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鬼退治 記憶 上
 
重い沈黙の末。
じぇろにもは苦渋に満ちた表情で呟いた。
「…わからない」
「わからない…?」
あるべるとの視線を受け止め、じぇろにもは力無く首を振った。
 
「…何もかも、おかしいアルよ…!」
張々胡が言葉を継ぐ。
「ワタシたち、確かに鬼を倒したアル…それなのに…」
「別の鬼が出てきたんだろ?…油断したのがまずかった…もうしばらく、とどまって様子を見ていればよかったんじゃ…?」
苦々しく言うじぇっとに、張々胡は大きく首を振った。
「別の鬼…なんて、あり得ないアル!!」
「…どういう…ことだい?」
じょーが首を傾げた。
 
「鬼は…普通は、ワタシたちの世界に出てこないアル!ワタシたちだって、鬼の世界になんか、行きたくないアルやろ?」
「まあ…そうだな。いくらうまい酒があっても…」
張々胡はじろっとぐれーとを睨んだ。
 
「つまり、アル!…ヒトを襲う鬼は…ほんっとに滅多にいない…ってことアル!」
 
鬼が…何かのはずみに、このヒトの世界にとばされる。
その多くは一旦混乱するものの、どうにか自分の世界に戻る道を見つける。彼らは、ヒトを襲ったりしない。
 
まず、「迷子」になる鬼など、普通はほとんどいない。
ヒトが鬼の世界にとばされることが滅多にないように。
さらに、その中でもヒトを襲う鬼は…ごく僅かだ。
もちろん、鬼の寿命は長いから、ひとつの鬼が起こす事件の数は多い。
それでも、ヒトがそれに巻き込まれることなど…本当に稀なのだ。
 
「都にも、キレイな姫はたくさんいるアルけど、普通は鬼になんか襲われないアルやろ?…つまり、ゆきさんが鬼に狙われたのは、もともと、めちゃめちゃ運が悪かった…ってことアルな」
 
なるほど…と、じぇっとがつぶやいた。
「そして…その鬼は俺達が消した…なのに、彼女はまた別の鬼に襲われた…偶然だとしたら…」
「そんな偶然、あり得ないアル!」
 
「いわんが…鬼を倒し損ねていた…ということは?」
じぇろにもは首を振った。
「それは…ない…」
 
再び、沈黙が彼らを包んだ。
 
 
笛の音に引かれ、ぴゅんまは外に出た。
風が冷たい。
じょーが、山門にもたれていた。
 
風に向かって、じょーはひたすら笛を奏でる。
何かに耐えるように…抑え込もうとするように…
 
…見ていられないな。
小さく首を振り、そらしたぴゅんまの目が、張りつめた光を帯びた青い瞳にぶつかった。
 
「…姫…君……?」
 
ふらんそわーずはふと表情を緩めた。
「ぴゅんま……さっきの…大人の話…どう思った…?」
「………さあ」
口籠もり、うつむくぴゅんまに、ふらんそわーずは寂しく微笑んだ。
「私は…もしかしたら…みんなの役に立てるのかもしれないと…そう…思ったわ」
「…姫君…?」
「…姫君…と呼んではダメ…って言ったでしょう…?」
ぴゅんまを軽くにらむようにしてから、ふらんそわーずはふとじょーを見やった。
静かに目を閉じ、耳を澄ます。
 
「泣いてるわ……どうして…僕は何もできなかったの?…って…」
「……姫」
「あの人の気持ち……わかるの…ぴゅんま…あなたも…わかるはずよ」
「…何を…おっしゃりたいのです…?」
ふらんそわーずは、ぱっと目を開いた。まっすぐにぴゅんまを見つめる。
 
「せりなの…夢を見たわ」
「…姫君…!」
「もう…こんな思いをするのはいや…こんな思いを、これ以上誰かにさせるのもいや…だったら……」
ぴゅんまは思わずふらんそわーずを激しく遮った。
「いけません…!!姫君!!」
 
しかし。
青く澄んだ瞳の奥に……鋭い閃光。
あのときと…同じ。
 
ならば…俺のなすべきことも、ただ一つ。
…あの…誓いを。
 
やがて、ぴゅんまは静かに片膝をつき、頭を垂れた。
 
 
 
