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2    休暇(旧ゼロ)
 
  1
 
 受話器を置いたきり、しょんぼりうつむいている003に、007はおずおず声をかけた。
「ねえ、アニキからだったんだろ?どうかしたのかい?」
「今日は来られないんですって」
「…へ?」
「何か、大事な用ができてしまったみたい」
「大事な…用って?」
「教えてくれなかったわ…本当に大事だから教えられないのかもしれない」
「……」
 どう反応したらいいのか、判断できなかった。コドモとはいえ、007も一応サイボーグ戦士である。表情や仕草から人の気持ちをくみ取る能力は、年齢からは考えられないほど高い。特に、姉のように慕う003とは行動を共にすることも多く、彼女の感情の機微については誰より…うっかりすると009より敏感なのだった。
 本当に大事だから教えられない用…って、たとえば何だろう。いくら考えてもわからない。でも、何かうかつに触れてはマズイような予感が、濃厚にするのだった。007は慎重にその辺りを避けた。
「でも、明日からは大丈夫なんだろ?休暇は始まったばかりだし、とにかく本番は明日なんだからさ!」
「…そうね」
 003はようやく微笑み、それじゃゆっくり仕上げましょうか、と、焼き上がったスポンジケーキをそうっと型から出した。
 
 待たせてすみません、と笑顔で席に戻ったジョーを、彼女は心配そうに見つめた。
「何か、約束があったんじゃないですか…?」
「たいしたことじゃありませんよ…電話を入れたから大丈夫。それじゃ、詳しい話を聞かせてくれませんか、沙織さん?」
 沙織と呼ばれた女性は迷うように眼を伏せた。
「僕を信じてください。きっと、あなたの力になれると思います。あなたを襲った奴らは、僕が探している相手に近いか…もしかしたら、同じ相手なのかもしれないんです」
「探している…?島村さん、あなた、いったい…」
「あ。警察じゃありませんよ、僕は…ええと」
 ジョーはちょっと口を噤み、それからおどけるように言った。
「そうだな、つまり、正義の味方…ってヤツです」
「…まあ」
 沙織の硬かった表情がわずかにほころんだ。
 
 数日前、ジョーの友人の妹が行方不明になった。家出をするような心当たりはまったくない、誘拐されたのではないか、と、彼は言葉少なく語った。といっても、犯人からのコンタクトもないのだが。
 実は、それ以前から、何となく新聞の「たずね人」で、若い女性が目立つことに、ジョーは気づいていた。ただ、そのときは、妙だと思いながらも、それ以上考えようとはしなかった。
 はっとしたのは、苦悩する友人の姿を見るうち、ふと003を思い出したときだった。彼女も誘拐された時、家族たちから見れば、こういう状態だったに違いない。だとしたら…もしかすると。
 とはいえ、もしかすると、と思っても、そこで終わりだった。調べる方法は考えつかなかったし、それだけのことで仲間に協力を要請するわけにもいかない。
 
 それはそれとして、仲間…といえば、003と007が研究所で、ジョーのために簡単なパーティをしてくれるのだという。彼自身は忘れていたのだが、もうすぐ誕生日なのだった。
 ちょっとそういうのは苦手だな…と思いながらも、003の弾む声を電話で聞いているうちに、まあいいか、という気分になってきて、ジョーは前日の五月一五日から休暇をとり、久しぶりに研究所に滞在することにしたのだった。沙織と…というか、怪しい車とすれ違ったのは、ちょうど、研究所に向かう途中でだった。
 その黒づくめの車は、およそ町の中を走るにはふさわしくない速さとハンドルさばきで、ジョーの脇を駆け抜けていった。普通の人間だったら、なんて乱暴な車だ、と腹立たしく思うだけだったかもしれないが、レーサーでもあるジョーは、すぐにその異様さに気づいた。運転のテクニックが、素人のモノではない。
 彼は、とっさに車の後を追い、やがて後部座席に押し込められている沙織の姿をとらえたのだった。
 問答無用で車に飛びつき、沙織を助け出したものの、犯人には逃げられてしまった。車種とナンバーを記憶したが、たぶんそれだけでは十分な手がかりにならない。
 ジョーは怯える沙織をとりあえず近くの喫茶店に連れて行き、事情を尋ねてみることにしたのだった。
 
