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学級経営日記

Tuesday, 28 May,2002
成績表
中間テストの採点・集計が終った。
 
ハインリヒ先生が作った成績表のカードも刷り上がって、今日、生徒達にコンピューターから打ち出した個人成績と一緒に配れるようになった。
 
成績表というのは…今年1年間のあらゆるテストの点数・学年順位・偏差値を記録するためのカードで…生徒はいちいち自分でデータを記入する。
 
ほんとはコンピューターで、累計の記録もそのグラフ化も簡単に打ち出せるんだけど…
自分で自分の進歩を少しでも実感する、という目的で、生徒による記入にこだわる…らしい。
 
と言っても、ハインリヒ先生はちょっとうんざりした顔で成績表のカードを作っていた。
 
こんなこと、あまり意味はないんだが…あいつらは結構楽しみにしてるからな。
 
そうなのよね〜
 
でも。
高等部でも似たようなことをしているから、勝手は知っているんだけど。
 
この記入を…あの子たちにキチンとやらせるのは…大変そう。
ううん、女子は大丈夫だけど…男子。
 
ジョーの顔が真っ先にアタマに浮かんだ。
 
ダメよ、ここでくじけたら。
まだ何も始まってないのに。
 
 
予想したとおり…
成績表のカードと、個人成績を配ったとたん、教室は大騒ぎになった。
 
何とか生徒を席につかせて、説明した。
 
カードの指定されたところに、データを書き込んでいく。
それから、グラフに点を入れる。
グラフ化するのは、総合偏差値。
 
偏差値だって言ってるのに、何度も何度も言ってるのに…!
 
見回ると、順位や点数をグラフに記入してる生徒が何人かいる。
 
あちこち見回ってから、最後にジョーのところに行く。
トロいから…この子。
 
ジョーはぼーっとうつむいたまま、成績カードに目を落としていた。
いやな予感…でも。
 
カードの記入は全部キチンとできていた。
 
あ…よかった。
 
思わず声が出てしまった。
ジョーはぼんやり私を見上げ、ちょっと考えてから不満そうな顔になった。
 
先生…どうせ、僕が何か間違えると思ってたんだ。
 
う…うん。
 
ちょっとどぎまぎしながら、私はジョーのカードをのぞいた。
順位は中の上くらい。
 
どう…?思っていたより良かった?悪かった?
 
…わからない。
 
そう…よね。
でも。
なんだか沈んでいるのが気になる。
 
アルヌール先生。
これ…親に見せなくちゃいけないんだよね?
 
そうよ…ここにハンコ押してもらって、それから、ここにちょっとコメント書いてもらうのよ。
 
ハンコだけじゃ…だめ?
 
あっと思った。
そう…よね。
…でも。
 
叔父さま、お忙しい…かしら?
 
ジョーは黙ってうなずいた。
 
でもね、そしたら「見ました」だけでもいいから書いてもらえないかしら?
 
どうして…そんなこと…
 
これを見てください、感想を書いてください…って、あなたがお願いすることも大切だからよ。
 
ジョーは黙り込んだ。
…どうしよう。
 
でも…ジョー、もし難しいなら…
 
私は…困った顔をしていたのかもしれない。
ジョーは私をじっと見上げて…微かに微笑んだ。
 
大丈夫。
書いてもらってくる。
 
返事ができなかった。
ジョーはまた笑った。
 
ごめんね、アルヌール先生。
Thursday, 30 May,2002
遠足
晴れていてよかった。
 
真夏日かと思うくらい暑かったけど…
生徒達はさすがに元気だった。
でも…すごくよく水を飲みたがる。
 
持ってきた水筒は午前中のうちに、すっかり空になってしまったみたい。
 
お昼のレストランで、私は何度も何度も厨房とテーブルを行ったり来たりして、氷水のピッチャーを運んだ。
とてもじゃないけど、お店の人だけでは人数が足りないし、かといって生徒達に取りに行かせると…いろんなものを落としたり壊したりしそうで。
 
みんな、楽しそうに食べている。
アポロンが、完璧なテーブルマナーを披露して、ジェットに何か言っている。
ジェットが大声を出して…それをジョーが笑いながらとどめて…
 
そのうち、女の子達が、がやがやし始めた。
多すぎる食べ物を男の子の皿に分けてあげて…というか押し付けようとしている。
 
ジェットとアポロンとジョーが集中的に狙われている…ようだった。
 
午後は、広い芝生の広場。
ゴムまりでクラスレク。
 
ピンクのまりを見て、絶叫したくせに、ジェットは、いつの間にか先頭きってはしゃぎまくっている。
 
先生も入りなよ!
 
