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009的国文

だれも知らない小さな国(佐藤さとる)
いきなり児童文学にきてしまった(汗)
…ので、言い訳っぽく前置きしてみたり。
 
003は紅一点だ。
 
いつだったかは忘れたが、いわゆる戦隊モノの5人組の中に女性が二人いる…と知ったとき、私は仰天した。
 
ふぇみにすとにあるまじき仰天じゃないかと、思わず自分にツッコミを入れつつふぇみにすとなのか?それとは別に、物語的お約束ってのは強烈なんだな〜としみじみしたりするのだった。
 
もっとも。
そういうことにぼーっとしてないヒトも世の中にはいると思う。
003が紅一点であるということ自体が不快だというヒトだっているだろうし。
ちなみに夫は019が古くて新しいマンガだということに驚嘆しつつ、
 
惜しむらくは、女の子が1人しかいないことだな…人数のバランスからいえば、3人ぐらいいていい。その方が話にも広がりがでるんじゃないか?
 
平然と言った。恐るべし素人(大汗)
 
003が紅一点である理由は、サイボーグたちの性質にもよる。
彼らはあくまで白兵戦で戦うサイボーグだから、やっぱり女性を入れるのはツライかも。
ロボットを操ったり、組織で戦ったりするならいいんだけどな。
 
いや…それもホントは違う。
サイボーグはどうせ(笑)カラダを機械化するんだから、男だろうと女だろうと関係ない。
 
どっちかというと…見ている私が、彼らがサイボーグであるということをどこかでちゃんと現実として受け取ってないそれで当然だけどから、モトの性別と能力に関係があるような錯覚を覚えてしまうのだ。
 
錯覚は錯覚なんだけど。
物語世界なんだから、物語として納得できればいいんだよな。
 
私はちょうど仮面ライダーあたりのターゲットだった世代で。
そのころ当然のようにあった紅一点という設定に、骨の髄まで慣れていたに違いない。
 
紅一点というのはおいしい。ってか、ズルい。
「女は引っ込んでろ」と言われたときは抗議できるし、
「女の子は女の子らしくしたほうがいいよ」と優しく言われたときは感動できるし。
 
ズルいよな〜しみじみ
 
で。
003は紅一点なんだよな〜〜(悩)
ってことは…ズルい。
たしかに、ズルいところも多々ある。
 
つまらない女だと言われればそうだという気もするし。
役立たずのお飾り紅一点と言われればそうなのかもしれないと言う気もするし。
 
私も、そういう紅一点に特に魅力があるとは思わない。
いくら顔が可愛くて、性格がよくても…つまらないと思う。
 
で、003は紅一点で…(もごもご)
 
…まあいい。おい
いいのだっ!!スキに理由などないっ!!!!
 
なんだかわからないが、003は紅一点の枠を超えてる…って気がする。
実際どーなのかはともかくとして、スキなのはスキなんだからしょーがないのだ!!!!
 
…なんて思っているのだけど。
気づいたのだった。
 
あ。もしかして…コレも紅一点っ????
 
 
…というわけで、佐藤さとるのコロボックル物語である。
コドモの頃からの超愛読書なんだけど…妙な事があって。
 
このシリーズは6巻ある。コドモの頃は4巻までだったが。
 
うち、番外編の短編集が1巻。
シリーズになっているのは次の5巻。
 
だれも知らない小さな国
豆つぶほどの小さないぬ
星からおちた小さな人
ふしぎな目をした男の子
小さな国のつづきの話
 
…それぞれ大変に面白い。
で、妙なのは。
長いこと今でもあんまりピンとこなかった話が…この中に一つだけあるのだ。
それは、「ふしぎな目をした男の子」
 
もちろん、面白い。
でも…
 
女の子が出てこないのだった(笑)
 
ちなみに、残りの4巻には、女の子(コロボックル)が出てくる。
 
だれも知らない小さな国にはハギノヒメ(おハギちゃん)
豆つぶほどの小さないぬにはクルミノヒメ(おチビ)
星からおちた小さな人にはサクラノヒメ(おハナ)
小さな国のつづきの話にはスギノヒメ(ツクシンボ)
 
で、この人たちはみんな紅一点だったりするのだ。
 
実は、最後のスギノヒメはちょっと毛色が違う。
彼女は紅一点というよりは、主人公。
作品が発表された年代も、私が初めて読んだ年代も、他の4巻と比べるとずっと後になるので、ここでははずしておくことにする。
 
残り三人のコロボックルたちに出逢ったのは、小学校のとき。
新ゼロ以前である。
 
今見ると…思うのだ。
なんか…この人たちって…お嬢さんに似てるのかも。
紅一点だし。
 
ってことは!
私がお嬢さんをスキになった理由が、この人たちの中にあるのかも!
 
