私にとって、「009」というのは003のことであり、更に言うと新ゼロ(1979年アニメ)の003なのかもしれない。
あの水色の眼に、亜麻色(ほんっとに亜麻色)の髪。
カチューシャはピンクと水色。
この臆面のなさは何だ〜〜っ!!!(泣)
時は1979年。
宇宙戦艦ヤマトの映画を大人でも見るのだ…ということが話題となり、ファーストガンダムに煙に巻かれていた時代。
今なら、珍しくもない美少女キャラでも、当時はすっごく珍しかった…と思う。
とにかく臆面もない美少女。
たしかに、森雪も美少女だった。白鳥のジュンも。
でも…
このヒトたちは、かなり絵柄が個性的(?)で…うまく言えないが、「マンガの女の子」って感じだったのだ。
003はお洋服をちゃんと着替えるし(笑)
特に変った印象も特徴もない…ように思った。
要するにフツウの、ただ可愛らしい女の子…に見えた。
だが。
003は戦闘サイボーグなのである。
こんなことにしてしまって、このあといったいどうするつもりだ〜???
いや。
どーもならず、彼女はフツウに(?)サイボーグをやっていた。
さらに…彼女は、ホントにフツウのいい子だったりする。
うまく言えないが、フツウにその辺にいそうな(いないんだけど)すごくいい子。
異論はあるかもしれないが…たぶん、オトコから見たいい子じゃなくて…
フツウのいい子なのだ。
オトコから見たいい子…ってのは難しいんだけど…
どこか、予想通りの、オトコの空想の中に収まってくれる可愛い女の子…というか。
たとえば、003は009が好き。
他の女の子と009が仲良くしてると、当然嫉妬する。
でも…彼女は009の仲間でもある。
任務中にあんまり派手に嫉妬してみせると、いろいろトラブったりするのは目に見えてる。
それに、009はサイボーグなんだから、良かれ悪しかれ、003以外の女の子とコイビト同士になることはまずあり得ない。
その辺を天秤にかけ(笑)、フツウのいい子なら、それほど派手にヒステリックな嫉妬をしたりはしないはず。
でも…オトコから見た可愛い女の子ってことだけでいいなら、003はいつでもどこでも猛烈にヒステリックに嫉妬するはずなのだ。
だって…彼女がヒステリックになるのは、それだけ009がいいオトコだから。
それを示すことだけが、彼女の役目だから。
ヒロイン…っていうのは、実は往々にして、そういう記号だった…と思う。
ヒーローを際だたせるのが最大の使命で、そのためなら多少の無理もする。
彼女自身が愚かに見えようが、人格に矛盾があろうが、それは気にされなかったりするし…
いや、そもそも、そういう破綻(?)のないような範囲でしか動かないのだ。
でも…003は違う、と思った。
「裏切りの砂漠」なんて結構衝撃的で。
003があんまりフツウに賢明で優しいので…
009の優しさとか苦しみがいまいち映えなくなってしまったような気がする。
003がもっとぎゃんぎゃん騒いだり泣いたりすれば、009は、も少し格好良かったんじゃないのかな〜?
あの話って…なんとなく本末転倒というか(?)
とにかく、003は妙にリアリティがあるキャラクターだったのだ。
それは間違いない。
しかも、臆面もなく美少女で心優しくて聡明で。
なんかスゴイ。こんなのアリなのか?
