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学級経営日記

Saturday, 22 June,2002
けんか
午後一時。
ジェロニモ先生の前で、なぜか思わず整列してしまった生徒達をその場に座らせる。
 
水の入ったバケツに、今切ったばかりの芋苗がぎっしり詰まっている。
 
それにしても…
さすがアトラス。こんなに広く耕してくれるなんて…
ありがたいけど…これだけ広いと、後の手入れも大変そうだわ。
 
ジェロニモ先生が、一本の芋苗を手にして、生徒達に植え方を説明する。
 
ここから…根が出る。
だから…
 
ジェロニモ先生の説明は短くてわかりやすい。
指さして示す場所も的確で。
これなら…わかるはずね。
 
そう思ったのだけど。
ううん、わかったことはわかったのよね…たぶん。
でも。
わかったってことと、できるってことは…別物で。
 
高校生達はそこそこ危なげなくやってるけど…中学生は。
…ううん、違う。
ジョーとジェットは…と言うべきね。
どうして…こう…
 
もう少し、ナナメに挿すんだ…こうやって…
 
ジェロニモ先生の手元をじーっと見つめ、うなずくジョーとジェットが次の苗を手にする。
挿す。
 
もう少し、ナナメだ。
 
挿し直す。
 
それでは、浅い。
 
挿し直す。
 
深すぎる。
 
挿し直す。
 
ようやくO.K.が出て…次の苗を手に取る。
挿す。
 
もう少し、ナナメだ。
 
挿し直す。
 
…………。
 
ジェロニモ先生は…ほんとに辛抱強い。
 
 
私は、女の子達に交じって作業を続けていた。
大体…植え終わった頃だった。
急に、鈍い物音がした。
 
どうしたの…?!
 
慌てて振り返ると…アポロンとジェットとジョーがひとかたまりになって地面に転がっている。
 
ちっくしょうっ!なんだよ、てめぇっ!!!
 
ホントのことを言っただけだっ!!!
 
やめろ…やめろってば、二人ともっ!!!
 
るせーなっ!大体お前が……!!!
 
ジェロニモ先生は、水をくみにいっているらしく、姿が見えない。
 
アポロン…!!!
 
アルテミスの声も届かないらしい。
私は夢中で三人の中に割り入った。
 
何してるの?!やめなさい…やめ…!
 
アトラス…早く!
 
アルテミスの叫びと同時に、目の前が一瞬暗くなった。
 
気がついたとき、私はアルテミスに支えられて地べたに座り込んでいた。
頬が…熱い。
口の中で、微かに血の味もして。
 
たぶん、三人のうち、誰かが振り回した拳が当たってしまった…みたい。
深呼吸する。
 
ジェロニモ先生が走ってきた。
アトラスと一緒に、三人を無理矢理押さえつけ、引き離す。
 
ケンカの原因は…
アポロンがジョーに何か因縁をつけたらしい。
それをジェットが聞きとがめて、お節介にもアポロンを殴りつけて…
 
珍しいわ。
 
でも…そもそも彼が何を言ったのか…三人とも口を開かない。
忘れた、とか言って。
忘れたって…そんなの。
 
ジェロニモ先生にうながされ、私は保健室に行った。あとは任せろ、と言われて。
 
作業の生徒達を解散させて保健室に来たジェロニモ先生は…心配ない、と言うだけで…
 
よくあることだ。
 
よくあったら、困ります!
 
私の抗議に、ジェロニモ先生は微かに笑った。
 
大丈夫…あいつら、二度と、しない。
先生の…おかげだ。
 
…え?
 
…大丈夫。
 
何が大丈夫なのか…わからない。
でも、ジェロニモ先生が大丈夫というときには…大抵大丈夫なはずで。
 
職員室に戻ると…入口に三人が並んで立っていた。
 
アルヌール先生…すみませんでした。
 
アポロンが言うのと同時に、一斉に頭を下げる。
下げて…そのまま。
 
たたけ…ってこと?
だから、ウチでは…体罰は…
 
ぱしっ、ぱしっ、ぱしっ!
 
不意に私の隣から出席簿を持った手が飛び出した。
あっという間に三人の頭をはたいて…
 
…ハインリヒ先生だった。
 
い、痛ってえ〜〜!
 
ジェットが頭を抱えた。
たしかに…痛そう。
 
そうだ。ヒトに殴られると物凄く痛い。
覚えておけ。
 
ハインリヒ先生が職員室に消えると、ジェットとアポロンはそうっと顔を上げ、互いを覗いて照れ笑いを浮かべた。
 
なんだ。
これなら仲直りはもう大丈夫なのね。
…あら?
 
ジョーが。
顔を上げない。
 
まさか…泣いてるの?!
 