ジョーが笑いながら呼んだ。
そうだそうだ、と歓声があがる。
しかたなく輪の中に入った…途端。
 
きゃああああああっ!!!!
 
叫びっぱなしだった。
だって…集中砲火。
大喝采。
 
こうなるって…わかっていたけど…
 
仕事柄、動くのは苦手じゃないけど。
この子達全員を相手にじゃ…長続きしない。
逃げまどっているうちに、足がふっともつれて…思いっきり転んでしまった。
瞬間、ゴムまりが二つ、ほとんど同時に、したたかに私の背中と頭にぶつけられた。
 
女子の悲鳴。
 
ひっっどいっ!!!アンタたち、サイテーっ!!!
 
アルヌール先生…大丈夫ですか?
 
シンシアとヘレンが両脇から手を貸してくれた。
 
だ、大丈夫…ああ、やっぱりダメね…もうオバさんだから…
 
まりを投げつけたのは…ジェットとアポロンだった。二人とも突っ立ったまま、目を丸くしてこっちを見ている。
 
笑いながら、大丈夫よぉ、と手を振ったら、二人は
 
おめーが悪いんだろっ!
 
と、はしゃぎながら、どつきあいを始めた。
そろそろ、いいかな…
 
私は、戦線を離れてベンチに戻ると…リュックを開けて、もってきた包みをシンシアとヘレンに渡した。
 
はい…約束の…お菓子。
マドレーヌ、作ってきたわ。
 
二人は歓声を上げた。
 
女子だけに…ですよね、先生?
 
一応、そういう「女同士の約束」をしていた。
なんというか…なりゆきで。
 
そう…でも、数はたくさんあるから、男子に分けてあげてもいいのよ。
 
シンシアは口を尖らせた。
 
あ〜んな乱暴な人たちになんかあげなくたっていいわよっ!
 
ヘレンは優しく笑っていた。
 
お菓子の箱をもって駆け出した二人を見送ってから、私はそうっとスカートの裾を持ち上げた。
やっぱり、ひざをすりむいている。
また兄さんに、コドモみたいに暴れてきたな…って言われちゃうわ。
 
救急箱を引き寄せて、簡単に消毒していると…ジョーが走ってきた。
 
アルヌール先生…!怪我したの?
 
うん…これだけよ、ほら…大丈夫。
もうボール遊びはやめたの?
 
鬼ごっこしてるんだ…先生は…無理?
 
そうねえ…
 
ジョーのポケットから何かがはみ出している。
セロファンに包んだお菓子。
 
私の視線に気づき、ジョーはにこにこした。
 
ヘレンにもらったんだけど…先生が作ったんだよね?
 
…あら。
 
男の子みんなに配ったんじゃないの?
 
女子だけだって…女同士の約束だって言ってたよ。
 
だったらどうしてあなたが…って、そう…か。ふふ、ヘレンったら…!
 
くすくす笑う私に、ジョーはちょっと眉を寄せ、また駆け出していった。
 
 
遊び疲れた…というのが一番ぴったりくるコトバだと思う。
そんな状態で、私たちはホームで学校へ帰る電車を待っていた。
風が強くなってきている。
 
突然、悲鳴が上がった。
何…?!
 
先生!島村君がっ!!
 
ヘレンが叫ぶ。
慌てて駆け寄ると…
 
線路から、ジョーがホームによじ登ろうとしているところだった。
片手に、ハンカチを持っている。
 
電車は?!
 
あと3分…駅員に知らせろっ!!
 
グレート先生とハインリヒ先生の声が聞こえる。
…でも。
足が動かなかった。
 
ジョーはすばしっこくホームに戻った。
歓声と拍手が上がる。
途端に、グレート先生の怒号が飛んだ。
 
走っていきかけたハインリヒ先生が立ち止まり…駆け戻ってくると、ジョーを捕まえ、無言で頬を張り飛ばした。
 
私は…動けなかった。
 
電車が、ホームに滑り込んでくる。
 
 
車内は…しん、としていた。
ぼんやり手すりによりかかっている私のところへ、ハインリヒ先生が近づいてきた。
 
頬を腫らしたジョーを私の前に突き出す。
 
ほら…島村!
 
ジョーはうつむいている。
 
何か言わなくちゃいけない。
まず叱らなくちゃ。
ううん、それより前に、この子の言い分も聞いてあげなくちゃいけない。
そうよ…電車がくるかもしれない線路にとびおりるなんて…そんなことしちゃいけないってわかっているはずなんだから…だから…
 
考えがまとまらない。
電車の振動が足から伝わってくる。
重い…車輪のきしみ。
 
窓からの夕陽を受けて、ジョーの髪が淡い金茶色に光っている。
 
そっと手を伸ばすと…ジョーはびくっと首をすくめた。
柔らかい…髪。
 
あ…!
 
