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走れメロス(太宰治) 下
「走れメロス」はたしかに人間賛歌の物語であるが。
同時に、とんでもなく暗い影をその背後に引きずっている。
 
フランソワーズから見て一目瞭然(笑)であるように。
ジェットもといメロスは、とんでもない迷惑な野郎である。
 
こんなヤツを親友として長年つきあっていられる…なんて、ひとえにジョーくんもといセリヌンティウスの人格あってのことではないだろうか。
少なくとも、凡人たる私は
 
こーゆーヤツと友達になるのはヤだ。
 
と、切実に思うし、自分自身もこーゆーヤツになってはならない…と思っていたりする。
 
メロスの信じるものは…尊い。
たしかに、人の命より尊いものかもしれない。
 
彼は、その信義を貫くために、親友の命を惜しげもなく差しだそうとする。
自分の命を差し出したいところだが、ここでは役に立たない。
メロスは自分の命を惜しんでいるわけではない。
でも、彼は自分の命と全く同じように、親友の命を扱うのである。
 
このメロスの身勝手さを、作者は多少なりとも和らげようとしている…と思う。
たとえば、彼の妹は「十六の、内気な妹」である。彼らに両親はなく、二人ぐらしだ。
 
ってことは、メロスがもしすぐ死刑にされてしまったら。
残された「十六の、内気な妹」は彼女の恋人である「律儀な一牧人」やらと、結婚できるだろうか?
 
「内気な少女」であるという説も根強い、10代の某女性サイボーグが、その恋人のようである律儀な某茶髪サイボーグ少年とどーゆーことになってるか…を考えると。
 
メロスの「内気な妹」と「律儀な一牧人」が、
 
その後30年以上の長きにわたり、恋人やら仲間やら友人やらわからない…という不安定な関係を続けなければならない。
 
ということになる可能性もないとはいえないのである。(笑)
 
是が非でも、自分が彼らを結婚させなくてわ…死んでも死にきれないっ!!
と、ジャン兄ちゃんもといメロスは思うのかもしれない。
したがって、彼が親友を人質にしてまで村に帰ろうとするのは、あくまで、妹のため。
…ということが、強調されている。と思う。
 
作者が巧妙なおかげで、メロスのエゴイストぶりは、あまり表面に出ない。
だが。間違いない。
メロスは、とんでもない身勝手な男である。
 
そして、もし…もし、彼がシラクスに約束どおり到着しなかったら。
セリヌンティウスは殺される。
そのとき、メロスは、自分の信義とやらを貫くために、信頼してくれている友人を利用し、裏切り、死に追いやった…ということになる。
しかも、それによって、彼が守ろうとした信義そのものも崩れ去るのである。
 
フツウの人は、そんなアブナイ真似などしない。
友人をそんな境遇にやる事自体、避けるだろう。
なぜ、メロスはそれをするのか。
 
メロスが…純粋に正義の人だからである。
 
人並み優れて正しく、美しい心の持ち主であるがゆえに、メロスは自分をごまかせない。
自分にできないコトでも、やらずにいられない。
となると、他人を巻き込むコトになる。
 
しかも。
自分を信じ、愛してくれる…誰より大切な人こそが、真っ先に彼に巻き込まれるのである。
 
「走れメロス」はおっかない話である。
裏切りと罪と絶望とをその背にぴったりと背負い、誰よりも正しく美しく善良な心を抱き、メロスは走り続ける。
 
しかも、彼はそのことに気づいていない。
 
のんきな村の羊飼いなら…自分の信義を貫くことも難しくないかもしれない。
コドモが、自分はいつも正しくありたいと願い、そう振る舞おうとするように。
 
でも、オトナの世界は…複雑怪奇である。
純粋でありたい、正しくありたい、美しくありたい…という願いは、時に他人を深く傷つける。
オトナになるということは、自分にできないことをあらかじめ諦め、正しく美しくありたいという願いを諦める…ということなのかもしれない。
 