ジェットとアポロンはちょっと顔を見合わせ、ジョーの肩をかかえるようにして私に頭を下げた。
 
さよなら、先生!
 
すいませんでした!
 
…それは…もういいんだけど。
 
三人を何となく見送り…首をかしげながら、私は机に戻った。
 
ジョー、そんなに…痛かったのかしら?
 
痛いのは私もだけど。頬が少し腫れてきたみたい。
冷やしておかないと……
Monday, 24 June,2002
面接(3)
今日の面接のラストは、ジェット。
たぶん長くなると思ったので、最後に入れておいた。
 
まず、土曜日のケンカのことを聞きたいな…と思っていたら、彼は自分から元気よく話し始めた。
 
ったく、アポロンもジョーも変なヤツなんだよなあっ!
 
…ジェットによると。
 
ほとんど苗を植え終わった頃、ジョーが何かごそごそ土をいじくっていたらしい。
ジェットとアポロンが覗いてみると…
 
彼は、指でミミズをつっついていた。
 
…ミミズ?
 
うん。で、そこに、あのおっかないねーちゃん…えっと。
 
アルテミス?
 
そうそう!ねーちゃんが道具を片づけるから…って集めにきたんだけど…
 
そのとき、何がどうなったのかわからないが、ジョーがアルテミスの肩に触れてしまったらしい。
 
で、ねーちゃんがいなくなってから、アポロンがジョーに、「汚い手で姉上に触るな!」とか、わけのわからないことを言いやがって…
 
ああ。それで…ジョーが怒ったのね?
 
いや。だからさ、あいつ、ほんっとに変なヤツで、「ミミズは汚くないよ」とかとぼけたこと言うもんだから…アポロンがキレて…
 
…なんだか、これ以上聞くのがめんどうになってきたけど。
 
でも、アルヌール先生のせいっていえばせいなんだよなぁ…
 
…何が?
 
う〜んと…ジョーが、マジな顔で「ミミズは汚くないって、理科で教わった」とか言ったのがヤバかったんだよ…そしたら、アポロンが、「お前、アルヌール先生のお気に入りだもんな」って言いやがって。
 
…お気に入り?
なんで…そういうことになるの?
 
だから、俺もキレた。
 
…へ?
 
だって、そうだろっ?そんなこと言われたら、いくらジョーだって立場がないっていうかさ…だから俺が…
 
アポロンに殴りかかった…と。
 
…聞かなければよかったかも。
 
脱力している私にかまわず、ジェットはいろいろなことをしゃべりまくった。
友達のこと、部活のこと、気に入らない先生の批評に…私の学級経営についての意見まで。
 
気がついたら、私はひたすら聞き役に回っていた。
言わなくちゃいけないことがいっぱいあるのに〜!たとえば…ええと…
 
…親父も結構がんばってくれてるからさ、やっぱりあんまりみっともない成績はとりたくないんだよな〜
 
だったらもうちょっと勉強…と言いかけて、思いだした。
そう…だった。ジェットは。
 
まぁ、あの人も…いろいろあったから。働きながら家事ってのも、キビシイみたいだし…
 
ジェットは、ちょうど一年前…お母さんを亡くしている。
 
でも、あなたも…お手伝いはしてるんでしょう?
 
そりゃ…まあ。慣れてるっちゃ…慣れてるから。
 
そうよね…
 
言葉が続かない。
ジェットは元気よく続けた。
 
おふくろ、しょっちゅう入院してたから、昔から…そういうもんだと思ってたし。
 
そう…あなたが…子供のころから?
 
うん。いや…でもさ、俺の前ではいつも元気だった…ってか、俺、あの人が病気だなんて、ちゃんと考えたことがなくて…だから、驚いた。
 
ジェットのお母さんは、1年前、倒れて救急車で運ばれて…その日のうちに病院で亡くなった…という。小学校からの書類に、簡単に書いてあった。
 
…だって…珍しくなかったから。夜救急車が来るのとかって。だから…まさか、そのまま帰ってこないなんて思わなくて。
 
何か…言わなくちゃ。
これ以上、この子に言わせちゃいけない。
 
そう思うのに…声が出ない。
 
…思わない…よな、先生?
 
…うん。
 
やっとの思いで声を出した…のと同時に。
ジェットは私の涙をめざとく見つけ、笑った。
 
先生が泣くことないって…!
 
そう言って、笑って…いるのに。
大粒の涙が、彼の青い目から転がり落ちて。
 
…それから。
 
私たちは5分くらい、ただひたすら泣いていた。
面接にも何もなってないわ。
 
やがて。
涙をごしごしぬぐって立ち上がり、ジェットは私の肩を叩いた。
 
変な話してごめん、先生。
 
そんなこと、ないけど…もっと勉強しなくちゃ駄目よ…って言うつもりだったのに…
 
はは、それは勘弁…!じゃ、作戦成功かもな。
 
…何言ってるんだか。
 
教室を出ようとしたジェットは、ふっと振り返った。
 
先生…おふくろの写真…見る?今度持ってこようか?
 
