良い天気だった。
球技大会の進行や審判は生徒がすることになっている。
高等部はそれでちゃんと進むので、教員の出る幕はないのだけど。
中等部だと、そうもいかないみたい。
私は体育館のバスケットコートに配置されていた。
グレート先生が、日焼けの心配がないように、と配慮してくれたらしい。
ただ見ているだけで何もしていないのだけど、先生がいる…というだけで、無法なプレーをしたり、審判に逆らったり…という生徒が激減するのだそうだ。
予想していたとおり…1年生は、上級生に全く歯が立たなかった。
バスケットボールでは、うちのクラスも含めて、あっという間に全敗。
ずるいわよ!あんなに背が違うんだものっ!
怒る私に、上級生達は苦笑していた。
午前の部が終わりに近づいていた。
準決勝からは午後になる。
全てのチームが敗退したクラスは、お弁当を食べたら下校していいことになっている。
うちも下校だな…
と、ぼんやり思っていたら。
いきなり、突き飛ばされるように肩を叩かれた。
ハ…ハインリヒ先生…?
物凄い形相。
ハインリヒ先生はものも言わず、私の腕をつかんで、ひきずるようにして走り出した。
あ、あの…先生?
呆然と私たちを見ていた、バスケット担当の先生達は、ぶんぶんっ…と首を縦に振り、きびしい表情で「とにかく早く行け」と目配せした。
ま…さか…誰か、怪我でも…?
ハインリヒ先生…!何が、あったんですか?…ハインリヒ先生!!
一気に走り着いたのは…サッカーコート。
ハインリヒ先生が急に立ち止まったので、私は思いきり彼の背中にぶつかってしまった。
…ぅぬぉおおおお〜〜っっ!!!!
背中に押し当てた状態になっている額から、異様な振動が伝わった。
地の底からわきあがってくるようなうなり声…まさか。
ハインリヒ先生が…吼えてる〜〜???
よぉおおおしっ!!!そこだっ!!!!
いっけええええっ!!!!
おそるおそる彼の背中から、コートを覗いてみると…
アポロンのパスを受けたジェットが、今、まさにゴールを決めようとしているところで。
…ジェット!!
思わず叫んだ瞬間、ジェットは鋭くボールをけり出していた。
ボールは一直線にゴールへ向かい、飛びつこうとしたキーパーの両手をすりぬけ…
ゴールポストに凄まじい勢いで当たった。
…ホイッスル。
悲鳴と歓声。
わけがわからず立ちすくむ私の前で、ハインリヒ先生ががっくり座り込み、拳で地面を叩いた。
コートでは…
何か叫びながら、ジェットとアポロンが仰向けに寝ころんでいる。
…負けたらしい。
これに勝てば準決勝だったんだ…!あいつらなら、優勝もありうるかと思っていたのに…
悔しそうにハインリヒ先生は言った。
やがて。
ジョーや他の生徒たちに支えられるようにして、選手達が帰ってきた。
先生〜!負けちゃったよ〜〜!
う…うん。
そうみたい…ね。
ジェットがかみつくような勢いで尋ねてくる。
先生っ!俺のシュート、見たか???
見たわ…惜しかったのね…
そうじゃなくて!!俺様が決めた超ミラクルシュート、見てくれたかよ???
…え、ええと。
ごめん…私、今来たところなのよ…
ジェットは目を見開いた。
だぁああ〜〜っ!
マジかよ〜〜?なんで負けたところだけ見るわけ???
ご、ごめんなさい。
興奮さめやらぬ生徒達が校舎に引き上げるのを見送りながら、ジョーに声をかけた。
ジョー…みんながご飯食べて、着替え終って…学活ができるようになったら、職員室に呼びにきてね。
ジョーはきょとん、とした。
午後の…試合は?
午後…?
みんな、帰っちゃうんですか…?
心細げに、訴えるように見つめられ、私は何度も瞬きした。
で…でも、もう試合は…
言いかけて、ハッと気づいた。
ドッジボール…勝ってるの?
ジョーはうなずいた。
一時から、準決勝だって…言われました。
えええええええええ〜〜っ????
※※※※※※※※※※※※※※
午後の仕事は免除された。
応援のために。
1年生が準決勝進出というのは…特に男子では異例のことのようで。
…でも。
この大事なときに、仕事なんかしている場合かっ!!!!
