もし、「おはよう」という言葉がなかったら、私たちはどうするか?
…どうもしない。
なぜなら、「おはよう」という言葉がないのは、それを言葉とする必要がないからだ。
必要がないのだから、そんな言葉はなくても困らない。
でも。
もし、私たちが、不意に、朝には「ぐっど・もーにんぐ」を言い合うのが人間としての常識…という世界のヒトたちとお付き合いをしなければならなくなったら。
とにかく…しかたないから、「いい朝ですね」とか何とか、言わなければならないだろう。
お布団から出て、家族一人一人に「いい朝ですね」
隣のおばさんに「いい朝ですね」
トモダチに「いい朝ですね」
目上のヒトに「いい朝ですね」
いい加減にしろ(泣)
…という気分になってくる。
何が言いたいのかというと。
「あいらぶゆー」とか、「じゅてーむ」とか「うぉーあいにー」とか「いっひりーべでぃっひ」とかいう言葉って…日本語にはないよな。
…ってことを言いたかったりするのである。(汗)
もちろん!
ジョーくんをちょっと弁護してみたかったりするのである。
同じ、やまとことばのヒトとして(笑)
日本語に、「いっひりーべでぃっひ」はない。
「私はあなたを愛しています」とか、「愛してる」は、「いい朝ですね」と同じである。
「好き」は少しマシだが。
その守備範囲はあまりに広い。
「石ノ森章太郎が好き」「金魚が好き」「フライドチキンが好き」
…で、「キミが好き」(>フランソワーズ)
なんか、釈然としない。(笑)
では、日本人(つまりジョーくんのことだが)は、「いっひりーべでぃっひ」というキモチが分からない…ということなのか?
たぶん、そうではない。
「いっひりーべでぃっひ」なんだけど、そういう言葉がないのである。
どうする、ジョーくん〜???(涙)
愛はあるが、コトバがない…
そのモンダイに真っ正面から、馬鹿正直に取り組み、もしかしたら、とてつもなく天然だったゆえに、奇妙な出口を見いだした…ように見える夫婦者がいる。
志賀直哉・康子(さだこ)夫妻である。
正確にいうと、作中人物…なので、当人ではないのだが。志賀直哉の作品は、多くがかなりの私小説なので、めちゃくちゃ乱暴だが、こう言ってしまうことにする。
「山科もの」とも呼ばれる短編の作品群…「山科の記憶」「瑣事」「痴情」「晩秋」(順不同)は、作者が何を意図していたのかはともかくとして、妙にリアルな、純粋な夫婦愛(というか、恋愛)が率直に描かれた、不思議な小説だと思う。
小説のモチーフは、ずばり、夫の浮気…である。
それが妻にバレてしまった。それからどうしたのか…という話。
…ちなみに、この夫婦が生きているのは、昭和初期。
彼らは上流社会に属するヒトたちで…教養があり、上品(?)である。
浮気…といっても、コトは、祇園の仲居さん、つまり玄人さんとちょっとイイ仲になった…ぐらいのことである。破滅型、火だるま式の情念劇とはほど遠い。
さらに。
この時代この階級(?)の常識には、私たちの感覚を遙かに越えた男尊女卑が根深く息づいていた。雑な言い方をすれば、これっくらい「男のヒトにはごくフツウのこと」だった…のかもしれない。
しかし、内村鑑三の薫陶を受け、足尾銅山で父親ともめ、大正デモクラシーの中で活躍し、「白樺派」の中心人物だった志賀直哉である。
ごくフツウの、「女は馬鹿だ」と何も考えずに唱えている男尊女卑のおじさんとはかなり違う。
そして、彼は、妻を…愛していた。
たぶんべた惚れ。彼女以外の女は眼中になし。といってよかったのではないだろうか。(笑)←いや、笑わなくても…(汗)
この事件は、当時小説を書く気になってなかった志賀直哉に、久しぶりに創作意欲をわかせるだけのエネルギーを持っていたらしい。
でも。
妻以外の女性に珍しくホンキで惚れてしまった…って事件を書くなら、フツウ、その恋人と自分♪について書くんじゃないだろうか?