ハッと気づいたときは…遅かった。
視界がぼやっと霞んで…涙がこぼれた。
 
アルヌール先生…?
 
ジョーの慌てた声。
ハインリヒ先生がくるっと向こうをむいて…4組の生徒の方に行くのが見える。
 
でも。
止まらない。
 
先生…先生、泣かないでよ…ごめん…ごめんなさい…アルヌール先生…!
 
ジョーも半分泣き声になってる。
 
ダメよ…ダメじゃない、これじゃ…
教育にも何にもなってないわ。
 
 
学校に戻り、生徒を解散させてから…ジョーに事情を聞いた。
 
風で飛んだシンシアのハンカチを取りに行った…のだという。
電車はまだ来ないとわかっていたから。
 
そういう問題じゃないんだぞ、ジョー。
 
ジョーは顔をごしごし手でこすりながら、グレート先生にうなずいた。
 
後は担任から注意を…と言われ、私とジョーだけが指導室に残った。
 
もう…しないわよね、ジョー。
 
うなずく。
 
線路だけじゃないわ…道路もダメなのよ。
 
うなずく。
 
ハンカチより…ううん、どんなものより、あなたが一番大事なの。だから…
 
うなずく。
 
…もう何も言うことがない。
ジョーがふと顔を上げた。
 
でも…大丈夫なんだよ、先生。
 
…え?
 
僕は、大丈夫だから。
心配しないで。
 
あの…だから、ジョー…?
 
…全身から力が抜けていくような感じ。
私は、かろうじて微笑んだ。
 
もう…いいわよね。無事だったんだもの。
帰って、ご飯食べて、ゆっくり休みましょう。
 
うん…先生も、怪我治さないとね。
跡になっちゃうよ。
 
…………。
 
すたすた校門を出て行くジョーを見送り、大きなため息をついた。
 
まあ、いいわ…また、明日ね…!
Monday, 3 June,2002
面接(1)
6月は個人面接月間。
 
休み時間や放課後を使って、クラス全員の子たちと面接をする。
面接…といっても、私の場合、ただの雑談になってしまいがちなんだけど…
 
時間は、一人につき10〜15分。
でも、これはあくまで目安で…長い先生もいれば、短い先生もいる。
 
ハインリヒ先生は…面接が長いので有名。
一人につき1時間は軽くかかる。
何を、そんなに話しているのかしら?
 
そうなの。
実のところ、今回は何を話すか…っていうのが大問題。
 
まだ進路の話なんて早すぎるし。
部活や友人関係の話をするしかないのだけど…
正直、話がいまひとつわからないのよね〜
 
初日の一人目はシンシア。
彼女は元気にしゃべってくれるから、助かる。
 
話題は主に男子の悪口。
勉強のことや部活のことに水をむけても…結局話はそっちに転がってしまう。
 
自習のときなんて、ホントにうるさいんです…特にジェット…!副委員長のくせに…先生がいないとすぐ…
 
困ったわね…静かにして…って、言ってみたら?
 
そんなこと…!コワくて言えません!
 
…コワイ…?
 
よくわからない。
こんなに元気にしゃべる威勢のいい女の子なのに…味方だっていっぱいいる。
 
どうしてコワイの…?あなたたちがホンキだしたら、あの子なんてひとたまりも…
 
だって…背が高いし…力だって強そう…
 
まあ!もしかして、ぶたれた子とか、いるの?
 
まさか…!
 
シンシアは真顔で首を振った。
 
なんだ…びっくりした。ふふ、もしかしたら向こうもアナタたちのこと、コワイと思ってるんじゃない?
 
もう〜!先生、マジメに考えてくださいっ!ジョーに言っても全然ダメなんだもん〜
 
ジョー…に…?
 
あのヒト、委員長でしょう?何とかしてよって言ったんだけど…
 
一緒になって騒いでるの?
 
…そうじゃ…ないけど…全然使えないの〜!どうしてあんなのが委員長なんだろう〜?
 
えっと。
 
思い切りうなずきそうになって、私は慌てた。あの子に委員長をふったのはもともと私…
 
う〜ん…やっぱり、来学期は女の子が委員長の方がいいかな〜?
 
思わずつぶやくと、シンシアは目を丸くして、勢いよく首を振った。
 
やだ…っ!!そんなの絶対ダメっ!!!あいつら、女子の言うことなんかきかないもん…ジョーの方がまだマシですっ!
 