と力説するハインリヒ先生を誰も止められなかっただけ…なのかもしれない。
4組は、全敗して…学活ももう終っているのだけど…生徒達はみんな3組の応援のために残っていた。
たぶん、担任の勢いにつられたんだと思う。
試合が始まった。
…と、みるみるうちに、うちの子たちは次々とボールをぶつけられ、外野に出されていった。
内野に残ったのは…二人。
あららら…
とつぶやいた私に気づき、ハインリヒ先生はにやっと笑った。
まぁ、見てろよ、アルヌール先生…
ここからが面白いんだからな。
…たしかに。
内野に残ったのは、ジョーと…クラスで一番小柄な生徒だけ。なのに。
当たらない。
どーしても当たらない。
二人はくるくるコートをかけずり回り、ボールをかいくぐって…
やがて。
ふらっと高く上がったボールにジョーが飛びついて奪い取った。
それから…何が起こったのやら。
とにかく、ボールは、外野にわんさといるウチの子たちの手から手へ細かくパスされ続けた。
ボールの動きにつれて、逃げまどう相手の内野陣。
ふっとバランスを崩した子を逃すことなく、ハッとするほど鋭いボールが襲う。
一人…二人…三人。
とどめのボールを投げつけるのと、相手からボールを奪うのは、ほとんどジョーだった。
…あっという間に、最後の一人がジョーの標的になり…
勝った。
物凄い歓声。
私は、ハインリヒ先生に、歯の根が合わなくなるくらい、めちゃめちゃに揺すぶられていた…らしい。
…それからのことは、よく覚えていない。
決勝戦の相手は…ふた回りは大きく見える3年生だった。
パワーもスタミナも違いすぎる。
ついに内野に一人きりになったジョー。
…でも。
相手だって、あと二人。
大歓声がコートを包んでいたはずだったけど…何も聞こえていなかったような気がする。
私はただ、ジョーの髪の先からしたたり落ちる汗の音と、烈しい息づかいだけを聞いていた。
外野からの攻撃を避けたジョーの足が、僅かにもつれた。
バランスを失いかけたジョーに、敵の内野が至近距離から、力一杯ボールを投げつける。
息が止まりそうになった。
ジョーは体勢を直しながらボールを受け止め、すぐさま、相手が防御の構えをとる余裕も与えず、鋭く刺し返す…!
…はずだった。
けれど。
ジョーにボールを投げつけた上級生は、勢い余って、肩から地面にたたきつけられるように転がった。
私は、悲鳴を上げていた…のかもしれない。
だめっ!ジョー!!!
ジョーは…相手が倒れるのを見た。
茶色の眼に、わずかに、躊躇する色が浮かんだ…次の瞬間。
ボールは、ジョーの指を弾いて、コートの外に飛んだ。
…ホイッスル。
職員室でぼんやりしている私を、アポロンが呼びに来た。
ジョーは、保健室にいる…のだという。
突き指して。
とにかく、学活をはじめて…
生徒達をねぎらい、クッキーを配った。
…大歓声。
なんだか、申し訳ないくらい。
生徒を下校させ、私は保健室に向かった。
ジョーにとっておいたクッキーを3枚、わら半紙に包んで。
あ。先生…!
包帯をぐるぐる巻いた指を嬉しそうに振りながら、ジョーが笑った。
痛くない…?大丈夫なの?
さあ…どうかしらね?
養護の先生は苦笑した。
少し腫れてるみたいだから…一応お医者さんに行っておいた方がいいと思うわ。
目を丸くする私に、ジョーは首を振った。
大丈夫だよ、先生…!
たしかに、我慢強いわね、偉い偉い…でも、これは命令です。必ず行くのよ。
…アルヌール先生、冷たいお茶でもどう?
養護の先生は、麦茶を二人分入れてくれた。
飲み干し、ふうっと息をつく。
…声が…でにくい。
首をかしげている私に、ジョーは笑った。
だって、アルヌール先生、すっごい声で応援してるんだもん。こわかったなぁ…!
そ…そんなことないわ…ちょっと…ハインリヒ先生につられて…
ハインリヒ先生の声なんて消されてたよ!
まさか…!
と言いかけて、クッキーのことを思い出した。
これ…少しだけど、今日のご褒美よ。
包みをかさこそ開き、ジョーは驚いた顔になった。
先生が…作ったの?
うん…ちょうどいいわ、今食べれば…
ジョーは麦茶を一気に飲み干して、包みをポケットに押し込み…立ち上がった。
後で、食べる…ありがとう、先生…失礼しました!
…ジョー!お医者さん、行くのよっ!!!
養護の先生と同時に叫んでいた。
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