 
 事情らしい事情を、沙織は持っていなかった。彼女は家を出てまもなく、いきなり口をふさがれ、車に連れ込まれたのだという。ジョーも確認したとおり、そこにいた男は3人。誰とも全く面識はなかったという。
 自分は資産家の娘というわけではないし、人に恨みを買うような覚えもない…と話し終え、沙織はうつむいた。肩が細かく震えている。ようやく落ち着いて、かえって恐怖がこみ上げてきたのかもしれなかった。
 
 これでは、やはり、全く手がかりにならない…が、もしあのままさらわれていたら、沙織の友人や家族たちも「たずね人」を出してみるしかなかったかもしれない。もしかすると、という気持ちは、ジョーの中でいっそう強くなった。もちろん、勘にすぎないのだが、それは厳しい戦いを重ねる中で築き上げてきた戦士としての勘だ。
「あの、島村さん…」
 不意に話しかけられ、ジョーは瞬きした。沙織がじっとこちらを見つめている。
「沙織…さん?」
「あの、これ以上ご面倒をおかけするのは…申し訳ないんですけれど…私…怖くて…」
 沙織は消え入るように言い、また肩を震わせた。ジョーはしっかりとうなずいた。
「もちろん、お宅まで僕がお送りしますよ…ああ、沙織さんがよければ、ですが」
 
 沙織は小さいアパートに住んでいた。質素な部屋だが、手入れは行き届いていて、女性らしい飾り付けも控えめながらされていた。
 台所の奥にひとつだけある和室に通され、座ると、隅に小さな鏡台が据えられていた。003も同じようなものを持っているはずだが、寝室にあるのだろう、ジョーがそれを見たことはなかった。
 たぶん、女の子はこういうものをあまり人に見られたくないのかもしれないな、と気づいて、眼をそらそうとしたときだった。ジョーはハッと立ち上がり、鏡台に駆け寄った。
「お茶をどうぞ…島村…さん?」
 台所から盆を抱えて入ってきた沙織は怪訝そうに首をかしげた。ジョーが、鏡台から華奢なガラス瓶を取り上げ、真剣な顔で見つめている。
「あの…それが…何か?」
「沙織さん、コレ、まだ新しいですね…失礼ですが、いつも使われているものなんですか?」
「…ええ。でも、使い始めたのは最近です」
「あまり見かけないモノだと思って…どこのメーカーのだろう?」
「それは、非売品なんだそうです」
「…非売品?」
「ええ。懸賞に応募したら当選したんです。今度売り出す、最新式の基礎化粧品シリーズなんですって…でもどうして島村さん、そんなものを…」
「懸賞…?」
 沙織はなおも首をかしげながら、一枚のはがきを持ってくると、ジョーに示した。
「これが当選の通知です…あの」
「…ありがとう、沙織さん…ちょっと、急ぎの用ができたので、申し訳ないけど、これで…!」
「え…?島村さん…?」
 飛び出したジョーを慌てて追いかけようとした沙織は、ドアを出た途端、立ちすくんだ。
 彼の姿は消えてしまっていた。
 
 
 はがきの消印を頼りに、ジョーは近くの町にたどりつき、むやみに駆け回り続けた。沙織の鏡台にあった化粧品の瓶を、妹が行方不明になったという友人の家でも見かけたのだった。それだけのことだったが、その瓶もまだ真新しかった。何となくひっかかる。
 小一時間走り回り、やはり関係はなかったか、と思い始めたジョーの眼が鋭く光った。
 
 あの、車だ!
 
 例の車が停められていたのは、ごく平凡な四階建ての雑居ビルの前だった。たぶん、普通の入口から入れば、普通のモノしかないに違いない。何かを隠しているなら、当然、その入口も隠しているはずで…… 
 003がいれば、と心で舌打ちしながら、ジョーはぐるっとビルの周りを回ってみた。やはり、怪しい入口のようなものは見あたらない。仕方なく、物陰に身を潜めて、しばらく様子を見てみることにした。
 かなりの時間がたったときだった。不意に一人の男が現れ、ビルの入口の前を横切っていった。姿を隠しながら尾行すると、男はビルの周りをぐるっと回り、反対側で立ち止まった。素早く辺りを見回し、ポケットから何かを取り出してボタンを押す。すると、いきなり鈍い音を立てて、そこに無造作に積んであった荷物が横にずれていった。やがて現れたマンホールの蓋のようなものを男が開けた瞬間、ジョーは飛び出していった。
 