「記憶…?」
怪訝そうな男たちに、ふらんそわーずはゆっくり説明した。
「…ゆきさんを襲った鬼は…私たちが倒したのと、別の鬼だわ…だから…それは、ゆきさんを狙った記憶が…鬼から鬼へと伝わった…ということじゃないかと思うの」
「記憶が…記憶…だけが、か?」
ふらんそわーずはうなずいた。
 
「なるほど…しかし…」
曖昧な表情であるべるとは腕組みした。ぴゅんまが続ける。
「…なぜそんな記憶が伝わっているのか…伝えて、何の意味があるのか…そこだと思う。前の鬼はゆきさんを狙ったが、果たせないまま、消えた…普通なら、ソレで終わりだろう?…それを…引き継ぐ…というのは…鬼が考えることじゃない…むしろ…」
「……人間らしい…?そうかもな」
 
「調べてみたら、どうだろう?…ゆきさんや長者殿が亡くなられて…得をした人間は…いないか」
「ちょっと…待てよ、ぴゅんま?…まさか、お前…鬼を手先として操る人間がいる…と言いたいわけじゃないよな?」
「操る…のはさすがに無理だろう…でも…鬼の記憶を残し、別の鬼にその記憶を植え付けることなら…できるかもしれない…いろいろ考えたが、倒された鬼の記憶を別の鬼が持っているとしたら…とりあえずそうとしか…」
 
「…しかし…それは…ゆきさんが2度狙われたのは偶然だった…っていうのと同じくらい、あり得ないことなんじゃないのか?」
「いいえ、あり得ないことじゃないわ…倒された鬼の記憶が伝わる、ということは…私が…証明できるの」
「ふらんそわーず?」
「どういう…ことだ?」
じょーとあるべるとが、ほとんど同時に尋ねる。
 
「この間の戦いで…倒した鬼の中に、私を覚えている鬼がいたのよ…でも、その鬼は…いわんが倒したはずだったわ…初めてみんなに逢った…あの夜」
 
彼女を…覚えている鬼……?
 
不吉なものを感じながら、あるべるとは注意深くふらんそわーずを覗いた。
「…なぜ、そんなことがわかる?鬼が…お前を覚えている…だと?鬼の考えていることなど、どうしてお前にわかる?」
ふらんそわーずは顔を上げて、仲間たちを見回した。
静かに唇が開く。
 
「……私は…その鬼と…交わったことがあるの…だから、わかるわ」
 
 
「ふらんそわーず、稽古に行こう」
驚いたように振り返るふらんそわーずに、じょーは弓を投げ渡した。
「…じょー」
 
馬を引き出そうとするのを抑え、さっと抱き上げると、じょーはふらんそわーずを自分の馬に乗せた。
「じょー…?あの…」
「いくよ」
飛び乗ったじょーは、しっかりふらんそわーずを後ろから支え、軽く鞭を当てた。
 
「昨夜の話…驚いた」
不意にぽつん、と呟く。
ふらんそわーずはうつむいた。
 
稽古場に着くと、じょーは馬から飛び降りて、ふらんそわーずを抱き下ろし、そのまま堅く抱きしめた。
 
やがて腕を緩め、大きく見開かれた青い瞳を見つめ…唇を重ねる。
そっと唇を離すと…彼女は目を開けたまま、呆然とじょーを見上げていた。
 
…やっぱり…マズかった…みたいだ。
 
以前、ぐれーとがやかましく言っていたことをぼんやり思い出す。
 
女性を愛しいと思ったら、まず歌を贈って…
それで、返事をもらって、また歌を贈って…
それから、いろいろ周りの者に手伝ってもらったりして、少しずつ部屋に近づけてもらって…ええと、それから……何だっけ?
 
いや、でも、ふらんそわーずはお姫さまじゃないし…
いやいや、でも、前はお姫さまだったわけで…
 
じょーはおそるおそるふらんそわーずを覗いた。
彼女は全身硬直したように立ちつくし、まばたきもせず、じょーを見つめている。
 
本当を言うと、いきなり口づけするつもりはなかった。
とりあえず、決まりどおりやろうと思って、一生懸命、歌だって考えてきた。
 
…だから、はじめに歌で…それから…好きだって言って……。
そうだよ、言おうとしたんだ、一応…!
 
ああっ、もう何だよっ!いつのまにか順序が滅茶苦茶じゃないかっ!!
 