…うん。
 
うなずいて、何とか笑った。
ジェットは、勢いよくドアを閉め、駆け出していった。
Tuesday, 25 June,2002
突風
高等部で物理の授業を終えて…次は中等部の授業。
 
次に使うプリントが足りないことに気づいて、大急ぎで印刷室に駆け込んだ。
原稿、持っててよかったわ〜!
 
休み時間はあと5分…
刷り上がったプリントと今集めた高校生のレポートと、私の筆記用具とノートと教科書と参考書と……
 
準備室においてくるヒマがなかった。
もうそのまま次の教室に運んでしまうことにした。
つぎの授業でこのプリントは配ってしまうんだから…帰りは大丈夫。
 
重たいし…積み上げた荷物はとっても不安定…
 
でも、何とか落とさずに行かなくちゃ…
 
中学校舎への近道は、ピロティなので…そっちに回った…ら。
 
いけない…!ひどい風…!
 
でも…今更戻れない。
慎重に歩いていく…けど…もう、駄目かも…
 
先生〜!大丈夫ですか?!
 
手伝います!!
 
体操服に着替えたヘレンとシンシアが駆け寄ってきてくれた。
た、助かった…わ。
 
と、一瞬油断したところに…
突風。
 
あぁ〜っ!!!!
 
私たちは同時に悲鳴を上げた。
プリントが10数枚、一気に風に飛ばされてしまった。
 
懸命に拾って歩こうとするヘレンとシンシア。
私はしゃがみ込んで体勢を立て直すのに必死で…
 
あ!みんな〜!それ…それ、拾って!!!!
 
シンシアが叫んだ。
男子が…ピロティに出てきていた。
 
彼らは、気合いだか歓声だかわからない声を上げながら走りだし、飛ばされたプリントを追い始めた。
 
よ、よかった…これで…
 
…と思ったのは一瞬で。
私は目の前の光景にぼーぜんと立ちすくんでいた。
 
ジェット…!お願い、その声で吼えるのはやめてっ!!!
アポロンっ!足使ったら駄目っ!!!!
 
軽々と土足でプリントを踏みつけながら拾っていくアポロン。
ジェットの奇声に、駆けつけたハインリヒ先生は、爆発寸前の顔で…
 
それに。
やだ…っ、もう…
 
どうして転ぶのよ、ジョー〜〜〜???
Wednesday, 26 June,2002
蛍光灯
午後の授業のとき。
教室の蛍光灯が一本、切れてしまった。
 
放課後、掃除が終ってから、週番のジョーとジェットに取り替えさせることにした。
 
背の高いジェットが机に乗って、蛍光灯に手を伸ばすけど…やっぱりぎりぎりにしか届かない。
 
ジェット、降りて…机の上に椅子をのせるから。
 
大丈夫だよ…ほらっ!
 
ジェットは精一杯背伸びをして…
…かた、と蛍光灯のはずれる音がした…次の瞬間。
 
ぅわっ!!!
 
あぁっ!!!
 
ジェットと私は同時に叫んだ。
彼の手から、蛍光灯がぽん、と弾んで…
 
…下にいたジョーの手の中に収った。
 
…ふぅ。
 
ナイスキャッチ、ジョー!
 
割れてない?怪我しなかった?!
 
大丈夫だよ、先生…ほら。
 
ジョーはにこにこして蛍光灯をちょっと振って見せた。
 
だめっ、振り回したら!危ないでしょっ!!!
 
大丈夫だよ…先生、これ、どうするの?ゴミ箱?
 
ううん…あのね、それを用務員さんのところに持っていって…新しいのをもらってくるのよ。
 
ふぅん…わかった!
 
あぁっ!走っちゃ駄目っ!!!
 
…10分たった。
ジョーは帰ってこない。
 
遅い…わね。迷子になってたりしないわよね…
 
先生が走るなって言ったからだよ。
 
そ、そうかしら?
…とにかく、机の上に椅子をのせておく。
危なくないように土台をしっかりさせて…
 
そんなことしなくてもいいのに。
 
不満そうなジェットに私は断固首を振った。
 
駄目。外すより、つける方が難しいのよ。
 
俺、家でもやったことあるんだけどな〜
 
駄目と言ったら駄目よ。
さっきだって落としたくせに…
 
アルヌール先生?
 