…わかるようなわからないような。
 
シンシアのあと、面接した女子3人にも、さりげなくウチの委員長について聞いてみた。
 
3人ともシンシアと同じことを言った。
 
言われてみれば…私もそう思っているのかも。
ジョーのことはともかくとして…
ジェットをちょっとシメておく必要はありそうね。
Thursday, 6 June,2002
イシュキック
今日の面接は、ヘレン。
 
彼女には、聞いてみたいことがあった。
 
…イシュキック。
 
ほとんどしゃべらない、おとなしい女の子で…
いつも、自分の席に座ったまま。
 
お弁当のときも。
 
それに気づいたのは…ヘレンが風邪で休んだとき。
イシュキックは、一人で自分の席でお弁当を食べていた。
 
気をつけて見ていると、お弁当のときはいつもヘレンが席を立って、イシュキックに声をかける。
そうすると、イシュキックは立ち上がり、ヘレンのいる女の子グループに混ざる。
 
なんだか、嫌な予感。
…でも…どう聞いたらいいかしら…
 
迷うことは…なかった。
ヘレンは、面接の席に座るなり、私をまじめな目で見つめて、言った。
 
先生…イシュキックが心配です
 
ヘレンの話だと…やはり、彼女には友達がいないらしい。
彼女はめったに口を開かない。
 
このごろ、男子が彼女をからかうようになった、とヘレンは言う。
からかわれても、イシュキックは表情ひとつ変えないのだけど。
 
からかわれたときの一つの対処方は「相手にしない」ということ。
でも、間が悪いと逆効果になる。
 
風貌が他の生徒より少し大人びていることもあって、イシュキックは、「俺たちをシカトしている」「気味悪い」と陰口をきかれるようになってきて…
 
私、心配です。
 
…ヘレンはうつむき、小さく言った。
…たしかに。
 
こういうことは、早いウチに…というのが、グレート先生の口癖で。
 
とにかく、なんとかしなくちゃ。
Friday, 7 June,2002
約束
登校時間よりまだずっと前なのに…
なんだか廊下がすごく騒がしい。
 
ハインリヒ先生と様子を見にいったら、男子トイレの前に人だかりができていた。
生徒をかきわけ、中に入ってみると…
個室の一つがものすごいコトになっている。床から壁から。
 
な…んだ、コレは…?
 
すさまじい臭気。
後ろでは、興奮しきった男子生徒たちがわあわあ言っている。
 
イタズラかよ?
くっせぇ〜〜!!
誰?…誰がやったんだって?
 
ハッとした。
トイレ掃除の当番生徒を呼ぼうとしていたハインリヒ先生の腕をつかんで、私は短く言った。
 
ダメです、先生…!私たちがやりましょう。
 
ハインリヒ先生は、あっ、と小さく声をあげた。
 
そうだった…ありがとう、アルヌール先生。
 
ハインリヒ先生はさっと振り返り、厳しい声で生徒達を追い払った。
二人で黙々と掃除する。
 
どういう…こと…かしら?
 
たぶん…間に合わなかったんだろうな…先生、そこはもういい…ちょっとどいてろ。
 
ハインリヒ先生は注意深く、個室の壁を洗い流した。
 
見ると、隣の個室にも、少し汚れがある。
 
これは…こっちで…この中で、下着を洗ったのかしら?
 
…たぶんな。とりあえず保健室に行ってみるか…そこにいてくれればいいんだが。
 
ため息が出る。
誰、なんだろう?……かわいそうに。
 
とにかく、ホームルーム前にカタをつけないと。
場合によってはこっそり家に帰した方がいい。親に迎えにきてもらって。
 
ハインリヒ先生は緊張した表情で言った。
 
イシュキックのことを話したばかりだったから。どうしても考えずにはいられない。
 
学校で、お腹を下して、粗相して。
それをネタに、おおっぴらに苛める生徒なんて、そうはいないだろうけど…
でも、どんなにつらかっただろう。大丈夫かしら?
 
保健室にかけこんだ私たちを、養護の先生が目を丸くして迎えた。
 
どうしたの…?
 
あ、あの…1年生の男子が腹痛で来たりしませんでしたか?
 
養護の先生は、ああ、とうなずいた。
 
もう、親が来て、連れて帰ったわよ。
 
…え?
 
登校途中にお腹が痛くなって、なんとかトイレまではたどりついたけど、下着を汚してしまったんですって…カラダの方は大丈夫だけど、かなりめげて、泣いてたし…教室に戻して騒ぎになるのもちょっと…でしょ?運良く、すぐ親と連絡がとれたから。
 
私とハインリヒ先生は顔を見合わせた。
生徒は、4組のおとなしい男子だった。
 
で、先生たち…誰に聞いてココに来たの?
 