…ってなわけで、前置きは終る。長いっ!(怒)
 
 
この三人の中で、私にとっての原型003…って感じなのは、ハギノヒメだと思う。
 
主人公のせいたかさんとコロボックルたちの出逢いを描いたのが「だれも知らない小さな国」で。
彼が、初めて言葉を交わしたコロボックルは、三人の若者。
この中にハギノヒメはいない。
 
彼女は、後からせいたかさんに紹介される。
どうもコロボックルのことを知っているらしい女性、「おちび先生」を調べる、男まさりのすばしこいコロボックルとして。
 
ハギノヒメはそう活躍するわけではないが、この話の中心はやがておちび先生の動向へと移っていくので、彼女の登場回数もそれにつれて増える。
彼女は自分の役割を淡々と果たす。有能であぶなげがない。
 
もちろんというかなんというか恋愛的エピソードは、全然ない。
恋愛風味は、人間のせいたかさんとおちび先生の間にある…あるといえばある…だけであって。
 
ところが。
 
次の「豆つぶほどの小さないぬ」になると…ハギノヒメはヒイラギノヒコと結婚してたりするのだ。
 
ヒイラギノヒコとは、せいたかさんと初めて接触した三人のうちの一人で。
「世話役」と言われる、コロボックルの大統領のような立場にいる若いコロボックル。
 
そりゃもう優れた若者に違いない。勇敢で思慮深く、心優しい。
 
…で。
いつ、この二人がそんなことになったのか?…にはおかまいなく、物語は進む。
ハギノヒメは物語から姿を消す。
代わりに登場するのがクルミノヒメである。
 
読み返してみると、ハギノヒメ・おハギちゃんの登場回数はホントに少ない。
なんで、これで…こんなに印象に残っているんだろう?と思うくらい。
 
しかも、おハギちゃんは、特にすばらしい発想で物語を動かす…みたいな女の子でもないのだ。
ただ、有能でソツがないだけ。
 
彼女は、調べているおちび先生が、コロボックルについて何か知っている…ような感じを受ける。
が、よくわからない。
彼女はせいたかさんに「フシギナ ヒトデスネ」と、おちび先生のことを語る。
その言葉には無駄もなければ足りないところもない。
話のあいまに、せいたかさんににこにこしたりする。可愛い♪
 
そして。
おちび先生に、コロボックルの姿を見せて、味方になってもらおう…と考えたせいたかさんは、おハギちゃんに聞く。
 
「きみは、すがたを見せてもだいじょうぶだと思うかい」
「オモイマス」
返事がはねかえってきた。
「味方になれそうなんだね」
「ナレルト オモイマス」
「そうか」
ぼくは、内心ほっとした。しょうじきなことをいうと、いまのコロボックルには、たとえひとりでも、味方がほしいところだった。
 
読者も思わずほっとするのだ。
それだけのが、おハギちゃんの物言いにはある。
 
この、姿を見せる…という決断は、コロボックルたちが慎重に考えて出した結論でもあり、その決定権はモチノヒコ老人(当時の世話役)が握っている。
だから、おハギちゃんが決断したわけではない。でも。
 
マジメに毎日おちび先生をみはっていた有能なおハギちゃんが、しずかに大丈夫、と言ってくれるなら、こんなに心強いことはない。
 
次に。
これが彼女の最大の見せ場なのでは?と思うのだけど…
せいたかさんと親しくなったけれど、まだコロボックルについて何も聞かされておらず、一度おハギちゃんの姿を見ただけ…のおちび先生が、彼女に話しかける。
 
おハギちゃんの話によると、子どもたちの帰った静かな幼稚園で、おちび先生はピアノの前にきちんとこしかけた。ふたをあけると、そのまま目をつぶって、はっきりいった。
「わたしは、こんどの日曜日に、山へいきます。」
三度同じことをいった。そして、目をあけると、あたりを見まわしながら、大きな声を出した。
「わかった?そうつたえるのよ。」
近くにいたおハギちゃんは、それをきいてびっくりした。どうやら、自分に向かっていっているらしいと、やっと気がついたからだった。
おちび先生はつづけていった。
「さあ、わかったら、ピアノを鳴らしてちょうだい。わたしは目をつぶっています。」
そういわれて、おハギちゃんは、思わずキーの上にとびおりてしまったのだ。ポーンと、高い音が、だれもいない教室にいつまでもひびいた。
「ああ、やっぱり!」
おちび先生は、うれしそうにそういって、びっくりしたときのように、両手でほおをおさえたそうだ。
「アワテテ シマイマシタ」
おハギちゃんは、おちび先生のまねをしてみせながら、こまったようにいった。
 