 男を倒し、侵入に成功すると、後は案外たやすかった。要所要所で警戒していた僅かな男たちをほとんど声すら出させることなく倒し、まっすぐ階段を駆け下り続け、正面を塞いでいる鉄扉に体当たりした。
「これは…!」
 薄々予想していたとはいえ、ジョーはその凄惨な様子に思わず息をのんだ。
 誘拐されたらしい女性たちが、ずらっと並ぶ処置台のような簡易ベッドに寝かされ、眠らされている。彼女たちの体にはそれぞれ違う種類のチューブがつながれ、何かの薬品を投与されながら、同時にデータをとられているようだった。
「…人体実験…なのか?」
 思わず拳を震わせたとき、背後に慌ただしく駆けつける複数の足音があった。
「そこで何をしているっ!キサマ、何者だ?」
 ジョーはゆっくり振り返った。白衣の男が三人、その後ろに高級紳士服に身を包んだ男が一人。四人ともピストルを構えていた。ジョーは彼らをじっと見据え、静かな怒りのこもった声で応じた。
「僕か?…僕は、サイボーグ009!」
 
 放たれた弾丸はジョーには全く通じない。ひるむ白衣の男たちを殴り倒し、最後の男に飛びかかろうとしたときだった。男が憎々しい笑みをうかべた。
「動くな、小僧!これを見ろ…!」
 男の手にはリモコンが握られていた。
「それは、何だ?」
「ふふふ…このボタンを押すと、そこにいる女どもの血管に、一斉に猛毒が送り込まれるのだ!」
「何だとっ?」
 ジョーは唇を噛み、その場にぐっと踏みとどまった。男はリモコンを見せびらかすようにしつつ、うめきながら次々立ち上がった白衣の男たちに慌ただしく指示をだした。やがて、ジョーはなすすべもなく銃を奪われ、両手を後ろに回されて、何かロックのようなものをかけられていた。
「サイボーグと言ったな?それなら、特別製の手錠を使わせてもらおう…どんな怪力でも、それをはずすことはできない」
 たしかに、頑丈な手錠だった。油断したつもりはなかったが、まんまとやられてしまった…と、ジョーが思わず歯がみしたとき、男はまた何か指示を出し、白衣の男たちを奥へと追いやった。
「キサマが何者なのか、大いに興味はあるが、ここで危険を冒すのは得策ではない。死んでもらおう。キサマの死体を解剖するだけでも、かなりの収穫が得られそうだしな」
 不敵に高笑いし、指を鳴らす。それを合図に戻ってきた白衣の男たちが、今度は精巧な電子銃を重そうに抱え上げ、一斉にジョーにねらいを定めた。
「…おのれっ!」
 リモコンはまだ男の手にあり、親指がボタンにかかったままだった。あれを奪えれば!
 ジョーは自分をねらう銃口には見向きもせず、ひたすら男の右手をにらみ続けた。
「撃て!…うわぁっ?」
 いきなり男が悲鳴を上げ、手からリモコンを取り落とした。すかさずジョーは飛び出し、白衣の男たちに次々と体当たりした。
「く、くそっ!この…!」
 男はむやみに両手を振り回し、激しい罵り声を上げていた。彼の周りを一匹の大きなスズメバチが飛び回っている。
「009、大丈夫?」
 凛とした声に、驚いて振り返ると、戦闘服姿の003が銃を構えていた。彼女が素早くジョーの手錠を撃ち壊すのと同時に、スズメバチがみるみる姿を変えた。
「003…007!」
「話は後よ、009!この人たちを助けなければ!」
「ああ、ここは頼んだ!僕は、司令室をぶっ壊してくる!」
「OK!」
 007がおどけて敬礼してみせた。
 
  4
 
 建物の機能を完全に停止させ、そこにいた男たちをことごとく縛り上げてから、009たちは警察に通報した。
「それじゃ、行こう…003、あの女性たちは大丈夫だったのか?」
「ええ。今のところ、命に関わるような実験はされていなかったようだわ…だからと言って許されることではないでしょうけど」
 003の横顔は僅かに青白く、静かな怒りを浮かべている。その美しさに009はふと眼を奪われた。
「ねえアニキ…アレ、一体なんだったんだい?」
「うん…たぶん、どこかの製薬会社の、不法な地下研究室だったんだろう。懸賞と偽ってアンケートに答えさせ、自分たちの実験に都合のいい女の子を探したんじゃないかな」
「ひどいヤツらだなあ!そんな連中、みんなつかまって死刑になっちまえばいいんだ!」
「そんなことを言ってはダメよ、007…死ねばいい人なんて、どこにもいないのよ」
「うん、その通りだね、003…007、わかったか?」
「なんだよ〜、二人とも、偉そうにさ!」
 それにしても…と、009は首をかしげた。どうして、この二人はあそこに自分がいるとわかったのだろう。もの問いたげな009の様子に007は気づき、ちらっと003を見上げてから言った。
「003が、ココを見つけたんだよ」
 