振り返ると、エッカーマン先生が立っていた。
蛍光灯を抱えて。
 
あぁ、ここですね…どれ。
 
エッカーマン先生はつかつか教室に入ってきて…机の上から椅子をどけて、さっと机に上がって…蛍光灯をつけてしまった。
 
所要時間15秒。
 
よし、これでいい…スイッチ入れてみてください。
 
は、はい…
 
エッカーマン先生、ジョーは?なんで先生がコレ持ってきたんだ?
 
ジェットの問に、私もエッカーマン先生を見やった。
先生は、可笑しそうに私にうなずいた。
 
ジョーが、危なっかしく持ってたから、聞いてみたんですよ…そしたら、教室のだっていうから…
 
そう…ですか…す、すみません、わざわざ…ありがとうございます。
 
大したことじゃないですよ。
 
それで…あの、ジョーは?
 
帰りましたよ。
 
…帰ったァっ?!チクショウ、あのヤロっ!!!
 
ジェットが頓狂な声を上げて上着とカバンをひっつかみ、教室を駆け出していった。
 
あっ!待ちなさいっ!学級日誌がまだっ!!
 
…遅かった。
 
ため息をつく私に、エッカーマン先生は笑いながら言った。
 
あの子を叱らないでください、アルヌール先生。ジョーは、自分がやるって言ってたんですから。
 
…そう…なんですか?
 
えぇ、そりゃもうかなり強情に。
 
ふと口を噤み、エッカーマン先生は思い出し笑いをしていた。
 
…でもね、届かないだろう?って言ったんですよ…机の上に椅子のせて…だとやっぱり危ないですからね。
 
それは…そうだけど。
…ううん。
そう…よね。
 
ほんとに申し訳ありませんでした…やっぱり、中1の生徒に、こういうことやらせるのはよくなかったですね…
 
いや、そんなことないでしょう…張り切ってたみたいだし…あの子。
 
そう…ですか?
 
ええ。
 
エッカーマン先生はまた思い出し笑いをした。
 
…いい子ですね、彼。
Saturday, 29 June,2002
買い物
昼下がりの道を、ジョーとてくてく歩く。
…暑い。
 
ジョー、重いでしょう?ひとつ持たせて。
 
これで4回目。
ジョーはもう返事もしない。
 
こんなに赤い顔して、汗かいて。
熱中症になったりしなければいいんだけど…
 
やっぱりやめとけばよかった。
 
ことの起こりは、昨日の面接で。
いつかちゃんと言わなくちゃと思っていたことをジョーに言った。
 
お弁当のこと。
 
ジョーは叔父さんと二人暮らし。
叔父さんが家にいるときは。
だけど…
彼の叔父さんはいつも海外を飛び回っていて…めったに家には戻らないらしい。
 
ジョーの面倒は、お手伝いさんがみているということで。
 
それで、問題はお弁当。
 
お手伝いさんは住み込みではないので…
朝は来てくれないのだそうで。
朝食は前の晩に用意してくれても、お弁当までは手が回らないのだという。
第一、前の晩に作ったお弁当なんて、食中毒の心配もある。
 
もちろんお手伝いさんに朝も来てもらうようにすればいいはずなんだけど…
ジョーがイヤがるとかで。
 
お手伝いさんが早起きして来なくちゃいけないのは可哀想だから、とかなんとか。
 
そんなわけのわからない理由に納得してしまう叔父さんも叔父さんだわ。
 
おまけに、だったら登校途中のコンビニかどこかでお弁当買ってくればいいのに…
うちの校則には、「寄り道禁止」というのがある。
ジョーは律儀にそれを守っている。
 
そんなもの守るな、と…私からは言えない。
 
結局、彼はいつも購買で菓子パンやサンドイッチを買ったり、友達からお弁当を分けてもらったり…している。
 
これでいいはずないわっ!!!
 
面接は2時間に渡った。
 
お手伝いさんにお弁当をお願いしなさいと言う私と。
それには及ばないと言うジョーと。
互いに一歩も譲らず。
 
だから…
 
自分で作ればいいじゃない、お弁当。
 
という考えが浮かんだとき…思わず脱力してしまった。
そうよ…そうよ、そうすればいいんだわ…!!!
 
そこで。
電子レンジだけで作れるお弁当作りを彼に伝授すべく、私は彼を学校の近くのスーパーに連れて行くことにした。
 
ちょうど、今日は放課後に、教室の窓ガラスクリーナーや、ほうきや、床磨きのタワシや…そんなものをごちゃごちゃ買いにいく予定だったから。
 
ついでに荷物持ちさせちゃえばいいわ、と思って…ジョーに声をかけた。
ジェットやアポロンや…他に何人か連れてきなさい、と。
 
クルマに生徒を乗せるのはダメ、ってことになっているから…歩いていくしかない。
 
ジョーは一人で昇降口に来た。
 
…ジェットは…?
 
