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009的国文

小舟のほとりで(J.D.サリンジャー)
ゆっておくが、コレはアメリカ文学だ(怒)>自分
 
…え、ええと…でもでも、原語で読んだことはないし…(読めないって)
翻訳なんだからその……(おたおたおた)
 
…ってことになるんだけど…(汗)
 
とにかく…
サリンジャーといえば、「ライ麦畑でつかまえて」なんだと思うのだけど…
しょーもないことに、私はそれを読んだことがない。
 
でも、このサリンジャーのいわゆる「グラース・サーガ」は、私が10代後半のとき、とーーっても孤独に好きで…
でもって、いつでるかわからない続きを延々待ってたあたり、何かと似ているような気も…(笑)
 
内容とか人物とかは…009と似ても似つかない…んだけど、こぉ…なんか重なるっていうか…
 
…ってわけで、かなりうわ言状態になるものと思われます。
 
 
「グラース・サーガ」と言われるのは、謎の短・中編集で…翻訳されてる(ってか私が見たことがある)のは以下の作品。
 
「大工よ、屋根の梁を高くあげよ」「シーモア・序章」「バナナフィッシュにうってつけの日」「小舟のほとりで」「コネティカットのひょこひょこおじさん」「フラニー」「ゾーイー」「ハプワース16,1924」
 
中で、しみじみ好きだったのが…「小舟のほとりで」だった。
 
究極の3&9だっ!!!!
 
…という気がして〜♪
 
正確に言うと、10代の頃は、ジョーくん眼中になかった…ため(笑)、ヒロインのブーブー(ビアトリス・タンネンバウム)しか目に入ってなくて…それがフランソワーズと重なってたりしたのだけど…
 
今見ると、この話には、なんとジョーくんもいるっ!!!!(驚)
 
……のか?えっと…(汗)
 
ブーブーはアメリカに住む中流家庭の主婦。
夫と息子一人…に、お手伝いさんがいたりして。
 
彼女は、グラース兄弟の長女。
彼らは7人兄弟で、うち女性は2人。
 
グラース兄弟は、それぞれコドモの頃、ラジオ番組に出演したりして、とっても早熟で「神童」みたいなコドモたちだった。芸人の家庭で、ダンスなどに精進するのと同時に、本を山のように読み、哲学や宗教に真摯に向かい…でもって、世間から好奇の目で見られてたりして。
長兄のシーモアが、彼らの精神的支柱なのだが…彼は、自殺してしまっている。
 
この、自殺したシーモアの影と光が、ちらちらと物語を照らして…それがこのシリーズの魅力になってる…と思うんだけど、残念ながら、彼に重ねられる00ナンバーサイボーグはいない。
ただ…その、彼に漂う雰囲気が…どこか、彼らに似てるような気はする。
 
なんか凄い力を持っている(?)んだけど、愚劣なものと決別しきることもできなくて、逃げることもせず、理想に向かってひたすら自分を傷つけていく…
 
というか…
…そろそろうわ言になってきましたが(汗)
 
と、とにかく…
どことなく儚いモノが漂うこの兄弟の中で、ブー・ブーはかなり健康的(?)な人だ。
マトモな(?)結婚もして…
風変わりな主婦ではあるんだけど。
 
兄たちの宗教&哲学&その他もろもろの強烈な薫陶を受けつつ、心優しく繊細ながらも、強いヒトに育った…って感じで…♪
 
…で。
彼女がフランソワーズ。
でもって、ジョーくんは。
 
ライオネル、ブーブーの息子。
 
……4歳。
 
…………………。
 
あああああああっ、ごめんなさいごめんなさい〜〜っ!!!!(涙)
いや、だからもぉ…うわごとなんですけど
 
も、もちろん、今のジョーくんが4歳だって言ってるわけでわなく。
 
ジョーくんが4歳のときって、こんなだったのかも〜♪
 
…ぐらいな感じ。(おろおろおろ)
 
 
「小舟のほとり」はとっても短い話だ。
ライオネルの家出癖…から、話は始まる。
 
ふふふふふ。
家出、と言えばジョーくんでしょう〜♪そうなのか?
 