と思った。
たぶん、始まりはソコだったと思う。
おぼろげな記憶だが。
このへんの感覚は、とっても微妙で…
回によっては、新ゼロ003も009のためのヒロインにすぎない…役割しか果たさなかったりする。
「大森林からの脱出」なんて、どっちかというとそうかも。
あんなに009一途で理性を失っちゃう(笑)のは…やっぱりちょっとフツウじゃないと思う(笑)
ところが。
そのよしあしはともかくとして…
フランソワーズは妙にリアリティのあるヒト…であるのと同時に、「009」の中では、やはりどーしても、まず第一に女であることを要求されてたりする人でもある…と思う。
うまく言えないが…
「紅一点」というモノには、普通、それなりの与えられた役割がある。
それに限らず、物語の中の女性には、女性である部分のいくつかの特性(?)を象徴するような役割が与えられていることが多い…と思う。
男性の場合は、特にそういう、性的な役割を特化する…みたいな現象は見つけにくい…と思ったり(自信なし)
フランソワーズの場合も、与えられた役割はあると思う。
ざっとあげると…
ジョー(主人公)の恋人。
イワンのお母さん。
ギルモアの娘。
みんなの妹(もしくはお母さん)
…みたいな。
まとめると(?)性愛・母性・博愛・美…などなど。
だが…
何か変だ…と思う。
何が変かって…(汗)
フランソワーズは、その与えられた役割を、どれも中途半端にしかこなしていない…ように見えたりするのだ。
ジョーの恋人…ってコトで言えば、いや、言わずもがなで(汗)
イワンへの母性も、ちょっとあやふや。
いざというとき、イワンとココロをつなぐのはジェロニモやジョーくん…ってこともあるし…彼のパートナー(?)としては、ギルモアも捨てがたい。
見方もある…と思う。
だから、あくまで私の印象なのだけど…
フランソワーズは中途半端なヒロインなのだ。
だから、妙に普通…に見える。
いや、ほんと、普通のヒトで。
どんなに美しくても優しくても賢くてもジョーのことが好きでも(笑)笑うなよ>自分彼女はあくまで普通のヒト。
でも、それでもなお、私たち普通の女と違い、彼女は物語の中でほとんど宿命的に「女」であることをキビしく要求されている。
そのへんの微妙な危ういバランスみたいなのが…好きだったのかもしれない。
ともかく、気がついたときは既に遅く、思春期まっさかりの私は、あくまで空想世界にしかいない、でも妙にリアリティのある女の子をココロに持ってしまっていたのだった。なんか…そういうのってヤバかったんじゃないかという気がしてならないが、今更どうにもできない。
そして。
そうでなくても屈折した(笑)思春期、003を介しておそらくさらに屈折した私が夢中になったのが…
吉原幸子の詩で。
なぜ吉原幸子なのかはよくわからないんだけど…
このヒトの詩が、003の声で聞こえてしまうのだった。杉山加寿子さんの声ではないのが謎なんだけど…
今読むと、ちょっと鮮烈すぎて、繊細すぎて、純粋すぎて……疲れるかも(汗)
高校生のころ、私はこれらの詩の多くをフランソワーズに重ねて読んでいた…と思う。
何が似ているのか、と聞かれると、よくわからないのだけど…
ただ、「女であること」みたいなモノを中心に重ねていたような気がする。
吉原幸子の詩には、それぞれ私生活の背景が色濃くあって…それを離れて読むのはかなり邪道だと思ったりもするのだけど。
でも、思春期は何かと傍若無人だし♪今はもう思春期じゃないだろう(怒)>自分
たとえば…連作「オンディーヌ」の第七番目。
あなたと 境内の水辺にゐた。
濃い霧に似て
池のうへを ゆっくりと
落葉たく煙がながれる
岸は灰色にくすみ
水鳥の白もくすみ
鯉たちのまるい口から
つぶやきのやうな 泡がはぜる
オンディーヌ
こんなさびしい愛しかたしか
にんげんは 知らないのです
さむい茶店の縁台に
対ひあって おでんをたべ
濃い霧に似た煙のすぢの
はってゆく 行方を眺める
おみくじは 二枚とも凶
かたちなき愛は 失はるべし
かたちある愛は 罰せらるべし
これが3&9に見えるんだから…暗いんだよな〜私(涙)
でも…そう見えてしまった。(今も見えてたりして)
フランソワーズの独白で、「あなた」はもちろんジョーくん。
ちなみに、オンディーヌとは、人間の男に恋をして、それゆえに人間のココロを持ってしまった水の精のこと。
彼女は彼を愛することによって、人間以上に人間らしい(?)純粋で美しいココロの持ち主…になったのだが。
逆に、それゆえ、不幸になっていく。
本当の人間は、彼女ほど美しいココロを持ってはいないから。
結局、彼女は恋人(夫)に裏切られ…物語は悲劇へと進んだりするわけだが。
…いや、ジョーくんの浮気(?)を問題にしてるわけじゃなくて(笑)
フランソワーズは普通の女なんだけど…
心の中にはひっそり「オンディーヌ」がいる…というか、それって女なら、誰でもそうなのかもしれないのだけど…
静かな公園でのデート。
穏やかな時間。
でも、彼女は「こんなさびしい愛しかた」と言う。
「にんげんは」という。
人間であることをやめるわけにはいかないのだから、そのさびしさに彼女は黙って向き合っている。
おみくじを、二人は一枚ずつ引く。
自分の運命は自分だけのもの。
たとえ、最愛の恋人同士であっても、一つの運命を二人で分け合うことはできない。
そして、おみくじは、二枚とも凶…だった。
二人の行く手に、どうも明るいモノは見えない。
ジョーくんはそれを知らない。
フランソワーズは知っている。
知っているけど…
きっと彼女はジョーくんの傍を離れられない。
そんな感じがした…のだと思う。大昔のことだから、記憶はあやふや。
超銀だったら(笑)
ジョーくんとの愛をかたちあるものにしようとしたタマラ(&ジョーくん)は罰せられる。
…みたいな(笑)
一方、かたちなき愛が失われることを、フランソワーズはわかっていて。
でも、それをかたちあるものにしようとは、しない。
その先に絶望しかないのもわかっているから。
じゃ、どうすればいいのか????