 007の話によると、ケーキを作っていた003がいきなり顔色を変え、台所を飛び出して、戦闘服に着替え始めたのだという。009が加速装置を使った…と言って。
 003の指示に従って、007が沙織のアパートを訪れ、話を聞いて例のはがきを見せてもらい、009と同じように、二人でその消印の町へと向かった。後は003が町をくまなく探査して、ビルの裏で倒れている男と、地下への入り口と、降りていった009を発見した……のだという。
 沈黙している009の方を見ないまま、003はどこか硬い声で言った。
「ごめんなさい。のぞき見…していたつもりではなかったのよ。ただ、あのときは少し緊張していたから、聞こえたんだと思うわ。あなたが加速する音は…独特なの」
「…ああ。わかってるよ、003」
 それきりまた黙り込む二人から、007はそうっとそうっと距離を置いて歩くのだった。
 
 台所の灯りをつけ、エプロンを広げながら、003は何となくため息をついていた。
 すっかり遅くなってしまった。途中で放り出してしまったケーキも仕上げなければいけないし、今日の晩ご飯は…仕方ないから大急ぎで何かあり合わせのものを作るしかない。
 009が事件もないのに研究所を訪ねてくるのはそうたびたびではなく、まして泊まっていくのは珍しいことだった。誕生日当日のパーティはもちろんだが、彼が滞在している間、彼がくつろげるようにと、003はだいぶ前から精一杯心を砕いて準備をしていたのだった。が、とりあえず今夜はもう何もかも間に合わなくなってしまった。
 003は不意に勢いよく頭を振り、ぎゅっと眼をつぶった。
 
 ダメよ…ジョーがあの人に会わなければよかったのに、なんて考えてはダメ。ここに約束通りくることと、あの人たちを助けることとどちらが大切か、なんて絶対に比べてはいけないんだから。
 それに…そう、私は約束通りここにきてくれるだけのジョーより、苦しめられている人たちを、何があっても助けようとするジョーの方がずうっと尊敬できるし…好きなんだもの。そうよ、だから私はジョーが好きなの。
 ……でも。
 
 いきなり後ろから肩をつかまれて、003は飛び上がった。その反応に009は少し慌てた。
「ごめん。脅かしたかい?」
「い、いいえ…あの、ごめんなさい。もう少し待っていてね…あんまりいいものは作れないけれど…お腹がすいたでしょう?」
「まだ何も作ってないんだよね?」
「…え、ええ」
 悲しそうにうつむく003に、009は微笑した。
「なら、よかった…それじゃ、これから一緒に出かけようよ、003…僕がごちそうするから」
「え…?でも…」
「明日は、君が僕に思いきりごちそうしてくれるんだろう?だからさ…ホントは007とギルモア博士も誘ったんだけど、二人とも張々湖飯店で食べるって行っちゃたんだ…あ、君もそうしたい?」
 どう答えたらいいかわからず、口ごもる003に009はまた笑った。
「飯店もいいけど…この前、君が喜びそうな可愛いレストランを教えてもらった。行ってみないか?」
「……」
「003?」
「…誰に、教わったの?」
 つい拗ねた声が出てしまい、003は赤面してとっさに自分の口を塞いだ。009はとうとう声を立てて笑い出した。
「仕事の仲間さ。女の子じゃないよ。男同士で行くような店じゃなかったから閉口したなあ…どう?」
「…知らない!」
「この間の白いワンピース、よく似合ってた。あれを着てくれると嬉しいな。それにスカーフしてさ…ほら、あのきれいな絹の…君の目の色と同じヤツだよ」
「……」
「ねえ、機嫌を直してくれよ、003」
 009はふと真顔になり、003を軽く抱き寄せると、耳元でささやいた。
 
「休暇は始まったばかりじゃないか…そうだろう?」



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