ライオネルは、2歳のときに、初めて家出をした。
家出といっても、家からごく近い場所。
 
家出の原因は…一応あるんだけど、大人にはちょっと分かりかねる。
世のヒトの、残酷な言葉や仕草が、彼の鋭く優しすぎる心を深く傷つけたとき…彼は家出するらしい。
 
なんか…やっぱりジョーくん(子供時代)だっ!!!
 
…でも、一人だったジョーくん(子供時代)と違い、ライオネルには、ブーブーがいる。
彼女は、息子の真意が理解できない…ながらも、彼が傷ついていることは感じ取り、とにかく、彼を家へと連れ戻し、家出の理由を聞き出し、もう家出しない…と約束させることにはその都度成功している。
 
少々手に余るわ。
 
…とかなんとか言いながら。
 
で、またライオネルが家出した…例によって原因は不明。
ブーブーは彼を発見した。
…が、彼は動かない。
湖の、岸につながれた小舟に乗ったまま。
 
彼女は、家にピクルスをとりにくる。
彼を「おびきだす」ために…でも、ピクルスはもうなかった。きらしていたのだ。
彼女はしかたなく、
「もう一度やってみるわ」とつぶやき、小舟に向かう。
 
 
小舟に乗ったライオネルはジョーくんなだけあって、なかなか強情なのだった。
フランソワーズもといブーブーはあの手この手を使う。
優しく、用心深く。
 
海軍の提督の真似をしたり、手笛(?)でラッパの音を出してみたり…
ジョーくんが興味を示しそうなことを次から次へと魅力的にやってみせるのだ。
もちろん、ジョーくんは魅了される。
 
…が。
ジョーくんなので、彼はやっぱり強情なのだった。
 
家出の原因を聞かれると、彼は頑として口を閉ざしてしまう。
思い出したように反抗的な態度に戻って、フランソワーズもといブーブーを拒むのである。
 
やがて。
ブーブーは、その舟に乗ってもいい?と尋ねる。
もちろん、ライオネルはだめ、と言う。
 
「乗っちゃだめ」とライオネルは言った。しかし上ずった声ではなく、目もうつむけたままである。「誰も乗っちゃいけないんだ」
「だめなの?」ブーブーの足はすでに舟の舳先に触れていたが、彼女はおとなしくそれをまた桟橋に引き上げなたら「どんな人でも絶対だめ?」と、言った。彼女はまたインディアン流の胡座にもどって「どうして?」と、訊く。
それに大してライオネルはちゃんと答えたが、またしても声が小さすぎる。
「なんですって?」と、ブーブー。
「いけないことになってるから」
 
ブーブーは実のところ、しっかり主導権を握っている。
ライオネルは、ほんとは彼女に何もかも話してしまいたくて。
それしか、彼が助かる方法はないのだ。
でも、話せない。
 
心優しく繊細な人が傷ついたとき…って、そうなのかもしれない。
ジョー君も大概そうだと思う。
うまく話せない。
話したいんだけど。
 
ブーブーは息子が話したがっているのを知っていて…でも、話せないということもわかっている。
だから、彼女はいろいろな角度から息子に近づこうとする。
拒絶されてもひるまない。
だって。
息子は助けを求めているのだ。
それがわかっているから、彼女はどんなに拒絶されてもひるまない。
勇敢に、優しく、息子に語りかける。
 
ジョー&フランソワーズという組み合わせに独特…と感じることの1つは、やはり運命の二人…ってことなのだ。
 
ブーブーはなぜ、ライオネルが自分に助けを求めていると疑わないのか。
自分が、彼を助けなければならないと疑わないのか。なぜ、拒絶されても迷わず彼に歩み寄るのか。
言うまでもないが、その理由のひとつは、彼女が…彼女だけが彼の母親だから…だ。
 
もちろん、「母親」という幻想にとらわれてしまうと、話が偏るというか、平板になってしまうのだけど。
でも、私たちの中には、間違いなくある。
母と子は他と比べられない特別な、絶対的な絆で結ばれているという幻想が。
 
3&9を結んでいる絆は、それに似ている。
 
実際には、リーダー島村君が4歳児のように(笑)本格的にスネてしまうってことはありえないので、こんな場面は想定しようもないのだけど。
でも、この二人の関係には、なぜか似たようなものが見え隠れしてしまうのだ。
 
フランソワーズには、どういうわけかわかっているらしい。
ジョーが、必ず自分に心を開き、自分の胸で安らぎを得ることを。
そして、それができるのは自分だけだということを。
 