…については、今でもよくわからない。
でも、彼女は、「だから愛さない」とは言わない。
これからも言わないだろう。
こんなさびしい愛しかた…と知りつつ、彼女は静かにジョーくんと水辺を歩く。
ジョーくんを好きになった女の子は大抵死ぬことになっている(笑)
それは、彼女たちがただ「女」だからだと思う。
純粋な「女」。
オンディーヌそのもの…かもしれない。
フランソワーズは死なない。
彼女は、むしろオンディーヌから恋人を奪う人間の女(笑)の立場に近い。
でも…
彼女は自分の中にオンディーヌの声を聞く。
聞きながら、ジョーくんと水辺を歩く。
「オンディーヌ」の第一番目。
水
わたしのなかにいつも流れるつめたいあなた
純粋とはこの世でひとつの病気です
愛を併発してそれは重くなる
だから
あなたはもうひとりのあなたを
病気のオンディーヌをさがせばよかった
ハンスたちはあなたを抱きながら
いつもよそ見をする
ゆるさないのが あなたの純粋
もっとやさしくなって
ゆるさうとさへしたのが
あなたの堕落
あなたの愛
愛は堕落なのかしら いつも
水のなかの水のやうに充ちたりて
透明なしづかないのちであったものが
冒され 乱され 濁される
それが にんげんのドラマのはじまり
破局にむかっての出発でした
にんげんたちはあなたより重い靴をはいてゐる
靴があなたに重すぎたのは だれのせゐでもない
さびしいなんて
はじめから あたりまえだった
ふたつの孤独の接点が
スパークして
とびのくやうに
ふたつの孤独を完成する
決して他の方法ではなされないほど
完全に
うつくしく
私は後期009に親しんだ方なので…
003&009も後期の方がしっくりくる。
後期の二人…ってのはとっても妙。
そりゃもう…やめろっていうほど仲良し…っていうか、安定している。
ジョーくんにとって、フランちゃんは間違いなく唯一無二の女性なんだと思う。
…と思う、のに。
そういう描写は…ないのだ。
あるのは、たま〜に出てくるジョーくんのモノローグ。(笑)
それから…さりげないカット(笑)
二人の間にあるのは…愛、だと私は思う。
でも、それは描かれない。
愛は堕落でもあるから。
物語では描かれない。描いてもしょうがない。
だから…ジョーくんは、「女」を外に求めるしかないのだ。
いやその、ジョー君自身が求めてるんじゃなくて、物語が求めるのだけど。
亜時空間漂流民のお話は…久しぶりの連載だったから(?)物語が微かに動こうとしていたと思う。
イキナリ、フランちゃん誘拐っ!(笑)
…でも、いっくらフィリップや大渦巻きが揺さぶろうとしても(笑)動かなかったのだ。この二人の安定した「愛」は。
これじゃ…話にならない(笑)
それで、仕方なく田代ミーとかが出てくる。(笑)
後期の003はつまらない女だ…という説もよく聞く。
つまらない…のはわかる。
これじゃ、つまらない。(笑)
でも…
でも、私は思うのだ。
003は、やっぱりココロにオンディーヌを持っている。
なぜそう思うのか…(悩)
科白や振るまいから、というより…石森さんの絵なのかな〜???
あの、儚げな夢見るようなマナザシ。
あれは…やっぱりタダモノではない。
そう思って見ると、あの良妻賢母ぶり、安定ぶりが…ちょっとコワイというか痛々しいというか。
あの彼女のココロで、オンディーヌが絶えず悲鳴を上げているのなら。
ヨミ篇ラストで号泣したフランソワーズ。
あれだけが、ホントのフランソワーズだ…と私は思う。
後にも先にも。
泣いたり笑ったり怒ったり…する可愛いヒロインでもなく。
しっとり穏やかに落着いた永遠の母親像でもなく。
ホントのフランソワーズは、その奥にいる。
絶えず泣き叫び、出口を求めながら、ココロの奥底に隠されている。
いつか、ジョーくんを本当に愛するために。
本当に愛すれば、自らは(そしてジョーくんも)一瞬で消えてしまう。
そんなオンディーヌの悲鳴を聞きながら、彼女は今日も静かに水辺を歩いている。
影のように、ジョーくんに寄り添って。
本文引用は「現代詩文庫56 吉原幸子詩集」(思潮社)より
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