帰っちゃった。アポロンは部活。
 
そう…土曜日なのに、みんな忙しいのねえ…
 
ちょっと迷った。
この子一人と私では…荷物が多すぎるかも。
 
今日はやめとこうか…いいわ、買い物にはクルマで行くから…
 
そしたら、僕の月曜日のお弁当は?!
 
う…っと詰まった。
たしかに。
私が言い出したことなんだから…でも。
 
荷物がきっと持ちきれないでしょう…?
誰か一緒に行かないと…
 
と言いかけたとき。
廊下の奥に、エッカーマン先生の姿が見えた。
 
まさか…この暑い中、一緒に歩いて買い物に行って、荷物半分持ってください…なんて言えないわよねぇ…
 
ふっと浮かんだ考えの、あまりの身勝手さに、思わずため息をつきそうになったとき。
ジョーが勢いよく私の肩を押した。
 
先生、行こうよ!僕が荷物持つから!
 
無理よ。
 
無理じゃないから…!
 
無理だと思うけどなぁ〜
 
…なのに、結局連れてきてしまった。連れてこられてしまったというか。
 
始めに、日用品のコーナーに行ってジョーのお弁当箱とそれを包むナプキンを選び…
それから、冷凍食品のコーナーに行って。
 
冷凍食品は家に着くまでに溶けてしまうから…買わずにとりあえず見せて、調理の仕方を説明するだけ。
 
ジョーは神妙な面持ちで、うなずいていた。
 
最後に、いよいよ教室の掃除用具などなどの買い物。
減らしたつもりだったんだけど…
やっぱり、かなりの量になって。
 
半分持つ、という私の申し出をジョーは頑として受けなかった。
 
僕が持つって約束したから。
 
してないわ、そんな約束。
 
した。
 
…してないわよ。
私は口の中でつぶやいた。
ほんっとに強情なんだから…っ!
 
 
 
待ちなさい、ジョー、止まって!そこに座って。
 
ジョーは怪訝そうな顔で立ち止まった。
 
ちょっと休憩しましょう。
 
公園の脇まで来ていた。
私はジョーを座らせて、自販機に走った。
 
冷たいお茶の缶を差し出す私に、ジョーは目を丸くした。
 
買い食いはダメなんだよ、先生。
 
買い食いじゃないわ。これはあなたの体のために必要なのっ。いいから飲みなさい!
 
倒れられたら、果てしなく面倒なことになるじゃない!
 
ジョーは腑に落ちない顔のまま、ゆっくりプルトップをあけ、飲み始めた。
やがて。
 
先生は…喉乾いてないの?
 
ええ。
 
ジョーはちょっと首を傾げ、お茶の缶を私に差し出した。
 
何よ。自分で捨ててらっしゃい。
 
違う…先生も飲んで。
 
喉乾いてないわ…もういらないの?
 
ううん…でも、これ、おいしいよ。先生も飲みなよ。
 
だから、私は…
 
言いかけて、口を噤んだ。
いいわ、もう。
この子とこれ以上言い合いをするのは、今日はもうたくさん。
 
ジョーから缶を受け取り、二口飲んで、返す。
 
もういいの?
 
ええ…後はあなたが飲んじゃいなさい。
 
うん。
 
ジョーは一気に飲み干し、自販機近くのゴミ箱へ駆け出した。
 
どうして、いちいち走るのかしら…?
 
また汗かいちゃうじゃない。
まだ半分しか来てないのに〜!
Tuesday, 2 July,2002
クビクロ
5時間目の前、ちょっと迷ったのだけど。
でも、この暑いのに校庭をかけずり回っていたジョーたちを見て、決めた。
 
試験前だし、ちょっとハードに授業進めたいのよね…。
おなかいっぱいで、しかもこれだけ遊び狂ってたら…疲れて居眠り続出の可能性大だわ。
 
試験前に寝かせちゃまずいし。
…やっぱり使おう。
奥の手。
 
チャイムの2分前、教室に入ると、早速女子が駆け寄ってきた。
 
わあ〜!クビクロ〜!!!
触らせて、先生〜!!!!
かわいい〜〜!!!
 
ヘレンが廊下に顔を出して叫ぶ。
 
クビクロがいるわよ〜〜!!!!
 
途端にスゴイ歓声と足音。校庭から戻ってきた男子だ。
…わからないわ。
ほんっとにわからない。
 
汗だくのジョーが駆け込んでくる。
 
あっ、ホントだっ!!!!
 
伸ばした彼の手をびしっと跳ね返した。
 
そんな汚れた手で触っちゃダメ!!!!
 