だからと言って、彼は、たやすくもたれかかっては来ないのだ。強情だし。
ってことは、それまで、彼女もそれなりに悩み、考え、時には傷つくわけで…かなり消耗させられる。
でも、フランソワーズはそれを不当なことと悲しんだり、憤ったりはしない。
そして、なぜか、その代償を求めようとも思わない。
 
彼が自分にだけ心を開いてくれる…と知っていても、そのこと自体に格別の喜びはなかったりするのだ。
…というか、そのことをフランソワーズは特に意識しない。
恋人だったら、それは無上の喜びのような気もするのだけど…フランソワーズにとっては、不思議とそうではないみたいなのだ。
それはただ当たり前のことであって、当たり前のことだから彼女は淡々と自分のなすべき事を一生懸命するだけで。
 
…なんて考えてみたりするのだが、実はそんな場面は、009の原作はもちろん、テレビシリーズにも超銀にも出てこない…と思う。
近いのは「アステカ」なのかもしれないけど、ちょっと違うし。
 
新ゼロでは、悩むジョーくんに気を遣うフランソワーズがよく出てくるのだけど…でも、彼が彼女にだけもたれかかり、心を開く…というのとはやはりちょっと違うと思う。
正確に言うと、新ゼロジョーくんは誰にも心を開かない少年だったりする。たぶん。
 
だから、これはあくまで仮定の話…ってことなのかもしれない。
ジョーくんがもし、心を開くとしたら…もたれかかるとしたら。
その相手はフランソワーズしかありえない。
 
そして、フランソワーズはそれをごく当たり前に受け止めるのだ。
恋人としての自負も喜びもなく。
 
で、私は…なぜそう思ってしまうのか???
 
 
ライオネルに、少しずつ「降参」の時が近づく。
彼は、それに最後の抵抗をするように、舟の中にあった水中眼鏡を足で無造作に湖に投げ込んでしまう。
特に何も考えていない、八つ当たり的行為なのだが。
…その水中眼鏡は。
 
「えらいわねえ。いい事やるじゃない?」と、ブーブーは言った。「あの眼鏡はウェッブ伯父さんのものよ。伯父さん、きっと喜ぶわよ」ブーブーは一口煙草を吸った。「昔はシーモア伯父さんのものだったんだもん」
「かまうもんか」
「そう、そう。かまうもんかよねえ」と、ブーブーは言った。
 
その水中眼鏡は、もとはシーモアの遺品だった。
ブーブーにとって、大切なものであったことは言うまでもない。
大切なものを無造作に舟に置いてあるあたりも、なんというかこの人らしいのだけど。
 
ブーブーは息子を責めない。
でも、許すわけでもない。
 
彼女は、ライオネルが熱望していた父親のキーホルダーを彼に見せびらかす。
もちろん、彼はそれをほしがる。
彼女は言う。
 
「ちょっと待ってよね、坊や。少し考えてみなくっちゃ。湖に捨てちまったほうがいいんじゃないかな、このホールダー」
 
息子は、自分が母親に何をしたのかをおぼろげに知る。
自分が、彼女を傷つけたのだということを。
そして、母親はそれでも、彼に黙ってキーホルダーを放ってやる。
 
…だから。
彼は、そのキーホルダーを湖に投げ込み、泣き出す。
 
母を傷つけ、返す刀で自らを傷つけ、初めて彼は心を開く。
ほんっと難儀な子供だ。
 
そっと舟に乗り移った母親の膝に抱かれ、彼は全てを吐露する。
 
「サンドラがね──スネルさんにね──パパのことを──でっかくて、だらしない、ユダ公だって──そう言ったの」
 
サンドラとは、お手伝いさんのこと。
話の冒頭で、サンドラが隣人のスネルさんと謎の会話をしているのだが…ここでわかるようになっている。
彼女は、主の悪口を言っているのをライオネルに聞かれ、動揺しつつも虚勢を張っていたりしたのだった。
彼女は困っていたものの、反省はしていないし、もちろん謝る気もない。
適当にごまかせる…と思っているし、実際そうしているのだ。
 
ユダ公というのはもちろんユダヤ人のことで。
この話の舞台は概ね1950年代…というところ。
そもそもアメリカだし、第二次世界大戦は終っている。
が、ナチスの迫害が記憶には新しいというより、生々しい時代だ。
もちろん、ユダヤ人への根強い差別は厳然としてある。
 