キーにとびおりる、というのは…本当なら、彼女が独断で決めてはいけないことだと思う。
でも、おハギちゃんはとびおりた。
誰よりもおちび先生の近くにいて、おちび先生をよく知る彼女は、咄嗟に一番しなければならないことは何かを悟り、すぐ行動したのだ。
 
もちろん、その行動に誤りはない。
せいたかさんをはじめ、仲間のコロボックルも彼女を責めない。
 
あと。
ほおをおさえる…ってのはこお…お嬢さんもよくやるよな♪←わけもなく浮かれている(笑)
 
紅一点なのだけど、ハギノヒメの後ろには、たくさんの女性(コロボックル)がいる。
彼女は、たまたま女の子なのであって、自分に与えられた仕事を淡々とこなす。
で、女の子だから、自然に女の子としてふるまう。
 
ハギノヒメは、他のコロボックルとほとんど行動を共にしていない。
彼女の仕事は、一人でやるべきことであるから。
 
主人公(または主人公的な)男の子と恋愛はもちろん、接触らしい接触もせず、ただきちんと自分の役割を果たして、そして、存在感のある女の子。
 
ハギノヒメはそんな女の子だったのだ…と思う。
 
そういうあり方は、いわゆる(?)「紅一点」じゃない…けど、結果として紅一点。
それでも紅一点だから、おハギちゃんは、ヒイラギノヒコと結婚する…のかもしれない。
 
二人のロマンスのようなものは、前述のように、ホントに書かれていない。
彼女が結婚したことは、二冊めの「豆つぶほどの小さないぬ」の前書き「クリノヒコのあいさつ」の中にこんな風に書かれている。
 
ママ先生の連絡係は、むかしから、しっかりものの女のコロボックルがついている。前はハギノヒメといったが、いまでは、ヒイラギノヒコのおくさんになっている。そのために、ぼくとちがって、昼間だけ毎日かよってきているが、近いうちに、新しい連絡係りとかわるらしい。子どもがうまれるからだ。
 
以上終わり。ママ先生というのは、おちび先生のこと。せいたかさんと結婚して、子どもが生まれたのでこう呼ばれるようになった。
すごくあっさりしている。
 
面白いのは、結婚したら、仕事が昼間だけになった…ってことで(笑)
でもって、子どもが生まれるから、新しい連絡係りと交替。
働く女性の現実…って感じが妙にする。
 
おハギちゃんというか、ヒイラギノヒメは、この作品の中にもちらちら登場する。
連絡係りの交替のとき、年長者らしい言動をクリノヒコ(2作目の主人公)に見せたり。
それから、コロボックルの新聞を作ろう…ってことで、始まった「コロボックル通信社」の社員になりたい…と、夫のヒイラギノヒコを通して申し込んだりする。
 
物語には出てこなくなったけれど、相変わらずしっかりものの女性として生きているんだな〜という感じがするのだった。
 
この話を読んだとき、私は小学生だった。
そして、このハギノヒメが妙に心に残った。
話そのものも、めちゃめちゃ面白いし、女主人公としてなら、人間のおちび先生がこれまた素敵なんだけど…
 
でも、ハギノヒメがなぜか心に残ったのだった。
 
順番からいうと、003との出逢いの方が後になる。
考えてみると、私は、
 
物語の型にぎりぎりはまっていて、ぎりぎり現実味のある女性
 
というのに惹かれていたのかもしれない。
 
子どもの頃から、本を読み慣れていた。
それも、少し古めの本。
そこに出てくる理想の少女たちには、それなりの型がある。
 
その型を破る少女の魅力に気づくのは、私の場合少し遅かった。
10代のころは「赤毛のアン」が苦手だったり。(笑)
 
古い本にでてくる、理想の少女。
佳き妻佳き母となるだろう、賢く愛情深く献身的でおとなしい少女。
それが、理想…なのだ。
でも、それは私の現実にとって、既に古い理想で。
 
私が心惹かれたのは、その理想の少女たちが、新しいこの現実世界にとけ込みながら、彼女たちらしく生きていくさま…だったのかもしれない。
 
 
…で。
コロボックルシリーズ二作目「豆つぶほどの小さないぬ」はよ〜く見ると、まるで「009」そのものだし。
三作目の「星からおちた小さな人」には、019ジョーくん&フランソワーズに、ジェットやらピュンマさまやらも出てくるような気がしている(笑)
 
こうなると、さすがにめちゃくちゃ怪しいので、続きがあるかどうかは不明だったりする(こら)
 
 
本文は「だれも知らない小さな国」「豆つぶほどの小さないぬ」(ともに講談社)より
 
 
更新日時:
2002.11.10 Sun.
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Last updated: 2013/6/10