女子が一斉に笑い出した。
…チャイム。
 
クビクロは、教卓に座って、嬉しげな生徒達の視線を集めている。
うん、これで10分は全員起きてるわね。
 
去年、兄さんが何かの賞品でもらってきた小さな犬のぬいぐるみ。それがクビクロ。
…いえ。
 
去年は、アレキサンダーさまと呼ばれた、入試の守り神さまだったのだ。うちのクラスの。
 
ふわふわの肌触りに、大きな愛らしい目。
受験生の生徒達を少しでも和ませようと思って教室においたら、そのアタマを撫でると、合格する…という説がまことしやかに流れはじめて。
 
それが、この子達にかかったら…
 
首が黒いからクビクロ
 
…なんだもの。
言い出したのはジョーらしいけど。
 
先生…!
 
授業を初めて15分後、机間巡視の私の袖を、ジョーがこっそり引っ張った。
 
…何?
 
ジェット…寝てるよ…!
 
この子がチクりなんて、珍しい。
よっぽど楽しみにしてるのね〜!
 
私はそうっと教卓に戻り、クビクロを掴んだ。
たちまち、忍び笑いの波。
 
いけっ!クビクロっ!!!!
 
叫びながら、私はクビクロをジェットに投げつけた。
クビクロはジェットの鼻に当たって、ぽん、と弾んだ。
 
ぅわあああっ?????
 
飛び起きるジェット。
大爆笑。
 
やれやれ…これであと15分くらい起きていてくれる…と思うんだけど。
 
そう。
ほんとにきっかり15分。
今度はアポロンが沈んだ。
いつもならジョーもアブナイんだけど…
クビクロがいるときは、ジョーは元気に起きている。
 
アポロンに狙いを定め、思いっきりクビクロを……あ!
 
いけない…!
 
手が滑ってしまった。
クビクロはアポロンを大きく外れて、二つとなりの女子に当たった。
 
歓声とブーイングが混じった大騒ぎ。
 
あ〜あ、外しちゃった…
初めてだわ。
 
私はゆっくりクビクロを拾い上げた。
静かになったところで、おもむろに言う。
手の中のぬいぐるみに向かって。
 
アポロンのトコロって言ったでしょうっ?!
ダメじゃない…!!!
 
私はキビしくクビクロのアタマをはたいた。
 
先生、ずるい〜!!!
ひど〜〜い!!!
 
また大爆笑。
これで、終わりまで起きててくれそうね…
よしよし。
 
満足して教卓へ戻ろうとしたとき。
何か、妙な視線を感じて振り向いた。
 
ジョーが、睨んでいる。
…見たこともないような、キツイ視線。
 
…………。
 
やだ。
ホンキで怒ってるの、この子…?
 
しかたないなぁ……
 
教卓に戻り、クビクロを目の高さに持ち上げた。
そうっとアタマを撫でて、優しく「ごめんね」と鼻先にキスした。
 
また大騒ぎ。
 
…しまった。やりすぎたみたい。
チャイムまであと5分になっちゃった。
Thursday, 4 July,2002
調理実習のお知らせ
調理実習のお知らせを、ジョーが持ってきた。
 
暑い中、調理実習をするのはどうか、という意見も毎年あるのだけど、でも夏休み前ダレがちな生徒たちに活気を取り戻すのにはいいのかもしれない。
 
お知らせ…というのは、その…「先生、試食してください」のお知らせ。
それをジョーが持ってきた…ということは。
 
アルヌール先生の、僕たちの班が作るんだよ!
 
僕たちの班…って…誰?
すばやく紙に目を通す。
 
班長は、ジョー。
あと…ジェットとアポロンとヘレンと…
 
…………。
 
メニューは、コーンスープとサンドイッチ。
 
誰がサンドイッチ作るの?
 
さりげなく聞いてみる。
 
ジェットと、アポロンと、僕。
 
やっぱり〜〜!!!
私の微妙な顔色に気づき、ジョーは首を傾げた。
 
コーンスープは難しいから、女子がやるんだ。
 
わからなくはないけど。
でも、コーンスープはいくら失敗したって、ダマになったりしておいしくない…ってだけのことで。
 
サンドイッチは直接触って作る…のよね…
 
ちゃんと、手を洗ってから作ってね。
 
…と言おうと思ったとき、ジョーがじーっと見つめているのに気づいた。
とても、心配そうな目で。
 
喉まででかかった言葉をひっこめ、笑顔を作った。
 
そう、楽しみだわ…どんなサンドイッチなの?
 
ジョーはぱっと顔を輝かせた。
 
内緒!すっごいの作ろうって、相談してるんだ!!
 
…え、ええと。
フツウのが、いいんだけどなぁ〜〜!
 