いえ…トイレがちょっとヒドイ状態だったんで…
 
ハインリヒ先生の説明に、養護の先生は首をかしげた。
 
あら、そんなヒドイ様子には見えなかったけど…もっとも、ジャージに着替えてたから…あぁ、それでゴミ袋なんて使ったのね、ジョー…
 
…ゴミ袋?
 
…ジョー?
 
ハインリヒ先生と私は同時に聞き返した。
養護の先生は首をすくめた。
 
しまった…やっちゃった、約束したのに…
ま、ハインリヒ先生には言うわよって言ったから、いいか。
 
泣きじゃくるその生徒を保健室に連れてきたのは、ジョーだった。彼のカバンを持ってやり、制服の入ったゴミ袋を持って。
 
事情を聞き、下着の替えを出してやり、親に連絡を取り…と彼女がばたばた駆け回っている間中、ジョーは黙って彼と一緒に座っていた。
 
で、約束…させられたのよ。ジョーに。
…このことは、誰にも言わない…って。
わかってるのね、あの子。
見かけよりオトナだわ。
 
…そう…ですか。とにかく…助かりました。
 
ハインリヒ先生はほっと息をついた。
 
誰にも言わない、先生にも。ハインリヒ先生は担任だし、信頼できるから…ってやっと言い含めたのよ。
だから、アルヌール先生…悪いけど、お願いね。聞かなかったことにして。
 
…は、はい。
 
あの子、相当頑固よ。一度信用できないって思われたら、後が大変そう。
 
養護の先生は笑った。
 
ホームルームにいくと、ジョーは、いつもと同じようにぼうっとした顔で席についていた。
 
パニックになって泣いている子に気づいて、声をかけて宥めて、個室をあけさせて、ジャージを持ってきて、着替えさせて。
それで隣の便器の中で下着をざっと洗ってやって、汚れた制服も教室からもっていきたゴミ袋に詰め込んで。カバンをもってあげて、こっそり保健室に連れてくる。
…誰にも言わず、騒がず、素早く。
 
この子が…ホントにそんなことを…?
 
3時間目は空き時間だった。
廊下から校庭を何気なく見ると…隅っこにジョーがぽつん、と立っている。
何…してるのかしら?
体育の授業…のはずだけど。
どうして制服のままなのかしら。一人で。
 
校庭におりていくと、ピュンマ先生がジョーを連れてどこかに行こうとしていた。
 
あ…あの。
 
ピュンマ先生は私に気づき、苦笑いした。
 
コイツ、ジャージを忘れたんですよ。だから、ペナルティの溝掃除をさせに…ね。
 
ジャージ…を?
 
ジョーがふっと顔を上げ、私を見た。
 
…あ。
 
声が、出ない。
立ちすくむ私を見て、ピュンマ先生はまた笑い、軽くジョーの頭を突っついた。
 
ホラ…!アルヌール先生が呆れてるぞ!お前、いつもぼんやりしてるから…
 
探るように私を見つめていたジョーを、ピュンマ先生はうながし、スコップを渡した。
 
じゃ…あっちの端から端までな…しっかりやるんだよ。
 
私は慌てて二人に背を向け、早足で職員室へ向かった。
何か言うと、涙が出そうだった。
Monday, 10 June,2002
面接(2)
今日の面接は…イシュキック。
 
いろいろ聞いてみたいことがあった。
話してくれるかどうかわからなかったけど…
 
先週は、なるべく教室にいるように気をつけていた。
イシュキックの周囲に目を配って…
 
たしかに…何か変だった。
でも…その場で捕まえて、叱り飛ばせるようなことは、誰もしていない。
 
たとえば。
イシュキックの傍を通り過ぎるとき、ちらっと彼女に視線を送る子がいる。
気にしていなければ、見過ごしてしまうような視線。
でも…もし、気にしているなら。
 
面接は当たり障りのない話題から入った。勉強のこととか…生活時間のこととか。
 
イシュキックは、聞かれたことには穏やかにきちんと答える。普段はほとんど口をきかない子だけど…
 
何か言いたそうな様子もない。
しかたないわ。こんな形で直接聞き出すのは…今はムリなのかも…
 
考え考え、どの子にも最後にしている質問をした。
 
何でもいいんだけど…今、何か困っていることはない?
 
イシュキックは少し視線をさまよわせ…微笑んで首を振った。
 
今は…ありません。
 
…今…は?
 
ハッとした。
 
今は…ってことは…前、何かあったの?
 