何がなんだかわからなくなり、じょーは怒鳴るように言った。
「我のみや あはれと思はん きりぎりす鳴く夕かげの大和撫子っ!!」
 
真っ赤になり、じょーは口をぎゅっと結んだ。
心臓が飛び出しそうだ。これ以上何も言えない。
何もかもマズかったような気がしてならないが、とにかく歌は言えたし、やりたいことも…半分くらいはやったと思う。
 
不意に、ふらんそわーずがうつむいた。
肩を震わせ、両手で顔を覆う。
 
「ご、ごめん…ごめんよ、ふらんそわーず……?」
うろたえるじょーの声に、ふらんそわーずは慌てて顔を上げた。
彼女は、笑っていた。
 
「……ふらんそわーず…」
「ごめんなさ…い…だって…じょーったら…!!」
「な…んだよ、何がおかしいんだ?」
「ごめんなさい……」
 
苦しそうに笑いながら、ふらんそわーずは素早く涙を払った。
「ありがとう……じょー…本当に…」
潤んだ青い瞳がまっすぐに向けられ、花びらのような唇が開きかける。
息が止まりそうな思いで、じょーはその唇から零れる言葉を待った。
 
「…稽古、始めなくちゃ」
「え…?」
 
ふらんそわーずは、ぱっと弓を掴み、じょーの腕から駆けだした。
「ふらんそわーず……?」
……わけがわからない。
じょーはしばし立ちつくしていた。
 
 
 
さっと振り向いたあるべるとに、じぇっとは慌てて両手を振った。
「お、俺だよ…!」
「…なんだ…おまえ、今までどこにいってた?」
じぇっとが不意に寺を出て、戻らなくなってから、10日はたっている。
「ちょっとな…調べモノさ…」
 
調べモノ…?
あるべるとは片眉を上げた。
「…何か…つかんだのか?」
じぇっとは得意そうに笑った。
 
長者が死んで得をした者は…見事なまでにいなかった。
完全に手詰まりの状態だった。
 
「だから、やっぱり…モンダイはゆきさんだったんじゃねえか…って考えるしかない」
しかし、彼女に届けられた文はみんな灰になっている。手がかりはなかった。
 
じぇっとは懐から一通の文を出した。
「これが…彼女の手跡だ」
「…?おまえ…彼女から文なんて、いつ…?」
「じょーから分捕った…あいつ、ボケた顔してるが、油断ならねえヤツだよ…」
 
ゆきの文を持って、じぇっとは都の有力貴族の館に片っ端から忍び込んだ。
彼女に求婚したことのある青年のトコロはもちろん、元服直後の少年から、腰の曲がった老人まで。
徹底的に貴族の男の家を探り、文をあさった。
 
「ゆきさんからの文を捜した…のか?女からの文なんて、隠しておくモノだろうに…」
「俺さまを誰だと思ってるんだよ」
「…なるほど…泥棒も役に立つことがあるってわけだ」
「ちょっと本業からは、はずれてるけどな。盗むなら、引剥ぎの方が断然効率がいいぜ。館に忍び込んで捜すってのは、結構かったるい…と、あ。お姫さんには内緒だぞ。」
あるべるとは鼻で笑った。
 
見つけたそれらしい文は…わずか1通。
 
「…ゆきさん…あんな死に方したからな…不吉だってんで、文のやりとりをしたヤツら、みんなすぐ焼いちまったみたいなんだよ…まあ、無理もないが」
だが…だからこそ、この1通は貴重だったりするかもしれないぜ?
じぇっとは薄く笑った。
「で…この文を受け取ったヤツなんだが……」
 
「…深草の少将…?」
じょーは首を傾げた。
「なんだ?おまえ、知らないのか?」
「…うん」
ぐれーとが咳払いをした。
「若君は、きちんきちんと時候のお便りをされていなかったから、覚えていらっしゃらないのです…!我輩がいつもあれだけ申し上げていたのに……」
「いいじゃないか、もう今は時候の挨拶なんて必要ないんだからさ…ぐれーと、そいつ、知ってるのか?どんなヤツなんだ?」
「どんな…って…まあ…ご立派な若君ですな。見目麗しく、教養もおありで…」
「確か、北の方は右大臣家の姫…入内して、次代の后になってもおかしくなかったような立派な姫だと聞いたことがある」
「そんな…ちゃんとした奥方がいるのに、ゆきさんと恋文やりとりしてたアルか?」
顔をしかめる張々胡に、あるべるとは笑った。
「ま…そういうものらしいぜ、身分ある若君たち…ってのは」
「特に…深草の少将は色好みで有名だから…ゆきさんに目をつけてても、おかしくはないな…でも、じぇっと…君の手に入れた文が…何か手がかりになるのかい?」
不思議そうにたずねるぴゅんまに、じぇっとは腕組みしてみせた。
「…手がかりかどうかはわからねえが…な…」
 