 
Friday, 5 July,2002
レポート
今日の授業は図書館でグループ学習。
使える本は限られているので、それを探して、すばしこい生徒と、アタマのいい生徒が活躍する。
 
どういうわけか、生徒のほとんどが、図書館で調べ学習をするのって大好き。
友達とのんびりわいわいできるからなのかな。
 
中1だと、漠然とレポート課題なんて出しても無理なので、プリントを埋めるような感じの課題にしている。
 
20分くらいでできるはずなんだけど…
なにしろわいわいしてるから…
 
グループは男女別にした。
この前一緒にしたら、結局女子ばかりが作業してしまうのに気付いたから。
 
…ほら。
また遊んでる!
 
ジョー!ジェット!!
 
じゅうたんの床にぺったり座って、嬉しそうにくすくす笑いながら大きな本を広げている。
二人は、私に気付くと、あたふた立ち上がろうとした。
 
…ここには使える資料なんて、ないでしょう?
 
近づいていくと、ジョーが大あわてで眺めていた本を書棚に押し込んだ。
 
ダメ、適当なところに入れたらっ!
 
本は書棚にきちんと入っていない。
たぶん、隣の大きい書棚から持ってきてるはず。
 
本に伸ばそうとした私の手首を、ジェットが思い切り両手でつかんだ。
 
いいよ、先生!俺たち、元に戻すからっ!!
 
元に戻すって、どこっ?!
 
…え、ええと。
 
ほら!わからないんでしょ、離しなさい!
 
わからなくないよ、わかってるって…いいから…先生、あっち行けってばっ!
 
ええと…わかってるんだけど…その、先生がいると…返せなくて…ええと…
 
オマエは黙ってろ、ジョー!!!
 
あ。わかった。
ジェットを振り払い、本を引っ張り出す。
…やっぱり。
 
ジェットはけらけら笑い出した。
ジョーは真っ赤になっている。
 
私は、黙って隣の書棚に向かい、「思春期の心と体シリーズ」のところに、その本を押し込んだ。
くるっと振り返る。
 
わかったわ。それじゃ…あなたたちは、この本のレポートを提出しなさい。
 
…え?
 
レポート用紙きっちり5枚!!!
 
5枚〜〜っ?!
 
期末テスト前だぞ〜とぶつぶつ言いだしたジェットの鼻をぱしっと指ではたく。
 
終業式まで!それでカンベンしてあげるわ。
 
マジかよ〜とぼやくジェットから私に目を移し、ジョーは心配そうに言った。
 
先生…5枚って…字だけで…?
 
私はじーっとジョーを見つめた。
両手を伸ばし、思い切り両頬をひねり上げる。
 
そ〜お、絵も入れたいわけねっ?!
入れられるもんなら入れてごらんなさいっ!
その代わり、絶対、自分で描くのよ〜〜っ!!
 
いたいいたいいたいよ〜、先生〜〜っ!!!
Monday, 8 July,2002
追い出し
期末考査が始まった。
 
滞りなく終って、生徒を帰す。
今日は掃除もお休みにしてあげることにして。
 
早く帰って早く勉強しなさい、道草したらダメよ!
 
…というわけで。
学年主任のグレート先生とハインリヒ先生は、駅の近くへ見回りに行った。
道草している生徒の指導のため。
 
大変だけど…
先生が見回りしている…ってことを知れば、道草するにも多少なりとも根性と工夫が必要になってくるわけで。
 
みんながいつもいい子でいるのもどうかと思うけど…
でも、いつもと違う、ちょっと羽目をはずしたことをしたいなら…それなりの度量がなくっちゃいけないわ。
 
私は校内の見回りを引き受けていた。
校庭で遊んだり、教室でふざけてたりする子がいないかどうか…
 
家に帰ったって勉強するとはかぎらないけど。
でも、勉強しなさい!という態度を見せておかなければ。
 
1年生はさすがに先生の言うことをよくきいている。
廊下も教室もひっそりしていた…けど。
 
…え?
 
ウチの教室から…小さい話し声と…押し殺した笑い声。
 
やだ…まだ残ってるの?
 
私は壊れた竹箒の柄を持って見回りをしていた。
もちろん生徒を叩くためじゃなくて、いくつかの非常識に高いトコロにある謎の窓が開いていたとき、それを閉めるため。
 
がらっと扉を開くと。
びくびくびくっ!という感じで、5人の生徒が顔を上げ、私を凝視した。
 
ジョー、ジェット、アポロン、ヘレン、イシュキック。
 
何…してるの、あなたたち…?
 
ジョーがあたふた何かを背中に隠した。
 
あ、あの…相談…していて。
 
ヘレンも慌てている。
 
相談…?何の相談…?
 
5人は困った顔で黙っている。
え〜と…
 
何か悪だくみしてたわけじゃないのよね?
 
どうしてそう思うんだよ〜?!
 