だが、この作品群に書かれているのは、どっちかというと「妻」のコトだったりするのである。
何かヘン(笑)
事件の発端に当たるのは、「山科の記憶」である。
妻に浮気がバレた夜の出来事。
ひそかに女と会い、家に帰ってきた「彼」は、異様な姿の「妻」を認める。
部屋の隅にあたかも放り出されたような襤褸布のように不規則な形をして、妻が掻巻に包まり、小さくなって転がっていた。彼は妻のこんな様子を見たことがなかった。その変に惨めな感じが、胸を打った。妻を自分はこんなに扱っているのだろうか。妻がこんなに扱われていると感じているのだろうか。その感じが胸を打った。妻は頭から被った掻巻の襟から、泣いたあとの片眼だけを出し、彼を睨んでいた。それは口惜しい笑いを含んだ眼だった。
彼は何も彼も、もうわかったと思った。彼は興奮した。腹が立った。黙って妻の片眼を見返した。妻が何かいうまでは一ト言も口が利けなかった。
描写は、ありのまま見たまま感じたまま…である。
たとえば。
腹が立つのは筋違いだろ〜って気もする。何か説明がいるかもしれない。
かといって、なぜ腹が立つのか…説明はムズカシイと思う。
が、彼は何も説明しない。
腹が立ったから、「腹が立った」と書いている感じで。
この後、修羅場になるのかというと…ならない。(笑)
妻が発熱しているのである。
「お前は熱があるぞ」彼は傍へ来て座った妻の額へ手をやった。妻はその手を邪見に払いのけながら、
「熱なんてどうでもいいの」といった。
一寸触っただけでも熱かった。彼は立って自分の寝床の上に置かれた丹前をとり、妻に着せた。
この辺が…リアルだと思う。
彼は妻を愛している。
こんな場面でも、妻の変調にすぐ気づき、熱を気遣う。
そして、彼は立って自分の丹前を妻に着せる。
さらに、妻も彼を完全に拒絶しているわけではない。
夫の手を払った彼女だが、丹前はおとなしく着ている。
この直前、二人は言い争いを始めかけている。
だから、「お前は熱があるぞ」というのは、話をそらそうとしている…と、とられかねない発言で、妻も一度は「どうでもいいの」と言っている。
しかし、彼は、妻に怒鳴りたいような気持ちを持っているのと同時に、妻を気遣い…
で、気遣いが先に立った。
妻にも、それが感じられた。だから、手は払っても、丹前は払いのけない。
妻は一生懸命だった。日頃少しも強く光らない眼が光り、彼の眼を真正面に見凝めた。彼には、その視線に辟易ぐ気持ちがあった。然し故意にこちらからも強く、
「お前の知った事ではないのだ。お前とは何も関係のないことだ」と云った。
「何故?一番関係のある事でしょう?何故関係がないの?」
「知らずにいれば関係のない事だ。そういう者があったからって、お前に対する気持ちは少しも変りはしない」彼は自分のいう事が勝手である事は分かっていた。然し既にその女を愛している自身としては妻に対する愛情に変化のない事を喜ぶより仕方がなかった。
「そんなわけはない。そんなわけは決してありません。今まで一つだったものが二つに分かれるんですもの。そっちへ行く気だけが、減るわけです」
「気持ちの上の事は数学とは別だ」
「いいえ、そんな筈、ないと思う」
なんか引用が長いが。(汗)
ほかに言いようがないから仕方ない…というか。
妙にのんきな会話のような気がしてしまう。緊迫した場面のはずなんだけど。はず…じゃなくて、もちろん緊迫している。
でも…どこかのんきな感じもする。
結局…
こういうときにこういうことを言い合える夫婦である。
…ってことが大事なのかもしれない。
お互いの様子を鋭く感じ取り、お互いに自分を強くぶつけることをためらわない。そして、お互いの言う事にちゃんと耳を傾ける。
その態度に、揺るぎない信頼と愛情とが見える…ってことなのかもしれない。
やがて、二人は黙りこむ。
彼の頭には女のことがよぎったりする。(笑)
この辺も妙にリアルである。
不意に、妻が口を切る。
自分は、夫以外の男性に心を動かされることなどないのに…と愚痴るのである。
彼女が引き合いにだすのは、自分が怪我をしたとき世話になった若い医師のことである。
「去年病院にいた時にも、若し先生が好きになってしまったら大変だ、そう考える方なのよ。本統にあなただけ思って満足しているのに……」妻は幾分落ち着いたところで不図こんな事をいい出した。
「うん」彼は不思議な気持ちになった。妻の「先生」という、その若者を彼は明瞭と憶い浮かべることができた。
「それは分かっている。何とかいう医者だ。その事は一寸書いて置いた」
「…………」妻は急に真面目な顔をして彼を凝っと見た。その妻の心持はよく掴めなかった。が、それに不純なもののない事だけははっきりと感じられた。
彼は、そのとき自分が書いておいたメモ(作品のための覚え書きみたいなもの)を妻に見せる。
で、二人で、そのときの妻の気持ちについてそれぞれ考え、分析してみたりする。
…そんなことしてる場合なのか…???