秋風に山の木の葉のうつろへば人のこころもいかがとぞ思ふ
 
文には、それだけが書かれていた。
 
「秋風…ってことは…最近の文かな?」
「いや…この紙と墨の感じだと…違うな。少なくとも、去年の秋…だろう」
「…ってことは…鬼に狙われる前…か」
ぴゅんまが首を傾げた。
「ゆきさんは…この人のことを好きだったのか…?そうとも読めるし…辛辣な拒絶のようにも読めるし…わからないな」
「深草の少将が今の北の方と結婚したのは…2年前だ…この文が去年のだとすると…ゆきさんは問答無用で拒否したんだろうな…たぶん」
じぇっとはあるべるとをのぞいた。
 
「…これしか残っていない…というのが…手がかりと言えばてがかり…だな。こんなやりとりはありふれたモノだ…だが、なぜ深草の少将とやらは…今でもこの文を手元に残しているのか…」
何かが出てくるとは思えないが…手がかりがこれしかないのなら…と、あるべるとは息をついた。
 
何かが出てくるとは思えない。
たしかにそうだったのだが。
あるべるととぴゅんまは息を殺して、目の前の光景を見つめていた。
 
深夜、少将の館の庭に忍び込んでまもなく。
どこからともなく、異形のモノが現れ、館に入っていった。
 
「…式神…か?」
押し殺したぴゅんまの声に、あるべるとはうなずいた。
「これは…俺たちじゃ、気づかれずに探るのは…たぶん無理だぜ…ヤツでないと…」
「じょー…かい?」
「いや…じぇっとだ…だが…そうだな、じょーも役に立つか…?」
 
泥棒の稽古なんていやだ…とじょーはさんざんゴネた。
 
「そう言うなよ、じょー…オマエでなきゃ、俺の相棒はつとまらない」
「イヤだよ!…だって、ふらんそわーずが、泥棒はキライだって、前…」
「ったく…そうだ!今回は館に忍び込むのが目的なんだが…トクベツに、盗みの基本中の基本、引剥ぎの仕方も教えてやるぞ?どうだ?」
「だから、イヤだって言ってるだろっ!!」
「馬鹿。ココ一番のときにも、結構使えるんだぞ…いいか、耳貸してみろ」
「え…?」
 
ふらんそわーずには内緒…という約束を厳にとりつけて、じょーはじぇっとの「指導」を受けることを承知した。
ゴネた割に、じょーの上達は早かった。
 
少将の館に出入りしている若い陰陽師は、都で名をあげつつある男だった。
彼がその気になり、式神に命じてあたりを探らせれば…さすがのじぇっとでも、隠れおおすことはできないだろう。彼がきているときは、絶対に、怪しまれるような気配をさせてはいけなかった。
 
天井裏に潜み、じぇっととじょーはじっと聞き耳を立てていた。
少将と陰陽師が小声で何か相談をしている。
 
方違えの場所とか…次に爪を切るのに良い日はいつだとか…
 
じょーがあくびをしそうになるたび、じぇっとは鋭い視線で睨み付けた。
…だってさ…どうでもいいようなコトばっかり…
目で訴えるじょーに、じぇっとは黙って首を振った。
…ここで辛抱できないようじゃ…盗賊としては半人前だぜ…
…だから、僕は盗賊になんて…
 
不意に、じぇっとが人差し指をたてた。
 
「…まもなく大つごもり…早いものだ…もう…一月になる…」
「…まだ…お忘れになりませんか…?」
少将は寂しく微笑んだ。
「文を…隠したのは、君だろう?…無駄なことだ」
「…文?」
「…いや、いい…もう終わったことだから…」
帝も、このごろはお元気そうになってきた…若宮のご誕生が待ち遠しくていらっしゃるようだ…と、少将はつぶやくように言った。
 
「そういえば、あの…姫は見つかったか?」
「いえ…恐れながら…何度も申し上げましたとおり、生きている可能性はほとんどないと」
「…そうか。」
「少将さま…差し出がましいことを申し上げますが…ご自分をむやみに責めなさらない方が…」
「世のためには詮無きことだから…か?…君は気楽でいい」
 