4才のライオネルは、その意味するところを知らない。
彼は、「ユダ公」というのはユダコ、で凧の一種なのだと理解している。
でも、その言葉の裏にあるどうしようもない悪意を敏感に感じ取って傷ついたのだった。
 
もちろん、ブーブーも傷つく。
しかし。
 
ブーブーは、ほんの分かるか分からぬぐらい怯みを見せたけれど、息子を膝から抱き下ろすと、自分の前に立たせて額にかかった髪を掻き上げてやった。「そう、そんなこと言ったの?」と彼女は言った。
ライオネルはそれを強調するように力を入れてうなずいた。そして泣きやまぬままに近寄って、母の両脚の間に立った。
「でもね、それはそう大したことじゃないわ」ブーブーは息子を両腕と両脚で万力のようにきつく抱きしめながら言った「世の中にはもっともっとひどいことだってあるんだから」
 
これかもしれない、と思う所がある。
 
ほんの分かるか分からぬぐらい怯みを見せたけれど
 
…これがフランソワーズなのかもしれない。
 
ブーブーは、傷ついたのだ。ライオネルと同じように。
でも…それは見せない。
そして、「でもね、それはそう大したことじゃないわ」と言ってみせる。
 
大したことなのだ。
彼女は言い訳するように、「世の中にはもっともっとひどいことだってあるんだから」と続ける。
だからといって、この痛みが消えるということがあるだろうか。ない。
 
彼女は自分に言い聞かせるように言う。
これくらいでひるんでいてはいけない。もっともっとひどいことがこれから私たちの前にたちふさがるのだから。
 
その覚悟と決意をもって、彼女は息子を抱きしめる。
 
…でも。
息子にはその怯みを見せないのだ。
息子は、母の痛みに気付かない。
 
あれだけ繊細で敏感な息子が、ここでは傷ついた母に甘えているではないか。
母が傷ついていると知れば、彼はもう泣けないし、母に近寄れない。
傷つきながらも倒れまいとしている母の胸で、彼は無心に悲しみを吐きだし、癒される。
 
 
原作「星祭りの夜」で、ついにジョーくんはフランソワーズを母よばわりした。
 
滅びゆく惑星の上で、「一緒に死のう!」と叫ぶのはジョーくんの方だった。
そんなジョーくんを、フランソワーズは宥める。
死んではだめ、まだやらなければならないことが残っている…と。
 
涙ながらに生きることと愛し続けることを説くフランソワーズをジョーくんはじっと見つめる。
…そして。
 
フランソワーズ!
 
と叫び、号泣たぶん(笑)しながら旅立つジョーくん。
しかし。
 
ジョーくんと反対の方向へ飛ぶ宇宙船の中で…
フランソワーズはどんな表情をしているのか。
それは、描かれていない。
 
彼女の表情はあまり動かない。
深い悲しみの中にいながら、彼女は淡々とジョーくんを励まし、その背中を押す。
 
ジョーくんとて、彼女が苦しみ、悲しんでいることはわかっているだろう。
でも。
ホントにわかっているだろうか?
 
フランソワーズは言う。
 
たしかに離ればなれであなたを想いながらの生活は死ぬよりつらいことかもしれないけど…でもそれは死よりも尊いことだという気がするの!
 
死ぬよりつらい、とちゃんと言っているし、もちろんつらいのだ。
泣いてるし。
でも…
 
一緒に死のう!
離れては生きられない!
 
と叫ぶジョーくんに比べたら、えらく冷静で静かだと思う。
だから、ジョーくんは、自分の悲しみに集中できるのだ。
 
フランソワーズの悲しみは、彼の心に届いていない…わけじゃないんだけど、そういう風に描かれてはいない。
 
旅立ちのシーンで。
フランソワーズの涙も、フランソワーズの叫びも、石森さんは描かなかった。
 
故郷であり、母である彼女が、ジョーくんを求めて泣き叫んではいけない。
 
まばゆい光に向かってフランソワーズの宇宙船は静かに飛んでいく。
そこから、もう返事はかえらないことを知り、知っているからこそ、ジョーくんは存分に泣き、叫ぶ。
生まれ落ちる赤子のように。
 