イシュキックはふと目を見開き、困ったようにうつむいた。
チャンスかもしれない。
 
あの…ね、あなたのことを心配している子が…いるの。
 
私はそれだけ言って、イシュキックをじっと見つめた。
イシュキックはハッと顔を上げた。
 
ジョー…?
 
…え?
今度は私が目を丸くした。
イシュキックは僅かに頬を染めている。
 
もう…大丈夫です。ヘレンも…助けてくれるし。心配しないで…って伝えてください。
 
伝えるって…ジョーに?
 
イシュキックはうなずいた。
何がなんだかわからなかったけれど…私は慌ただしく考えをめぐらせた。
 
それは…あなたが自分で言った方がいいわ、ジョーに。
 
…え?
 
あなたが心配だ…って、私に言っていたのは、ヘレンなの。でも…ジョーもあなたの味方だったのね…よかった。
 
イシュキックは私をじっと見つめながら、微かに笑った。
 
…たぶん、大丈夫。
 
何がどうなっているのかわからないけど…
クラスの中に、二人も彼女を心配している子がいて…それぞれ自分なりに行動してくれて…しかも、彼女もそのことをわかっているのだから…もう少し様子を見てみよう、と思った。
 
イシュキックを見送り、校舎を出たら…外はきれいな夕焼けだった。
 
そろそろ帰ろう。今日は兄さんの好きなチキンにしようかな…
 
なんてぼんやり考えながら、イシュキックの背中を見ていたのだけど。
あっと声を上げそうになった。
 
校門の陰から…ジョーが姿を現した。
立ち止まったイシュキックと何か言葉を交わしている。
やがて、二人は並んで歩き出した。
 
ジョーは部活に入っていない…から。
彼女を待ってた…ってことよね…あそこで。
なんだ…心配することなんて、なかったのかもしれないわ…
 
なんだか、気が抜けてしまった。
私はほっと息をついた。
 
アルヌール先生?
 
不意に肩をたたかれ、飛び上がってしまった。
エッカーマン先生が微笑んでいる。
 
どうか…したんですか?
 
え、ええ…ちょっと気になることがあったんですけど…でも、大丈夫みたい。
 
エッカーマン先生はちょっと首をかしげた。
 
アルヌール先生…もし、よかったら…これから一緒にごはん、食べていきませんか?
 
あ…ごめんなさい…私、兄に夕ごはんを作ってあげなくちゃいけないんです…
 
そうか…じゃ、お茶は?少しなら大丈夫でしょう?
気になることがなくなったお祝い、しませんか?
 
私は思わず吹き出した。
そうね、たまには…いいかも、そういうのも。
 
生徒が絶対来ない店を知ってるんですよ…じゃ、10分後に駐車場で!
 
エッカーマン先生は、私の返事もきかないで、カバンを取りに駆けていってしまった。
 
…でも。
生徒が絶対来ない店なんて…あるのかしら?
Wednesday, 12 June,2002
事故
中1の生徒は、とにかく走る。
走ってはダメ!といっても、どうしても走る。
 
去年は、何をするにも大儀そうにしか動かない高3をもっていたから…はじめは目が回りそうだった。
 
このごろは慣れたけど…
 
昼休み。
教室の様子を見に行こうと、階段を上がろうとした瞬間。
物凄い衝撃があった。
 
気がついたときには、冷たい廊下の上に横になっていて…
私の上にはジェットがいた。
 
先生…先生、大丈夫っ?!
 
ジョーの声が…ぼんやり聞こえる。
そうっと身を起こした。
ジェットも大きく目を見開いたまま、言葉がでてこない…という感じで。
 
大丈夫…ジェット、あなたは?
 
う、うん…ごめん、先生…
 
アポロンが説明する。
ジョーとジェットと3人で追いかけっこをしていて…捕まりそうになったジェットが、階段の半ばから一気に飛び降りて…
そして、急に廊下から曲がってきた私に着地してしまったらしい。
 
幸い…頭は打ってなかったし、ジェットにも怪我はない。
 
それで…
 
しょんぼりしている3人を見て、思いだした。
そうだわ…叱らなくちゃいけないんだわ。
 
私はゆっくり立ち上がって、3人に話した。
 
廊下を走ってはいけない、ということ。
こんな風にヒトにぶつかったりするし…
おいかけっこは校庭ですること。
 
3人は、口々に、はい、と答え、うつむいた。
そのままじーっとしている。
 
…え?
 
首をかしげている私を、ジェットがちらっと上目遣いに見て…自分の頭を指さした。
 
…たたけ…ってこと?
 