しかし、メロスは諦めない。
 
太宰治は、間に合わなかったメロスの物語…といえる作品も多く発表している。
どっちかというと、彼のイメージはそっちに近い。
 
信頼される苦しみ。
裏切ったときの絶望の影に怯えながら、裏切りに向かう主人公。
信じるから、裏切られる。
信じられたいと願うから、裏切るのである。
 
裏切ったことのない人…というのは、信頼されたことのない人なのかもしれない。
裏切られたことがない人…というのは、信じたことのない人なのかもしれない。
 
たしかに、メロスは、がんばる。
濁流も山賊も、彼の信念と勇気をくじかない。
 
だが。
そのことは単に…彼が普通の人より少しばかり強かった…という、程度の問題でしかない。
正しく美しくあることができない限界は、遠からずやってくる。
 
誰にでも、それは来る。
もちろん、メロスにも。
 
メロスにとって、初めての挫折である。
あまりに大きな絶望を伴い、それは巧妙にやって来た。
 
人の正しさ美しさは、どのようにむしばまれていくか。
太宰治の筆は、おそろしいまでにリアルで残酷である。
彼自身、何度となく身をもってこの恐怖を知り尽くした…ということがうかがえるような気がする。
 
メロスの体は限界に近づいていた。
彼はついに膝を折る。立てない。
 
立てないのは…彼が正義を手放したからだろうか。
…違う。
どんな人間でも、体がやられれば、動けない。
 
メロスは、天を仰ぎ、悔し泣きする。
 
今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代の不信の人間、まさしく王の思ううぼだぞ、と自分を叱ってみるものの、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝転がった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。
 
身体がやられれば、精神もやられる。
これも、当たり前のコトである。
 
当たり前のコト…メロス自身には責任のないことが、まず彼に忍び寄り、彼の正義を巧妙に浸食していく。
同時に、メロスに絶望が忍び寄る。
自分のしていることの恐ろしさが、彼の前に立ちはだかる。
 
セリヌンティウスは、自分を信じたために死ぬ。
自分は、一転、「稀代の不信の人間」になってしまう。
 
もはや避けられそうにないその苦しみを、せめて受け止めようと、また逃れようと、メロスの心はさまよう。
彼が滑り落ちそうになるたび、セリヌンティウスの面影が彼を引き戻す。
しかし、それも重なるうちに…少しずつ、彼は深い底へと落ちていく。
 
私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事もなく私を放免するだろう。そうなったら、私は死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切り者だ。地上で最も不名誉の人種だ。セリヌンティウス、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがいない。いや、それも私の、ひとりよがりか?
 
「死ぬ」という言葉がふと彼のアタマに浮かぶ。
これはとりもなおさず、生きる事を…つまり、全てを諦めた瞬間に他ならない。
もちろん、ひとりよがりだ。それは正しい。
 
その正しさが、皮肉にも、彼に一歩踏み出す力を与える。
 
…ひとりよがりはやめよう。
 
これが、ごく単純に、死ぬのは無意味だ…という結論にのみつながったとき、既に全てを諦めていたメロスは決意する。
生き延びてやろう。
もちろん、悪徳者として。
 
さらに、彼は思う。
 
正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。
 
これは、暴君ディオニスの主張と一致する。
そして、ここから私たちはヒソカに知る。
ディオニスに何があったのかを。
メロスが、どうやってディオニスになるのか、そして、メロスもまたディオニスである…ということを。
 
もし、メロスがディオニスであるのなら、全ての人間はディオニスなのだろう。
 
そうかもしれない。
メロスは眠りにつく。
 
メロスを覚ましたのは…わき出ていた清水である。
彼は立ち上がる。
 
もしこの清水がなかったら。
この助けを借りなかったら。
彼は立ち上がっただろうか。
 
メロスのついた眠りを死にたとえ、清水を奇跡、彼の覚醒を復活ととらえれば、目覚めたメロスは、もはやさっきまでの弱い人間ではない。
 
最終回の1回前で死んだヒーローが、復活すると無敵なり、一度は自らを倒した敵に打ち克つ…のはお約束である。(笑)
 
ここからは…ファンタジーになるのかもしれない。
私たちの現実に、清水はあるのか。
あるかもしれないし、ないかもしれない。
 
メロスだったから、清水が訪れたのか。
それとも、誰の枕辺にも、清水は流れているのか。
 
ともあれ、メロスは走る。
 
私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!メロス。
 
そうだった。命は、問題ではない。
彼の信じているものは、命より重い。
セリヌンティウスは、本当に彼を信頼しているのだろうか。
確かめるすべはない。
だから、彼は友を信じる。
信じるしかないから。
だからこそ、そのために、彼は走らなければならない。
 