母の胸で、ライオネルは初めて心の底から泣く。
母だけが自分のこの痛みをわかってくれる。
だから泣くことができる。
 
でも。
わかってもらうということは、愛する母にもこの痛みを味わわせるということなのだ。
それもライオネルにはわかっている。
だから…彼は容易に泣けない。
 
母を傷つける自分を、まるで罰するように自ら傷つけ、息子は初めて泣く。
…それでも。
最後に全てを受け止めるのは母なのだ。
 
息子の受けた悲しみを全身で同じように受け止めながら、母は「それはそう大したことじゃないわ」と囁く。
もっともっと暗い深い闇を見据えながら、母は微笑み、大したことじゃないわ、と優しく囁く。
そして、そう囁く母の悲しみに、泣きじゃくる息子が気付くことはない。
 
しかし。
だからこそ、フランソワーズも倒れずにいられるのかもしれない。
019のヨミ篇ラストで泣き崩れるフランソワーズを見ると、そんな気がしてくる。
ジョーくんがいないのなら、悲しみに耐える必要もないのだ。
 
 
もちろん、ジョーくんは、がんばる。
いつも、ぎりぎりまで。
フランソワーズを悲しませないように。
彼女を苦しみから遠ざけるためなら、自分がどんな苦しい思いをしてもかまわない、とジョーくんは思っているかもしれない。
 
もっとも、そう思う相手は、ジョーくんの場合…彼女だけじゃないんだろうけど(笑)
 
でも…
ジョーくんにはわからないのだ。
フランソワーズが、最後の最後に、どうしようもない悲しみを引き受けているということが。
それは、ジョーくんにはわからない。たぶん、永久に。
 
わからないのはジョーくんの罪ではない。
フランソワーズが偉いわけでもない…のかもしれない。
二人は、ただそういう二人なのだ…と思ったりする。
 
フランソワーズがジョーくんの母のように見えるのは、彼女が彼の悲しみに完全に共感しつつ、ひるまないから…というのがあると思う。
なぜひるまないのか…は、わからない。
でも、彼女はひるまない。
そういう風に描かれている。
 
超銀で、カットされたたぶんフランソワーズのセリフがある。
タマラの死に涙するジョーくんに向かって、
 
もし私があなただったら、きっと同じようにその方に心を奪われていたにちがいないわ。
 
…カットされてされたんだと思う←劇場には見に行ってないのでいまいち自信なしよかったとホントに思う。
 
たぶん、フランソワーズはホントにそう思っていただろう。
死んでも口には出さないだろうけど、そう思っていた…と思う。
 
そして、ジョーくんは、彼女がそう思っていることに気付かない。
気付いてはいけない。
だから、カットされてよかった…と思うのだった。しみじみ
 
フランソワーズは、ジョーくんの悲しみをそっくり感じ取る。どんなときも。
そして、ジョーくんが立ち上がるのもおぼつかないほどの悲しみに襲われたときは、静かに共感しつつ、その痛みを隠すのだ。
 
フランソワーズは、タマラの死を悲しむジョーくんの後ろに立ち、彼から目を逸らした。
 
彼女が後ろに立っていることを、ジョーくんは知っている。
でも、彼女が目を逸らしたことを、ジョーくんは知らない。
 
それでも。
そうして隠されたフランソワーズのどうしようもない悲しみを救うことができるのも、またジョーくんだけだったりするのだ。
ジョーくんはフランソワーズの悲しみに気付かない。
でも、泣くだけ泣いて、立ち上がったジョーくんに導かれ、彼女は再び歩き出すことができる。
 
歩き出した二人は、やがて微笑み合い、走り出すだろう。
悲しみが消えることはなくても、また笑うことはできるのだから。
 
 
「ねえ、こうしようよ」と、彼女は言った「車で町に出て、ピクルスとパンを買うの。そうして、車の中でピクルスを食べるの。それから駅へ行ってパパをお迎えして、それからみんなでおうちに帰って来て、パパにこのお舟で遊びに連れてってもらう。きみは帆を運ぶお手伝いをしなくちゃだめよ。分った?」
「分った」と、ライオネルは言った。
二人は家に戻らなかった──歩いては。駆けっこして戻ったから。ライオネルが勝った。
 
 
本文は『ナイン・ストーリーズ』(新潮文庫)より
 
更新日時:
2003.02.17 Mon.
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Last updated: 2013/6/10