そうらしい。
体罰はウチでは御法度なんだけど…
 
でも、3人は並んで動かない。
 
私はため息をこっそりついてから、ぽん、ぽん、ぽん、と指先で3人の頭をつつくようにした。
 
いてっ!
 
ジェットが嬉しそうにつぶやく。
…嘘ばっかり。
 
はい、おしまい…!
これから、気をつけるのよ…わかったわね?
 
はいっ!すいませんでした、先生!
 
これから気をつけます!
 
ごめんね、先生…!
 
口々に言いながら、3人は駆け出した。
しばし、ぼーぜんとその背中を見送り…私は叫んでいた。
 
だからっ!!!
走るなって言ってるでしょうっ!!!!
Friday, 14 June,2002
今にも降りそうな空模様だった。
なんとか、雨が降り出す前に学校に着いた…のだけど。
 
朝のホームルームの最中、勢いよく教室の扉が開いた。
 
…ジェット…?!
 
ぐしょぬれになったその生き物は、ジェット…のように見えた。髪が赤いし。
 
私は、慌てて窓の外を見た。
いつのまにか…どしゃぶり。
 
ど…うしたの、ジェット…?
 
遅刻…しました。
 
…それは、わかってるわよ。
 
傘、持ってなかったの…?とにかく…
 
急いで冷房を止めた。正確にいうと「除湿」になっているのだけど…実際、あまり調整はきかないので、寒くなってしまいがち。
 
タオル…誰か、貸してあげられる?
 
数秒後、ばらばらとタオルがジェットに飛んだ。ジョーとアポロンとシンシアから。
 
お、サンキュ!
 
サンキュ!じゃなくて!!早く拭きなさい…それで、ジャージに着替えて…ああっ、座っちゃダメ!!椅子が…!
 
なんだよ〜、先生、俺より椅子の心配?
 
何言ってるの!大体、今日はどうしたの?こんな時間に…
 
だから…遅刻しました。
 
だからっ!それはわかってるわよっ!!
 
遅刻の原因は、寝坊だということで。
 
ホームルームの後、ぐしょぬれになった制服と下着を絞ってハンガーにかけさせようとしたけど…ジェットはどうにも不器用でダメ。
 
いいわ、私がするから。
 
とうとう、私はため息をついてジェットのシャツとズボンとパンツを引き取った。
 
流しのところで、ぎゅうぎゅう絞って、シャツを干そうとしたとき…
ふと衿と袖口の汚れに気づいた。
汚れ…というか。
こんなにヒドイのって、初めて見たわ。
 
この天気では…フツウに乾くはずないから…6時間めに家庭科室のアイロンを借りて乾かしてあげるしかない。
でも、こんな汚れたモノ、学校のアイロンに当てるわけには…
 
仕方なく、手洗いせっけんで、衿と袖口をごしごし洗う。
なんで私がこんなコト…っ!
 
帰りのホームルームで、ジェットに制服を渡した。
 
あれ?なんかヌルイ…
 
アイロンで乾かしたからよ。
 
先生が?
 
そう…!ありがとう、は?
 
ありがとう…ございます。
 
…よろしい。
 
掃除のときだった。
ぼんやりほうきを動かしていたジョーが、ふと首をかしげ、隣のジェットをまじまじと眺めた。
 
な、なんだよ、ジョー?
 
…なんか…匂いがする。せっけん?
 
ほんと〜?ほんと〜?と、掃除当番の生徒達がわらわら集まり、ジェットのシャツをくんくんかぎ始めた。
 
ほんとだ〜、せっけんだ〜!
 
だめだわ…掃除にならなくなっちゃった。
Tuesday, 18 June,2002
物真似
午後、うちのクラスの授業で、生物室を使う…つもりだったのが、使えなくなってしまった。
実験じゃないからいいんだけど…
 
ぶつぶつ言いながら、休み時間、教室に向かった。黒板に、教室に変更…と書くために。
 
戸口のトコロまで来たとき。
物凄い勢いで戸が開き、弾丸のようにジェットが飛び出してきた。
 
ジェットっ?!
 
怒鳴ろうとした瞬間、続けて血相変えて飛び出し、ジェットに続いたのは…
 
ハインリヒ先生…?!
 
呆然と立ちすくむ私の前を、さらに続いてジョー、アポロン、シンシア…その他10人近くの生徒が駆け抜けていった。
 
すごく……楽しそう…?
 
わけがわからず教室に入ると…生徒達はうきうきしている。
おとなしく座っているイシュキックに聞いてみた。
 
どう…したの?
 
イシュキックは静かに答えた。
 
ジェットが…物真似をしたんです。
 
物真似?誰の?
 
