ありがとう、じょー…でも…」
「…でも?」
茶色の瞳が曇る。ふらんそわーずはすまなそうに言った。
「…あのね…もう…全部終わっちゃったの…今日…だから…」
「…終わった?」
「…ええ…」
ごめんなさい、と言おうとしたふらんそわーずは、いきなり手首をつかまれ、目を丸くした。
じょーは目を輝かせ、ふらんそわーずを思い切りひっぱり、立たせた。
「終わったのか…!じゃ、行こう!」
「行こう…って…どこへ?」
困惑するふらんそわーずを引きずるようにして、じょーは外へ飛び出した。
「じょー、どこ行くアル?!夕ご飯できるアルよ〜っ!!」
ただならぬ怒気を含んだ張々胡の声を黙殺し、馬に飛び乗る。
「おいで…!」
「そんな…無理よ、この着物じゃ…ア?!」
じょーはふらんそわーずを引っ張り上げて、自分の前に横向きに座らせ、左腕でしっかり彼女を抱きしめながら、右手で手綱を取った。
「見せたいものがあるんだ…!」
全速力で馬を走らせ、じょーは言った。
「見せたい…もの…?」
「きっと驚くよ…!すっごく広い、薄の野原で…それが、真っ白になって、風にそよいで…」
「……とても…素敵ね…でも、じょー…明日にしない?」
「ダメだよ、今が一番きれいなんだから…!」
「でも…もう…」
辺りは薄闇に包まれている。
ふらんそわーずはふと口を噤んで微笑んだ。
そっと…ほんの僅か、じょーの胸に頬を寄せる。
じょーは、左腕にまた力を込めた。
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