じっと目を閉じ、うつむく少将から陰陽師は目をそらした。
 
「まもなく若宮がご誕生になります…世もおさまりましょう…無駄なことなど、この世には一つもございません」
「…若宮…か。君は、それで世がおさまると…思うのか?本当に…?」
「少将さま…それ以上は…どうか」
「かまわぬ。私も、いずれ用済みとなろう…そのときは遠慮なく鬼をさしむけるがいい…いや…私が相手では、鬼は動かぬか…」
「…少将さま」
「すまない…話が過ぎた。君にこぼしてもどうにもならないことだったな」
 
めずらしく黙考しつつ、じぇっとはすたすた歩いていた。
その後を追いながら、じょーは首を傾げた。
 
「あの話…どういう意味だったんだろう…?もう一月になるとか…文とか…きっとゆきさんのことだよね?それに鬼をさし向ける…ってことはやっぱり、あの少将と陰陽師は何か…」
「だぁああっ!!!…うるせーな、おめーはっ!…黙ってろ!俺様は今、考え事してるんだ!!」
 
…考え事。
 
じょーは思わず足を止めて、じぇっとの背中を見つめた。
 
じぇっとが…考え事…?
なんだかわからないけど、スゴイことになりそうだ…!
 
じょーは少し離れて、足音をさせないように歩いた。
彼の考え事を邪魔しないように。
 
じぇっとは、次の夜から、じょーを連れずに、一人で少将の館へ通った。
 
数日後の夜更け。
じぇっとはこっそり寝所を出た。
廊を忍び足で歩き…そっとじょーの部屋をのぞく。
 
彼はぐっすり眠っている。
 
…よし。
とりあえず、コイツを起こしちまったらコトが果てしなく面倒になるからな…
 
 
…誰…?!
 
ハッと目を開けた瞬間、口はふさがれていた。
あっという間に夜具ごと抱き上げられ、部屋を連れ出される。
 
「いや…!いや、助けて…じょー!!」
 
懸命にもがき、叫んだときは、既に寺を遠く離れた林の中だった。
 
「ちょ、ちょっと待てよ…!脅かしてすまん、お姫さん…」
「……じぇっと…?」
 
震えるふらんそわーずの肩を、じぇっとはなだめるように軽くたたいた。
 
「やっぱり…じょーを呼ぶか、そりゃそうだ…まさか…ここから聞こえちゃいまいが」
「…ど…どうしたの…じぇっと…どうして…こんな…」
「悪いな…お前と二人だけで話がしたかった…んだが…ホラ、お前には四六時中じょーがくっついてるだろ?…普通のヤツならともかく…お前を追っかけようとしてるあいつをまく…なんてことはさすがの俺様でもできねえしな…」
「…じぇっと…?」
 
じぇっとは真顔になり、ふらんそわーずを見つめた。
 
「お前…深草の少将から、文をもらったことがあるか?」
「…え…?」
 
大きく見開かれた青い瞳を、じぇっとは用心深く覗いた。
 
「…あるんだな…?」
「そう…だとしたら…?何か…わかったの、じぇっと?」
 
じぇっとは黙ってうなずいた。
 
「私が知っていることなら…何でも話すわ…でも…あの人が…ゆきさんのことと…何か関係あるの?本当に…?そうでなければ…あの人に迷惑をかけるようなことは、言えない…」
「…たぶん…大いに関係あるぜ…それに、お前のことにも…」
「…私の…?」
 
…まず、俺の方から話そう…
じぇっとはふらんそわーずを木の根本に座らせ、自分も腰を下ろした。
 
今…朝廷は結構荒れている。
帝と、前の帝である上皇の仲が悪い。
 
東宮…皇太子は、すでにいる。帝の末弟。
上皇の秘蔵子であると評判だった。
東宮が即位すれば、上皇は一気に権力を取り戻すだろう。
 
問題は、その次の東宮。
 
順当にいけば、今の帝の子…ということだが。
帝には、もう長いこと、子がない。
一昨年ようやく誕生した第一皇子は、満一歳になる前に死んだ。
今、一人の女御が身ごもっている。まもなく第二子が誕生するが…それが男子とは限らないし、無事に育つという保証もない。
 
もし、帝に後嗣ができなければ…あるいは、それより早く東宮に男子が産まれれば…
権力争いは微妙な様相を帯びてくるだろう。
 
しかし、若い東宮は、政治に関心を示す気配もなく、やがて皇后になるであろう、ただ一人の女御を熱愛しているとの噂だった。
側近が他に女御をおくことを進言しても、頑として首を縦に振らない。
そして、その最愛の女御との間にも、まだ子はいなかった。
 