ハインリヒ先生のです。…それが、とても上手で。
 
そして。
激怒したハインリヒ先生がジェットを追いかけ、ジェットは逃げ…ジョーたちは二人を見物するため後を追った…ということらしい。
 
…何がなんだか。
 
教室変更のことを板書しながら、妙な気配に振り向くと、イシュキックが顔を伏せて肩をふるわせている。
 
一瞬どきっとした…けれど。
彼女は笑っていた。苦しそうに。
 
そんなに…面白かったの?
 
はい。
 
どんな物真似だったの…?
 
イシュキックは声を殺して笑いながら首を振った。
 
とても説明できません…私には。
 
 
職員室に戻ると、ハインリヒ先生はもう席に座っていた。
いつものように、脇目もふらず教材研究をしていて。
 
普段から声をかけやすいヒトじゃないけど。
今日はまた格別だわ。
 
私は、何があったか聞き出すのを諦めた。
 
帰りのホームルームの前、ジェットを捕まえた。
 
ねえ…ハインリヒ先生の物真似…私にも見せてくれる?
 
ジェットは目を丸くして、勢いよく首を振った。
 
ジェット…?
 
や、やだっ!二度とやらねえっ!!!
 
…やだわ。この子、怯えてるの?
 
首をかしげる私の肩を、ジョーが突っついた。
 
先生、もうダメなんだって。今度ハインリヒ先生に見つかったら…その…
 
ジョーは恐ろしそうに壁の向こうの4組をのぞくようにした。見えるわけないけど。
 
そう…そんなに怒ったの、先生…でも…一体、どんな物真似したの…?
 
途端に、ジョーの頬がぱあっと紅潮した。
近くにいたアポロンや他の生徒たち…身をすくめていたジェットまで、くすくす笑いはじめて、やがて…爆笑。
 
言えないよ…言えないよね、怒られるもん…!!
 
ジョーは涙まで浮かべて、息も絶え絶えになっている。
私は思わず叫んだ。
 
もうっ!ずるいわ、あなたたちだけっ!!
 
Thursday, 20 June,2002
芋苗
ジェロニモ先生に言われて、思いだした。
そうだわ。そろそろサツマイモの苗を植えなくちゃいけなかったんだわ。
 
ジェロニモ先生は正真正銘の生物の先生で、理科の教科主任。
今年は、高校の方をもっている。
 
ジェロニモ先生の温室では、もうサツマイモの苗が伸びまくっている。
そういえば、生徒会長のアルテミスたちが、有志でサツマイモ作りに参加する生徒を募っていたっけ…
 
土曜日辺りで…いいですか?
 
ジェロニモ先生は、黙ってうなずいた。
私はジェロニモ先生の「弟子」と言われている。
土いじりは嫌いじゃなかったから、着任してからずっと学校花壇と菜園の手伝いをしてきた。
 
はじめは何もわからなかったけど、ジェロニモ先生のおかげで、土作りのことや育苗や剪定や…いろいろなことを覚えた。
 
それでも、やっぱり身についてないのね…
よく、こうやって、ぼんやり作業の時期を逃しそうになってしまったりするんだから…
ほんと、危なかったわ。
 
早速、アルテミスに連絡する。
放課後、アルテミスが「サツマイモ作りチーム」の名簿を持ってきた。
 
生徒会本部役員で、力持ちのアトラスから始まって…高校生はいつものメンバーだった。
中学生は…
 
…え?
 
固まっている私に、アルテミスはああ、と微笑んだ。
 
驚かれましたか、アルヌール先生。
 
それは…驚くわよ。
中学生…ほとんどウチのクラスの子じゃない。
あの子たちからそんな話、全然聞いてなかったわっ!
顧問が私だって…知ってるはずなのに。
 
アポロンにジョーにジェットにシンシアにヘレンにビーナにイシュキック…まで?!
 
アルヌール先生は…慕われていらっしゃるんですね。
 
私は思わず、アルテミスの瞳をまじまじと見つめ返していた。
慕われてる…?
 
…絶対、違うと思う。
 
アルテミス…この子達に、苗の植え付けなんて…できると思う?
 
難しいことではないでしょう。もうアトラスが植え付けるばかりに畑を作りました。それに、ジェロニモ先生にご指導いただけるのですから…
 
もちろん…そうよね。心配いらないわ。
フツウなら。
 
黙ってため息をつく私をちょっと気遣わしげにのぞき、アルテミスは静かに言った。
 
一応、弟に言っておきます。
 
え?
何…を?
 
聞き返す前に、アルテミスはいつもの優雅な礼をして、立ち去ってしまった。
心配なんて…いらないわよね、そうよ。
 
……フツウなら。
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Last updated: 2007/10/21