街が近づき、日没も近づく。
間に合わないかもしれない。
そんなとき、セリヌンティウスの弟子、フィロストラトスが現れる。
彼は、もうちょっと早かったなら…!と恨み、しかし、もう間に合わない、走るのはやめろ、と言う。
 
「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました」
 
ジョーくん〜〜(涙)
 
それにしても。
このフィロストラトス…まるで、ヨミ篇ラストのイワンのようだったりする。
 
もう間に合わない。
ジョーくんが死ぬのを望んでいるわけではない。
それは…悲しい。
でも、ほかに方法はなかった。どうにもならない。
 
だから、イワンは、ジェットに、「おそい もうまにあわない」と言う。
 
フランソワーズも、イワンを非難しながらも、「ジョーを助けて!」とは言わない。
もう間に合わない。
わかっている。だからこそ、彼女は泣く。
 
ジェットは飛び立った。
もう間に合わない。
「…かもしれない。しかし、なかまの死をだまって見ていられない」と。
 
メロスは、不思議なコトを言う。
 
「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだかもっと恐ろしく大きなものの為に走っているのだ。ついて来い!フィロストラトス」
 
間に合うために走っているのではない。
セリヌンティウスの命を救うために走っているのではない。
 
じゃ…なんのために走っているのか?
 
走り始めたとき、メロスは…セリヌンティウスを死なせないために…走っていた。
倒れたときも、セリヌンティウスの死に怯えていた。
 
しかし今、彼はなんのために走っているのか。
「なんだかもっと恐ろしく大きなもの」とは何か。
 
わからない。
 
間に合わないなら、走るべきではない。
飛ぶべきでもない。
イワンは…フィロストラトスは正しい。
 
残されたフランソワーズの肩を抱き、アルベルトさまは、それでも生き続けなければならないことを、暗に彼女に告げる。
 
ジェットは…何しに成層圏に飛んだのか。
もちろん、ジョーくんを助けるためだ。
でも、間に合わない…かもしれなかった。
 
間に合わなければ…残された者は、それでも生きなければならない。
でも、ジェットは飛んだ。
 
「さいごの一秒までチャンスにしがみついてみる。その一秒がすぎたら…神よお力ぞえを!生まれてはじめて…あなたにいのります」
 
一方、一人戦うジョーくんは、叫ぶ。
 
「なかまが…のこりをかたづけてくれる!」
 
ジョーくんは仲間を信じ…その信頼に、ジェットは報いた。
 
奇跡が、起きる。
 
ジョーくん&ジェットが生還した…ことになってしまった(笑)のは、石森さんからすると、たしかに計算外だったのかもしれないが…でも、それほど不自然なことではないとも思う。
 
ヨミ篇で、彼らは消えた…ように見えて、消えていない。
肉体は消えたが、彼らの思いは人類の上にあまねく降り注いでいる。
それもまた、奇跡である。
 
太宰治の、間に合わなかったメロスを描いた、たくさんの作品を読みながら、思う。
 
「走れメロス」は、やはり、ファンタジーだろうか?
 
そうかもしれない。
儚いおとぎ話、夢物語なのかもしれない。
しかし。
ディオニスは最後に言う。
 
「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい」
 
ディオニスは、一人では信実を得られない。
おそらく、メロスも、セリヌンティウスも。
 
仲間。
信頼しあう相手。
 
確実にあるとわかっているものを信じる必要はない。
どうしても見えないから、ないかもしれないから、私たちはそれを信じる。
信じるしかないから。
 
信じることができなくなったとき、私たちは惨い現実のただ中に、一人、裸で放り出される。
そうやって生きていくことも…もしかしたらできるかもしれない。
でも、それは絶望の中で生きることにほかならない。
 
信じることをやめるわけにはいかない。
そして、信じるためには、信じる相手が必要だ。
それが、仲間…なのかもしれない。
 
 
本文は、『走れメロス』(新潮文庫)より
 
 
更新日時:
2002.02.09 Sat.
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Last updated: 2013/6/10