「おそらく東宮は…帝と上皇…兄と父との争いに嫌気がさしてるんだな…次の東宮が自分の子でなくてもいいと思ってるらしい…たとえ即位しても、できるだけさっさと退位して権力から遠ざかり…愛妻と一緒に趣味の世界に生きたいって感じだ…だが、それじゃ収まらないのが…東宮や上皇を頼ってる重臣たちだ」
 
彼らは、どうにかして東宮に帝より早く子をもうけようと…そのための女御・更衣候補を探し回った。
一方で、帝方の重臣たちは、それを阻止しようとする。
 
身分のある…女御候補になるような貴族の娘は、たちまち帝の重臣たちによって、固められてしまった。深草の少将の北の方も…そういう事情で決まったらしい。
 
北の方の実家…右大臣家は、帝方の有力な貴族だった。
 
「結局、今実際の権力は帝が握っている…東宮が気弱だってのもあるから、上皇についてる奴らはどうしても弱い…仕方なく、奴らは…もう一つ下の身分の女を捜し始めた…」
「…じぇっと…?」
「…そう…そういうことだ、ふらんそわーず…お前が…ソレだったのさ…それに、ゆきさんも。奴らが探し当てた…東宮にあてがうための、切り札の姫君…ってわけだ…が。もちろん、帝方の連中も黙って見ちゃいない…」
 
ゆきは…先手を打った帝の重臣たちのはからいで、都に呼び寄せられ…帝方の青年貴族に与えられる予定だったのだろう。
しかし、彼女はあらゆる求婚を撥ねつけ、彼らの思惑通りには動かなかった。
徒に評判が高くなってしまった彼女に、万一でも東宮が関心を抱いたりしたら困る…
おそらく、それで…彼女に鬼がさし向けられた。
 
「わざわざ鬼を使うのは、どうしてなのか…ちょっとまどろっこしくはあるが、鬼の後ろにヒトがいる…なんて、誰も考えつかないことだからな…黒幕がバレる心配はまずない。だからなんだろう。」
 
実際に、東宮がゆきを見初め、更に二人の間に男子が産まれる…など、そう簡単にあり得ることではない。そんなことのために、危険を冒してゆきや長者を殺すのは、割に合わない。
しかし、もし、万一にでも、東宮がゆきに関心をもったら…
そうなってからでは、どうにも手を打てなくなってしまう。
 
じぇっとは、じっとふらんそわーずを見つめた。
「あとな、面白いモノを手に入れて…それで、わかりかけてきた。たぶん、あいつらは、女に執着したまま消された鬼の想いを使って…自分たちの狙い通りの女を、鬼に襲わせることができるんだ。だが、これだけでは、どうしてもわからないこともある。その、一番元になる鬼の想い…女に執着する記憶を…どうやって手にいれたのか」
 
沈黙しているふらんそわーずに、じぇっとはためらいがちに尋ねた。
「…お前…少将の文に…何て答えたんだ?」
「…答えなんて…できなかった…私はとても…」
消え入るような声だった。
 
「……悪い。残酷なことを言ってるよな…俺…だが、お前とゆきさんと…あの少将を結びつけることができれば…みんなつながるんだ…だから…話が聞きたい。お前と少将と…鬼のことを」
「…ええ。きっと…あなたの考えていることが正しいわ、じぇっと…不思議だったの…どうして…あの人が…私を…って…ずっと」
ふらんそわーずはうつむいた。
 
…それじゃ…せりなは……
 
じぇっとは黙ってふらんそわーずを見つめていた。
やがて、ふらんそわーずは顔を上げ、わずかに微笑んだ。
 
「ありがとう、じぇっと…私から…話すわ、みんなに……」
「……ああ。だが…じょーが…どうなっちまうか…」
肩をすくめるじぇっとに、ふらんそわーずは笑った。
「それは、あなたたちに任せるわ…」
「カンベンしてくれよ…あらかじめ柱にでも縛り付けておくか?」
いや、そんなことして、寺が倒れたりしたらコトだよな…
 
腕組みをして考え込みながら、じぇっとはくすくす笑うふらんそわーずをちらっと見上げた。
 
すまない、お姫さん…だが、俺たちは…俺はいつでもお前の味方だ。
それだけは…誓うから。
 
更新日時:
2002.01.15 Tue.
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Last updated: 2006/3/5