って気がしてしまうが。
夫婦の会話って…そんなものなのかも(笑)
こんな調子で話は進んでいく。
彼と妻とは、一見平穏な日常の中、日常の雑事をこなしながら、この問題にものすごく真摯にあたっていく。
やがて、心身ともに疲れ切った妻のため、彼は冷徹なまでに、つかの間の恋に終止符を打つ。
「山科の記憶」に続くのが「痴情」。彼が、妻に言われるまま、一応女性との関係を絶つ…という話が中心になっている。とはいえ、彼の気持ちはまだ女性に残っている。
が、やはり…なぜか、女性との別れの場面に劣らず、その話をつけるために家を出る前の妻…それから帰宅してからの妻…の描写も念入りだったりする(笑)
妻は、その事があってから、床についてしまう。
奈良に住んでいる彼らであるが、仕事のため、彼だけが東京に来る。
が。
心身ともに不安定になっている妻から、彼に長い手紙が届く。
この文面はとにかく感動的である。
夫を思いやる気持ち、信じようとする、でも信じ切れない…けど信じるべきなのだ…と、千々に揺れる苦しい思いがそれこそ「一生懸命」につづられている。
フランソワーズもこのくらい言ってやれ〜(笑)
なんて思ったりする。
彼はこの手紙を読み、さらに電報で帰って来て欲しいと訴える妻を思い、急遽奈良に帰る。ここで、「痴情」は終わる。
次に、妻の眼を盗んでこっそり恋人に会いにいく「瑣事」。
それから、その「瑣事」が、小説の発表によって妻にバレてしまった(なんか間抜けだが)後の話になる「晩秋」。
とにかく…妻が純粋で、美しいのである。
美しい、とは特に書いていない。でも、苦しみの言葉、彼を責める言葉、態度、すべてが美しい。
「一生懸命」ってとこがポイントなのかも…と思ったり。
そして、その妻の美しさを、夫は淡々と書き付けていく。
隈無く観察し、ありのままに書き、それにつれて動く自分の気持ちも率直に書く。
これが、日本語で愛を表現する一つの方法ではないか…と思う。
愛の言葉がないのなら、愛そのものを書こうとせず、愛の中にいるときの己と相手の心身の状態を、ありのままにとことん丹念に書き記したらどうだろう。
それが本当に愛し合っている二人であるなら、そして、その二人をきっちり書ききることができれば、その思いは、必ず文章の上に言葉ならざるものとして、にじみ出てくる。
そんな気がする。
でも、これって楽なことではない。
志賀直哉の天才的筆力をもち、精神力をもち、なおかつ康子夫人の純粋さ、一途さをもって、お互い苦しみながらなんとかなしとげられたことである。
普通は、どこかで「説明」したくなるのではないか。
「愛」とか「夫婦」について、抽象的に語ってみたくなるのではないか。
でも、語ったら終わりだと思う。
日本語には愛のコトバがないのだから。
自分を苦しめているものに対して、どこまでもまっすぐにぶつかっていこうとする。
そういう態度において、この夫婦はよく似ている…とも思う。
馬鹿正直というか天然というか…
所詮お坊ちゃん&お嬢ちゃん夫婦だと言ってしまえばそれまでだが。
もちろん、9&3も十分お坊ちゃん&お嬢ちゃんだったりする。(笑)
003至上主義であり、彼女の恋人はジョーくんしかいないよな〜と思う私であるが。
だからこそ…正直、ジョーくんの「愛の告白」ってのは聞きたくない。
パロディとして楽しむのはよいけど…
もし、原作でそんな場面が出てきたら、ちゃぶ台ひっくり返して叫んでいたに違いない。
てめえ〜っ!てきとーなコト言ってるんじゃねえっ!島村ジョー!!!
とかとか(笑)
ちなみに…「凍った時間」の彼女に対するコトバはジョーくんがかなりヘンになってる(笑)ときのものだし、半分愚痴だし、何より彼女に聞こえてないことを前提としたセリフなので、「告白」には当たらない。
移民編の「キミの笑顔は…」は…(沈黙)
ま、彼も若かったってことでっ!!(?)
あれくらいなら、オッケーである。
あれ以上何か言ったら、ほっぺたねじり上げてやるところだが(笑)←こら
というわけでジョーくん。
やまとことばのヒトであるオバさんは、キミが彼女に何も言おうとしない…ってことを責めたりするけど、それはキミを責めるのがオモシロイからなのであって(おい)ホントはキミのそーゆー態度を立派だと思っているのである。
キミは確かに正直なヒトだ。エライ。
ただ…フランソワーズは「じゅてーむ」の国のヒトだから、そんなキミをどう思っているのかわからないが。
彼女にはわかってもらえないかもしれないね〜(笑)
ってなわけで、フランソワーズも、ジョーくんは死ぬまでこのままだ…ということをふまえ、もう一度考えてみるように。
…ホントにコイツでいいのか?(笑)結局それかい>自分
本文は『小僧の神様・城の崎にて』(新潮文庫)より。
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