ジェットが憮然とする。
ヘレンが口を開きかけ…また閉じた。
イシュキックはうつむいている。
 
私は思わず天井に目をやった。
 
そりゃ…そんなはずないわね。ヘレンとイシュキックに限って。
 
それ、どういうことだよっ?!
 
俺はこいつらとは違いますよっ!
 
なんだ、この野郎っ?!
 
今にもつかみ合いを始めそうになったジェットとアポロンを引き離しながら、言う。
 
とにかく、早く帰りなさいっ!
 
ヘレンとイシュキックは慌てて自分の席に駆け戻り、カバンの支度を始めた。
やっとジェットたちを引き離し、振り返ると、ジョーがごそごそロッカーに何かを押し込んでいる。
…本?
 
じゃ、さよなら、先生!
 
さようなら…すみませんでした。
 
さようなら。
 
口々に挨拶して出て行く生徒を見送り、私はロッカーを見やった。
何か…おかしい。
 
扉を開くと…雪崩っ!
 
大慌てで、体操服入れやら絵の具箱やら何かのファイルやらが落ちそうになるのを体で押え、押し戻す。
 
もう〜!もうすぐ夏休みなのにっ!
明日、ロッカーを空にする準備しなさいって言わなくちゃ…!
 
大きな本が一冊、足の上に落ちた。
…痛い〜!
 
拾い上げると、どうやら、さっきジョーが押し込んだ本らしい。
 
「初めての和食」
 
料理の本…?どうして…
 
あ。と思いついた。
そうだわ。
あのメンバー…!
 
調理実習の相談していたのね〜!!!
だったらそう言えばよかったのに…
…そっか。
内緒だって…言ってたっけ。
 
本をそっとロッカーに戻し、教室に鍵をかけ、私はくすくす笑いながら廊下を歩いた。
 
ずいぶん気合い入ってるのね、あの子たち。
その気合いで勉強もしてくれれば…
…って。
あら…?
 
私は立ち止まった。
 
サンドイッチとコーンスープって…言ってなかった?たしか。
 
…………。
 
どうして、「はじめての和食」なの〜〜????
 
考えるのはやめにする。
そうよ、採点採点!
どうせ、すぐわかることだわ!
 
…でも。
わかりたくないなぁ…
Friday, 12 July,2002
夏休みの補習
期末考査が終って、採点が終ると…ぽつぽつ補習の話も出てくる。
でも、グレート先生は比較的のんびりしていた。
 
まぁ…中1だしね。そんなにヒドイ成績のヤツもいないだろう?
 
そ、そう…よね。
でも、去年まで高校にいたから…夏休みに補習がないなんて、ちょっと拍子抜けするかも。
…いえ。
 
あるといえば、ある。
高3の合宿補習。
文字通り山にこもってお勉強する。
 
今年は物理の開講を希望する生徒が多いとかで…私もかりだされることになっている。
 
期間は10日間。
長い…けど、始まると短いし…
場所は涼しくて、気持ちよくて、いいところなのよね…
生徒たちもさすがに熱心に勉強するし。
 
エッカーマン先生は毎年のようにこの補習に参加しているから、いろいろアドバイスをしてくれた。
ノートPCを持っていった方がいい、と教えてくれたのも先生で。
 
去年、僕たちがいろいろ整備したから、ネット環境は完璧ですよ…カンヅメにされるんだから、せめてネットくらいできないと。
 
ネットできるのは助かるわ。
兄さんと連絡を取るのに…メールができるってわかったら、少しは文句言われなくてすむかも。
 
…そう。
兄さんはあまりいい顔をしていない。
この合宿が入ると、私と兄さんの休暇がうまく合わなくなって…恒例の旅行をあきらめなければならなくなるから。
 
そう言うと、エッカーマン先生はにこにこした。
 
アルヌール先生、お兄さんと仲がいいんですね。
 
よく言われる。
いい年をして恥ずかしい気もするし…
なんだか嫌な言われ方…って感じることもあるのだけど…
でも、エッカーマン先生の言い方は感じがよかった。
 
僕にはきょうだいがいないから…うらやましいです。
 
そういえば、エッカーマン先生は、お父さんと二人暮らしなんだと聞いたことがある。
 
先生のところだって…先生がいらっしゃらないと、お父さま、おさびしいんじゃないですか?
 
ふと思いついて言った。
エッカーマン先生はちょっと驚いたように私を見て…真面目な顔で首を傾げた。
 
どうかな…親父は、仕事に夢中な人だから。
 
そう言う先生だってそうだわ…
笑いをこらえている私を見て、先生は楽しそうに言った。
 
まあ…のんびりやりましょう。いろいろ、案内しますよ…お楽しみに。
 
…案内?
前行ったときは…外を出歩く暇なんて、ほとんどなかったと思うけど。
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Last updated: 2007/10/21